第64話 中継区画
翌朝。
日の出から少し経った頃、ジンたちは町を出た。
町長から聞いていた通り、目的の遺跡まではそれほど遠くない。町の北側から伸びる細い道を進み、途中で街道を外れると、周囲に広がっていた畑も徐々に少なくなり、やがて低い草に覆われた平原へ変わっていった。
目立つ木も少なく、遠くまで見渡せる。
「こっちで合ってる?」
ジンが尋ねると、先頭を歩いていたアインが振り返った。
「ああ。昨日聞いただろ」
「聞いたけど」
「なら何で聞く」
「確認」
「地図持ってんのお前だぞ」
言われてから、ジンは手にしていた地図へ目を落とした。
少しだけ進路を見比べる。
「合ってるね」
「殴るぞ」
「確認できた」
「最初から見ろ」
後ろを歩くフィナが小さく笑った。
「でも、本当に目印がありませんね。森なら木や岩を覚えられますけど、ここだと景色がほとんど同じです」
「だから地図があるんだろ」
「アイン、今日ちょっと機嫌悪い?」
「誰のせいだと思ってる」
「朝弱い?」
「お前のせいだよ」
そんなやり取りをしながら平原を進んでいると、やがて前方に小さな影が見えてきた。
最初は地面から突き出した大きな岩にも見えたが、近づくにつれて輪郭が人工物らしい直線へ変わっていく。
「あれか?」
アインが足を止める。
ジンも目を細め、しばらくそれを見た。
「……小さいな」
「前の遺跡より?」
「うん。一回りくらい」
三人はそのまま距離を縮めた。
間近で見ると、建物というより石造りの祠に近い。
四角い基部の上へ、僅かに傾斜した屋根のような石材が組まれており、高さもせいぜい人二人分ほどしかない。表面は長い年月を経たことが分かるほど風化しているのに、大きく崩れた場所は見当たらなかった。
「これも古代遺跡なんですね」
フィナが壁面へ近づき、刻まれているものを眺める。
「見た目は似てる」
ジンも隣へ並んだ。
灰色の石の表面には、細い線が何本も刻まれていた。
北の森で見た小型遺跡にもあったものだ。
一本の線から別の線が枝分かれし、ところどころで円や四角に近い記号へ繋がっている。適当に彫られた模様には見えず、何らかの規則に従って配置されているようには思える。
ジンは少し顔を近づけ、その一つ一つを目で追った。
だが。
読めない。
以前の遺跡で見た時と同じだった。
自分が古代遺跡で読めるようになった文字とは違う。
「前のにもあったよな、これ」
アインも横から覗き込む。
「うん」
「文字じゃねえのか?」
「どうだろう」
ジンは曖昧に答えた。
文字ではない。
少なくとも、自分が読める古代文字とは明らかに違う。
「王都でも読める人はいなかったそうですよ」
フィナが言う。
「模様じゃないかって説もあるみたいです」
「模様にしては細かすぎない?」
「私に聞かれても分かりませんよ」
「だよね」
ジンはもう一度だけ線を見てから、壁面から離れた。
「入口は?」
「探すか」
アインが遺跡の周囲を回り込み、少しして声を上げる。
「あったぞ」
二人も後を追った。
建物の一面に、人が一人通れる程度の開口部がある。
扉はない。
ただ。
暗いはずの内部から、淡い光が漏れていた。
三人とも自然と足を止める。
「……光ってる」
「報告通りですね」
フィナが目を細めた。
昨日、町長から何世代も前から変わらず光り続けていると聞いた。
その光が、今も目の前にある。
「入るか?」
アインが尋ねる。
「そのために来たんでしょ」
「先に言っとくぞ」
「触らない」
「まだ何も言ってねえ」
「言うと思った」
「なら守れ」
「分かってる」
アインはしばらくジンを見たあと、入口へ向き直った。
「俺から入る。ジンは真ん中、フィナが最後だ」
「何で俺が真ん中?」
「お前を監視するためだ」
「前にいた方がよく見えるよ」
「だから駄目なんだよ」
「信用ないなあ」
「昨日から何回同じ話してると思ってんだ」
アインが先に内部へ入り、ジン、フィナの順で続いた。
◇
内部は、外から想像した通り狭かった。
短い通路の先にあるのは、一つの部屋だけ。
北の森で見つけた遺跡も小さかったが、こちらはさらに簡素で、人が長時間過ごすための場所には到底見えない。
「ほんとに小せえな」
アインの声が石壁へ僅かに響く。
