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『魔力ゼロの武術家 ~異世界を修練空間(トレーニングモード)で攻略する~』  作者: いなる


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第77話 魔装

 勇者が構え直した聖剣へ、再び膨大な魔力が集まり始めた。


 白銀の刀身を包む光は先ほどよりも強く、その明るさが増すにつれて周囲の空気まで僅かに震えていく。


「――来るぞ!」


 グレドが叫ぶと同時に巨大な盾を正面へ構えた。


 次の瞬間。


 勇者の姿が視界から消える。


「っ!」


 見失ったのではない。


 速すぎた。


 ほとんど反射だけでグレドが盾を持ち上げた直後、凄まじい衝撃が正面から叩き込まれ、轟音とともにその巨体が数歩分まとめて後ろへ押し流された。


 靴底が荒野の土を深く削る。


 だが、止まる暇はない。


 盾へ伝わった衝撃を逃がし切るより早く勇者が横へ回り込み、二撃目の聖剣が斜めから振り込まれる。


 グレドは盾の角度を変えて受け、そのまま三撃目を外へ流したが、勇者は弾かれた剣を無理に止めることなく身体ごと回転させ、その勢いを四撃目へ繋げてくる。


「おおおっ!」


 受け続けるだけでは崩される。


 そう判断したグレドが盾そのものを横薙ぎに振り抜くと、勇者は身を沈めてその下へ潜り込み、頭上を巨大な盾が通過した瞬間には聖剣をグレドの脇腹へ向けていた。


 速い。


 盾を戻していては間に合わない。


 グレドが身体を捻った、その時。


「グレド!」


 セレクが魔術の術式――魔術式を一つ、二人の間へ滑り込ませた。


 組み上げられた魔術式から薄い光の膜が瞬時に展開され、聖剣が触れた途端に砕け散ったものの、その僅かな抵抗によって剣先の軌道が数寸だけ外れる。


 白銀の刃がグレドの脇腹を浅く掠めた。


「ぐっ……!」


 グレドはすぐに後方へ跳び、盾を引き戻しながら距離を取る。


「助かりました、セレク様!」


「礼はいいから前を見なさい!」


 セレクの声が飛んだ直後、その頭上へ別の魔法陣が浮かび上がった。


 勇者ではない。


 後方にいた仲間の一人が杖をこちらへ向けている。


「――!」


 魔法陣が完成した瞬間、空気を裂いて雷光が落ちた。


 セレクは横へ身体を滑らせるように避けたが、その着地点を狙うように左右から炎が迫り、さらに背後からは複数の風刃が逃げ道を塞ぐ。


「面倒ね……!」


 走りながらセレクが片手を振ると、周囲へ三つの魔術式がほぼ同時に組み上がった。


 一つが炎へ干渉して拡散させ、もう一つが風刃の軌道を僅かに逸らし、最後の一つが遅れて飛んできた雷撃を受け止める。


 それだけなら凌げた。


 だが、防いだ瞬間にはもう次が来ている。


 勇者だけではない。


 後方にいる四人全員が強い。


 しかも単純に強力な魔法を撃ってくるだけではなく、一人が回避させた先へ別の一人が攻撃を置き、そこから逃げればさらに別方向から魔法を重ねてくる。


 誰かの攻撃が防がれても止まらず、空いた場所を次の誰かが即座に埋めてくる。


 個人としての強さだけではない。


 戦い慣れている。


 セレクが新しい魔術式を組み上げようとした瞬間、その完成前を狙った爆発が足元で起きた。


「くっ……!」


 咄嗟に防御を挟んだものの衝撃までは殺し切れず、身体が数メートル後方へ吹き飛ばされる。


「セレク様!」


 グレドが反射的にそちらを振り返った。


 ほんの一瞬。


 それだけだった。


 勇者はその隙を逃さない。


「しま――」


 懐へ入られていた。


 聖剣が盾の下側から強烈に叩き込まれ、グレドが支え切る前に腕ごと上へ跳ね上げられる。


 盾が開く。


 その中心へ。


 勇者の左手が向けられた。


 至近距離で魔力が急速に集束していく。


「――っ!」


 回避は間に合わない。


 次の瞬間、白い光が炸裂した。


 爆音とともにグレドの巨体が宙へ浮き、そのまま数メートル先の地面へ叩きつけられる。一度大きく跳ね、さらに二度目の衝突で身体を転がしながら、握っていた盾まで手から離れて地面を滑っていった。


