第76話 誤認
接近してきた五つの影が荒野の上で速度を落とし、そのまま巻き上げた風と砂を周囲へ広げながら、次々と地面へ降り立った。
先頭に立ったのは、金髪の青年だった。
白銀の鎧。
腰に下げられた一振りの剣。
遠くからでも分かっていたが、目の前まで来れば見間違えようがない。
グレドは巨大な盾を構えたまま、青年の腰へ一度視線を落として小さく息を吐いた。
「……本物ですね」
「ええ」
隣に立つセレクも勇者一行から目を離さない。
「グレド。まだ手を出さないで」
「分かってます」
返事は素直だったが、盾を下ろすことはなかった。
相手も同じだった。
勇者を先頭に五人が距離を取ったまま止まり、誰一人としてすぐに武器を抜いてはいないものの、いつでも動ける位置へ自然と散っている。
勇者は二人を見た。
一人は巨大な盾を持つ大男。
もう一人は、周囲へ複数の解析術式を残している女。
どちらも魔族。
その背後には、ベルクへ大規模魔術が放たれた痕跡が残っている。
状況だけを並べれば。
疑う理由は十分にあった。
「ベルクへの攻撃を行ったのは、お前たちか」
勇者の問いに、セレクは間を置かなかった。
「違うわ」
「では、なぜここにいる」
「私たちも、それを調べに来たからよ」
「調べに?」
「ええ」
勇者の後ろで、一人が僅かに重心を落とした。
「随分と都合のいい話だな」
「そうでしょうね」
セレクは特に気分を害した様子もなく答える。
「でも事実よ」
「ここでは大規模な魔術が使われた」
「それも事実」
「そして、お前たちは魔族だ」
「それも否定しないわ」
勇者の視線が僅かに鋭くなる。
「なら――」
「その前に一つ聞かせて」
セレクが静かに言葉を挟んだ。
勇者が止まる。
「何だ」
「あなたたちは、何を確認してここへ来たの?」
「ベルクに大規模な魔術攻撃が行われたと報告を受けた」
「術式そのものは解析した?」
「……何が言いたい」
「解析してないのね」
その言い方に、勇者の後ろにいた男が反応した。
「言葉には気をつけろ」
「挑発するつもりはないわ。ただ、そこを確認しないと話が進まないの」
セレクは足元へ視線を落とし、片手を軽く上げた。
地面に残していた解析術式の一つが淡く輝き、そこから拾い上げた情報が空中へ薄い線となって広がっていく。
「ここには、ベルクへ撃ち込まれたものと考えられる術式の痕跡が残っている」
「それが?」
「変なのよ」
セレクが指先を動かすと、空中へ浮かんだ線が組み上がり、複雑な術式の一部を再現した。
「魔術は、同じものを同じ人間が何度使っても、完全に同一にはならない。魔力の流し方、構築する順番、各部への配分、癖は必ず残る」
勇者は何も言わず、浮かんだ術式を見る。
「筆跡みたいなものだ」
グレドが低い声で補足した。
セレクが一瞬だけそちらを見る。
「珍しく分かりやすい言い方するわね」
「褒めてるんですか?」
「今は黙ってて」
「はい」
グレドは素直に引き、セレクは再び勇者へ視線を戻した。
「問題は、ここに残ってるものにはそれがほとんどないこと。綺麗というより、不自然なくらい均一なのよ」
「高度な術者が使っただけではないのか」
「違うわ」
セレクは即座に否定した。
「熟練者ほど無駄は減る。でも、自分にとって効率のいい組み方へ寄る以上、むしろ特徴が強くなることもある。これはそういう上手さじゃない」
空中へ再現した術式の一部を拡大する。
「誰かがその場で組み上げたというより、完成済みの術式をそのまま再現したように見える」
「……再現?」
「ええ。だから私たちも調べてるの」
勇者はしばらく術式を見たあと、セレクへ視線を戻した。
「魔王軍のものではないと?」
「少なくとも、私は知らない」
「お前が知らないだけでは?」
「もちろん、その可能性はあるわ」
セレクはあっさり認めた。
「だから調べてるのよ」
