第3話 まずは飯
記者会見が終わった。
「お疲れさまでしたー!」
「テレビいっぱいだったねー!」
「セイジ、ちゃんと映ってたよー!」
「世界放送で身内からヤジ飛ばされた俺の気持ち考えろ」
セイジは煙草へ火をつけながら、リュミエール産業の本社へ足を踏み入れた。
そして。
「……でか」
思わず、それだけが漏れた。
七十七階建て。
ザルクの街でもひときわ目立つ高層建築は、外から見ても十分に巨大だったが、中へ入るとさらに規模がおかしかった。
天井は何階分あるのか分からないほど高く吹き抜け、磨き上げられた白い大理石の床には朝の光が長く反射している。
巨大な柱。
金属とガラスを組み合わせた広い受付。
壁一面に刻まれた、
LUMIÈRE INDUSTRIES
の文字。
華美すぎるわけではない。
だが、一つ一つの素材が明らかに上質だった。
照明。
家具。
案内板。
階段の手すり。
どこを見ても安っぽい場所が一つもない。
しかもただ豪華なだけではなく、人が動きやすいように動線まで綺麗に整理されている。
セイジが天井を見上げた。
「会社にここまで要る」
ミレーヌが答える。
「世界規模の企業ですから」
「初日から飛ばしすぎやろ」
その横を、社員が何人も行き交っていく。
「あっ、エリオット様!」
「はーい!」
「人員配置の確認をお願いします!」
「そこ三人こっちー! この部署は二人足りないから追加してー! 午後にもう一回見せてー!」
「承知しました!」
今度は反対側から。
「エミール様! 配送経路の資料です!」
「見るー!」
エミールが地図を受け取る。
「ここ橋使えないよー! こっち迂回してー!」
「分かりました!」
「通るよー!」
巨大な地図を抱えたまま、セイジの前を横切る。
「もう仕事しとるやん」
別の場所ではノエルが社員に囲まれていた。
「問い合わせ多すぎるよー!」
「どれから対応を」
「ザルク国内が先ー! その次、生中継した局ー!」
「はい!」
「書類できてるよー!」
「こっちもー!」
アレクシスは受付の案内板を見上げていた。
「これもっと大きくしてー!」
「デザインでしょうか?」
「違うよー。初めて来た人迷うでしょー?」
「あ……」
「きれいでも分かりにくかったら意味ないよー!」
レオンは警備担当と搬入口を確認し、セシルは現場社員の間へ入り込んで片っ端から話を聞いている。
ルシアンはすでに社員食堂へ消えていた。
「量足りないよー!」
「食材でしょうか?」
「全部ー!」
セイジは煙草を挟んだまま、しばらく七人を眺めた。
口調だけなら小学生だった。
だが。
判断は早い。
指示も的確。
自分の担当なら、いちいちセイジへ確認を取りに来ることもない。
社員の方も、七人の言葉をきちんと仕事として受け取っている。
ここへ来る前から、それぞれが現場で受け持ってきた仕事だ。
国が変わっても、建物が変わっても、見るところは分かっている。
ミレーヌが横で微笑んだ。
「皆さん、自然に戻りましたね」
セイジが煙を吐く。
「……こいつら、ちゃんと現場復帰しとるな」
「元々、優秀ですから」
「あれでな」
「そこがいいんです」
「お前ほんま好きやな、このキャラ」
*
専用エレベーターが上昇していく。
二十階。
三十階。
四十階。
ガラスの向こうにザルクの街が広がり、さらに上へ行くにつれて港まで見えるようになった。
やがて表示が、