「……がっ……!」


 グレドは咳き込みながら腕をついた。


 立たなければ。


 そう思って力を入れる。


 だが、右腕がまともに動かず、肩から先には強い痺れが残り、膝にも力が入りきらない。


 その間にも、勇者は聖剣を下げたまま距離を詰めてくる。


「……クソ」


 どうにか片膝だけは立てた。


 だが、そこまでだった。


「グレド!」


 セレクが身体を起こしながら勇者へ魔術式を向け、そのまま圧縮した魔力を射出する。


 勇者は足を止めることなく聖剣を振った。


 白い光が一閃し、セレクの放った魔術は魔術式ごと真っ二つに裂かれて消えた。


「な――」


 その直後。


 大地が大きく盛り上がった。


「!」


 セレクの背後から巨大な土壁が立ち上がり、続けて右、左、さらに後方でも地面が轟音を立てながら隆起していく。


 十メートル。


 さらに高く。


 二十メートル近い巨大な壁が次々と形成され、そのまま逃げ道を塞ぐように三方向を囲んだ。


「これは……」


 セレクが素早く周囲を見回す。


 前には勇者。


 左右と後方には巨大な土壁。


 なら上へ。


 そう考えて空を見上げた時には。


「させない」


 勇者一行の一人がすでに片手を掲げていた。


 頭上へ無数の小さな光が浮かび、それぞれがセレクへ照準を合わせるように向きを変えていく。


「……徹底してるわね」


 セレクは小さく舌打ちし、視線だけを横へ動かした。


 グレドは意識こそある。


 だが。


 立てていない。


「セレク……様」


「喋らなくていい」


「逃げて……ください」


「この状況で?」


 セレクは周囲を一度見回し、それから小さく息を吐いた。


「無理ね」


 正面では、勇者が再び聖剣を構えている。


 その刀身へ膨大な魔力が集まり始めるのを見ながら、セレクは自分に残っている魔力量と、使える魔術式、敵との距離、人数、それぞれの位置を頭の中で素早く組み合わせていった。


