「木の子の王国です」
しばらく水飲みを楽しむブリリアントを眺めていたリリルアだが、突然億劫になって広い湖の湖畔を散歩し始める。
湖畔と言っても中に立つ不思議なキノコや木があるだけで外はは巨大なキノコばかり。ただ、内の水の透明度を眺め楽しむ。奥の方に大きな魚の影が見えた。恐らく古代魚を模した魔物の類、戦争のあとは生態系が古代に近ずくという。
それで人の侵入を阻み森は広がっていくが、敵意のない個人として入る分には神秘的と言えよう。
ブリリアントが優秀なのは動物だから、主人の帰りをどれだけ時間が経っても守ることだ。
半分ほど歩いてから比較的小さなキノコの囲う獣道を見つける。
これは何かあるはずだと思い、四つん這いになって入って行く。
やがて広がったのは「木の子」の王国だった。
真ん中には人の想像を超える大樹がそびえ、その枝や露出した根が一つの隔絶された空間を作っている。真っ暗でもおかしくはないものだが、ほのかに明るい。
無数の、付けている仮面の違う「木の子」たちに加え目のついた浮遊する毛玉。
ゆっくりと立ち上がり辺りを見回すリリルア。彼女に、
「にゅーん。」
ゆっくり、声を、出しながら… もふりと触れて離れていく毛玉。
珍しいものに、場所に、出くわしたものだ。
いくら奇形の森とはいえ国ほど広い生活圏を持つ「木の子」がいる場所は珍しい。よほど大変な人間、エルフ間の戦争跡地なのだろう。木の子の生命力は怨念に起因するからだ。
そしてリリルアに触れた毛玉の存在も稀有なもの。魔物と定義するには愛らしすぎる「ケセランパサラン」は穢れなき場所を敏感に感じ取り旅を続ける生物である。
見つけて追いかければ世界を変え得るほどの富を得られると言われている生物でリリルアも商人だった頃は血眼で探したものだが、ラケルへの義理がある今追いかけることはできない。
諦め忘れた頃に求めていたものが見つかる。といったところか、理不尽なものだ。
「恋とは己の影のようなもの。」
とも言うわけだし。今はただケセランパサランを可愛いな、と思うにとどまる。
ところでケセランパサランがなぜ存在するのか、なんのために旅を続けているのかは解明できていない。
ただそれがこの場所にいる、ということは疑う余地のないほど空気が澄んでいる。まるで別世界へ迷い込んでしまったように自分の中の汚い部分が浮き彫りにされるように、風がリリルアに吹き込んでいく。
「お嬢さんはどうして、どうして。こんなところへ来たの? ここは僕ら木の子の国だよ。」
木の子の一匹がリリルアの足元で話しかける。
「ごめんなさい、ちょっと寄ってみただけなの。私を許してね。」
「お嬢さんは優しい人?」
「あなたたちの言う優しいには程遠い、醜さそのまま優しい人です。ただそれも今は分からない。」
しゃがんで話しかけるリリルアにふーんとぎこちない相槌を打つ木の子。
「それじゃあお嬢さんも僕らの音楽を楽しんで行って。温かいキノコのスープがいい、それとも森の紅茶。人間は森のものを食べられない?」
「いいえ、森と人間の違いなんてなんぼのもんです。」
ーーそういえばあなたはどうして人語を解するの…?
と、聞く前に一匹の木の子は去って行ってしまった。とりあえず、もしかすると自分の言葉すべてが木の子の気に障ってしまうかと内心怯えていたが安心した。ここはそれほどまでに厭世的で綺麗な場所だったのだから。
また周りを見渡してみると明かりは水色に輝く川や七色の蛍のみによって作られているのだと知った。
水色の川は根源的な森の地下水から湧き出たものらしい、それが先ほどまでいた湖へ水を供給している。ブリリアントがその水に食いついていたのを思い出し、リリルアも近寄って飲んでみる。
体が一瞬震えるほどに冷たくおいしい。心のすべてを洗い流してくれるよう。おもむろに川の水を瓶詰めにして携帯することにした。
牛乳のように甘く、樹木の渋みが加わり乾いた風の香りがする。ただその中に鉛の味がしてリリルアは瓶詰めにした水まで捨ててしまった。吐き出す。
本当は大好きなウィスキーの水割り用に取っておこうと思ったが鉛の変な味がしてはしょうがない。その理由を探すため辺りを見るとところどころ蔦に覆われた矢が地に刺さっていることが分かった。
リリルアの心の中に突き立てられている、鉄塊のようだ。
人を愛したい。その純粋な心に障害を立てる憎悪の情。それはこの地にもはっきりと根付いている。それを超えていかなければ。いつもリリルアの考えていることだ。
この世界は争いに満ちている。
人は生きるために人を殺し、また人は生きるため人を殺す。その堂々巡りにはうんざりするんだ。
ーーどうして人は優しくなれないんですか、なぜ争うんですか。
と…
やがて数人の木の子たちがリリルアに紅茶と茶菓子を持ってくる。キノコのスープは持ってくるに無粋だと判断されたらしい。
紅茶の香りはヒノキの香りが第一印象。すっきりとした柑橘系の香り、すすればバラのように甘い味、飲み込むと後味には温かいヒノキの余韻。なのだが、鉛の味がリリルアの頭から離れず紅茶の味にも尾を引いている。
嫌になって菓子に手を出すとメープルシロップが含まれているらしく、馬鹿みたいに優しい気持ちになった。これは昔存在したであろうエルフの里の優しい風景、その記憶だ。
「うん、甘い…」
その時リリルアの記憶に電撃が走る。
金だ社会だ通勤時間だ通学時間だ。
秒単位の遅延で謝る鉄道会社。
恋と言って自分のことしか考えない恋人、愛を求めるあまり人を傷つけてしまう人、その人を憎んで傷つけるそのまた恋人。
宿題課題プレゼンテーション。仕事に残業理不尽な社会。
怒る上司にヘコヘコする自分、なにがなんなのかわからない世界。それでも生きていかねばならぬという観念に反逆できない自分への嫌悪感。
ひとくち吸うタバコに愚痴を言うため飲む酒。
寂しいと言ってしまえば人は離れていくし、寂しくないと言えば心は重くなるばかり。その矛盾に、人の悲しさに嫌になる。
そんなシーンのカットがリリルアの中を駆け巡り、すぐに消えていった。それをなんとか探り当て一体なんなのだと考えようともしたが、ついぞそれが何なのか思い出せぬ。
エルフはもっと自由なのだろう。
人間であるリリルアがそんなことを考えても、人間である事実と自由になりたい意思とが交錯しきしみ合うばかり。
「お嬢さん、どうしてそんな目をしているの?」
悩んでいるところに声をかけられると驚くものだ。リリルアはアッとして紅茶の入ったコップを地に落とし、割ってしまった。その音が頭の中で反響していく。
「ここは、綺麗な場所だったでしょう…?」
やっとの思いで返事をするリリルア。
「でも綺麗な場所であることは脆いです、弱いです。だからここのエルフは戦争に負けました。それで私たちの森があります。」
「それが綺麗ってことじゃないの。あなたたちはエルフの怨念で美しい音楽を、誰だって命を食らって生きてくわ、それでいいのよ…」
紅茶のカップの破片が森の蔦に瞬時に覆われ消えていき、リリルアは川の水を今一度すすって微笑んで見せた。その口の中に配られたすべての茶菓子を放り込む。
木の子たちの演奏会が始まる。
それを聞いて王国の周りを囲う蔦の中から、リリルアの昨日落とした龍がひょっこり顔を出した。




