第74話 ヴァルナ
地下の部屋には、低く一定の音が響き続けていた。
壁から床へ、床から中央の台座へと伸びる細い光の線も消えておらず、ベルクを覆う防壁が稼働しているためなのか、時折その明るさを僅かに変えながら部屋全体を巡っている。
ジンはその中心にある黒い板の前から動かず、表示されている文字を追っていた。
――防衛機構 稼働中。
――供給網 接続正常。
その下には数字らしきものが絶えず変化しており、何らかの量を示しているようには見えるものの、その意味までは分からない。
ただ。
供給網。
その言葉だけが引っかかる。
森の地下に埋まっていた人工物。
第十二中継区画。
接続状態――正常。
そして、ベルクの防壁が動くたびに減っていく周囲の魔力。
そこまで考えていたジンが、無意識に小さく漏らした。
「……供給」
「さっきからそれ気にしてんな」
横にいたアインが黒い板を覗き込む。
「何か分かったのか?」
「まだ」
「じゃあ、何で『供給』なんだ?」
「……」
ジンはそこで口を閉じた。
しまった。
表示を読むことに意識が向きすぎていた。
「ジン?」
フィナにも呼ばれ、ジンは黒い板から目を離した。
「何でもない」
「何でもない奴は、読めもしない板見ながら『供給』なんて言わねえだろ」
「……そうだね」
「そうだね、じゃねえ」
アインはしばらくジンを見たが、今すぐ答える気がないと察したのか、それ以上問い詰める前に黒い板へ視線を戻した。
その直後。
短い音が鳴った。
「ん?」
黒い板の表示が動く。
先ほどまで並んでいた文字の一部が消え、中央へ新しい図形が浮かび始めた。
最初に一つの円が現れ、その外側へもう一つの円が重なると、内側を縦、横、斜めと複数の線が走り、その隙間を埋めるように細かな記号が次々と追加されていく。
円はさらに増え、それぞれが複雑に重なりながら一つの巨大な構造を作っていった。
「……これ」
フィナが一歩前へ出た。
「どうした?」
アインが尋ねる。
「少し待ってください」
フィナは黒い板へ視線を固定したまま、組み上がっていく図形を追った。
円。
線。
文字のような記号。
その配置が完成へ近づくにつれ、表情が険しくなっていく。
「これ……さっきのものに似ています」
ジンがフィナを見る。
「攻撃する前に空に出てたやつ?」
「はい。全部を覚えているわけではありませんけど、この辺りは見ました」
フィナが指したのは、幾つもの線が複雑に交差している一角だった。
「あの光弾が撃たれる直前に展開されていた術式です」
アインも黒い板を見る。
「何でベルクの地下にそれが出るんだ?」
「攻撃されたからじゃない?」
ジンはそう答えながら、図形の横へ現れた文字を読む。
――外部攻撃記録。
――脅威解析完了。
――術式構造照合中。
やはり。
この施設は、先ほど受けた攻撃を記録している。
しかも防いだだけではない。
何を撃ち込まれたのかまで調べている。
「防壁が記録したのか?」
ルーセルが黒い板を見ながら言う。
「たぶん」
「……まただな」
アインが言った。
「何?」
「今の『たぶん』、何か根拠あるだろ」
ジンは答えなかった。
その間にも黒い板の表示は変化を続けていた。
短い音がもう一度鳴る。
術式の図形が少し縮小され、その横へ新しい文字が浮かんだ。
――術式構造照合完了。
続けて。
――兵装識別完了。
「……兵装」
今度は、口に出した直後に気づいた。
遅い。
アインがすぐに振り向く。
「おい」
「うん」
「やっぱり何か分かってんだろ」
ジンは返事をせず、黒い板へ目を戻した。
兵装識別完了。
その下にはさらに大量の情報が並び始めている。
識別番号らしきもの。
型式らしきもの。
見たことのない記号。
