第72話 起動
ベルク周辺の魔力を調べ始めてから、すでに数時間が経っていた。
三人は街からそれほど離れていない街道脇で足を止め、フィナが周囲の魔力を確かめるのを待っていた。
「ここは?」
ジンが尋ねると、フィナは目を閉じたまましばらく意識を周囲へ広げ、やがて小さく息を吐いた。
「普通です。少なくとも、さっき調べた場所よりは多いですね」
「じゃあ……」
ジンは地図を開き、現在地へ新しい印を書き込んだ。
ここまで調べてきた限りでは、ベルクから離れるほど魔力が減っていくような単純な変化ではない。
普通の場所があり、その先で薄くなり、さらに進めばまた戻る。
森で調べた時と同じだった。
「やっぱり距離じゃないな」
「そうですね」
フィナも地図を覗き込みながら頷く。
「街からどれだけ離れているかより、場所ごとの差の方が大きいみたいです」
アインは二人の横で足元を見た。
「地下に何かある場所だけ減ってるとかじゃねえのか?」
「それが分かれば早いんだけど」
「掘るなよ」
「掘らないよ」
「先に言っとく」
「信用ないな」
「今までの行動を振り返れ」
返す言葉がなくなったのか、ジンは地図を畳んだ。
「今日はこの辺でいいかな」
「ルーセルも今日中に全部見ろとは言ってませんでしたし、明日は地下の構造物の調査もありますからね」
「じゃあ戻るか」
アインがベルクの方へ身体を向ける。
三人のいる場所からでも、街を囲う巨大な外壁は遠くに見えていた。その向こうにはいくつもの屋根が重なり、夕方を迎えようとしている街の姿が広がっている。
見慣れたベルクだった。
「腹減った」
ジンが言う。
「さっきも言ってなかったか?」
「歩いたから」
「それで毎回腹減ってたら、一日何回食うんだよ」
「今日は結構歩いたでしょ」
「ジンさん、何食べたいです?」
「肉」
「即答かよ」
三人が街へ戻ろうと歩き出しかけた、その時だった。
「……ん?」
ジンが足を止めた。
「どうした?」
アインに聞かれても答えず、ジンはベルクとは反対側の空を見上げた。
遠く。
山の稜線より僅かに高い位置に、小さな光が浮かんでいる。
「何だ、あれ」
アインも気づき、同じ方向を見る。
最初はただの光にしか見えなかった。
だが、その光点を中心に輪郭が広がり始め、一つの円が空中へ描かれ、その内側へ縦、横、斜めと複数の線が走り、さらに外側へ二つ目、三つ目の円が重なるように現れた。
円と円の間には細かな光が連なり、文字や記号のような形を作りながら、それぞれが別々の方向へゆっくり回転し始める。
「……何、あれ」
ジンが呟く。
返事がない。
横を見ると、フィナは遠くの光を見たまま動きを止めていた。
「フィナ?」
「……魔術」
「魔術?」
ジンがもう一度空を見る。
「魔法じゃなくて?」
「少なくとも、普通の魔法の組み方ではありません」
フィナは光輪から目を離さないまま答える。
「あんなふうに魔力そのものを細かく組み上げて術式を作るのは、魔族側の魔術に近いです」
「近い?」
「私も魔術を詳しく知っているわけではありません。でも、魔法なら普通は完成した現象を発現させます。あれはその前に、何かを組み立てている」
空に浮かぶ巨大な構造は、円と線と文字のようなものが幾重にも重なり、それぞれが独立して動いているようでありながら、全体では一つの形を保っていた。
フィナが小さく息を呑む。
「でも……あんな大きさ……」
その先を口にするより早く、光輪の中心が強く輝いた。
周囲を巡っていた光が一点へ吸い寄せられるように集まり始め、遠く離れているはずなのに、空気が僅かに震える。
「まずいな」
アインが低く言う。
次の瞬間。
中心の光が消えた。
「え?」
ジンが目を細める。
違う。
消えたのではない。
放たれた。
巨大な光の塊が空を切り裂き、凄まじい速度で横へ走っている。
向かう先は。
ベルク。
「――街!」
フィナが叫び、三人が一斉に振り返る。
光は速く、ベルクまでの距離を一気に縮めながら巨大な外壁へ向かって一直線に飛んでいく。
間に合わない。
そう思った直後。
ベルクが光った。
街を囲っている古い外壁の表面に刻まれていた幾筋もの線が一斉に明るさを増し、まるで何かを伝えるように壁全体へ走っていく。
一ヶ所からではない。
複数の場所がほとんど同時に輝き、その光が連なりながらベルクの周囲を一周した。
「勝手に……」
ジンが呟く。
誰かが詠唱した様子もない。
魔法使いが壁の上へ並んだわけでもない。
それでも防壁は動いた。
外壁から立ち上がった光が一気に上空へ伸び、そのままベルク全体を包み込むように広がり、ほんの僅かな時間で巨大な半透明の膜を作り上げる。
そこへ。
光弾が直撃した。
轟音が響き、衝撃が空気を押し潰すように広がると、遅れて街道の地面まで大きく揺れた。
「っ!」
フィナが腕で顔を庇い、アインも身体を低くして足を踏ん張る。
ジンは目を細めたまま、ベルクを見続けていた。
防壁の表面では光が激しく弾け、巨大な魔術の衝撃が波紋のように広がっていく。
だが。
抜けない。
ベルクを包む膜は大きく歪みながらも消えず、そのまま街を守り続けている。
「防いだ……」
フィナが呟いた。
