第60話 それぞれのやり方
三組に分かれていた戦いが崩れたことで、訓練場の空気は一気に変わった。
少し前までは、それぞれが目の前の相手だけを見ていればよかったが、今は違う。ジンのすぐ横を剣士が走り、その向こうではアインが大盾を避けながら位置を変えている。フィナの背後には魔法使いがいて、誰か一人に意識を向ければ、その瞬間に別の誰かが視界へ入ってくる。
「邪魔だ!」
盾を持った男が大きく踏み込み、目の前へ入り込んできた剣士を避けるように盾を振った。
「お前がでかいんだよ!」
「こっち来たのはそっちだろ!」
仲間同士で言い合いながらも動きは止まらず、盾持ちはアインを追い、剣士は再びフィナの位置を探し、少し離れた場所では魔法使いが杖を構え直していた。
「水」
「言うなって言ってんだろ!」
ジンが呟いた直後、魔法使いの前へ水の塊が形成される。
「今度こそ当てる!」
放たれた水弾を見たジンは、避けるより先に周囲の位置を確認した。
右にフィナ。
左奥にアイン。
そして、その手前には大盾。
ジンは迷わず左へ流れる。
「またそっちか!」
魔法使いも意図に気づいたらしく、水弾の向きを僅かに修正したが、すでに遅かった。
ジンが盾持ちのすぐ横を通り抜けた直後、その背後から水弾が迫る。
「おい!」
男が反射的に大盾を向けると、水が正面からぶつかって弾け、盾の表面だけでなく腕や顔まで一気に濡らした。
「また俺か!」
「ジン狙ったんだよ!」
「だったら当てろ!」
「避けるんだよ!」
盾持ちと魔法使いが怒鳴り合う。
その一瞬を、アインは見逃さなかった。
「ありがとな」
「何がだ!」
「別に」
水を受けて動きが止まった盾へ一気に距離を詰め、短い木剣を振る。
男はすぐに向き直って盾を正面へ戻し、アインの一撃を受け止めた。
コンッ、と乾いた音。
「何回来ても同じだ!」
「そうだな」
アインは素直に認めながら、木剣を引くより先に空いていた左手を盾へ触れさせた。
ほんの一瞬。
押したようにも見えない程度の接触だった。
すぐに男の木剣が振られ、アインは身体を沈めてその場を離れる。
「……?」
盾持ちが僅かに眉を寄せた。
何かをされた感覚はない。
盾にも見たところ異常はない。
「何だ?」
「何が?」
「今、何かしただろ」
「した」
「何をだよ!」
「教えるわけねえだろ」
「この野郎!」
盾持ちが踏み込んでくる。
その背後で、ジンが少しだけ笑った。
アインはさっきから何度も盾へ触れている。
攻撃を防がれた時。
押された時。
避ける直前。
どれも本当に一瞬だけ。
しかも今見ると、盾の表面には最初にはなかった小さな塊がいくつか付いていた。
「なるほど」
ジンが呟く。
「何がだ!」
魔法使いが叫ぶ。
「こっちの話」
「戦え!」
「戦ってる」
「他所見しながら言うな!」
魔法使いの構えが変わる。
今度は炎。
ジンはようやく視線を戻した。
◇
「余所見してる場合ですか!」
フィナのすぐ横を木剣が通り過ぎた。
「してません!」
慌てて杖を立てると、続けて上、横と二撃が飛んでくる。
剣士の動きは先ほどより明らかに慎重になっていた。
最初のように力任せで押し切ろうとはしてこない。
フィナの杖が、見た目よりずっと重いことを知ったからだ。
距離を保ったまま木剣を振り、フィナに大きな動きをさせない。
「さっきみたいなのは、もう受けないっスよ!」
「別に受けてもらわなくても!」
フィナが杖を横へ振る。
剣士は一歩下がって避けた。
追おうとした、その時。
「フィナ!」
アインの声が飛ぶ。
反射的に横を見ると、大盾が迫っていた。
「えっ!?」
盾持ちはアインを追っていたはずだったが、混戦の中で進路がずれ、そのままこちらへ流れ込んできたらしい。
正面には剣士。
横からは盾。
逃げられる方向が一気に狭くなる。
フィナは咄嗟に杖を地面へ突き、身体を後ろへ引いた。
大盾が目の前を通過する。
その向こうからアインが飛び出した。
「悪い!」
「本当にです!」
