第70話 正しい1回
ルーセルとの話を終えた三人は、そのままギルド内の素材買取窓口へ向かった。
通常の受付から少し離れた一角には、持ち込まれた素材を広げるための大きな台が置かれ、その奥には大小さまざまな秤や、用途の分からない測定器具が並んでいる。
「ヴェイル三頭分です」
フィナが声を掛けると、担当の職員が素材袋を受け取り、一つずつ中身を台の上へ並べていった。
三頭分の魔石。
角。
牙。
爪。
そして、畳まれた魔力収集膜。
「確認しますので、少々お待ちください」
職員はまず魔石を一つずつ専用の器具へ載せ、内部にどれだけ魔力が残っているかを確認していく。
その後は角や牙、爪へ傷や欠けがないかを調べ、最後に魔力収集膜を一枚ずつ広げた。
二枚目を開いたところで、職員の手が少し止まる。
「こちらはかなり綺麗ですね」
横から覗き込んでいたジンがすぐに答えた。
「二頭目のやつ」
「分かるんですか?」
「首折った方だから」
職員が一瞬だけジンを見る。
「……そうですか」
「そっちは?」
ジンが一枚目の膜を指した。
こちらは首元へ入れた斬撃が背中側まで抜けたため、端の一部へ大きな傷が残っている。
職員は二枚を見比べてから答えた。
「こちらは損傷が大きいので、かなり査定が下がると思います」
「やっぱり」
「だから言ったでしょう」
フィナが横から言う。
「次から気をつける」
「倒し方をですか?」
「うん」
アインがすぐに口を挟んだ。
「首折るのを基本にすんなよ」
「別に決めてない」
「候補には入ってんだろ」
「他に傷つけずに倒せる方法があるなら、そっちでもいいよ」
「結局考える気満々じゃねえか」
職員は三人のやり取りを聞きながら苦笑し、そのまま査定を続けた。
「最終的な金額を出すまで、少しお時間をいただきます」
「どれくらい?」
「三十分ほどですね」
「分かりました」
フィナが答え、三人は素材を預けてその場を離れた。
◇
「三十分か」
ギルド内の廊下を歩きながら、ジンが言った。
「飯でも食うか?」
アインが尋ねる。
「さっき食べたでしょ」
「なら座って待つか」
「暇だな」
「三十分くらい我慢しろ」
そんな話をしながら歩いていると。
カン、と乾いた音が響いた。
少し間を置いて、もう一度。
木と木がぶつかるような音が、廊下の先から聞こえてくる。
ジンが足を止めた。
「訓練場?」
「ああ。採用試験で使ったところだな」
アインも音の方を見る。
「何かやってるみたいですね」
フィナが言う。
「暇だし、見てく?」
「三十分くらいならいいだろ」
三人はそのまま訓練場へ向かった。
◇
訓練場には、十人ほどの冒険者がいた。
木剣を打ち合わせている者。
的へ向かって短剣を投げている者。
二人一組になり、盾を使った位置取りを確認している者。
それぞれが思い思いの訓練を続けている中で、ひときわ大きな声が響いていた。
「七百四十六!」
一人の若い男が木剣を上段から振り下ろす。
「七百四十七!」
もう一度。
額から汗が流れ、服は身体へ張り付いていた。呼吸もかなり荒く、肩が上下するたびに木剣の軌道まで僅かに揺れている。
少し離れたところには腕を組んだ男が立ち、新人らしいその青年を見ていた。
「止まるな! 千回までだ!」
「はい!」
若い男は息を整える間もなく、再び木剣を持ち上げた。
「七百四十八!」
振り下ろす。
「七百四十九!」
また振る。
その様子を眺めていたジンの歩みが止まった。
何も言わない。
ただ、青年の動きを追い続ける。
「七百五十!」
木剣が下りる。
次。
「七百五十一!」
同じ動きを繰り返す。
アインも少し遅れて足を止めた。
「何か気になるのか?」
「うん」
「どこが?」
ジンはすぐには答えず、あと数回だけ動きを見た。
「七百五十二!」
足が先に動き。
少し遅れて腰が回る。
そこから肩が入り。
最後に腕と木剣がついてくる。
「七百五十三!」
今度は疲労のせいか腰の回転がさらに遅れ、切っ先も僅かにぶれた。
「千回やることが目的になってない?」
ジンが言った。
フィナが青年を見る。
「素振りですよね?」
「うん」
「なら、たくさん繰り返すのは普通じゃないですか?」
「それはそうだと思う」
ジンは否定しなかった。
「反復そのものは必要だよ」
「じゃあ何が引っかかってんだ?」
アインが尋ねる。
「今の身体の使い方」
