第63話 変わらない遺跡
正式な調査依頼が届いたのは、翌日の昼だった。
ジンたち三人は冒険者ギルドの受付前に並び、渡されたばかりの依頼書を覗き込んでいた。
「早かったな」
アインが紙面へ目を落としたまま言う。
「王都も急いでるんじゃない?」
「原因不明の遺跡で四人消えてんだから、そりゃ急ぐだろ」
「消えた原因が遺跡かどうかは、まだ分かりませんよ」
フィナが横から口を挟むと、アインは軽く肩をすくめた。
「分かってる。言い方の問題だ」
依頼の内容は、昨日ルーセルたちから聞いたものとほとんど変わらなかった。
ベルクから東へ数日進んだ先。
街道を少し外れた場所に、小型遺跡と思われる古い石造建築が存在する。
内部では現在も何らかの設備が光を放ち続けており、その周辺では最近になって魔物の行動範囲にも変化が見られている。
遺跡内部の確認。
周辺地域における魔物の動向調査。
そして、可能であれば北の森で見つけた小型遺跡との共通点を探ること。
それが今回、羅針盤に与えられた正式な依頼だった。
「で、これ」
ジンが依頼書の一ヶ所を指差した。
「何だ?」
「『遺跡内部の設備には、可能な限り接触しないこと』」
アインが一度だけ文章を確認すると、すぐにジンを見た。
「お前向けだろ」
「名指しされてないけど」
「書いた奴の頭には絶対お前がいたぞ」
「失礼だな」
「前の遺跡で何したか思い出せ」
「何もしてないよ。あれは勝手に動いた」
「ああ、そういや今回は本当に触ってなかったな……」
言い返しかけたアインが途中で止まる。
ジンが少し得意そうな顔をした。
「ほら」
「でも最初の遺跡じゃ色々触ったんだろ?」
「それはそう」
「じゃあ信用されてねえ理由はあるだろ」
横で聞いていたフィナが小さく笑った。
「今回は本当に見るだけにしましょうね」
「分かってる」
「本当に?」
「なんで二人とも信用してないの?」
「実績です」
「実績だな」
「ひどい」
依頼書を返したあとは、必要な物資を揃え、その日のうちにベルクを出ることになった。
◇
目的地までは、順調に進めば三日ほど。
初日は東へ延びる街道を進み、二日目からは途中で分かれる脇道へ入った。
王都へ続く主要街道ほど整備されてはいないものの、荷馬車が通れる程度には道幅があり、人の行き来も完全に途絶えているわけではない。
二日目の昼。
緩やかな道を歩きながら、ジンが周囲を見回した。
「思ったより普通だな」
「何が?」
アインが聞き返す。
「もっと魔物が出るかと思ってた」
「出てほしいのか?」
「そういう意味じゃないよ」
「なら言うな。こういうのは口に出すと出てくる」
「迷信?」
「経験則だ」
「似たようなもんじゃない?」
「違う」
「何が?」
「経験がある」
「それを迷信って言うんじゃ――」
「ジンさん」
二人の間からフィナが顔を出した。
「ここはアインさんの言うことを聞いておきましょう」
「フィナまで?」
「こういう時、本当に出てきたりしますから」
「二対一か」
「多数決だ」
「魔物が出るかどうかを多数決で決めないでよ」
結局。
その日は何も出なかった。
夕方。
野営の準備をしながら、ジンが少し得意そうにアインを見る。
「ほら」
「何がだ」
「出なかった」
「まだ目的地にも着いてねえだろ」
「明日も言おうかな」
「やめろ」
◇
三日目。
昼を少し過ぎた頃、目的地の町が見えてきた。
ベルクより遥かに小さく、高い外壁も大きな門もない。町の周囲を囲んでいるのは低い石壁と木柵程度で、その外側には畑が広がり、少し離れたところでは家畜を連れて歩く人の姿も見えた。
「ここ?」
「依頼書じゃそうなってる」
アインが答える。
三人はそのまま町へ入った。
人通りは決して多くないが、静まり返っているわけでもない。
荷車を押している男。
家の前で籠を編んでいる老人。
道を走り回る子供たち。