アインはそのままフィナの横を抜け、剣士へ短剣を振る。
「っ!」
剣士が木剣で受ける。
一瞬だけ、相手が変わった。
だがアインはそこで攻め続けず、剣士の木剣を横へ流しながら身体を退けた。
「返すぞ!」
「はい!」
空いた場所へフィナが入る。
剣士は慌てて向き直った。
フィナの杖が下から振り上げられる。
先ほどと同じ軌道。
そう判断した剣士は、今度は受けずに横へ避けた。
杖が空を切る。
「よし!」
だがフィナは止まらない。
振り上げた杖をそのまま返して横へ振ると、剣士はさらに距離を取った。
その結果、二人の間に少しだけ空間ができる。
そこで。
フィナは思った。
今なら、試せるかもしれない。
少し前から考えていたことがある。
きっかけはジンだった。
相手の身体を強引に動かすのではなく、相手自身にそう動かせる。
剣。
視線。
距離。
触れ方。
ジンは自分が何かをした結果だと気づかせないまま、相手から欲しい動きを引き出していた。
フィナには同じことはできない。
でも。
自分なら。
「何だ?」
剣士が警戒する。
フィナは杖を正面へ向け、先端へ魔力を集めた。
剣士の表情が変わる。
「魔法まで使うんスか!?」
「魔法使いですから!」
「回復役でしょうが!」
「それはもう聞きました!」
杖の先で光が膨らむ。
剣士は目を細め、木剣を構えながらいつでも避けられるよう腰を落とした。
攻撃魔法だと思ったのだろう。
フィナはそのまま光を一気に弾けさせた。
「っ!」
白い閃光が視界を埋める。
熱もない。
威力もない。
ただ、眩しい。
「うわっ!」
剣士が反射的に顔を背け、目を閉じる。
その瞬間。
フィナは動いた。
◇
「今の何だ!?」
誰かの声と同時に、訓練場の一角が一瞬だけ白く光った。
アインも僅かに目を細める。
「フィナか?」
見れば、剣士が顔を押さえている。
「なんかやり始めたな」
アインがそう呟いた直後、大盾が迫った。
「余裕だな!」
「おっと!」
アインが横へ飛ぶ。
盾持ちはそのまま追ってきた。
今度は速い。
長引かせるつもりがないらしく、盾で押し込みながら右手の木剣を振る。
アインはそれを避け、短剣で受け、また盾をかわす。
「そろそろ壊すんじゃなかったのか!」
「そうだな」
「さっきから何もできてねえぞ!」
「じゃあ壊すか」
「……は?」
アインが足を止めた。
盾持ちも一瞬だけ動きを緩める。
「今?」
「ああ」
アインは短い木剣を持ったまま、大盾へ視線を向けた。
表面には戦いながら少しずつ貼り付けてきた小さな塊がいくつか残っている。中に入っているのは、ギルド職員にも事前に確認させた訓練用の小型爆裂具で、一つ一つの威力は大したことがない。
だが、アインが狙っていたのは相手を爆発で吹き飛ばすことではなかった。
「何だ、その顔」
盾持ちが警戒して構え直す。
「別に」
アインは短剣を軽く上げ、そのまま顎を引いた。
「来いよ」
「言われなくても!」
男は大盾を前へ出し、一気に踏み込んできた。
これまでならアインは横へ避けていたが、今度は違う。
正面から走った。
「何っ!?」
盾持ちの表情が変わる。
それでもすぐに、口元には笑みが浮かんだ。
「馬鹿か!」
そのまま盾で押し潰せる。
そう思ったのだろう。
アインは目前まで迫った大盾へ右足を上げた。
「蹴る気か!」
違う。
足裏が盾の中央へ触れると、アインはそこを蹴り込むのではなく踏み台にし、さらにもう一歩、そのまま盾の上を駆け上がった。
「なっ!?」
盾持ちの顔が上を向く。
アインはその頭上を飛び越えながら身体を捻り、背後へ着地した。
驚いた男は反射的に振り返る。
当然、大盾も一緒にこちらへ向く。
アインが待っていたのは、その瞬間だった。
すでに右手を前へ出し、人差し指を盾へ向けている。
「その体勢を待ってた」
「何を――」
アインの指先に、ごく小さな熱が生まれた。
光と呼ぶほどでもない。
だが、それで十分だった。
盾の表面へ貼り付けた爆裂具の一点へ火が入り、小さな爆発が起きる。
ボンッ!