 何度計算しても。


 答えは変わらない。


「……参ったわね」


 勇者が一歩踏み出した。


 その時だった。


 ――ズン。


 地面が低く揺れた。


「……?」


 勇者の足が止まり、セレクも反射的に顔を上げる。


 遠くではない。


 かなり近い。


 ――ズン。


 もう一度。


 今度はさっきより大きく、足元の小石まで僅かに跳ねる。


「何だ?」


 勇者の仲間たちも攻撃を止め、周囲へ視線を走らせた。


 ――ズン。


 一定の間隔。


 しかも。


 近づいている。


 グレドが地面へ手をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。


「……まさか」


「グレド?」


 セレクがそちらを見る。


 その直後。


 ――ドン。


 背後に立っていた巨大な土壁が揺れた。


 全員の視線が一斉に集まる。


 勇者一行が作り上げた分厚い壁。


 その中央へ一本の亀裂が走った。


 勇者が目を細めた直後、もう一度強い衝撃が響き、二度目で亀裂が一気に広がりながら大きな土塊が表面から崩れ落ちる。


 そして。


 三度目。


「――フンッ!!」


 壁の向こうから低い気合が響いた直後、轟音とともに巨大な土壁が内側へ爆発するように吹き飛んだ。


「なっ――!」


 砕けた岩塊が戦場へ飛び込み、勇者たちが一斉に散開する。


 土煙が荒野を覆った。


 その向こうから。


 何かが歩いてくる。


 重い足音を響かせながら、一歩。


 また一歩。


 やがて粉塵の中から現れたのは、二メートルを遥かに超える巨大な男だった。


 太い腕。


 分厚い胸板。


 銅色に近い暗赤色の肌。


 頭部から伸びる大きな角。


 男が拳についた土を払い落とすと、その後方からさらに魔族の兵士たちが次々と姿を現した。


 十人。


 二十人。


 まだ増える。


「ったく」


 先頭の男――ブロンが、崩した壁を一度振り返ってから低い声で言った。


「遅くなったな」


 その姿を見たグレドが、苦しそうに息を吐きながら笑った。


「……遅いですよ、ブロン様」


「生きてんじゃねえか」


「ギリギリです」


「なら十分だ」


 ブロンはそれだけ言うとグレドから視線を外し、正面にいる勇者へ向き直った。


 白銀の鎧。


 聖剣。


 そして周囲の人間たちとは明らかに違う魔力。


「ほう」


 口元が僅かに持ち上がる。


 一方の勇者も、現れた巨大な魔族から目を離さなかった。


 先ほどまでとは違う。


 立っているだけで分かる。


 目の前の男は。


 強い。


「お前が勇者か」


 ブロンが問う。


「……そうだ」


「なるほどな」


 首を左右へ倒すと、大きな骨の鳴る音が響いた。


「聞いてたより細い」


 勇者の後ろにいた四人が、一斉に武器と魔法を構える。


 同時に、ブロンの後方から現れた魔族たちも左右へ散り、戦闘隊形を作り始めた。


「セレク」


「何?」


「グレド連れて下がれ」


「でも――」


「邪魔だ」


 セレクの目が細くなる。


「……」


「今のお前らじゃな」


 ブロンは勇者から目を離さないまま続けた。


 言い方には腹が立つ。


 だが、間違ってはいない。


 セレクは一度だけブロンを睨んだあと、グレドのもとへ向かった。


「分かったわ」


 グレドの腕を自分の肩へ回す。


「立てる?」


「なんとか」


「無理なら引きずるわよ」


「それだけは勘弁してください」


 二人が下がり始めても、ブロンは振り返らなかった。


 見ているのは勇者だけ。


「さて」


 巨大な拳を握る。


「やろうか」


    ◇


 ブロンが現れてから少し遅れて、勇者一行を追っていた人間側の部隊もようやく荒野へ到着した。


 ベルクから急行してきた兵士たちが土煙の向こうから次々と姿を現したが、すでに魔族側にもブロンの率いる兵が集まり、両者が互いを確認した時には止められる空気ではなくなっていた。


