第13話 光
午後七時。
リュミエール・インダストリーズ七十七階。
長い一日を終えた八人の王子たちは、完全にソファへ沈んでいた。
「もう今日は終わりでいいだろ……」
「風呂入りてぇ……」
「腹減った……」
「寝たい……」
朝から子供の誘拐事件。
銃撃戦。
ノエルの拉致。
マフィアのオズ。
その家族の救出。
さらに警察署へ戻れば、助けた子供たちと大喧嘩。
さすがに全員、限界だった。
セイジもソファへ深く身体を沈め、煙草を吸っている。
「今日ありすぎやろ」
「ほんとだよ!」
「しかもまだ礼言われてねぇし!」
「まだ根に持っとんか」
「礼儀だろ!」
「分かったって」
その時。
向かいの席で黒革の手帖を確認していたミレーヌが、ふと顔を上げた。
「あ」
セイジが煙草を止める。
「嫌な予感するわ」
「本日の予定が、あと一件ございます」
七人がゆっくり顔を上げた。
「……は」
「午後八時より、ムゴッサ市長主催のパーティーです」
沈黙。
数秒後。
「だりぃぃぃぃぃ!!!!」
「聞いてねぇぞ!」
「聞いております」
「覚えてねぇ!」
「それは知りません」
「断れねぇのかよ!」
「市長主催ですので」
セイジが煙を吐いた。
「行かなあかんやろな」
「セイジまで!」
「俺も行きたないわ」
チリン。
バルドが静かに立ち上がる。
「皆様のお召し物は、すでにご用意しております」
「準備よすぎんだろ!」
「ありがとうございます!!!」
「礼儀ええやん」
「バルドには言うよ!」
「何やねん、その線引き」
*
午後八時。
ムゴッサ市庁舎。
巨大な扉が開いた瞬間、会場の空気が変わった。
最初に入ってきたのはセイジだった。
深い青を基調にした王子服。細い金糸の刺繍が光を拾い、白いシャツの首元には華美になりすぎない装飾が入っている。
その格好で、本人だけはまったく王子らしく歩く気がない。
片手には煙草。
長かった一日の疲れがわずかに残る目。
気怠そうな表情。
それが逆に、整いすぎた顔立ちへ妙な色気を足していた。
その数歩後ろを、同じく青を基調にした正装姿のロイヤル・フラグメント七人が歩いてくる。
世界的に知られる八人の王子が、一列になって会場へ入った。
「……セイジ王子」
「本物……」
「ロイヤル・フラグメントよ!」
「きゃあああああああ!!」
一気に歓声が上がった。
若い女性だけではない。
母親世代の女性も、年配の女性も、男たちまで一斉に振り返る。
セイジが煙草を咥えたまま、わずかに眉を寄せた。
「うるさ」
対して。
七人は。
つい三十分前までソファで死んでいたとは思えないほど、完璧だった。
エリオットが柔らかく微笑む。
「こんばんは。今夜は一緒に楽しもうね」
「きゃあああ!!」
ノエルは少し首を傾げた。
「そんなに見つめられたら、僕も照れちゃうよ」
「かわいいいいい!!」
セシルは女性のドレスへ視線を落とし、爽やかに笑う。
「すごく似合ってる。君のために作られたみたいだね」
「無理ぃぃぃ!!」
アレクシスも当然のように続く。
「今夜ここで会えたのも、素敵な縁かもしれないね」
「きゃあああ!!」
ルシアン。
「料理も美味しそうだよ。一緒に楽しもう」
エミール。
「僕たちに会いに来てくれたの。嬉しいな」
そしてレオンは、緊張している女性へ低く笑った。
「そんなに固くなんなよ。せっかく会えたんだから、楽しめばいいだろ」
女性が真っ赤になる。
セイジは七人を見た。
「……誰やお前ら」
七人は笑顔を崩さない。
職業。
王子。
身体が完全に覚えていた。
セイジの前にも何人もの客が集まる。
「セイジ王子、一言いただけませんか」
「あぁ……今日は来てくれて、おおきに」
「きゃあああああ!!」
「何で今のでそんな騒ぐねん」
*
「セイジ王子!」
人の間を縫って、一人の男がやってきた。
ムゴッサ市長だった。
少し疲れた顔をしているが、セイジを見るなり両手を広げ、心底嬉しそうに頭を下げる。
