第2話 夜の顔
朝。
ザルクのリュミエール邸には、昨夜とは別世界のような穏やかな光が差し込んでいた。
重厚なカーテンの隙間から朝日が伸び、広い寝室の中央に置かれた大きなベッドを照らしている。
セイジはまだ眠っていた。
白いシーツの中で横向きになり、柔らかな髪を無造作に散らしている。
黙って眠っているだけなら、本当に世界一美しい王子だった。
長い睫毛。
整った横顔。
朝の光を受けた白い肌。
昨夜、ザルクへ着いて早々に銃撃戦へ飛び込み、汚いBARで酒を飲み、チンピラの喧嘩を眺めていた男には見えない。
扉が開いた。
「おはよー! セイジー!!」
次の瞬間。
ドンッ。
ベッドが大きく沈んだ。
「……っ」
「セイジ大好きー!!」
「僕もー!!」
「起きてー!!」
「朝だよー!!」
七人が次々とベッドへ飛び乗ってくる。
セイジの身体がシーツごと埋まった。
「……重いねん」
「セイジー!」
「起きたー?」
「目ぇ開けてー!」
「やかましい……」
セイジがゆっくり目を開けた。
昨日の夜、
「腐ってやがる!!!」
「ガキに一発でも当ててみろ!!!」
「ブチ殺すぞコラァ!!!」
と叫び散らしていた七人が、今は全員、満面の笑みでベッドの上にいる。
セイジは枕へ顔を押しつけた。
「昨日の勢いなんやってん」
エリオットが首を傾げる。
「昨日?」
「ブルース助けただけだよ?」
「覚えてるんかい!」
ノエルがセイジの腕へ抱きつく。
「身寄りのない子、こんな街に置いといたらあぶないよー」
「それはそうやけど」
その時。
「うわーん!」
突然、セシルが泣き出した。
セイジが顔を上げる。
「どした」
「ブルース、お父さんとお母さんいなくなっちゃって可哀想だよー!」
「情緒不安定かい」
「うわーん!」
「朝から泣くな。うるさい」
そこへ寝室の扉が開いた。
「お兄ちゃん達、おはよう!」
ブルースが元気よく入ってくる。
七歳とは思えないほどしっかり身支度を整え、昨夜とは違う服を着ている。
セシルが勢いよく振り返った。
「うわーん! 元気だよー!!」
「うん! 元気だよ!」
「よかったー!!」
セイジが半分シーツに埋まったまま、二人を見る。
「お前のが七歳やんけ」
ブルースは笑いながらベッドへ近づき、泣いているセシルの顔を覗き込んだ。
セイジはその足取りを見た。
昨夜から、まだ数時間しか経っていない。
今は笑っている。その顔を確かめると、何も聞かずに少し身体をずらし、ベッドの端を空けた。
ミレーヌは寝室の入口で黒革の手帖を開いていた。
「私は夜のキャラの方が好きですね」
「やかましすぎるけどな」
チリン。
「朝食が出来上がっております」
バルドが静かに告げた。
セイジはようやくベッドから起き上がった。
「……まずこいつら降ろして」
「やだー!」
「セイジー!」
「朝飯抜くぞ」
七人が一斉に飛び降りた。
「行こー!!」
「切り替えだけは早いな」
朝食を終え、一行はリュミエール産業へ向かうことになった。
初出勤。
そしてセイジにとっては、ザルクで本格的に街の再建へ動き出す最初の日だった。
支度を終えたセイジは、リュミエールを出港した時と同じ白を基調とした王子衣装に身を包んでいた。
繊細な装飾の入った白。
華やかで、上品で、遠目から見ても王族だと分かる。
隣には、同じく煌びやかな王子姿へ戻ったロイヤル・フラグメントの七人。
八人並ぶと、朝から無駄に眩しかった。
セイジは煙草へ火をつけた。
「会社楽しみー!」
「僕の机あるかなー!」
「おやつ置けるかなー!」
「仕事の話せぇ」