ジンは答えず、部屋全体へ視線を巡らせた。
壁。
床。
天井。
外側にあったものと同じ細い線が、内部にも張り巡らされている。
ただし、こちらの方が遥かに複雑だった。
壁を走っていた線が角を越えて床へ降り、そのまま複数に分かれながら部屋の中央へ集まっている。天井から伸びるものもあり、それぞれが別の経路を通りながら、一つの場所へ繋がっていた。
その中心に。
腰ほどの高さの台座がある。
そして、その上には。
「あった」
ジンが呟いた。
黒い板。
北の森で見たものによく似ている。
ただ、向こうでは独立した装置のように置かれていたのに対し、こちらは台座そのものへ組み込まれていた。
表面には淡い光が浮かんでいる。
「前のと同じですか?」
フィナが尋ねる。
「似てる」
「似てる?」
「完全に同じじゃない」
ジンはゆっくり近づいた。
「触るなよ」
「触らないって」
黒い板の表面には、複数の小さな光点が浮かんでいる。
そして、その点同士を繋ぐように細い線が走っていた。
北の森で。
一瞬だけ見えた表示。
あれとよく似ている。
「……やっぱり線がある」
「前のと同じか?」
アインも少し離れた位置から覗き込む。
「仕組みは似てる。でも配置が違う」
ジンは板へ触れないよう距離を保ったまま、表示を目で追った。
点の数も違う。
線の伸び方も違う。
北の森で見たものを完全に記憶しているわけではないが、それでも同じ配置ではないことは分かった。
「同じ場所を示してるんでしょうか」
フィナが尋ねる。
「分からない」
もしこれが地図のようなものなら。
同じ場所を表示している限り、点の位置も線の形も同じになるはずだ。
違うということは。
「……別の場所?」
「何がだ?」
アインが聞く。
ジンは少し考えてから、黒い板を指差さずに顎だけで示した。
「同じ仕組みだけど、表示してる範囲が違うのかもしれない」
「根拠は?」
「ない」
「ないのかよ」
「だから調べてる」
「それもそうか」
アインはあっさり引き下がった。
その間にフィナは壁際へ移動し、周囲の魔力を探るように目を閉じていた。
「フィナ」
「はい?」
「魔力は?」
「少し待ってください」
そのまましばらく動かない。
やがて目を開いた。
「あります」
「普通?」
「少なくとも、前の遺跡みたいに中だけ極端に薄い感じはしません。外と大きく違うようにも感じないです」
「この遺跡が魔力を使ってるかは?」
「それは……」
フィナは困ったように黒い板と壁を見比べた。
「分かりません。ここにも周囲にも魔力はありますけど、それが遺跡に使われているのか、ただ普通に存在しているものなのかまでは」
「そっか」
ジンは再び黒い板を見る。
何世代も前から。
おそらく百年どころではない時間。
この設備は光り続けている。
それでも、少なくとも現在の周囲の魔力に、北の森ほど明確な異常はない。
やはり。
何かが違う。
「奥はなさそうだな」
アインが壁を調べながら言った。
隠し扉らしい継ぎ目もない。
「本当にこの一部屋だけか」
「中継地点っぽい」
ジンが言うと、アインが振り返った。
「またそれか」
「だって見てよ」
ジンは周囲を見回す。
「人が住む場所じゃない。物を保管する場所にも見えない。部屋もこれだけで、中央にはこの装置しかない」
「だから中継?」
「前より可能性は上がったと思う」
「何を中継してんだよ」
「それが分からない」
「駄目じゃねえか」
「分からないから調べるんでしょ」
「お前、そういう時だけ楽しそうだよな」
「そう?」
「そうだよ」
ジンは気にせず、壁沿いへ歩き始めた。
外側と同じ線が続いている。
円。
四角。
枝分かれした細い溝。
どれも読めない。
装飾ではないように見える。
何かを示している。
あるいは。
何かを通すためのものなのかもしれない。
そんなことを考えながら視線を滑らせていた時。
ジンの足が止まった。
「……」
細かな線の隙間に。
今まで見ていたものとは明らかに違うものがあった。
短い。
いくつかの記号が横に並んでいる。
いや。
違う。
これは。
文字だ。
ジンには分かった。
この世界へ来て最初に目覚めた古代遺跡。
そこで。
言語を同期したあとに読めるようになった文字と同じもの。