青年がまた振る。
疲れが溜まっているためか、最初に出る足の動きが大きくなり、その後に続く腰や肩も少しずつ遅れていく。
「最初から見てたわけじゃないから、ずっとああだったのかは分からないけど」
ジンは青年から目を離さない。
「少なくとも今は、振るたびに少しずつ形が崩れてる」
「疲れてんだから仕方ねえだろ」
「うん」
ジンはあっさり認めた。
「だから、俺なら一回止める」
「千回やれって言われてるぞ」
「回数をこなすこと自体が目的なら、そのままでいいと思う」
「違うのか?」
「それは俺には分からない」
ジンは少し首を傾けた。
「あの人たちの流派も知らないし、何のために今の稽古をやってるのかも聞いてないから」
青年がまた木剣を振る。
「ただ、身体の使い方を覚えるための素振りなら、崩れた状態を何百回も繰り返すのはもったいないなって」
アインも青年を見る。
「崩れた動きを覚えるってことか」
「うん。身体は繰り返したものを覚えるから」
「じゃあ、ジンさんならどうするんです?」
フィナが尋ねた。
「ゆっくりやる」
「ゆっくり?」
「まず一回」
「一回だけ?」
「正確に一回」
ジンは即答した。
「その一回ができないなら、同じものを千回繰り返しても仕方ないでしょ」
「極端だな」
「千回やるのが悪いって言ってないよ」
ジンは首を振る。
「正確な一回ができたら、それを百回でも千回でもやればいい。必要なら」
アインが少し黙ったあと、青年を見たまま言う。
「……そっちの方がきつくねえか?」
「そう?」
「疲れたからって雑に続けられねえんだろ?」
「雑になったら止める」
「やっぱ厳しいだろ」
フィナも素振りを見ながら尋ねる。
「でも、その『正確』って何を基準に決めるんですか?」
「目的による」
「例えば、今の人なら?」
「うーん」
ジンはもう一度青年の動きを見た。
「今の素振りで何を覚えたいのか分からないから、本当は判断できないけど」
そこは先に断る。
「俺が自分の練習としてやるなら、身体の動きかな」
「身体?」
「うん」
青年が振る。
「今は足が最初に動いてる」
次。
「その後に腰」
さらに次。
「それから肩が動いて、最後に腕と剣が来る」
アインが眉を寄せた。
「それって普通じゃねえのか?」
「普通かもしれない」
「どっちだよ」
「だから、あの人のやり方が間違ってるって言ってるわけじゃないよ。順番に連動させる使い方もあるだろうし、それが必要な技だってあると思う」
ジンは自分の右手を軽く見る。
「ただ、俺なら違う」
「どうする?」
「一緒に動かす」
「何を?」
「使うところ全部」
アインの眉間にさらに皺が寄る。
「全部?」
「脚も、腰も、胴体も、肩も、腕も」
「同時に動かすってことですか?」
フィナが聞く。
「うん」
「でも普通、身体って連動させるもんじゃねえのか?」
「連動させると、順番が出やすい」
「順番?」
ジンは片手を上げ、指を一本立てた。
「足が一」
二本目。
「腰が二」
三本目。
「肩が三」
四本目。
「腕と剣が四」
「それの何が駄目なんだ?」
「駄目とは限らないよ」
またそこは否定する。
「でも相手から見たら、一が見えたあとに二が来る。二が見えたら、その次が予想できる」
アインの反応が僅かに変わった。
「……起こりになるのか」
「そう」
ジンが頷く。
「だから俺は、できるだけ全部を一にする」
「全部、一?」
「必要なところが一緒に始まって、一緒に終わる」
フィナが少し考える。
「それが、一身ですか?」
「うん」
一身。
足から力を送り、腰を回し、肩を通して、最後に腕へ伝える。
そうした順番をできる限り作らず、動きに必要な部位を最初から最後まで一つのまとまりとして動かす。
「簡単そうに言うな」
アインが言った。
「簡単じゃないよ」
ジンはすぐに否定した。
「難しい」
「ジンさんでも?」
「もちろん」
「どれくらい練習したんです?」
「覚えてない」
「またそれかよ」
「昔からずっとやってたから」
ジンはそれ以上、自分の過去について詳しく話さなかった。
元いた場所。
そこで何をしていたのか。
どれほどの時間を使ってきたのか。
聞かれていないことまで説明する必要はない。
ただ。
剣を振る時だけではなかった。
突く。
蹴る。
避ける。
受ける。
流す。
身体の向きを変える。
一歩進む。
一歩退く。