一瞬。
荒野に風の音だけが残った。
勇者は足元の焼けた地面へ視線を落とす。
大規模な魔術。
人類側では確認されていない規模。
発射地点にいる魔族。
魔王軍による攻撃と考える理由はある。
だが、目の前の女が示した話まで、今この場で否定できる材料もない。
「勇者」
後ろから声がかかった。
仲間の一人が、セレクの展開した術式を警戒したまま続ける。
「鵜呑みにするな。時間を稼いでいる可能性もある」
「分かっている」
「増援を待っているのかもしれない」
それを聞いたグレドが、僅かに鼻を鳴らした。
「なら、とっくに逃げている」
五人の視線がグレドへ集まる。
グレドは気にする様子もなく、盾を構えたまま続けた。
「俺たちが撃ったのなら、攻撃を終えた後まで二人でここに残り、地面を眺めている理由はない」
「それを証明できるか?」
勇者の仲間が問う。
グレドは相手を見たまま、低い声で返した。
「証明できんから困っている」
「グレド」
横からセレクの声が飛ぶ。
グレドがそちらを見る。
「……すみません」
「謝るところは口調じゃないわよ」
「では、何です?」
「もういいわ」
「そうですか」
セレクが小さく息を吐く。
勇者は二人の様子を見ながら、今度は別の問いを投げた。
「ベルクが攻撃されたことを、どうやって知った」
「観測したからよ」
「どこから」
「そこまで答える義務がある?」
「こちらにはある」
「なら私からも聞かせてもらうわ」
セレクの声から僅かに軽さが消えた。
「人類は、いつからあれほど大規模な魔術を扱えるようになったの?」
勇者の眉が動く。
「……何?」
「こちらでは確認されていない大規模術式が、人類側の領域から発射された。だから私たちは来た」
「待て」
勇者の表情が変わる。
「人類側の領域?」
「国境線の話をしてるんじゃないわ」
セレクは足元の焦げ跡を指した。
「残留魔力だけじゃなく、地面に残った痕跡も見た。この場所で術式だけを展開したんじゃない。何かがここへ運び込まれ、設置されていた可能性が高い」
「何か?」
「それを調べている途中で、あなたたちが来たのよ」
勇者は答えず、荒れた地面へ視線を向けた。
確かに。
何か巨大なものが置かれていたような跡がある。
自然にできたものには見えない。
「勇者」
再び仲間の一人が呼んだ。
今度の声は低い。
「これ以上長引かせるべきじゃない」
勇者が振り返る。
「どうする気だ」
「拘束する。話が本当なら、その後に確認すればいい」
「……」
「ここは攻撃地点だ。その中心に魔族が二人いる。増援が来る前に押さえるべきだ」
グレドの目が細くなった。
「聞こえているぞ」
「聞かせた」
「そうか」
グレドの右手が、盾の縁を握り直した。
「グレド」
「分かってます。まだやりません」
セレクへはそう答えたが、人間たちへ向けた視線は変わらない。
勇者側も同じだった。
まだ武器を抜いてはいない。
だが、何人かはすでに柄へ手を添えている。
互いに相手の話だけを信じるには、積み重なっているものが多すぎた。
何百年も続く戦争。
奪われた土地。
死んだ者たち。
今日初めて会った相手から「自分たちではない」と言われただけで、それらを忘れて武器を収められるほど、双方の関係は軽くない。
「セレク様」
グレドが相手から目を離さないまま、小さな声で呼んだ。
「何?」
「これ、話だけじゃ収まらないと思います」
「……私もそう思ってる」
「どうします?」
「先には撃たない」
「向こうから来たら?」
セレクは答える代わりに、周囲へ浮かべていた解析用の術式を一つずつ消していった。
その代わり、別の術式が指先の周囲へ静かに組み上がっていく。
「その時は仕方ないわね」
「了解です」
その変化を、勇者側も見逃さなかった。
「術式を展開したぞ!」
一人が叫び、複数の武器が一斉に抜かれる。