「ほかの国の王子様方まで一緒に引っ越してくださるなんて、本当にありがとうございます!」
「あぁ……おおきに」
「いやぁ、本当にありがたい! ムゴッサは空気も悪い! 治安も悪い! 何より明るい人が一人もいない!」
「言いすぎやろ」
「言いすぎじゃありません!!!!」
「めっちゃ食い気味でくるやん」
市長は一切笑っていなかった。
「私は毎朝、この街を見て思うんです。今日も暗い! 今日も人の顔が死んでいる!」
「市長が言うたらあかんやつやろ」
「事実です!!!」
「もうちょい守れ、自分の街」
「守りたいから言ってるんです!!!」
「何で怒られとんねん」
横で聞いていたミレーヌが口元を押さえた。
市長は構わず、会場へ手を向ける。
「ですが、見てください!」
「ん」
「今日の皆さんを!」
セイジがゆっくり周囲を見る。
確かに。
笑っている。
歓声を上げている。
普段なら互いの腹を探り合っていそうな政治家も企業家も、今だけは七人の王子へ近づき、女性たちは楽しそうに写真を撮っている。
何より。
みんな、セイジたちを見ていた。
「セイジ王子様たちは、市民にとって雲の上の存在だったのでしょう」
市長の声音が、少しだけ変わった。
「私は、この街の人間がこんな顔をしているところを……本当に、見たことがありません」
セイジが市長を見る。
「あなたは、ムゴッサの光です」
「……光、流行ってんか」
「本気です!」
「分かった分かった」
そこへ、後ろから年配の政治家が近づいてきた。
「市長、次はこちらへ。議員の皆様がお待ちですよ」
「あ、はい」
市長の返事が、急に小さくなる。
「それから明日の会見ですが、余計なことは話さないように」
「……分かっています」
「市長」
「はい」
男は笑顔のまま市長の肩を軽く叩いた。
「では、セイジ王子。どうぞ今夜はごゆっくり」
「あぁ」
政治家に促され、市長が去っていく。
一度だけ。
市長が振り返った。
セイジと目が合う。
すぐに。
いつもの大きな笑顔へ戻った。
*
「セイジさん」
「ん」
ミレーヌが隣へ来る。
「レオンさんが」
「どした」
「口説くより、口説かれてます」
「え」
セイジが振り返る。
少し離れた場所。
深い赤のドレスを着た、目を引くほど美しい女がいた。
その前に。
レオン。
いつもの王子営業の笑顔ではない。
完全に。
女を見ていた。
「……アイツどした」
「かなり気に入ったようですね」
女が何かを言う。
レオンが少し身を屈めて聞く。
次の瞬間。
「俺が守ってやるよ! この身を捧げてやんよ!」
「また捧げんのかい」
セイジの声に、残り六人が振り向いた。
「レオン浮気してるー!」
「ほんとだー!」
「僕たちはセイジだけだもんー!」
「裏切り者ー!」
「レオンだけ恋愛イベント始めてるー!」
その横。
セシルだけは、手元のグラスを見ていた。
「この酒うまっ」
「お前は自由やな」
久しぶりに。
会場の一角だけ。
ムゴッサとは思えないほどくだらない空気になっていた。
*
パーティーを終え、市庁舎の外へ出る。
ロイヤル・フラグメントはまだレオンを囲んで騒いでいた。
「名前聞いたのー!」
「聞いた」
「うわー!」
「浮気だー!」
「浮気じゃねぇよ!」
「僕たちはセイジ一筋なのにー!」
「意味分かんねぇよ!」
少し離れたところで、セイジが煙草へ火をつける。
ミレーヌは、その横を歩いていた。
しばらく。
二人とも何も言わなかった。
やがて。
「セイジさん」
「ん」
「あの市長」
セイジが煙を吐く。
「……」
「何かあったと思いませんか」
セイジの足が、わずかに止まった。
閉ざされた市庁舎の扉を見る。
「お前も思ったか」
さっきまで。
誰より大きな声で笑っていた男。
この街を。
誰よりボロクソに言っていた男。
そして。
最後に見せた。
あの顔。
セイジとミレーヌは、もう一度だけ市庁舎を見上げた。