店先で話している女たち。
少なくとも見た限りでは、大きな異変に怯えているような雰囲気はなかった。
「普通ですね」
フィナが周囲を見ながら小さく言う。
「うん」
ジンも歩きながら視線を巡らせた。
「ベルクの時とは全然違う」
北の森で魔物の移動が始まった頃、ベルクでは街の空気にも少なからず緊張が混じっていた。
だが。
ここにはそれがない。
「まず依頼を受けたことを報告するぞ」
アインが言った。
「ここのギルド?」
「支部はないらしい」
「じゃあ誰に?」
「責任者の名前、依頼書に書いてあっただろ」
「見てない」
「読め」
「アインが覚えてると思って」
「俺を何だと思ってんだ」
「頼れる仲間」
「そう言っとけばいいと思ってんだろ」
「思ってないよ」
「目を見て言え」
ジンが僅かに視線を逸らした。
「頼れる仲間」
「なんで目逸らした」
フィナが笑いながら依頼書を取り出す。
「町長さんです。まずはそこへ行きましょう」
◇
町長の家は、聞くまでもなくすぐに分かった。
町の中央付近にある、周囲の家より少し大きな二階建ての建物だったが、特別豪華というほどではない。
三人が戸を叩くと、五十代ほどの男が姿を見せた。
「ベルクから?」
「はい。遺跡の調査依頼を受けて来ました」
フィナが依頼書を差し出す。
男は紙面へ目を通すと、すぐに三人を中へ招き入れた。
「いやあ、思ったより早かったな。もっと時間が掛かると思ってた」
「何か変化があったんですか?」
アインが椅子へ座りながら尋ねる。
「いや。遺跡の方はいつも通りだ」
「いつも通り?」
「ああ」
町長は何でもないことのように答えた。
「光ってる」
三人の反応が揃った。
「今も?」
ジンが聞く。
「今もだ」
「最近になって光り始めたわけじゃないんですか?」
今度はフィナが尋ねる。
町長は逆に不思議そうな顔をした。
「最近?」
「はい」
「いやいや」
男が笑う。
「俺が子供の頃から光ってるぞ」
ジンの顔が上がった。
「ずっと?」
「ずっとだ」
「じゃあ五十年くらい?」
「お前さん、さらっと人の歳を読むな」
「あ、ごめんなさい」
「まあ、そのくらいは生きてるけどな」
町長は特に気にした様子もなく笑い、そのまま話を続けた。
「でも、もっと前からあるはずだぞ」
「どれくらい?」
「さあな」
腕を組み、少し考える。
「親父も知ってたし、爺さんも知ってた」
「その頃から光ってた?」
「そう聞いてる」
「じゃあ百年くらい?」
「もっとじゃないか?」
町長はそう言ってから、何かを思い出したように窓の外へ目を向けた。
「そういや爺さんが、昔同じような話をしてたな」
「どんな?」
「自分の爺さんから聞いたって話だ」
三人とも黙って続きを待つ。
「その頃から、あの遺跡は光ってたってよ」
「……それ、何年前?」
「知らん」
「ですよね」
ジンがすぐに諦めた。
アインが改めて町長へ確認する。
「つまり、少なくとも何世代も前から、遺跡そのものは今とほとんど変わっていない?」
「俺が知る限りじゃな」
「危険は?」
「特には聞かんな」
「中へ入った人は?」
「昔はいたらしい」
「今は?」
「わざわざ入らんよ」
「どうして?」
ジンが聞いた。
「何もないからだ」
「何も?」
「光ってるだけだよ」
「それだけ?」
「それだけ」
「……ほんとに?」
「お前さん、何を期待してるんだ」
アインが横からジンの肩を掴む。
「こいつのことは気にしないでくれ」
「何で」
「話が進まねえからだ」
フィナが小さく笑い、それから本題へ戻した。
「最近、魔物の様子がおかしいという報告があったと聞いています」
「ああ。それなら本当だ」
町長の表情が少し変わった。
「いつ頃からですか?」
「一月……いや、もう少し前からかな」
「どんな変化が?」
「数が増えたっていう話じゃない」
「では?」
「場所だ」
町長は立ち上がると棚から古い地図を取り出し、机の上へ広げた。
