第58話 腕試し
王都から正式な返答を待つことになってから、二日が経った。
その間、ジンたちに新しい連絡はなく、北の森へ入ることも止められたままだった。
だからといって、三人とも宿でじっとしていたわけではない。
昼を少し過ぎた頃、ジンたちは冒険者ギルドの裏手にある訓練場へ来ていた。
普段なら依頼へ出ている者が多い時間帯だったが、この日は思ったより人が残っている。端では新人らしい二人組が木剣を打ち合わせ、その隣では革鎧を着た男が一人で槍を振っている。壁際にも何人かの冒険者が座り込み、休憩しながら他人の訓練を眺めていた。
その中央付近で、アインが木剣を片手に肩を回す。
「今日は普通にやるからな」
「普通って?」
「お前が変なこと始めないって意味だよ」
「何もしてないけど」
「昨日、返し牙をどうやったら途中から別の技に変えられるか聞いてきただろ」
「聞いただけ」
「その後、ずっと俺の腕見てただろ」
「見てただけ」
「それが嫌なんだよ!」
アインが木剣を向けると、ジンは少しだけ首を傾げた。
「でも、昨日よりいい方法思いついた」
「聞かねえからな」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かる」
「それ、俺と同じことしてない?」
「一緒にすんな」
二人のやり取りを少し離れた場所で聞いていたフィナが、小さく笑いながら杖を持ち直した。
「今日はアインさんとジンさんだけじゃなくて、三人で動く練習をするんですよね?」
「ああ。最近、一対一ばっかりだったからな」
アインが答えながら訓練場を見回す。
「実戦じゃ相手が一人ずつ順番に来てくれるわけじゃねえ。三人で動くなら、そろそろその辺も合わせといた方がいい」
「じゃあ俺、二人相手?」
「なんでそうなる」
「三人で動く練習なら」
「お前一人対俺たち二人じゃパーティ戦にならねえだろ」
「でも面白そう」
「後で一人でやってろ」
「一人じゃできないよ」
「そういう意味じゃねえ!」
いつもの調子で言い合いながら、三人は訓練場の空いている場所へ向かおうとした。
だが、その途中で壁際にいた数人の冒険者から視線を向けられていることにフィナが気づいた。
「……なんか見られてません?」
「最近ずっとだろ」
アインは慣れた様子で答えた。
魔王軍との戦いが終わってからというもの、街の中で声をかけられることが増えている。
特にジンは目立つ。
北門前でグレドと直接立ち会ったことが広まっているうえ、話が人から人へ伝わるうちに内容も少しずつ変わっていた。
最初は「魔族の将を一歩下がらせた」だったはずが、いつの間にか「四天王級の魔族を倒した」になり、場所によっては「一人で魔王軍を追い返した」とまで言われているらしい。
ジン自身は、
「増えてない?」
程度にしか思っていなかったが、アインはそのたびに訂正するのを半分諦め始めていた。
そんな三人の前へ、壁際にいた男の一人が立ち上がった。
年齢は三十前後だろうか。背はアインより少し低い程度だが、身体つきはかなり厚い。訓練場にいるにもかかわらず大きな盾を持っており、腰には木剣が差してある。
その後ろから、さらに二人が続いた。
一人は細身の男で、長めの杖を片手に持っている。もう一人は剣士らしく、腰に一本の木剣を下げていた。
三人とも装備は使い込まれており、新人には見えない。
アインが僅かに目を細める。
「何か用か?」
「羅針盤だよな?」
盾を持った男が尋ねた。
「そうだけど」
ジンが普通に答える。
男はジンの顔を見たあと、その腰に差している訓練用の木剣へ目を落とした。
「お前がジンか」
「うん」
「グレドを倒したって?」
「倒してないよ」
即答だった。
男が少し眉を上げる。
「違うのか?」
「条件付きの立ち合いで勝っただけ。あと、その後もう一回やった」
「それで?」
「もう一回も一応勝った」
「勝ってんじゃねぇっスか」
後ろにいた剣士が思わず口を挟む。
ジンは少し考えた。
「でも倒してはいない」
「細けえな……」
盾の男は呆れたように息を吐いたものの、すぐに口元を僅かに上げた。
「まあいい。噂がどこまで本当か確かめたかっただけだ」
「確かめる?」
「ああ」
男は肩に掛けていた盾を下ろし、地面へ軽く立てた。
「俺たちと闘ろうぜ?」