「うおっ!?」
男が肩を震わせる。
だが、終わらない。
少し離れた場所に貼り付けていた二つ目、さらに三つ目へと火が移り、ほとんど続けざまに爆発が走った。
バンッ!
バンッ!
男自身を吹き飛ばすほどの威力はない。
それでも、アインは最初から同じ線上へ負荷が集まる位置を選んで仕込んでいた。
小さな衝撃が重なり、木製の大盾の内部で乾いた音が響く。
ミシッ。
「……おい」
盾持ちの顔が変わった。
中央に入った亀裂が上下へ伸び、そのまま補強部分を巻き込むように広がっていく。
そして次の瞬間。
バキンッ!
大盾が、真っ二つに割れた。
「……」
盾持ちが動きを止める。
周囲も、一瞬だけ静かになった。
アインは割れた盾を確認すると、何でもないことのように言った。
「壊れたな」
「本当に壊した!」
少し離れたところからジンの声が飛んできた。
「お前、戦え!」
アインが即座に怒鳴る。
「いや、気になって」
「こっち見るな!」
「だって前に俺も盾壊すって言ったし」
「お前は壊してねえだろ!」
「だから見たかった」
「後で見ろ!」
そんな二人のやり取りを聞きながら、盾持ちもようやく我に返った。
「……お前」
使い物にならなくなった盾を地面へ投げ捨て、木剣を両手で握り直す。
「模擬戦で盾を壊す奴があるか!?」
「壊していいって確認した」
「そういう問題じゃねえ!」
「じゃあ何の問題だよ」
「知らねえよ!」
怒鳴りながらも、男の戦意は消えていない。
盾を失ったことで防御力は落ちたが、その分、身体は軽くなっている。
「盾がなくなったら終わりだと思うなよ」
「思ってねえ」
アインも短剣を構えた。
「むしろ、ここからの方が楽だ」
「言ってろ!」
男が踏み込んだ。
盾を持っていた時より速い。
木剣がアインの肩口へ振り下ろされる。
アインは正面から受けず、短剣を斜めに合わせた。
ぶつけるのではなく、触れたまま外側へ流す。
木剣の軌道が逸れ、男の腕が身体の外へ開いた。
アインはその動きを止めない。
相手の剣を流した勢いに自分の身体の回転を重ね、そのまま短剣を返す。
「返し牙」
男が振り向いた時には、木の刃が首の横で止まっていた。
一拍遅れて、ギルド職員が声を上げる。
「そこまで!」
男はしばらく短剣を見ていたが、やがて諦めたように木剣を下ろした。
「……盾なくなった直後にそれかよ」
「盾があると使いづらかったからな」
「だから壊したのか?」
「それもある」
「それも?」
「壊したかった」
「お前な……」
深いため息が漏れる。
アインの勝ちだった。
◇
その頃、フィナと向き合っていた剣士は完全に視界を失っていた。
「見えねえ!」
目を閉じたまま木剣を大きく振り、近づかせまいと左右へ牽制する。
「どこだー!」
フィナは返事をしなかった。
できるだけ足音を抑えながら一歩ずつ近づく。
目の前まで行けば終わりではない。
相手は何も見えていなくても木剣を振っているし、身体も魔力も強く緊張している。
今の状態で無理に入れば、普通に反応される可能性が高い。
フィナは剣士の呼吸を見るように、その動きを観察した。
荒い。
意識は完全に、自分の位置を探すことへ向いている。
どこにいるのか。
どちらから来るのか。
次に何をされるのか。
その不安が強いほど、身体も魔力も固くなる。
フィナはそこで一度、自分の杖へ目を落とした。
そして。
相手の少し右側へ投げる。
ドサッ。
「!」
音を聞いた剣士が勢いよくそちらを向いた。
「そこか!」
ほとんど反射だった。
見えていないのに、音がした方向へ木剣を大きく振る。
その瞬間、剣士の身体が右へ開いた。
意識も、武器も。
全部が右へ向く。
フィナは正面から踏み込んだ。
「え――」
剣士が異変に気づく。
だが遅い。