「この辺に森がある」
指が町の北東を示す。
「前はもっと奥にいた連中が、最近になって街道近くまで出てくるようになった」
「ベルクと似てるな」
アインが小さく呟く。
「他には?」
「南の丘でも、前は見なかった魔物を見かけるようになった。逆に、昔よく出た場所から急に姿を消した奴もいる」
「増えたんじゃなくて、移動してる?」
ジンが聞く。
「そう見える」
フィナが地図へ顔を近づけた。
「魔力についてはどうですか?」
「魔力?」
「以前より、この辺りの魔力が薄くなったという話はありませんか?」
町長は少し考えたが、やがて首を振った。
「聞いたことはないな」
「町にいる魔法使いの方からも?」
「何人かいるが、そんな話は聞いてない」
「そうですか……」
フィナが少し考え込む。
ベルクとまったく同じではない。
少なくとも今のところ。
ジンは地図へ視線を落とした。
「遺跡はどこ?」
「ここだ」
町長の指が北へ動く。
先ほど示された森とは少し離れた場所だった。
「歩いてどれくらい?」
「半日もかからん」
「近い」
「ああ」
ジンは地図上の遺跡と町、魔物の目撃地点を順番に見比べた。
「魔物が移動し始めたのは最近」
「そうだ」
「でも遺跡は?」
「昔からあのままだ」
そこでジンは黙った。
遺跡が動いている。
周囲では魔物の行動範囲が変わっている。
それだけを並べれば、二つを結びつけるのは簡単だ。
だが。
時間が合わない。
遺跡は最近になって動き始めたわけではない。
町長が生まれるより前。
その父親より前。
祖父より前。
さらにその前から。
少なくとも、人の記憶を何世代も遡るほど長い間、光り続けている。
対して魔物の変化は、ごく最近だ。
「……じゃあ」
ジンが小さく呟いた。
「何が変わったんだろ」
「何か言ったか?」
「いや」
ジンは顔を上げる。
「遺跡、今日見に行ってもいい?」
「お前な」
アインが即座に呆れた声を出した。
「今着いたばっかだぞ」
「近いんでしょ?」
「まず宿を取れ」
「見るだけ」
「その言葉、昨日も聞いた」
「今日は本当に見るだけ」
「昨日だってそういう顔してただろ」
「昨日はまだ何も見てないよ」
「そういう意味じゃねえ!」
町長が二人を見比べ、楽しそうに笑った。
「仲いいな、お前ら」
「そう見えます?」
フィナも笑う。
「見える見える」
「どこがだ」
アインだけが否定した。
◇
結局、遺跡へ向かうのは翌朝になった。
その日は宿を確保したあと、町で聞き込みをしながら最近の魔物の目撃情報を集め、日が暮れる前に周囲を軽く確認するだけに留めた。
街道近くに新しい足跡はいくつか見つかったものの、魔物そのものとは遭遇しないまま町へ戻る。
夜。
ジンは宿の窓辺に立ち、外を眺めていた。
ここから遺跡が見えるわけではない。
近くの家々から漏れる明かりの向こうには、暗い平原が広がっているだけだった。
何世代も前から光り続けている遺跡。
最近になって移動を始めた魔物。
ベルクで起きたこととは似ている。
だが。
同じではない。
「……昔から動いてる」
小さく呟く。
もし遺跡がずっと同じ状態だったのなら、単に動いていること自体が最近の異変の原因だとは考えにくい。
なら。
何か別のものが変わったのか。
外からは同じように見えているだけで、内部では以前と違う動きをしているのか。
あるいは。
遺跡と魔物の移動は、そもそも直接関係していないのか。
まだ材料が足りない。
ジンはしばらく暗い外を眺めたあと、窓を閉めた。
考えるのは、実物を見てからでいい。
明日。
もう一つの小型遺跡を見る。
北の森で見たものと何が同じで。
何が違うのか。
そして。
もしそこに古代の文字が残っているなら。
自分には、それを読める可能性がある。
そのことを。
ジンはまだ、アインにもフィナにも話していなかった。