技術情報と思われる細かな表記。
その全てを理解できるわけではない。
だが、文章として表示されている部分なら意味を取れる。
そして。
一つ。
名称らしき文字列があった。
――遠隔術式投射兵装。
「……ヴァルナ」
「何だ?」
ルーセルが反応する。
ジンはしばらく迷ったあと、黒い板に表示された術式を見た。
「名前みたい」
「何の?」
「さっきベルクを攻撃したもの」
三人の視線が黒い板へ集まった。
フィナだけは文字ではなく、表示された術式そのものを食い入るように見ている。
「ヴァルナ……」
「遠隔術式投射兵装って書いてある」
言ってから。
部屋が静かになった。
アインがゆっくりジンを見る。
「……書いてある?」
「うん」
「お前」
そこで黒い板に、さらに新しい表示が追加された。
ジンは問い詰めようとするアインを一度手で制し、先にそちらを読む。
――起動方式 外部魔力供給。
その下。
――術者接続 不要。
「……え?」
「今度は何だ」
アインの声に、今度は苛立ちが混じっている。
「ちょっと待って」
「ずっと待ってんだよ!」
それでもジンは黒い板から目を離さず、もう一度同じ文字を確認した。
外部魔力供給。
術者接続不要。
つまり。
先ほど空に浮かんでいた巨大な術式は。
誰かがその場で一から組み上げたものではない。
「フィナ」
「はい」
「あの攻撃って、術式を作ったあとに撃ってたよね?」
「そう見えました。少なくとも私には、魔力を使ってかなり複雑な術式を構築してから発射しているように」
「それ、使ってる人が作ってるとは限らない」
「……え?」
フィナがジンを見る。
「どういう意味です?」
「ヴァルナ自体が作ってるみたい」
「兵器が?」
「うん」
ジンは表示を確認しながら続ける。
「動かすための魔力は外から入れる。でも、術者が直接術式へ繋がる必要はないって書いてある」
フィナの目が見開かれた。
「待ってください。じゃあ……術式を構築していたのは」
「撃った人じゃなくて、兵器そのものかもしれない」
「そんな……」
フィナはすぐに黒い板の術式へ視線を戻した。
彼女には文字そのものは読めない。
だが、表示されている術式の構造は分かる。
そしてそれは、先ほど遠方の空に展開されていたものとよく似ている。
「じゃあ」
アインも意味を理解したらしく、声を低くした。
「あれを見て魔術だと思っても、撃った奴が魔術を使えるとは限らねえってことか?」
「たぶん」
「人間でも?」
「そこまではまだ分からない」
ジンはすぐに訂正した。
「使うために何が必要なのか、他にも条件があるかもしれない。許可とか操作方法とか。でも少なくとも」
黒い板を見る。
「撃つ人自身が、あの魔術を組み立てる必要はない」
ルーセルの表情が険しくなる。
「つまり、空に魔術が現れたことだけでは、魔王軍の攻撃だとは断定できない」
「うん」
ジンが頷いた。
そこで。
アインが低い声で言った。
「その前に」
「何?」
「説明しろ」
「何を?」
「全部だよ」
アインが黒い板を指した。
「さっきから『供給』だの『兵装』だの『書いてある』だの、お前しか分かってねえ」
フィナもジンを見る。
「私も聞きたいです」
「……」
ルーセルも何も言わず、答えを待っている。
さすがに。
もう誤魔化せない。
ジンは少し考えたあと、黒い板を指した。
「これ、読める」
沈黙。
アインが瞬きをした。
「……何が?」
「文字」
「どの?」
「ここに出てるやつ」
「古代文字を?」
「うん」
今度はフィナまで言葉を失った。
数秒。
最初に口を開いたのはアインだった。
「お前、古代文字読めんのか?」
「全部じゃないけど」
「いつから?」
「最初に見た時から」
「最初っていつだよ」