ルシアンが真顔で答える。
「おやつも大事だよー」
「お前はそれしかないんか」
車列がリュミエール邸を出る。
朝のザルクは、夜とはまた違った顔を見せていた。
市場が開き、店が並び、通学する子どもや仕事へ向かう人間が歩いている。
ただし、建物には古い銃痕が残り、壊れた街灯や放置された車もそのままだ。
焼きたてのパンを袋へ詰める店主の背後には、板で塞がれた窓がある。子どもを連れた親は、路地の前で一度足を止め、奥を確かめてから通り過ぎた。
セイジは窓を少し開け、煙草の煙を外へ逃がした。
「昼は普通に見えるな」
ミレーヌが外を確認する。
「人は生活していますからね」
「あぁ」
その時。
前方で悲鳴が上がった。
「キャーッ!」
銀行らしき建物から、覆面をした男が二人飛び出してくる。
手には銃。
一人は大きな鞄を抱えていた。
通行人が一斉に道を開ける。
男が逃走用の車へ向かう途中、転んだ女性へ銃口を向けた。
その瞬間。
後部座席の空気が変わった。
「市民が危ねぇ!!!」
エリオットが叫ぶ。
「てめぇら!! 行くぞ!!!」
「おい」
停車した車の扉が一斉に開いた。
七人が飛び出していく。
セイジは煙草を指に挟んだまま、その背中を見送った。
「……昼でもなるんかい」
ミレーヌも窓の外を見る。
七人はすでに完全に夜の顔へ切り替わっていた。
いや。
夜だからではない。
危険を見た時の顔だ。
エリオットが市民を後ろへ下げる。
「全員離れろ!!! 銃口から目ぇ切んな!!!」
レオンが前へ出る。
「女に銃向けてんじゃねぇぞコラァ!!!」
ノエルが反対側へ回り込み、男たちの視線を引く。
「こっち見やがれ!!!」
エミールは周囲を見渡し、逃走車の位置を確認する。
「後ろの車止めろ!! こいつら逃げるぞ!!!」
アレクシスが通行人を歩道側へ押し戻す。
「下がれ!! 巻き込まれんじゃねぇぞ!!!」
セシルが正面から突っ込んだ。
「朝っぱらから何してくれてんだ!!!」
一人の男がセシルへ銃口を向ける。
レオンが腕を払い、エリオットが足を払う。
男が地面へ転がった。
もう一人が逃げようとする。
ルシアンが横から進路を塞ぐ。
「どこ行く気だ!!!」
「どけ!」
「断る!!!」
数十秒。
それで終わった。
二人の強盗は地面に伏せられ、銃も鞄も回収されていた。
セイジは車から降りなかった。
煙草を吸ったまま窓越しに見ている。
市民を先に下げた。
銃口を見た。
逃走車を押さえた。
誰かが動けば、別の誰かが空いた場所へ入る。転んでいた女性にも、もうアレクシスが手を貸していた。
セイジは七人と周囲の人々を見渡し、車の背もたれへ身体を戻した。
今、自分が割って入る必要はない。
七人だけで十分だった。
さっきまで、机に菓子を置く話しかしていなかった連中だ。
それでも、この街で何をするのかは、もう自分たちなりに決めている。
レオンが強盗の腕を押さえながら吐き捨てた。
「警察どうなってやがんだ!!! ったくよぉ!!!」
ミレーヌが黒革の手帖へ何かを書きながら言った。
「やってる事は筋通ってるのがいいんです、このキャラ」
セイジが煙を吐く。
「確かにな」
その時だった。
路地の奥から、白い煙がゆっくり流れてきた。
葉巻の煙。
「王子どもがお遊びか?」
低い声。
怒鳴っていない。
それでも、七人が同時に振り返った。
煙の向こうから、一人の男が姿を現した。
四十代ほど。
古びたロングコート。
無精髭。
片手には太い葉巻。
眠そうにも見える目は、現場へ向いた瞬間だけ異様に鋭かった。