フィナは武器を持っていない右手を、そのまま相手の胸へ当てた。
掌底。
足元から腰、背中、肩、腕までを一つに繋ぎ、全身の回転を右掌へ集める。
螺旋。
ただし、今回は力だけではない。
フィナはその流れへ魔力も乗せた。
普段、人を治療する時。
フィナは自分の魔力を相手の身体へ馴染ませながら流し込む。
傷の位置。
相手自身の魔力の流れ。
呼吸。
身体の緊張。
それらを感じながら、拒まれないように合わせていく。
相手が強く警戒していたり、怖がっていたり、治療そのものを拒んでいたりすると、回復魔法は入りにくい。
身体だけではない。
魔力もまた、無意識に外からの干渉を拒むように固くなる。
だからフィナは考えた。
なら。
逆はどうなるのか。
相手が攻撃される場所を間違えていたら。
意識が別の方向へ向いていたら。
そもそも、その瞬間まで攻撃が来ると分かっていなかったら。
防ごうとする魔力も。
違う場所へ向く。
今。
剣士の意識は右側へ向いている。
木剣も右。
身体も右。
胸元だけが、完全に置き去りになっていた。
フィナはそこへ、螺旋に乗せた魔力を送り込んだ。
「っ――」
剣士の目が見開かれる。
掌底そのものは、それほど強くない。
胸を打った衝撃だけなら、十分に耐えられる。
だが、その直後。
体内の魔力の流れが、ぐるりと捻れた。
「……ぐ」
剣士の表情が変わる。
顔から血の気が引き、身体が僅かに揺れる。
「ぐぇぇぇ……!」
そのまま膝をついた。
「えっ」
フィナ自身も少し驚いた。
剣士は胸を押さえたまま、吐き気を堪えるように俯いている。
痛みというより。
気持ちが悪い。
身体の内側を直接かき回されたような感覚だった。
魔力をいつものように動かそうとしても、流れが噛み合わない。
「う……気持ち悪……」
「だ、大丈夫ですか!?」
フィナが思わずしゃがもうとする。
「待ってください! まだ試合中です!」
ギルド職員の声に止められた。
「あっ」
フィナが立ち止まる。
剣士は膝をついたまま木剣を持ち上げようとしたが、途中でまた地面へ手をついた。
「無理……」
「そこまで!」
職員が勝敗を宣言する。
フィナの勝ちだった。
周囲の冒険者たちから、戸惑ったような声が上がる。
「……何した?」
「胸叩いただけに見えたぞ」
「なんで吐きそうになってんだ?」
フィナはそんな声を聞きながら、自分の右手を見つめた。
「……できた」
小さく呟く。
その声は、まだ戦っているジンには届かなかった。
◇
「二人とも終わったぞ!」
魔法使いが叫ぶ。
「見れば分かる」
ジンはそう答えながら、少しずつ前へ出ていた。
「何でそんな落ち着いてんだよ!」
「まだ俺たち終わってないから」
「そうだよ!」
魔法使いが杖を構え直す。
炎。
水。
氷。
風。
すでに何度も撃っている。
そのたびにジンは避けてきた。
ただし、逃げているわけではない。
最初より。
確実に距離が近い。
炎が来れば斜めへ流れながら一歩。
風なら身体を沈めてやり過ごし、そのまま一歩。
氷なら発動前の身体の使い方から軌道を読み、必要な分だけ位置をずらして前へ進む。
魔法使いが一発撃つたび、ジンとの距離が少しずつ縮まっていく。
「来んな!」
「剣届かないからさ」
「分かってるよ!」
炎が飛ぶ。
ジンは避けながら前へ。
次は風。
身体を僅かに沈め、また前へ。
「来んなって!」
「それは無理」
「だったら!」
魔法使いが杖を振る。
氷。
ジンはすでに軌道を読んでいた。
右へほんの少しだけ位置をずらす。
氷塊が左肩の横を通り抜ける。
もう近い。
あと少しで剣が届く。
魔法使いの顔に、はっきり焦りが浮かんだ。
ジンはその変化を見る。
次に何をする。
炎ではない。
水でもない。
構えが変わった。