ジンは少しだけ間を置いた。
「前に話したでしょ。この国へ来たばかりの頃に、別の遺跡へ入ったって」
「ああ」
「あそこで」
「……」
アインの眉が寄る。
「その時から読めたのか?」
「うん」
「何で?」
「分からない」
「分からない?」
「理由は俺も知らない」
ジンは平然と答えた。
嘘ではない。
最初の遺跡で何が起きたのか。
どうして古代文字が理解できるようになったのか。
そこは本当に分かっていない。
ただし。
その遺跡で目を覚ます前。
自分がどこにいたのか。
どうしてこの世界へ来たのか。
そこまで話すつもりはなかった。
「じゃあ、今まで遺跡で黙って何か見てたのって……」
フィナが途中で気づいた。
「文字を読んでたんですか?」
「読めるところは」
「何で言わなかったんです?」
「聞かれなかったから」
「お前なあ!」
アインの声が部屋に響いた。
「遺跡何回行ったと思ってんだ!」
「でも全部分かるわけじゃないよ」
「そういう問題じゃねえ!」
フィナもまだ驚いたまま黒い板を見ている。
「古代文字ですよ? 普通は読めませんよ」
「そうみたいだね」
「そうみたいだね、じゃありません!」
「フィナまで」
「これは言います!」
ジンは少し考えてから、黒い板の端に並んでいる細かな記号を指した。
「でも、本当に全部じゃない。こういうのは分からない」
「こういうの?」
「たぶん制御用の記号とか、型式とか。何を表してるかも分からないものがある」
別の場所を指す。
「こっちの識別番号みたいなのも、数字なのか文字なのかまでは分かるけど、意味までは分からない」
「じゃあ何が読めるんです?」
「文章」
「文章?」
「普通に言葉として書いてあるものなら、大体意味が分かる」
アインが片手で額を押さえた。
「十分すぎるだろ……」
ルーセルだけは驚きを残しながらも、すぐに話を本題へ戻した。
「その話は後で詳しく聞く」
「うん」
「今は攻撃の方だ。もう一度確認するぞ」
ルーセルは黒い板へ表示されている術式を指した。
「これは、本当に先ほどベルクへ撃ち込まれたものなんだな?」
「この表示が正しければ」
「それはどう書かれている?」
「外部攻撃記録。脅威解析完了。術式構造照合完了。兵装識別完了」
フィナも術式を確認する。
「少なくとも、表示されている術式は私が見たものとかなり近いです。細部まで同じとは言い切れませんけど、別物とは思えません」
「兵器の名前は?」
「遠隔術式投射兵装」
「ヴァルナ……」
「起動は外部魔力供給。術者接続は不要」
「つまり?」
「魔力を入れれば、それだけで誰でも使えるとはまだ言えない」
ジンは先にそこを否定した。
「でも、あの術式を作れる魔術師じゃないと撃てない、ってわけでもない」
ルーセルが黙る。
アインが続けた。
「だから、魔術が飛んできたから魔王軍だ、って根拠がなくなった」
「なくなったというより、弱くなった」
ジンが訂正する。
「魔王軍がヴァルナを使った可能性は残ってる」
「そうですね」
フィナも頷いた。
「魔族側がこの兵器を使った可能性もあります」
「うん」
「でも」
フィナが黒い板を見る。
「魔術だったこと自体は、使った者の正体を示さない」
「そういうことだと思う」
ジンは頷いた。
魔王軍ではない証拠にはならない。
だが。
魔王軍だという証拠にもならない。
部屋が静かになった。
その時。
階段の方から激しい足音が響いた。
一人ではない。
複数人が急いで降りてくる。
やがて兵士の一人が部屋へ飛び込んできた。
「ルーセル様!」
「どうした」
「軍から緊急連絡です!」
兵士は息を切らしたまま敬礼し、そのまま続けた。
