「森に戦火を。優しさに修羅を」
木の子たちの演奏する音楽は決して悲しいものでなく、むしろ楽しげに聞こえた。この音楽で森に命が帰っていくというのだから頷ける。
リリルアは突然顔を出した龍の方をみる。木の子の音楽を聴きながらしんみり、ほのぼのとした龍の素顔が垣間見えるので少し嬉しくなった。
一体どうしてこんなのが信仰の対象なんだ?
と、龍のカッコいいところを全く見たことのないリリルアは思う。それとも今は森が龍の心まで染み入り、落ち着かせているだけか。まるで愛玩動物ではないか。
リリルアと龍の目が合うと龍の方はすぐに顔を引っ込めてしまった、バツが悪いのだろう。ものすごく人間的で可愛い。神様だって楽しみたい時は楽しむし、弱いところは弱いんだなあ。イエス・キリストにも信仰に溺れすぎたという欠点があり、要は社会不適合者として最期を遂げた者なのである。信仰はする側の勝手に満ち溢れている。
驚いたように愛らしく頬を染め、首を引っ込めた龍の姿がリリルアのいたずら心をくすぐった。よし、もっと脅かしてやろう。
寄って行ってみる。
『なんであいつが… 俺はここで平穏に暮らしてしまおうと思ってんだけど… あんな奴に来られたら立つ瀬がないよう!』
ぶつぶつと愚痴をこぼす龍の声が聞こえる。クスリと笑って大樹の蔦に覆われた空間へと飛び込むリリルア、ぎょっとして震え上がる龍。
「みーっけっ!」
少し暴れて自分のことを恐ろしく見せようとする龍の周りを笑いながら走り、隙を見つけて背中まで駆け上がる。頭の上に乗ってヒゲを引っ張ってやる。子供のようにリリルアはクスクスと笑った。
素直に楽しめることで、リリルアは龍のことをおちょくるのが好きなのかもしれない。人間同士だったらきっといい恋人になれる。
『世間知らずの人間の小娘…! 立ち去れ、ここは神聖なる森の中ぞ!』
吼える龍にリリルアはきょとんとする。内心萎縮していても見栄を張ろうとする龍のことがおかしくってしょうがない。
「なんだよ急に、一人じゃ飛べないおチビさん。見栄なんて張るのはいい加減およしなさいな。」
う、うーん…
心を見透かされたようでしゅんとする龍。
『龍なんだから見栄を張らなきゃいけないのは当然だろう。私は神なのだ。』
「いいえ、全然神に見えません。ただの可愛い龍です。」
『うるさいうるさい! 分かってるよ、確かに俺のぬいぐるみは売れるけどお参りに来てくれる人なんていないさ。はいはい、俺はただの可愛い龍さ。もうなんとでも言うがいい。』
ほう。龍グッズの販売まで行われているとはリリルアも知らなかった。しかし龍のぬいぐるみが店頭に並ぶ光景… 想像しただけで笑みがこぼれてしまう。
が、ちょっとかわいそうだなとも思った。
リリルアも見たとおり膨大な力を秘めているというのに、なぜか飛べない。神と崇められているのは人民のエゴで、少し政治的な理由も絡まって、当の本人はエゴと現実の狭間に押しつぶされそうでいる。
期待。それに見合った実力を持たないのに、応えなければならない気持ちは想像に難くない。妖精たちをこき使ってしまう心情も察せられるというものだ。
「でもそれはあなたが一人で飛べないからよ?」
『そう、飛べないんだよ。飛ぼうとしないんじゃないからな。』
「じゃ、可愛い龍って呼ばれることに文句言えないわね。」
話しかける人によって口調を変えるのはリリルアの愛嬌。すべての人に適した言葉遣いがあるということを理解している女の子だ。
でもとりわけて龍と話すのは楽しい。このまま捨て置くのは惜しい、なんとか友達になれたらいい。
リリルアは龍の鱗に手を引っ掛けて、背中から飛び降りた。そして顔の前に仁王立ちをして、問いかける、直に目を合わせる。
『なんだ小娘…』
「本当に飛べないの?」
縦横無尽に走り回り、龍の立派なヒゲをつねってみたり、角を叩いてみたり。爪にゆっくり手をあてがってみたりした。
そういえば龍は翼もないのにどうして飛べるのだろう。飛べると思うこと自体おかしいのかもしれないと、体の隅々まで触れてみて分かった。
もしかしたら「飛べる」というのは龍に代々かけられた呪いなのかもしれない。恐ろしい風貌と引き換えにかけられた魔法の力。
龍は孤独だった。
この龍は実は男口調で話しているが、実は女の子なのだと知った。
リリルアはこの龍の子と腰を据えて話すことに決め、顔の横に座り込む。龍のいる蔦に覆われた部屋には花がたくさん咲いていた、芳しい香りがリリルアの中に入り込んでいる。
この子、女の子だからお花が好きなんだ。森の中で落ち着くのが好きなんだ、そして音楽が好きなんだ。夢見がちな乙女、ごくごく普通の女の子、それが龍の実態。