「待って」
セレクが言う。
「これは攻撃用じゃ――」
「勇者!」
声が重なる。
判断に使える時間は、もうほとんど残っていなかった。
勇者はセレクの周囲へ現れた術式を見た。
その横では、巨大な盾を持つグレドが一歩前へ出ている。
攻撃地点。
魔族。
展開された魔術。
味方からの警告。
そして腰の聖剣は、目の前に魔族がいることを先ほどから絶えず伝えている。
勇者の手が柄へ掛かった。
「……拘束する」
聖剣が抜かれた。
白銀の刀身が荒野の光を反射する。
「抵抗するな」
グレドが小さく息を吐いた。
「無理な話だ」
「グレド」
「分かってますよ」
セレクへ答えながら、盾を正面へ構える。
「殺さないようにはします」
「できればね」
その会話を聞き。
勇者が踏み込んだ。
距離が一気に消える。
地面を強く蹴ったようには見えないほど滑らかに加速しながらグレドへ迫り、振り抜かれた聖剣がそのまま巨大な盾へ叩き込まれた。
グレドも正面から受けるだけではなく、盾を僅かに傾けながら衝撃を外へ逃がそうとする。
それでも。
重い。
聖剣と盾が激突した瞬間、鈍い轟音とともに二人の足元から土が弾け、グレドの巨体が僅かに後ろへ押し込まれた。
「ぐっ……!」
腕が痺れる。
強い。
単純な腕力だけではない。
剣へ乗っている力そのものが違う。
それでも盾は抜かせず、グレドが踏ん張った。
勇者の目が僅かに見開かれる。
完全に止められるとは思っていなかったらしい。
「……重いな」
「こちらの台詞だ」
グレドが低く返す。
「だが、この程度なら――」
そこで。
聖剣が光った。
盾へ押しつけられていた刀身を中心に、大量の魔力が一気に集まる。
「――っ!?」
「グレド!」
セレクの声が飛んだ直後。
光が爆ぜた。
衝撃は今度こそ盾で流し切れず、グレドの巨体ごと後方へ押し飛ばした。
両足が地面を抉りながら数メートル。
さらに後ろへ滑り、十メートルを越えたところでグレドは盾の下端を地面へ突き立てた。
それでも止まらない。
土と石を巻き上げながらさらに押され、ようやく二十メートル近く離れたところで動きが止まった。
「……なるほどな」
盾の向こうから煙が上がっている。
表面の一部は黒く焼けていたが、壊れてはいない。
「グレド!」
「大丈夫です!」
セレクへ返しながら、グレドは痺れの残る右腕を一度振った。
まともに何度も受け続けるのは危険だ。
だが、それ以上に。
久しぶりだった。
盾ごとここまで押されたのは。
グレドはゆっくり身体を起こし、離れた位置に立つ勇者を見る。
「前にやり合った奴より、遥かに上か」
勇者は答えない。
聖剣を構え直す。
先ほど放った光が消えたばかりの刀身へ、再び膨大な魔力が集まり始める。
「グレド」
セレクの声が少し強くなる。
その声で、グレドは自分がわずかに笑っていたことに気づいた。
「……はい」
「楽しむために来たんじゃないわよ」
「分かってます」
「本当に?」
「それはもちろん」
「ならその顔やめなさい」
「これは仕方ないでしょう」
「仕方なくない」
グレドは小さく息を吐き、今度こそ表情を戻しながら盾を構え直した。
その間にも、勇者の後方では四人の仲間が広がり、セレクを囲ませないよう警戒しながら、それぞれの魔法と武器を準備している。
セレクの周囲にも幾重もの術式が浮かび始め、荒野に張り詰めた空気は完全に戦場のものへ変わっていた。
もう。
話だけで止められる距離ではない。
荒野を挟み。
人類の勇者一行と。
魔王軍の二人が向かい合う。
どちらも。
ベルクを攻撃していない。
どちらも。
同じものを調べに来ただけだった。
それでも。
互いが積み重ねてきた時間と。
持っている情報の違いが。
目の前の相手を。
敵に見せていた。
そして。
本当に追うべき相手は。
この場のどこにもいなかった。