「今回のベルクへの攻撃について、大規模魔術が使用されたことから、魔王軍による攻撃と暫定認定されました」
「……」
部屋の空気が変わる。
「発射地点も概ね特定され、すでに王都へ報告が上がっています」
「待て」
ルーセルが兵士を止めた。
「魔王軍と決まったわけじゃない」
「ですが、魔術による攻撃で――」
「その前提が崩れた」
兵士が戸惑う。
「どういうことでしょうか」
「説明は後だ。王都へ追加報告を――」
「それが」
兵士が言葉を挟んだ。
「すでに王令が出ています」
一瞬。
誰も声を出さなかった。
「何の?」
アインが尋ねる。
「発射地点の制圧、および調査です」
「誰が行く?」
ジンが聞く。
兵士は一度息を整えてから答えた。
「北西戦線に展開していた部隊の一部が、緊急召還されています」
続く名前に。
フィナが息を呑んだ。
「勇者一行です」
「勇者……」
「転移施設を利用し、間もなくベルクへ到着する予定です」
ジンは黒い板から完全に視線を外した。
「止められる?」
「王令だ」
ルーセルが低く答える。
「俺の権限でどうにかできるものじゃない」
「じゃあ、今分かったことを伝えれば」
「もちろん伝える。だが、到着までにどこまで話が通るかは分からん」
アインが腕を組んだまま、しばらく考えていた。
「……まずいな」
「何が?」
ジンが尋ねる。
「勇者だけじゃねえ」
「?」
「あれだけでかい魔術だぞ」
アインが発射地点の方角を意識するように視線を上げた。
「人間側が気づいたなら」
そこまで聞いて。
ジンも気づく。
「魔王軍も?」
「見えててもおかしくねえ」
フィナも表情を強張らせた。
「向こうも確認に来る……?」
「可能性はある」
ルーセルが答える。
勇者一行は、魔王軍による攻撃だと聞かされて向かう。
一方。
魔王軍側も、自分たちの領域に近い場所で巨大な魔術が使われたと知れば、何が起きたのか確認しに来るかもしれない。
同じ場所へ。
互いに相手を疑ったまま。
「……行こう」
ジンが言った。
「どこへ?」
「発射地点」
「待て」
ルーセルが即座に止める。
「この状況でお前たちだけ先行させるわけにはいかん」
「でも待ってたら、先にぶつかるかもしれない」
「だからって戦場になるかもしれない場所へ三人で飛び込む気か?」
「飛び込むとは言ってない」
「似たようなもんだ」
「でも」
ジンは一度だけ黒い板を振り返った。
「ヴァルナが古代の兵器なら、発射地点にも遺跡があるかもしれない」
「……」
「そこで何か表示されてても」
黒い板を指す。
「今のところ、これを読めるの俺だけなんでしょ?」
ルーセルは答えなかった。
否定できない。
ジンが古代文字を読める。
驚くべき話ではあるが。
今はそれが。
必要になるかもしれない。
ルーセルはしばらく考えたあと、深く息を吐いた。
「勝手に動くな」
「うん」
「こちらで状況を整理してからだ。発射地点へ向かうとしても、軍や勇者一行の動きを確認してからにする」
「分かった」
「それと」
ルーセルがジンを見る。
「戦闘が始まっていた場合は、絶対に飛び込むな」
「分かった」
「今の返事、信用できねえな」
アインが呟く。
「奇遇だな。俺もだ」
ルーセルが返す。
「ひどくない?」
「日頃の行いだ」
フィナが小さく笑ったが、その声にも緊張が残っていた。
ジンは最後にもう一度、黒い板を見る。
防衛機構――稼働中。
供給網――接続正常。
そして。
遠隔術式投射兵装。
古代文明が遺した兵器は。
今も動く。
誰かが。
動かしている。
しかも。
その正体は。
まだ分からない。
地下を出るために三人が階段へ向かう。
その頃。
ベルクから遠く離れた場所では。
すでに別の者たちも。
ヴァルナが放たれた地点へ向けて動き始めていた。