77
で止まる。
扉が開いた。
セイジは一歩出て、黙った。
最上階は、完全に別世界だった。
広い。
まず、それがおかしい。
一本の廊下ですらホテルのロビーほど幅がある。
床には深い艶のある木材。
壁には白と濃紺を基調とした装飾。
金の縁取りは控えめなのに、全体の格だけが異様に高い。
巨大な窓から差し込む光が、フロア全体を明るく包んでいる。
会議室。
応接室。
資料室。
各幹部用の執務室。
どの部屋も広く、それぞれの役割に合わせて造られている。
そして最奥。
社長室。
扉が開く。
「……」
セイジはまた黙った。
部屋の中央には巨大な執務机。
背後には、ザルクの街と海を一望できる全面窓。
壁一面の本棚。
重厚な応接セット。
長い会議卓。
刀を置けそうな飾り台。
酒棚。
灰皿。
何から何まで揃っている。
「……会社やんな」
「会社です」
ミレーヌが答える。
「王宮ちゃうんな」
「会社です」
セイジは酒棚を見る。
「何で酒棚あんねん」
バルドが静かに答えた。
「必要かと思いまして」
「誰基準や」
「セイジさん基準でしょうか」
ミレーヌが即答する。
「否定できへんの腹立つな」
その時。
机の上の電話が鳴った。
セイジが煙草を咥えたまま受話器を取る。
「あぁ」
『なんや、あの雑な会見』
「第一声それかい」
『世界放送やぞ。もうちょい何とかせぇや』
「急に出されたんや。しゃあないやろ」
『知らんがな。映っとる以上は仕事せぇ』
「終わった話すんな」
セイジは社長室を見回した。
「それより、いつの間に会社も屋敷のリフォーム鉄ちゃん組に頼んでん」
『言うたらすぐ動きよったわ。鉄ちゃん組やぞ』
「たしかにな」
『あいつらに頼んどきゃ、ワシが二回言う必要あらへん』
「そこは信用しとる」
『当たり前じゃ』
オヤジの声が少し低くなった。
『それよりセイジ』
「あぁ」
『ザルク、飯が足らん』
セイジの目が変わった。
『物は入っとる。せやけど市中まで回っとらん。腹減らしたガキまでおる』
「……そうか」
窓の向こうには、今朝走ってきた通りがある。
市場は開いていた。
店にも人はいた。
だが、店先に物があることと、誰もが買えることは違う。
『まずそこ片付けぇ』
「あぁ。そっからやな」
『仕事も学校も、その後じゃ。腹減っとる奴に先の話したって入るかい』
「分かっとる」
『ならええ』
「おおきに」
『ほなな』
電話が切れた。
セイジは受話器を戻した。
ミレーヌが言う。
「国王陛下は、やることなす事早いですよね」
「オヤジやからな」
それだけで説明は終わった。
セイジは灰皿へ煙草を置いた。
各部署での確認を終えた七人も、資料を抱えて社長室へ集まり始めていた。
「飯や。調べるぞ」
「はーい!」
七人が一斉に動く。
それから一時間も経たないうちに、社長室の机は資料で埋まった。
「セイジー! 船はちゃんと来てるよー!」
エミールが港の地図を広げる。
「食べ物も入ってきてるよー!」
ルシアンが在庫表を置いた。
「倉庫にもあるー!」
セイジが眉を寄せる。
「ほな何で街に無いねん」
「ここで止まってるー!」
エミールの指が、港の一角を叩いた。
埠頭。
セシルが続ける。
「夜になると、荒っぽい人たちが荷物持ってくってー!」
レオンも頷く。
「運転手も夜の港には行きたくないってー!」
ノエルが新聞を机へ置く。
「そのせいで食べ物の値段、すっごい上がってるー!」