ジンは何も言わず、その並びを目で追った。
長い文章ではない。
説明文でもない。
施設の名称。
あるいは。
区画を示す表示。
そこには。
――第十二中継区画。
そう書かれていた。
「……」
ジンはしばらく動かなかった。
中継。
何度も自分が口にしてきた言葉。
証拠はない。
ただの仮説。
そう言い続けてきたものが、今。
古代の文字として目の前にある。
「ジン?」
フィナの声で、意識が戻った。
「何?」
「何かありました?」
「いや」
一度だけ壁を見る。
そして。
「何でもない」
「そうですか?」
「うん」
フィナは少し不思議そうな顔をしたものの、それ以上は聞かなかった。
ジンはもう一度、壁へ視線を戻した。
第十二中継区画。
少なくとも。
この場所が何かを中継するための施設だったという考えは、間違っていなかった。
だが。
それが分かっただけだ。
何を中継する。
どこから。
どこへ。
何のために。
肝心な部分は何一つ分からない。
周囲を走る細かな線や記号を見ても、そちらは読めない。
文字が読めることと。
施設の仕組みを理解できることは。
まったく別だった。
それでも。
もう一つ気になる。
第十二。
その数字。
ただ十二番目に造られたという意味なのか。
同じ役割の施設が十二ヶ所以上あるという意味なのか。
今の段階では分からない。
だが、少なくとも。
これ一つだけではない可能性は高い。
「ジン」
「ん?」
「さっきから同じ場所で止まってるぞ」
アインが怪訝そうにこちらを見ていた。
「考え事」
「変なこと考えてねえだろうな」
「変なことって?」
「触ったらどうなるか、とか」
「……」
「おい」
「考えただけ」
「考えてんじゃねえか!」
「でも触ってないでしょ」
「当たり前だ!」
フィナも小さく息を吐いた。
「本当に触らないでくださいね」
「分かってるって」
ジンは壁から離れた。
古代文字を読めることを。
今はまだ言わなかった。
アインとフィナには、以前別の遺跡へ行ったことまでは話している。
だが。
なぜ古代の文字が読めるのか。
その理由まで説明するなら、話はもっと前まで遡らなければならない。
何より。
ジン自身にも分からないことが多すぎる。
説明できないことを増やすくらいなら。
今は。
まだ黙っていた方がいい。
◇
一通り内部を確認したあと、三人は遺跡の外へ出た。
薄暗い室内に目が慣れていたせいか、平原へ戻った瞬間の日差しが妙に眩しく感じる。
アインが大きく息を吐いた。
「何も起きなかったな」
「残念そう」
「安心してんだよ」
「俺も安心してるよ」
「嘘つけ」
「ほんとだって」
フィナも遺跡を振り返った。
入口の奥には、今も淡い光が見えている。
「少なくとも、前の遺跡みたいなことは起きませんでしたね」
「人も消えてない」
ジンも振り返る。
「それなのに、何世代も前から動き続けてる」
「そうですね」
「なら、動いてること自体が危険ってわけじゃないのかも」
アインが腕を組んだ。
「じゃあ前のは何だったんだ?」
「分からない」
「結局それか」
「でも、一個減った」
「何が?」
「可能性」
ジンは遺跡を見たまま答える。
「遺跡が動いてるだけで、周囲の魔力を全部持っていくわけじゃない」
「ここが本当に同じ種類の施設なら、ですけどね」
フィナがすぐに付け加える。
「うん」
そこは重要だった。
似ている。
黒い板も。
壁の線も。
建物の造りも。
だが、完全に同じとは限らない。
それでも。
第十二中継区画。
あの文字は残っている。
少なくとも古代文明にとって、この小さな施設には明確な役割があった。
「次は?」
アインが尋ねる。
「町長が言ってた場所」
「魔物が移動してる辺りか」
「うん」
ジンは平原の先へ視線を向け、そのまま歩き始めた。
「遺跡だけ見ても分からないなら、周りも見る」
「最初からその依頼だ」
「そうだっけ」
「依頼書読め!」
三人は遺跡を後にした。
背後では。
淡い光が変わらず灯り続けている。
昨日も。
何十年前も。
何世代も前から。
おそらく。
同じように。
ただ。
その光が。
本当にずっと同じ役割を果たし続けていたのか。
それとも。
見た目が変わっていないだけなのか。
それを知る者は。
まだいなかった。