龍の息遣いはそこでつぶさに感じられ、リリルアのことを気遣ってくれていることが分かるまで小声で囁く。
『いいか、俺が飛べたら海や山や、地の底でおねんねだ。俺は下級の龍、自力で飛べれば上級の龍。俺はこの世界を見ていたい、だから飛べたとしても飛ぶのは嫌だ。』
高貴な龍は世界のどこかに眠り、人類が大きな過ちを犯した時目覚め全てを無に帰すという。ここにいる龍は世界や人間が大好きで、なんとかその波に流されまいとしている。
誰も見たことのない上位の龍… そんな神のように無知で、残酷な存在になりたくないとこの龍は言う。
優しい、女の子。だんだんとリリルアはこの子に惹かれ、どんどん優しい気持ちを心の中に芽生えさせる。
『おい。』
龍は優しくリリルアをその腕で少し動かした。元いた場所には一輪の花があった。
「あ、ごめんなさい… あなた優しいのね。」
『お前、うるさいな。』
龍とリリルアのいる花畑に優しい風が吹く。二人は落ち着き、話し始める。リリルアは座りながら少し上を向き、まだ龍の目に自分の目で触れようとしている。
『でもいい。それでお前はいい。大地を見てみろ、でこぼこがあるだろう。それは全てエルフ族の亡骸だ。』
「死んだ人の体を蝕んで花が咲くのね…」
『ああ。人は死ねば命を結ぶ、我もそう、命は全てそうだ。そして森の中では食う、食われるもない。皆生きようとしているだけなのだ。』
「そう… 私、確かに人の中にいると孤独だけどここにいると孤独を感じないわ。不思議ね。あなた神様なのでしょう。エルフ族のこと、聞かせてくれる?」
『奴らは恋をすれば自分をひたすらに傷つける。そういう生き物だ、それでいて人に知られることを恐れる、人を傷つけまいとするからだ。俺は何度もそれで気狂いのようになり、人知れず森の糧となった者を知っている。
繊細すぎ、優しすぎる悲しい種族よ… 人に殺されようという時になっても、人を殺して生きようとすることは決して良しとしない。だからここのエルフも滅んだ、しかし見てみろこの花畑やキノコの森の美しさを。死を得る時も、どの生き物でも優しさに満ちている。
人は、いつか自らの過ちに気付いた時。死にたい。と思うだろう。それを一生抱えて逃げる事叶わず生きていく種族、エルフらの心に触れれば生きたい。と思い上がる人々を醜く思う。
しかしこれも憎しみの連鎖の一環なのであろうな… お前に自分の心に二つの心が宿っていると感じられたことはないか?
人はエルフを… 「修羅の一族」または「たそがれの一族」
と呼ぶのだ。そして…
木の子の音楽より激しく涙のかけらが森に注ぐ時、悲しみは虫の青き血よりも深く、本当の幸せなどここにあるはずもない…
やがて黄昏は土に宿る。この体今こそ森の命となれ。
森に生きる一族、皆一人の修羅なのだから。
と、エルフの一族に伝わる一つの伝説よ。』
エルフの一族には大きな悲しみが備わっている。決して逃れることのできない種の呪いだ。それをまぎらわすため、彼らにはずば抜けた芸術の感性があるというのだろうか。
「それであなたは…?」
『エルフが人を殺すことのできないのと同じく私も飛ぶことができない。』
お互いに長く考えるための静寂が流れていたのだが、それは突然の木の子たちの騒ぎ声によって遮られる。賑やかな音楽が止まった。
リリルアはすぐに花畑から出て行き大樹の方へと向かった、龍も顔を出す。烏合の衆と化した木の子たちの中心に奇怪な生物がある。それは花のようであり、先端の花弁のところが牙を備える口となっている。また、それはキノコの森に蔓延っていた胞子を持ち込んできた。
胞子の落ちたところから地面はみるみるうちに腐敗していく。
このままでは木の子の王国が森に飲み込まれ滅びてしまう。
「あれはなんですか!?」
『人造生物…! 死の花、あれは幼体だが人間の穢れた魔力によって動き、森を破壊していく。開拓時代に作られた森を滅ぼすための兵器だ!しかしどうして、こんな平穏な森にいるはずがない!』
奇声を発しながら躍り狂う「死の花」という兵器。
『仮に残骸が森の残っていたとして、人間がいなければ作動しないはずだが… あ。』
現在森にはリリルアがいる。それを聞いて彼女は大きな罪悪感と焦燥感に駆られていた。
「龍! どうすればあれは止まる!?」
『母体を探して息の根を止めるんだ…! 大きな蕾のような形をしているはず… その核に剣でもなんでも突き立てればいい。森を壊すための兵器、対人用の防御は薄い。』
自分がこの森に厄介をもたらしてしまった。木の子の国が滅びる前に母体を見つけ、破壊してしまわねば…
まず、リリルアは木の子の王国に迷い込んだ一匹の死の花にきっちりと目を据える。