セイジは地図を見る。
物はある。
港にも入っている。
ただ、市民へ届く前に止まっている。
「食糧難ちゃうやんけ」
ミレーヌが頷いた。
「流通が止められていますね」
セイジが煙草へ火をつける。
「今日、夜の埠頭や」
七人が一斉に顔を上げた。
その瞬間。
空気が変わる。
「やっと俺達の出番だな!!!!」
セイジが煙を吐く。
「今日の夜行くぞ」
「おう!!!!」
セイジは七人を見る。
「……無意識に仕事しとるな、こいつら」
*
夜。
リュミエール産業の地下駐車場。
八台の大型バイクが、一直線に並んでいた。
低いエンジン音が地下に響いている。
セイジが一台へ跨がる。
まだ昼間と同じ。
白を基調とした華やかな王子衣装。
リュミエールを出港した時と同じ姿。
白い布地に入った繊細な刺繍が、地下照明を受けて淡く煌めいている。
その横へ。
ロイヤル・フラグメントの七人も、それぞれのバイクに跨がった。
白。
青。
金。
華やかな王子衣装が八台のバイクの上に並ぶ。
どう見ても埠頭へ殴り込みに行く集団ではない。
セイジが前を見る。
「行くぞ」
「おう!!!!」
八人が同時に腕の時計へ指を置いた。
ピッ。
一瞬だった。
光が走る。
白と煌びやかな衣装が、闇へ塗り替えられていく。
黒。
深い黒を基調にした戦闘用の王子衣装。
身体の動きを邪魔しない細身の仕立て。
胸元には僅かな銀の装飾。
肩から流れる防弾マント。
華やかさは消えていない。
むしろ。
地下照明の下では、さらに異様だった。
その中央にいるセイジは、別格だった。
黒が、白い肌を際立たせる。
柔らかく落ちる髪。
長い睫毛の奥に沈む深い瞳。
薄い唇。
昼間の白い衣装では柔らかく見えた顔立ちに、深い陰影が落ちていた。
マントの裾が車体の横へ流れる。
手袋をした指が、ハンドルを握り直した。
だが。
本人は自分の姿を気にする様子もなく、煙草を咥えた。
「行くぞ言うたやろ」
「おう!!!!」
八台のバイクが、一斉に走り出した。
*
ザルク港。
照明の切れた埠頭には、巨大なコンテナが何列も積み上がっていた。
海風が吹き抜ける中。
数人の男たちが、荷箱を次々と運び出している。
「急げ!」
「全部持ってけ!」
「次の船が来る前に終わらせろ!」
箱の中身は。
小麦。
缶詰。
乾燥肉。
野菜。
街では、子どもまで腹を空かせている。
その食料が、ここには山ほどあった。
バイクの音が近づく。
男たちが振り返る。
「何だ!」
八台のバイクが、埠頭へ滑り込んだ。
セイジが先頭で止まる。
後ろには七人。
黒い王子衣装。
黒いマント。
男たちの顔が引きつった。
「……なんだこいつら」
レオンがバイクから降りる。
積まれた食料を見る。
次に。
男たちを見る。
「……てめぇら」
低い声だった。
「これ誰の飯か分かってやってんのか!!!」
「なんだてめぇ!」
エリオットも前へ出る。
「街じゃガキまで腹空かせてんだぞ!!!」
ノエルの表情から、昼間の笑顔は完全に消えていた。
「食うもんねぇって泣いてる子どもいんのに、何箱抱えて逃げようとしてやがる!!!」
「知るかよ!」
男の一人が鉄パイプを掴んだ。
セシルの目が据わる。
「……今、なんつった」
「知るかって言ったんだよ!」
「もう一回言ってみろコラァ!!!」
セシルが飛び出した。
「おい」
セイジが呼ぶより早い。
ドンッ!