男はまず強盗を見る。
落ちた銃。
鞄。
逃走車。
周囲の市民。
割れた店のガラス。
地面へ伏せられた二人。
視線が一度動いただけで、現場を全部拾っていく。
「二人。拳銃二丁。発砲なし。一般人に怪我なし。金も戻ってる」
誰にも確認していない。
セイジの目が少し細くなる。
男は最後にロイヤル・フラグメントを見る。
「朝っぱらから王子様が七人で強盗転がしてんのは、何の催しだ?」
「誰が催しだ!!!」
レオンが立ち上がる。
「遅ぇんだよ!!!」
男は腕時計を見る。
「通報から二分十二秒」
「二分もかかってんじゃねぇ!!!」
「二分で文句言われるなら、この街の警察は全員失業だな」
「威張るとこちゃうやろ」
セイジが車から降りた。
白い王子衣装。
指には煙草。
どう見ても犯罪都市の路上に立つ男ではない。
男の視線が初めてセイジへ向く。
一瞬だけ止まった。
だが、見ているのは顔だけではない。
手。
腰。
靴。
立ち位置。
視線の置き方。
セイジも、男の手元とコートの内側へ一度目を向けた。
「そいつら強盗。銃二丁。鞄の中身は触ってへん。市民に怪我なし」
男の口元がわずかに上がる。
「へぇ」
「何や」
「世界一綺麗な王子様が、ずいぶん現場慣れした報告すると思ってな」
「顔関係ある」
「有名人は面倒なんだよ」
「知らんがな」
男は葉巻を一度吸い、煙を横へ吐いた。
「ジム・ハーディ」
コートの内側から警察徽章を取り出し、一瞬だけ見せる。
「ザルク市警だ」
「セイジ・リュミエール」
「知ってる」
「言わせんなや」
「本人の口から聞くのが礼儀だろ」
「初対面で遊び言う奴が礼儀語んな」
ジムが鼻で笑った。
「口も悪ぃな」
「お前に言われたない」
ロイヤル・フラグメントがセイジの後ろへ集まる。
「こいつムカつくな!!!」
「王子ナメてんぞ!!!」
「ぶっ飛ばすか!!!」
「警官殴んな。初日やぞ」
ジムは七人を眺めた。
「こいつらは」
「俺の仲間」
「護衛じゃなく?」
「ちゃう」
「部下でもなく?」
「ちゃう」
「……なるほど」
葉巻を咥え直した。
「面倒なのが八人増えたってわけか」
「誰が面倒だっ!!!」
「お前らや」
セイジとジムの声が重なった。
一瞬。
二人が互いを見る。
ジムが先に鼻で笑った。
「気ぃ合うな、王子様」
「最悪や」
ジムは強盗へ視線を戻した。
「こいつらは俺が引き取る。銃も鞄もそのままでいい」
「あぁ」
「ひとつ忠告しといてやる」
ジムの声から笑いが消えた。
「この街じゃ、目の前の悪党を一人転がしたくらいじゃ何も終わらねぇ」
セイジは煙草を指に挟んだ。
「知っとる」
「いや」
ジムがセイジを見る。
「まだ知らねぇよ」
しばらく視線がぶつかる。
ジムの目は笑っていなかった。
脅して追い払おうとしているのか。それとも、知っていることをそのまま言っているのか。
セイジは黙って、その目を見返した。
ジムは葉巻を咥え直した。
「そのうち嫌でも分かる」
セイジは煙を吐く。
「そん時考えるわ」
「長生きできるといいな」
「縁起悪いねん」
ジムは初めて少しだけ笑った。
「次は俺らが来るまで待て、王子様」
レオンが即座に叫ぶ。
「てめぇらが先に来い!!!」
「それができりゃ苦労しねぇよ」
「開き直んな!!!」
ジムは強盗の腕を掴んで立たせる。
そして去り際、振り返らずに言った。
「……セイジ・リュミエール」
「何や」
「ザルクへようこそ」
葉巻の煙だけを残し、ジムは歩いていった。
セイジはその背中を少しだけ眺めた。
ミレーヌが言う。