何をする時でも考え方は同じで、動きの前に別の動きを作らず、必要な部位を同時に始め、一つの動きとして終える。
それを、元の世界にいた頃から数え切れないほど繰り返してきた。
この世界へ来てからも変わらない。
空いた時間があればトレーニングモードへ入り、同じ動きを何度でもやり直している。
外から見れば僅かな時間でも。
ジンにとっては。
それだけでは終わらない。
「じゃあ」
アインが尋ねる。
「剣振る時も、踏み込んでから腰回して振るわけじゃねえのか?」
「うん」
「どうやって振るんだよ」
「全部で振る」
「だから、それが分からねえんだよ」
ジンは少し考えた。
「踏み込む、身体を回す、剣を振るって分けると三つでしょ?」
「まあな」
「それを一つにする」
「説明になってねえ」
「俺も説明するの難しい」
フィナが少し笑った。
「でも、剣を振るなら腕は動かすんですよね?」
「動かす」
「じゃあ結局、腕で剣を振る動きもあるんじゃないですか?」
「うーん……」
ジンはしばらく考えた。
自分では当たり前になりすぎているため、言葉にしようとすると難しい。
「剣を振ろうとしない、かな」
「はい?」
「剣を振るために身体を動かそうとしない」
ジンは軽く身体の向きを変えた。
「先に体捌きがある。その動きの中に、剣を持った腕も最初から入ってる」
「体捌きの結果として、剣も動く?」
フィナが確認する。
「近い」
「じゃあ、剣だけを振ってない?」
「うん」
ジンは右手を軽く前へ出した。
「身体を捌いた結果、必要な場所に剣が来ればいい」
「……」
アインがしばらく黙った。
「分かった?」
「半分くらい」
「十分じゃない?」
「説明する側がそれ言うな」
フィナも苦笑する。
「私は三割くらいです」
「下がった」
「実際にやるところを見た方が分かりそうですね」
「それなら今度見せるよ」
「お前、こういう時だけ急に教える気になるよな」
「聞かれたから」
「最初に立ち止まったのお前だろ」
「見てただけ」
「そこからここまで話広がったんだよ」
三人がそんな話をしている間にも。
「八百三十二!」
若い男は木剣を振り続けていた。
「八百三十三!」
呼吸はさらに荒くなり、足元も少しずつ不安定になっている。
それでも。
振る。
ジンはその姿をしばらく見たあと、小さく息を吐いた。
「頑張ってるな」
「ならいいじゃねえか」
アインが言う。
「うん」
ジンは頷いた。
「だから、ちょっともったいない」
◇
三十分ほど経ったところで、三人は素材買取窓口へ戻った。
「お待たせしました」
先ほどの職員が、査定表をカウンターへ置く。
「ヴェイル三頭分。魔石、角、牙、爪、魔力収集膜を合わせまして、合計七万八千リグになります」
「おお」
ジンが少し身を乗り出した。
「二頭目は?」
「二頭目?」
「膜が綺麗だったやつ」
「ああ」
職員は査定表を確認する。
「その個体から回収された素材だけですと、三万二千リグですね」
「一頭目は?」
「一万九千リグほどです」
ジンの動きが止まった。
「……そんな違う?」
「収集膜の損傷が大きいですから。膜だけでもかなり差が出ています」
「一万三千リグ」
「計算早えな」
アインが言う。
ジンはほとんど聞いていなかった。
一頭目。
普通に剣で斬った。
二頭目。
素材を残すことを意識し、倒し方そのものを変えた。
同じヴェイルでも。
やり方が違えば。
残るものも変わる。
結果も変わる。
「……次から」
「首はやめろよ」
「まだ何も言ってない」
「言う前に止めた」
「別の方法も考えるよ」
「考えるのは確定なんですね」
フィナが苦笑する。
「だって一万三千リグだよ?」
「金額を覚えた途端、説得力出そうとすんな」
「大事でしょ」
「まあ、大事だけどな」
担当の職員も、三人のやり取りを聞きながら小さく笑っていた。
ジンはもう一度、査定表へ視線を落とした。
その時。
少し前に見た素振りが頭へ浮かぶ。
同じ一回に見えても。
何を意識し。
どう身体を使い。
何を残すかで。
中身はまるで違う。
一度できただけでは、技術とは呼べない。
だが。
ただ同じ形を繰り返せば。
それだけで技術になるわけでもない。
まず。
正確な一回を作る。
そして。
その一回を。
何度でも同じようにできるまで繰り返す。
ジンにとって。
修練とは。
昔から。
ずっと。
そういうものだった。




