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元若頭の王子、治安最悪の国でヒーローになる――ダークプリンス  作者: 夜嶋朔


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18/22

第18話 ひとつ進む

 午後。


 リュミエール・インダストリーズの役員会議室には、柔らかな陽射しが差し込んでいた。大きな窓の向こうには、灰色の建物と古びた道路が続くムゴッサの街が広がっている。


 長い会議机の一番奥。


 セイジは、静かに窓の外を見ていた。


 淡い水色を基調にした王子服。銀糸の刺繍が陽の光を拾い、肩や袖口で細かくきらめいている。


 まだ二十歳。


 白い肌。長い睫毛。まっすぐ通った鼻筋。薄い唇。


 少年らしい繊細さを残したその顔は、光の中ではひどく儚く見えた。


 少し伏せた瞳には、消えてしまいそうな危うさがある。


 けれど。


 目だけは強かった。


 以前より。


 ほんの少しだけ。


 深くなっていた。


 ロイヤル・フラグメントの七人。


 ミレーヌ。


 バルド。


 会社の役員たち。


 全員が席についている。


 セイジは煙草を灰皿へ置いた。


「これからの会社の方針を話すから、聞いてくれ」


 普段より少し低い声だった。


 エリオットたちも、ふざけずにセイジを見る。


「まず、孤児院はせん」


 会議室が静かになった。


 ノエルが少し目を見開く。


「やめるの?」


「あぁ」


 セイジは迷わず頷いた。


「ここの子供は外に住むからや。雨降ったら凌げるとこ、自分で見つけて行きよる。飯欲しかったら取りに行く。寝るとこ欲しかったら勝手に探す」


 レオンが腕を組んだ。


「連れて帰っても逃げるしな」


「そういうことや」


 セイジは煙草を指先で転がす。


「こっちが『ここに住め』言うて建物作っても、アイツらが住みたい思わんかったら意味ない」


 誰も反論しなかった。


 実際に。


 何度も逃げられている。


「ほんで学校」


 セイジが続ける。


「これも作らん」


 今度はセシルが口を開いた。


「学校も?」


「あぁ」


「でも読み書きできた方がいいだろ」


「ええに決まっとる」


「じゃあ何で?」


 セイジは少しだけ眉を寄せた。


「アイツら、学校行く時間あったらスリしたり、運び屋やったりしよるやろ」


 会議室が静かになる。


「勉強して何年後かに金になる言われても、今日の飯欲しい奴には響かへん」


 エミールが静かに頷く。


「生活の優先順位が違う」


「そうや」


 セイジは短く答えた。


「正しいもん置いたら、みんな勝手にそこへ集まる思っとったらアホや」


 窓から差し込む光が、セイジの横顔を照らした。


 その顔は。


 やはり。


 異様なほど綺麗だった。


 髪は光を受けて淡く透け、長い睫毛の影が頬へ落ちる。


 ただ。


 今までのような、触れれば壊れそうな美しさだけではなかった。


 何かを知って。


 何かを諦めて。


 その上で。


 次を選ぼうとしている男の顔だった。


「これまでは」


 セイジがゆっくり言う。


「考えて、動いて、人集めて、仕組み作ったら、どうにかなることもあった」


 少しだけ間を置く。


「でも、ここは違う」


 ミレーヌがセイジを見る。


「助けようとしても、助けられたいとは限らない」


「あぁ」


「こちらの正解が、向こうの正解とは限らない」


「あぁ」


 セイジは小さく息を吐いた。


「やから、慈善事業にする」


 エリオットが顔を上げる。


「会社で?」


「あぁ」


「俺らが何でも直接やるんやない」


 セイジの声は落ち着いていた。


「飯配っとる奴がおるなら、そこに金出す。子供助けとる団体がおるなら支援する。医療やっとる奴がおるなら設備に投資する」


「現地でずっとやっとる奴に、続けられる金と信用を渡す」


 ルシアンが小さく頷いた。


「その方が届くかもしれない」


「そう思う」


 ミレーヌも微笑んだ。


「良い判断だと思います」


 バルドも静かに頭を下げる。


「直接抱え込まれるより、継続性も高いかと」


「そういうことや」


 セイジは椅子にもたれた。


「俺らが全部やろうとせんでええ」


 その言葉を口にした自分自身に。


 ほんの少しだけ。


 驚いた。


 以前なら。


 もう少し。


 自分で何とかしようとしたかもしれない。


 けれど。


 今は違う。


 できないものは。


 できない。


 通じないやり方は。


 捨てる。


 諦めることと。


 見捨てることは。


 違う。


 セイジは。


 それを少しずつ覚え始めていた。


「昼はそれでいく」


 セイジが言う。


「会社としては、慈善団体、医療、食料支援、子供の保護をやっとるとこを探す。信用できるか全部調べる」


 ミレーヌがすぐにノートを開いた。


「一覧を作ります」


「頼む」


 エミールも続ける。


「会計と支出の透明性も確認する」


「あぁ」


 エリオットが言った。


「俺たちも現地の団体見て回るか」


「それはやる」


 セイジが頷く。


「金だけ放って終わりにはせん」


 その横顔に。


 また光が差した。


 白く。


 眩しく。


 それでも。


 もう。


 ただ綺麗な王子には見えなかった。