「勇者様!」


「魔王軍です!」


「展開しろ!」


 人間側の兵士たちが武器を構えて広がれば、魔族側も即座に応じる。


 そこから。


 戦場は一変した。


 人間側から放たれた魔法へ魔族側の魔術がぶつかり、炎と雷が入り乱れる中を双方の兵士が駆け抜ける。


 爆発が地面を抉り、飛び散った岩を風刃がさらに砕き、その隙を縫うように魔族の前衛が接近すれば、人間側の兵士が盾を並べ、その後方から魔法使いたちが援護を重ねる。


 勇者一行の四人もそれぞれ戦線へ加わり、魔族側ではブロンの部下たちがそれを迎え撃つ。


 どちらも。


 この場にいるのは精鋭だった。


 少し判断を誤れば、その瞬間に相手が踏み込んでくる。


 だが。


 そんな戦場の中央だけは。


 さらに別だった。


「おおおおおっ!」


 勇者が大きく踏み込み、聖剣をブロンの肩口へ向けて振り下ろす。


 ブロンは避けなかった。


 右腕を持ち上げる。


 そのまま。


 腕で受けた。


 聖剣と前腕が激突した瞬間、轟音が響き、ブロンの足元が円形に陥没する。


「……!」


 勇者の目が見開かれた。


 切れていない。


 生身の腕で受けたように見えた。


 だが。


 違う。


 ブロンの前腕を覆うものがある。


 黒い。


 光さえほとんど通さないほど濃く圧縮された魔力が、皮膚へ密着するように固定されていた。


 それは腕だけでは終わらず、肩から胸へ、反対側の腕へ、さらに腰から脚へと広がり、やがて全身を黒光りする鎧のように覆っていく。


 魔装。


 高密度に圧縮した魔力を身体の表面へ固定し、攻撃と防御の両方へ用いる魔族の戦闘技術。


 ブロンのものは。


 その中でも異様なほど分厚い。


「軽いな」


 ブロンが笑った。


「――っ!」


 勇者が剣を引くより先に拳が迫り、咄嗟に聖剣を横へ構えた直後、黒い魔装に覆われた拳が刀身へ叩き込まれた。


 勇者の身体が地面から浮く。


 十数メートル後方へ飛ばされながらも空中で体勢を整え、両足から地面へ着地する。


 だが。


 その瞬間には。


 ブロンが目の前にいた。


「遅え!」


 低い蹴りが脇腹へ飛ぶ。


「ぐっ!」


 腕で受けたものの衝撃を殺せず、勇者が横へ大きく転がった。


 すぐに身体を起こす。


 ブロンは待たない。


 拳が振り下ろされ、聖剣で防いだところへ二発目が続き、さらに三発目が間を置かず叩き込まれる。


「がっ……!」


 三発目を完全には受け切れず、勇者の身体が再び宙へ浮き、そのまま背中から地面へ叩きつけられた。


「勇者!」


 仲間の一人が振り返る。


「よそ見すんな!」


 その瞬間には魔族の兵士が懐へ飛び込んでおり、反射的に放たれた魔法と魔術が至近距離で激突する。


 爆発。


 両者が左右へ弾かれた。


 周囲でも人間と魔族が入り乱れている。


 誰も。


 勇者を助けに行けない。


 勇者はすぐに身体を起こし、口元に滲んだ血を手の甲で拭った。


「……強いな」


「今さら気づいたか」


 ブロンがゆっくり歩いてくる。


 勇者は聖剣を握り直し、刀身へ再び魔力を集めた。


 さっきまでとは比べものにならないほど高密度な光が剣全体を包み始める。


 それを見て。


 ブロンの笑みが深くなる。


 黒い魔装も。


 さらに濃くなる。


「来い」


 勇者が地面を蹴った。


    ◇


 どれほど時間が経ったのか。


 すでに元の荒野の姿はほとんど残っていなかった。


 地面は至るところで抉れ、勇者一行が作った巨大な土壁は半ば以上が崩壊し、あちこちから炎と煙が立ち上っている。


 人間側の兵士も。


 魔族側の兵士も。


 勇者一行の四人も。


 まともに戦い続けられる者は、ほとんど残っていなかった。


 戦場の端では、セレクが負傷したグレドの傍らへ座り込み、自身も荒い呼吸を繰り返している。


 そして。


 戦場の中央。


「はぁ……はぁ……」


 勇者が立っていた。


 白銀だった鎧は複数箇所が砕け、額から流れた血が頬を伝っている。


 聖剣を杖のように地面へ突き立て、どうにか身体を支えていた。


 その前には。


 ブロンがいる。


 全身を覆う黒い魔装にも幾つもの傷が刻まれ、肩や脇腹には聖剣によって削られた跡が残っている。


 勇者の聖剣をもってしても。


 完全には破れなかった。


「まだ……」


 勇者は歯を食いしばり、地面へ突いていた聖剣を支えにして再び身体を起こそうとする。


「まだ、終わってない」


 その姿を見下ろしていたブロンは、しばらく何も言わなかった。


 やがて。


 低く告げる。


「終わりだ」


 右拳を握る。


 黒い魔装が僅かに波打った。


「お前は強かった。だが――ここまでだ!」


 地面が爆ぜた。


 二メートルを超える巨体からは想像できない速度で間合いを潰し、ブロンが拳を振り下ろす。


 勇者は咄嗟に聖剣を構えた。


 拳と刀身が激突した瞬間、轟音とともに大気が震え、勇者の足元が大きく沈み込んだ。


「ぐっ……!」


 押される。


 聖剣にはまだ魔力がある。


 勇者自身にも。


 それでも。


 押し返せない。


 両腕が震え、踏ん張っている足が少しずつ土へ沈んでいく。


 仲間たちはすでに倒れ。


 人間側の兵士たちも、魔族側の兵士たちも、その多くが戦いを続けられる状態ではない。


 この場で。


 まだまともに戦える者は――。


「……遅かったか」


 静かな声がした。


 ブロンの拳が止まった。


 勇者も顔を上げる。


 崩れた土壁の向こうから。


 三つの人影が現れた。


 先頭を歩くのは。


 黒髪の青年だった。


 ジンは荒れ果てた戦場へ足を踏み入れながら、周囲へゆっくりと視線を走らせた。


 倒れている人間たち。


 魔族の兵士たち。


 砕けた地面。


 炎。


 そして。


 離れた場所で負傷している、見覚えのある大男。


「……あ?」


 グレドもジンに気づいた。


 疲労で伏せかけていた目が、一気に開く。


「お前……!」


 その声を聞き、ブロンが僅かに振り返る。


「知ってんのか?」


「……はい」


 グレドはジンを見たまま、なんとも言えない表情になる。


「前に話した人間です」


 ブロンの目が細くなった。


「こいつが?」


「はい」


 ブロンは改めてジンを見る。


 頭から足まで。


 ゆっくり。


 一度。


 魔力は感じない。


 身体も大きくない。


 見た目だけなら、強者には見えない。


 だが。


 グレドがわざわざ話に出していた人間。


「……こいつが、あの?」


 ブロンの口元が僅かに上がった。


「なるほどな」


 当然。


 ジンには何の話か分からない。


「……?」


 少し首を傾げながら、今度はブロンの近くにいる勇者を見る。


 白銀の鎧は砕け、聖剣を握る腕も震えている。


 さらに視線を動かせば、負傷したグレドのそばには眼鏡を掛けた見知らぬ女の魔族がいる。


 ジンにとって。


 そちらは初めて見る相手だった。


 その横から。


 アインとフィナも戦場へ入ってくる。


 勇者が三人を警戒しながら尋ねた。


「何者だ」


 ブロンも同じようにジンを見る。


 二人から視線を向けられたまま、ジンは戦場へもう一歩踏み込んだ。


「羅針盤だ」


 そして。


 勇者とブロンを交互に見た。


「とりあえず」


 ジンは言った。


「話をしに来た」

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