「逃避行」
「レイジさん、あなたに私を連れ去って欲しい。」
「はい?どうした急に。」
「あのエルフ女、ムカついたから逃がしてやった。きっと私はポルコに殺される。」
「プラレスを…? あんたが。でも逃げたってしょうがないだろ、それくらいあんたにだって分かるはずだ。二人すぐにお陀仏だ。」
砦の渡り廊下、まだポルコの拷問の時間に至っていないからプラレスが逃げたことは知られていない。しかしもう一時間と経たずにNo.6の愚行はバレてしまうだろう。
レイジは少しばかり驚いた。
ムカついたから。そんなことで済ませられる話ではない。
チクタクとNo.6の目に差し込まれたアンティーク調の時計が音を立てる。ここは温かい水の中のような世界。
「死ねるんだったらそれでいい、それがいい… 私は。」
「お前は何がしたい。」
要は彼女が何をしたいかが問題である。金が欲しい、とか世界を変えて自分のような奴隷をいなくならせたい。というのなら話は簡単で「ポルコに少しお叱りを受けてこい。」と言えるのだが、それは今No.6の中で違う気がする。
きっと今の彼女はそういう社会的なことを否定しようともがいている。
「それは… 分からない…」
「今のままでいればいい。」
少し面倒くさくなってレイジはNo.6を突き放してしまった。
「待って…!」
No.6がレイジのことを引き止め、抱きしめる。離してくれそうにないほど強い力が働いている。彼女の腕は震えている。
「…」
「あなたといたい。」
「お前、僕をなんだと思ってる?」
きっと見つめてわけのわからない怒りを向けるレイジ。ただ甘えるだけの女は嫌いだった、そういう女には決まって「肉の匂い」がする。
それは自分が女だから守ってもらえる、とか何もしなくてもいいとかいうことに対する甘えを持った人の体臭。
それを探り当てるためレイジは鼻を澄ませていく。
「人を何かと言ってしまうのは本当のことから離れていって、どこへも行けなくなることだから怖いと思う。」
しかし「肉の匂い」はしなかった。レイジは性器を切り落とされた男だ、そしてNo.6は社会の理不尽のまま体の隅々まで痛みつけられた人間。
二人の間に一体何が生まれ得るというのだろう…
レイジの怒りはそういう怒りだった。何も生まれないのだろうと諦めきっている、人間の活動とは全て性衝動に基づくものなのだという諦め。
「ちょっとこっちへ来い。」と言ってレイジはNo.6を彼女の寝室へ連れて行った。水霊との戦闘の後彼女が目覚めた場所だ。
まずはレイジの方で話を切り出す。
「ここから逃げると殺される。」
「怖いの?」
怖い。
確かにその通りだ、社会の流れ、一人の人に認められたってしょうがない。だから何か一つのことにこだわってしまうのは怖い。ただそれを人に指摘されるのは癪である。
「お前は人に恋してはいそれでおしまい、いいと思ってるのか?」
「考えては答えは出ない。考えなければ出るもの…」
「僕は逃げないぞ、逃げないからな、社会から。」
「なぜ?」
「僕は龍神族の聖域から派遣された工作員だ。お前もポルコも殺せとフローレンシアとかいうバカから命じられてる。」
「なぜあなたはそれに従うの?」
「くそっ…! お前はもう黙れよ。黙れってば!」
閑散とした寝室でレイジがNo.6を押し倒す形となった。前とは逆の形だ。
静かに、時間が、流れている。
優しい空気もほんの少し加えられていく。この空間は今水辺に儚く散った花が浮いているようだ。
「なぜ?」
「妹が人質になってる… 僕は呪術師だ、商会も持ってる。でもフローレンシアは家族を… 僕はここから逃げるわけにいかないんだよ。」
フローレンシアがリリルアに話した「手は打ってある」という言葉はレイジの家族を人質にとってあるということ。裏の商会を持つレイジを力で味方に入れることはフローレンシアにとって有意義なことだった。
これで裏の内部の混乱が狙える、そしてフローレンシアはレイジをポルコの商会へと派遣する。
そっとNo.6がレイジの頬に手を添えた。
「逃げよう…?」
「お前の計画だけ聞こう…」
なんとかNo.6はレイジの考えている全てを整理し言葉に乗せていく。
「私が思うに昨日来たラケルとヴィンセントというのはシュトロハイム王国の再興を狙うもの。彼らの活動によって我々が去ったとて今ここで行われようとしてる取引は破綻するでしょう、恐らく他の商会の捕虜を奪おうとする介入があるでしょうから。けれど逃げる私たちに関係ありません。ラケルらも馬鹿ではないはず、進んで捕虜になりにきたのだから。龍神族の聖域と手を組んでいて後のことを考えていてもおかしくない。
プラレスは逃げました。
そして龍神族のフローレンシアがあなたを「ここへ」送り込んだということ。すなわち彼女は少なからずシュトロハイム王国の再興を望んでいるということ。ということはそれが目的であって私やポルコが殺されることが条件ではありません。きっと第三者として介入する別の商会によってポルコは殺されるでしょう、私が逃げるという今。ポルコに戦闘能力はありません。
私とあなたが死んだことにすればあなたの妹君が殺される理由はありません。」
つまり、No.6は捕虜の受け渡しの際他の商会の邪魔が入ること、ラケルとヴィンセントがリリルアと共に捕虜の解放と保護に向け動いていることを推測しきっていた。
だから現状を全て整理すると今逃げても何の問題も起こり得ないと知っていたのである。
「そのあとの計画は…?」
「ポルコが殺され今の取引が破綻するとすれば、私たちの身の上は心配に及びません。ポルコのコネが元凶だったんですから。ここから東へ進み、キノコの森を抜け、龍神族の聖域へ向かいます。
ある程度レイジさんの商会の力も使い聖域を征服。妹君が救えます。ポルコが死んだことの混乱に乗じてすれば商会の邪魔もないでしょう。
ポルコの商会から派遣されている麻薬の商売人もいるので聖域では私の顔が効きますから。」
「恐れ入った… 頭がいいんだな。その頭でずっと下っ端やってたことが信じられない。だが聖域を落とす理由が分からない。妹はポルコさえ死ねば生き延びられるからな。」
「そうですね。落とさないで二人で隠遁生活がいいかも。」
「いや、龍神族の聖域には行くだけ行こう。」と、一旦闇の世界へ足を踏み入れた自分たちがいつまでも落ち着いていられるはずがないと思ってレイジが言った。フローレンシアへの憎しみの情もある。
今の話を聞いてレイジはNo.6と共に逃げるのなら、どうにかなってしまうかもしれないと思った。彼女とどこまでも旅をして、いろんなことを考えて、その時々最善の策を取っていれば結果はどうにかなるかもしれない。
結果など、考えて定めてもどうしようもないものなのだから。
二人はすぐに砦の外へ出ることにした。警備網はNo.6に一任されていたため問題は起こらない。
砦に残こるのは王国民、ラケルにヴィンセントとポルコだけとなる。
今は取引が始まる一日の夜明け前、レイジとNo.6によるあるはずのなかった逃避行は始まった。