肩が僅かに下がり。
杖を握る力が抜ける。
「?」
ジンが僅かに眉を動かした。
次の瞬間。
魔法使いが杖を捨てた。
「え」
「かかったな!」
一気に踏み込んでくる。
同時に、全身へ魔力が走った。
身体強化。
「おっ」
ジンも反応したが、距離が近い。
魔法使いはそのまま両腕を伸ばし、ジンの首と後頭部を抱え込んだ。
「捕まえた!」
腕が首の後ろへ回り、そのまま頭を下へ押し込む。
ジンの上体が前へ折れた。
首相撲。
しかも、身体強化込み。
ジンもすぐに腕を差し込んで姿勢を作ろうとしたが、単純な力では明らかに向こうが上だった。
「どうだ!」
魔法使いが笑う。
「まさか魔法役が近接戦を仕掛けるとは思わなかっただろう!」
「……これは」
ジンが一度、抜けようと力を掛けてみる。
だが、首を押さえ込む力は強く、簡単には外れない。
「魔法を読めても関係ねえ!」
右手にはまだ木剣がある。
しかし、近すぎる。
この距離では振れない。
「剣も使えねえ!」
「うん」
「お前には魔法もない!」
「うん」
「その状態で何ができる!」
魔法使いがさらに力を込める。
互いに頭を下げた状態で密着し、顔の距離も近い。
ジンはそのまま少しだけ考えた。
そして。
右手の木剣を離した。
カラン。
地面へ落ちる。
「諦めたか!」
「いや」
ジンの右手が上がる。
握った拳を、魔法使いの左顎。
頬の下へ。
押し当てる。
「……は?」
魔法使いが笑う。
「何だその手は!」
拳は動かない。
腕を引く余裕もない。
もちろん、振ることもできない。
「殴るつもりか?」
「うん」
「その距離で!?」
ジンは拳を当てたまま、右肘の位置を少しだけ下げる。
「魔法も使えない!」
魔法使いが叫ぶ。
「剣も捨てた!」
その間に、ジンの右足が地面を捉えた。
「その腕だって振れねえ!」
「うん」
ジンは短く答える。
「だから」
右膝が一気に上がった。
狙ったのは相手ではない。
自分の右肘。
ドッ。
膝が肘を打つ。
その衝撃が肘から前腕へ。
前腕から拳へ。
すでに相手の顎へ触れていた拳が、そのまま短く跳ねた。
「――っ」
魔法使いの顎が横へ揺れる。
一瞬。
目の焦点が外れた。
首を抱えていた腕から力が抜け、同時に身体強化も途切れる。
ジンはその隙に首を抜いた。
魔法使いは一歩だけ後ろへ下がる。
何が起きたのか分からない。
そんな顔のまま、そのまま膝が落ち、前へ倒れた。
ドサッ。
訓練場が静かになった。
割れた盾の横から、アインが見ている。
フィナも、膝をついた剣士の近くから呆気に取られたように見ていた。
周囲の冒険者たちも、すぐには声が出ない。
ジンは地面へ落とした木剣を拾い、軽く肩を回した。
「……よし」
そこでようやくギルド職員が我に返る。
「そ、そこまで!」
声が訓練場へ響いた。
「勝者――羅針盤!」
その瞬間、止まっていた空気が一気に戻った。
「最後の何だ!?」
「自分の腕蹴ったぞ!」
「盾割れてるんだけど!」
「回復役が何か変なことしてたぞ!」
「誰が一番おかしいんだよ!」
周囲から好き勝手な声が飛び交う。
そんな中。
アインがゆっくりジンへ近づいた。
「おい」
「何?」
「最後の」
「うん」
「何した?」
ジンは少し考える。
「膝蹴り」
「相手に当たってねえだろ!」
「当てたよ」
「どこにだよ!」
「俺の肘」
「だからそれを聞いてんだよ!」
その隣では、フィナもまだ自分の右手を見ている。
アインの後ろには真っ二つになった盾。
フィナの近くには、今も少し気持ち悪そうに座り込んでいる剣士。
そしてジンの前には、顎を打たれて倒れた魔法使い。
三人とも、この一戦でそれぞれ違うものを試していた。
どうやら、話さなければならないことはかなり多そうだった。