「腐ってはいなさそうですね」
「あぁ」
「口は悪いですが」
「お前らに言われたないやろ」
チリン。
「出勤いたしましょう」
今度こそ、一行はリュミエール産業へ向かった。
そして。
到着した瞬間、セイジは固まった。
巨大な本社ビルの前に、人がいる。
多い。
多すぎる。
テレビカメラ。
照明。
記者。
中継車。
見覚えのある局名まで混ざっている。
「……何やこれ」
車の扉が開いた瞬間、一斉に声が飛んできた。
「サニーテレビです!」
「中央テレビです!」
「セイジ王子! 本日の社長就任について一言お願いします!」
「ザルク再建事業についてお聞かせください!」
「世界各国への生中継が始まっています!」
セイジが止まった。
「……誰が社長」
ミレーヌが横から答える。
「セイジさんです」
「聞いてへんぞ」
「予定表には入っております」
「見てへん」
ブルースが目を輝かせる。
「セイジお兄ちゃん! 世界中に映ってるよ!」
「初出勤で何してくれとんねん」
ロイヤル・フラグメントはすっかり昼の顔へ戻っていた。
「セイジー! テレビだよー!!」
「僕も映りたいー!!」
「こっちのカメラ大きいー!」
「すごーい!」
アレクシスが即座にセイジの髪へ手を伸ばす。
「セイジ、ちょっと止まってー! 前髪直すー!」
「触んな。朝からそのまま来とんねん」
「だから直すんだよー!」
「会社入らせろ」
報道陣に囲まれたまま、セイジは用意されていた壇上へ押し上げられた。
ミレーヌが自然に資料を差し出す。
バルドが後方に立つ。
ブルースは最前列の端へ座り、楽しそうに会場を見回している。
七人はセイジの後ろに並んだ。
白を基調とした王子衣装のセイジ。
煌びやかな七人の王子たち。
見た目だけなら、世界放送にも十分すぎるほど映えた。
「サニーテレビです!」
一人の記者が手を挙げる。
「リュミエール産業のザルク進出、その代表取締役へのご就任について、今のお気持ちをお願いします!」
セイジはマイクを見る。
次に、ミレーヌを見る。
「今知った言うてもええ」
「世界放送です」
「先に言えや」
会場から笑いが起きる。
「中央テレビです!」
別の記者が続いた。
「ザルクを今後、どのように変えていくお考えですか?」
セイジは少しだけ考えた。
昨夜、港から入った路地。
今朝、子どもを連れて歩いていた親。
銃口を向けられ、道路へ座り込んでいた女性。
その顔を思い出しながら、マイクへ向き直った。
「仕事作って、病院作って、学校作って、住むとこ整えて。犯罪せんでも飯食えるようにします」
記者たちが一斉にペンを走らせる。
「それは大規模な社会改革ということでしょうか?」
「知らん。名前は好きにつけて」
また笑いが起きた。
「実現には長い時間が必要になると思われますが!」
「あぁ。簡単やとは思ってへん」
「それでも実行すると?」
「やる言うて来とるからな」
セイジはマイクから少し離れた。
「以上。おおきに」
その瞬間。
「夢みてんじゃねぇ!!!」
会場が凍った。
セイジの眉が動く。
後ろに並んでいたロイヤル・フラグメントの七人が、全員夜の顔になっていた。
エリオットが前へ出る。
「そんな簡単に変わる訳ねぇだろうが!!!」
レオンも拳を握る。
「この街ナメんな!!!」
ノエルがカメラの前で叫ぶ。
「昨日来たばっかの俺らが、何でもできると思ってんじゃねぇ!!!」
セイジがゆっくり振り返った。
「誰にヤジ飛ばしとんねん」
セシルがさらに叫ぶ。
「でもやるんだろうが!!!」
「わかっとるわい!!!」