「ぐっ!」
男の身体が地面へ転がる。
「ガキの飯奪っといて開き直ってんじゃねぇぞ!!!」
別の男が鉄パイプを振り上げる。
レオンが腕ごと受け止めた。
「誰に向けて振ってんだコラァ!!!」
そのまま捻り上げる。
「いってぇ!」
「痛ぇで済んでよかったな!!! 街のガキは腹減らして寝てんだぞ!!!」
ノエルが逃げようとした男の前へ回り込む。
「どこ行く気だ!!!」
「どけ!」
「どかねぇよ!!!」
拳が飛ぶ。
ノエルが避け、そのまま腹へ叩き込む。
「人の飯持って逃げんな!!!」
アレクシスは別の男を荷箱から引き離した。
「食料踏むんじゃねぇ!!!」
「はぁ?!」
「その一箱で何人食えると思ってんだ!!!」
エミールが叫ぶ。
「裏から二人逃げるぞ!!!」
「任せろ!!!」
ルシアンが回り込む。
「止まれコラァ!!!」
数分後。
埠頭には男たちが転がっていた。
「いてぇ……」
「もう無理だ……」
レオンが一人の胸倉を掴み上げる。
「まだやるか!!!」
「や、やらねぇ!」
一人が地面へ手をついた。
「もう勘弁してくれ!」
隣の男も慌てて頭を下げる。
「悪かった!」
「もう盗らねぇ!」
「だから勘弁してくれ!」
男たちは揃って土下座した。
ロイヤル・フラグメントはまだ怒りが収まっていない。
エリオットが吐き捨てる。
「だったら最初からやるんじゃねぇ!!!」
「ほんとに悪かった!」
セイジが煙草を吸いながら歩いてくる。
「……そこまでにしとけ」
七人が止まった。
レオンが掴んでいた襟を離す。
セイジは土下座している男たちの前まで行き、しゃがむ。
声は低い。
「何で盗んだんやコラァ」
「……」
「聞いとるやろが」
一人が震えながら顔を上げた。
「俺たちだって……したくてしてねぇ」
「生きるためだ」
セイジの目が細くなる。
「働いたらええやろが」
「仕事なんかねぇんだよ!」
「たまに来る運び屋の仕事待ってるだけだ!」
「毎日あるわけじゃねぇ!」
「食えねぇ日は……こうするしかねぇんだ!」
ロイヤル・フラグメントの空気が少し変わった。
ノエルが男たちの顔を見る。
エリオットも口を閉じた。
仕事がなく、食べるものがない。
昼間、机の上で見ていた数字の向こうに、こういう人間もいた。
セイジは男たちを見る。
「……食えたら、もう盗まんのか」
「……あぁ」
「飯がありゃ、こんなことしねぇ」
セイジはゆっくり立ち上がった。
そして。
積み上がった荷箱を見る。
一箱。
二箱。
どころではない。
小麦。
缶詰。
野菜。
乾燥肉。
運び出されているのは、どう見ても数人が食うためだけの量ではなかった。
セイジの眉が動く。
「それにしては取りすぎやろがい!」
ゴンッ!
「いってぇ!」
「何日分持って帰る気やったんじゃコラァ!」
「す、すまねぇ!」
男が頭を押さえながら、また地面へ伏せる。
セイジは積み上がった荷物を見る。
少し黙る。
「……お前ら」
声が低くなった。
「売りさばいとったんちゃうんかい」
男たちの肩が跳ねた。
「……」
その反応だけで十分だった。
ロイヤル・フラグメントの空気が再び燃え上がる。
「ナメてんじゃねぇぞ!!!」
「ガキが腹空かせてんのに金にしてやがったのか!!!」
「ふざけんな!!!」
「ち、違っ――」
「何が違うねん」
セイジが男の胸倉を掴んだ。
「仕事ない」
一度、言葉を切る。
「飯ない」
男が息を呑む。
「そこまでは分かったる」
セイジの声が大きくなる。
「せやけどなぁ!!!」
男を引き寄せる。
「自分だけ被害者ヅラすんなカス!!!」
そのまま地面へ突き返した。
「食う分盗んだんと、余分に盗って売ったんは別やろが!!!」
男たちは何も言えない。
セイジが周囲を睨む。
「街の奴らも腹減っとんねん!!!」
声が埠頭へ響いた。
ロイヤル・フラグメントも黙る。
男たちへ向けられたセイジの目には、もう笑いがなかった。
困っていることは聞く。
だからといって、他の人間から奪った分まで、なかったことにはできない。
セイジは煙草を咥え直す。
少しだけ呼吸を整える。
「事情は分かった」
男たちを見る。
「せやからって、やったことまでチャラにはならん」
そのまま積まれた食料へ目を向ける。
男たちを押さえただけでは、この荷物は市民へ届かない。
叱りつけたところで、今夜の腹が満たされるわけでもない。
街には、食べるものを待っている人間がいる。
ここには飯がある。
セイジは振り返る。
「まず炊き出しや!」
七人が一斉に顔を上げた。
「おう!!!!」