アインも遠くの街を見る。
「これが、ベルクの魔力防壁か」
古い記録には、過去に何度か街を守った防壁機能のことが残されている。
その機能が今。
三人の目の前で実際に動いている。
ジンは何も言わず、しばらく半透明の膜を見続けた。
「ジン?」
フィナが呼ぶ。
「……これ」
「どうしました?」
「魔力防壁なんだよね?」
「そう伝わっています」
「フィナが使った防護魔法を、大きくしたやつ?」
「基本的には……そういうものだと」
答えながら、フィナの声が僅かに鈍った。
ジンもすぐに気づく。
「今、止まった?」
「いえ……」
フィナは街を見たまま眉を寄せた。
「ちょっと待ってください」
目を閉じ、先ほどまでと同じように周囲の魔力を探る。
だが今回は長くかからず、すぐに目を開いた。
「……おかしい」
「何が?」
「薄くなってます」
「ここが?」
「はい。さっき調べた時より、明らかに」
フィナは周囲を見回した。
ジンも反射的に足元を見る。
「防壁が使った?」
「分かりません」
フィナは首を振ったあと、もう一度ベルクへ目を向ける。
「普通の防護魔法なら、術者から防壁へ魔力が流れるのが分かるはずなんです」
「分かるの?」
「大きなものなら、なおさらです」
フィナの視線が遠くの半透明の膜を追う。
「でも、あれ……」
言葉が止まった。
「何?」
「どこから魔力を流してるんでしょう」
ジンがベルクを見る。
「分からない?」
「はい」
フィナの声には戸惑いが混じっていた。
「防壁が大きすぎて私には分からないだけかもしれません。でも、私が知ってる防護魔法の延長なら、もっと……」
そこで。
「また来るぞ!」
アインの声が飛んだ。
三人が振り返る。
遠方の巨大な術式はまだ消えておらず、複数の光輪が回転したまま、再び中心へ光を集め始めていた。
「二発目……」
ジンが呟く。
光が収束し。
放たれた。
巨大な光弾が再び空を横切り、ベルクへ向かって一直線に飛んでいく。
今度は三人とも、その軌道を最初から見ていた。
街へ迫り。
防壁へ。
直撃する。
再び轟音が響き、地面が揺れ、ベルクを覆う膜の表面を激しい光が駆け巡って一瞬だけ大きく歪む。
それでも。
防壁は残った。
「フィナ!」
ジンが叫ぶ。
「減ってます!」
今度はすぐに答えが返ってきた。
「また?」
「はい。さっきよりも」
フィナは街道脇から周囲へ視線を広げる。
「ここだけじゃないかもしれません」
「分かる?」
「近くだけなら」
ジンはすぐに地図を取り出した。
今日調べた場所。
昨日調べた森。
魔力が薄かった地点。
それらが帯のように続いていたこと。
地下から見つかった人工物。
小型遺跡。
第十二中継区画。
黒い板に表示されていた点と線。
接続状態――正常。
それまで別々に見えていた情報が、頭の中で少しずつ近づき始める。
「……」
「どうした?」
アインが聞く。
「まだ分からない」
「何が?」
「全部」
ジンは地図とベルクを交互に見た。
「でも、さっきまでより近い気がする」
「何がだよ」
「答え」
アインが何か言おうとした、その時。
「来ます!」
フィナの声が重なった。
三発目。
遠方の術式がさらに強く輝き、中心へ大量の光が集まっていく。
「何発撃つ気だ」
アインが遠くを睨む。
光が収束し。
放たれた。
三度目の光弾が空を走り、ベルクへ届き、そのまま防壁へ直撃した。
轟音。
衝撃。
光。
巨大な膜が大きく揺れる。
それでも破れない。
ベルクは守られている。
だが、その横でフィナが小さく息を呑んだ。
「……嘘」
「何?」
「広がってます」
「何が?」
「魔力が薄くなってる範囲です」
フィナはベルクではなく、周囲の土地へ視線を向けた。
街道。
草原。
その先の森。
「さっきより遠くまで薄くなってる」
「分かるの?」
「全部じゃありません。でも……」
フィナは言葉を探すように周囲を見回し、それからベルクへ顔を向けた。
「流れてる……?」
「流れてる?」
「分かりません。ただ、減ってるだけじゃなくて……」
自分でも確信を持てないまま、それでもフィナは続ける。
「ベルクの方へ、引かれてるような……」
ジンの視線が地図へ落ちた。
線。
地下。
中継。
接続。
そして。
ベルク。
今まで頭の中で別々だったものが、初めて同じ方向へ並び始める。
ジンは何も言わず、ベルクを見た。
一発目も。
二発目も。
三発目も。
一つとして街の内部へ届いていない。
巨大な防壁は今も正常に機能し続けている。
その一方で、街の外では周囲の魔力が確実に減っている。
しばらくして、遠方の術式から光が失われた。
三発。
それ以上の攻撃は来ない。
空に浮かんでいた幾重もの光輪も、少しずつ形を崩しながら消えていった。
やがて、静けさが戻る。
しかし、ベルクを覆っていた巨大な膜はいまだ残っていた。
フィナはしばらく周囲の魔力を確かめたあと、小さく首を振った。
「戻ってません」
「魔力?」
「はい」
ジンはベルクと手元の地図を見比べる。
攻撃が始まる前。
この場所の魔力は普通だった。
今は。
違う。
魔力防壁により街は守られた。
しかし、ベルク周辺にあった魔力は元には戻っていなかった。