     *



 その日の夕方。


 セイジたちはムゴッサ警察署へ向かった。


 ジムはいつもの机で書類を見ていた。


 その横。


 バリーは。


 酒を飲んでいた。


「また飲んどんか」


「夕方だからいいの〜」


「勤務中やろが」


「細かいねぇ〜」


 ジムが顔を上げる。


「どうした」


 セイジは椅子を引くと、どさっと座った。


「報告」


「何の」


「孤児院と学校」


 バリーが少しだけ眉を上げる。


「あら〜」


 セイジは煙草に火をつけた。


「やめる」


 ジム。


「そうか」


 バリー。


「早かったねぇ〜」


「うるさいわ」


 ジムが椅子にもたれる。


「理由は」


「孤児院作っても住まへん。学校作っても来ぇへん」


「……」


「アイツら、自分らで生きる方法もう持っとる。良い悪いは別としてな」


 ジムは黙って聞いている。


「学校行くよりスリする。運び屋する。ギャングの手伝いする。その方が今日金になる」


 セイジが煙を吐く。


「せやから、建物置くだけじゃ何も変わらん」


 ジムの表情が少しだけ緩んだ。


「その通りだ」


 セイジ。


「やっぱりな」


 ジムは煙草を咥えた。


「学校なんか、この国じゃ金持ちしか行かない」


 ロイフラが黙る。


「毎日学校へ行けるのは、今日の飯を心配しなくていい家の子供だ」


 セイジが目を細める。


「……」


「給食代も払えない奴の方が多い」


 ジムは淡々と続けた。


「教科書も買えない。家に帰っても飯がない」


「だから子供も、当たり前に盗むことを覚える」


 誰も笑わなかった。


 バリーが酒瓶を持ったまま、のんびり口を開く。


「夢みたい気持ちも分かるよぅ〜」


 セイジが横を見る。


「何がや」


「子供が学校行って〜、勉強して〜、友達作って〜、大きくなって〜」


 バリーは少し笑った。


「でもねぇ、ここでは勉強はいらないのよ」


 会話が止まる。


「文字読めなくても運び屋できるし〜、計算できなくても盗めるし〜、学校行かなくてもギャングには入れるし〜」


 いつもの調子だった。


 けれど。


 言っていることだけは。


 笑えなかった。


「今日食えれば、それでいいって子供の方が多いからねぇ〜」


 セイジは、しばらく何も言わなかった。


 ジムが続ける。


「子供だけの問題じゃない」


「大人もそうだ」


「犯罪で食える街なら、犯罪はなくならない」


「……あぁ」


「学校を作る前に、学校へ行く意味がある街にしなきゃならない」


 セイジは。


 しばらく黙って二人を見た。


 ジムは、この街の現実を綺麗な言葉に変えない。


 無理なものは無理だと言う。


 足りないものは足りないと言う。


 それでも。


 投げない。


 バリーは。


 酒を飲んでいる。


 言い方も軽い。


 ふざけてもいる。


 けれど。


 見ているものは。


 ジムと同じだった。


 夢みたいな話を笑いながら。


 その下にある現実からは。


 一度も目を逸らしていない。


 二人とも。


 この街を上から見ていない。


 地下から。


 ずっと。


 人が盗むところも。


 子供が薬を運ぶところも。


 飯を食えないところも。


 腐った仕組みも。


 全部見た上で。


 それでも。


 今日、何ができるか。


 誰を助けられるか。


 何を止められるか。


 毎日。


 考えて。


 動いている。


 セイジには。


 それが分かった。


 だから。


 信用できた。


「……その通りやったわ」


 ジムが顔を上げる。


「何がだ」


 セイジは二人を見る。


「おっちゃん等が、この国で一番マトモやと思う」


 バリーが目を丸くする。


「え〜、おじさん?」


「あぁ」


「酒飲んでるけど?」


「それ差し引いてもや」


「失礼だねぇ〜」


 セイジは少し笑った。


「勝手に信用させてもらうわ」


 ジムの眉が動く。


「勝手だな」


「あぁ」


 バリーが酒を一口飲む。


「裏切ったらどうするの〜」


「知らん」


「知らないの?」


「その時考える」


 ジム。


「雑だな」


「信用する時くらい雑でええやろ」


 バリーが笑った。


「王子様、変なとこ豪快だねぇ〜」


「やかましい」


 セイジは煙草を灰皿へ押しつけた。


「昼は会社で慈善事業に回る。現地でやっとる奴らに金と信用出す」


 ジムが頷く。


「それがいい」


「でも」


 セイジの目が。


 少しだけ変わる。


「それだけじゃ無理やろ」


 ジムも。


 同じ目になる。


 セイジは。


 ゆっくり立ち上がった。


 ロイヤル・フラグメントも。


 一人。


 また一人。


 立つ。


 セイジは窓の外を見る。


 夕暮れのムゴッサ。


 遠くでは。


 また。


 どこかから煙が上がっていた。


 昼の光は。


 もう。


 ほとんど消えている。


 セイジは小さく息を吐き、扉へ向かった。


 その背中を。


 最後の夕陽が照らした。


 淡い水色の王子服が。


 金色の光の中で揺れる。


 昼の顔。会社を率いる王子。


 そしてこれから、夜の顔へ変わる。


 セイジが振り返った。


「行くぞ」


「おう!!!!」

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