その言葉に、近くにいた冒険者たちが反応した。
木剣を振っていた新人たちまで動きを止める。
アインが相手の三人を順番に見る。
「模擬戦か?」
「それ以外に何がある」
「急だな」
「前から気にはなってたんだよ。最近、どこへ行っても羅針盤の話を聞くからな」
盾の男がそう言うと、後ろの魔法使いも杖を肩へ乗せた。
「特にそいつだ」
杖の先がジンへ向く。
「魔力がないのに魔族の将とやり合ったっていう話だろ? 正直、俺はまだ半分も信じてない」
「別に信じなくてもいいけど」
「そういうところが気に入らねえ」
「どこ?」
「興味なさそうなところだよ!」
少し声を荒げた魔法使いを見て、フィナが小声でアインへ尋ねる。
「怒ってます?」
「多分な」
「ジンさん何かしました?」
「何もしてねえから余計腹立つんだろ」
「難しいですね」
そんな二人の会話が聞こえたのか、魔法使いの眉間にさらに皺が寄った。
「別に喧嘩売りに来たわけじゃねえぞ」
「そう見えますけど」
フィナが素直に答える。
「……腕試しだ」
言い直した。
盾の男も苦笑してから続ける。
「こっちもベルクじゃそれなりに長くやってる。最近名前が出始めた連中がどのくらいなのか、一度やってみたいだけだ」
アインはまだ少し警戒したままだったが、ジンはもう相手の三人を観察していた。
盾。
剣。
杖。
それぞれ役割がはっきりしている。
「三対三?」
「ああ」
「やろう」
「即答すんな!」
アインが横からジンの肩を叩く。
「まだ何も決めてねえだろ!」
「三対三って言った」
「人数しか決まってねえよ!」
だが、ジンはすでに少し楽しそうだった。
それを見た盾の男が笑う。
「お前、本当に戦うの好きなんだな」
「別に戦うのが好きなわけじゃないよ」
「その顔で言うか?」
「試したいだけ」
「何を?」
「色々」
今度はアインが嫌そうな顔をする。
「その『色々』が一番危ねえんだよな……」
話を聞きつけた周囲の冒険者たちが少しずつ集まり始めたところで、訓練場を管理していたギルド職員も近づいてきた。
「何の騒ぎです?」
「模擬戦やりたいんだが」
盾の男が答える。
「三対三で」
職員は両方の顔を確認してから、羅針盤を見て僅かに表情を変えた。
「……あなたたちですか」
「何その反応」
ジンが尋ねる。
「最近、訓練場で話題になることが多いので」
「悪い方?」
「半々ですね」
「半分悪いんだ」
「主にアインさんの怒鳴り声です」
「俺かよ!」
周囲から笑い声が上がる。
職員は少しだけ表情を緩めたあと、中央の訓練区画へ視線を向けた。
「空いているので使って構いません。ただし、通常の模擬戦規則でお願いします」
「どんなの?」
ジンが聞く。
「急所への強打は禁止。刃のある武器は使用不可。魔法は使って構いませんが、相手へ重傷を負わせる威力のものは禁止です。戦闘不能、降参、あるいはこちらで危険と判断した時点で止めます」
「道具は?」
アインが尋ねた。
「危険物でなければ。ただし、事前にこちらで確認します」
「分かった」
アインは何かを考えるように腰の小袋へ手を触れたが、それ以上は言わなかった。
相手側も規則を了承すると、それぞれ準備を始める。
盾を持った男は訓練用の大盾を選び直し、腰の木剣を抜いて軽く振った。
剣士は最初から持っていた木剣だけ。
魔法使いは杖をそのまま使うようだった。
フィナが三人を見ながら尋ねる。
「誰が誰と戦う感じになるんでしょう?」
「パーティ戦なんだから決まってねえだろ」
アインが答える。
「始まったら、その場で変わる」
「ですよね」
そう言いながらも、フィナの視線は相手の剣士へ向いていた。
向こうもこちらを見ている。
その剣士は一度フィナの杖を確認してから、僅かに肩の力を抜いた。
それを見て、フィナが小さく首を傾げる。
「……今、少し安心されませんでした?」
「回復役だと思ってんだろ」
アインが答える。
「回復役ですけど」
「まあな」
その隣では、盾の男がアインを見ていた。
「お前がアインか」
「そうだ」
「ワイヤー使うって聞いたぞ」
「使う時はな」
アインは短い木剣を一本取り、軽く握り具合を確かめた。
「今日は使わねえ」
「いいのか?」
「ああ」
盾の男が大盾を持ち上げる。
「なら、その短いのでこれをどうするつもりだ?」
アインは盾を見た。
厚みのある木板に補強が入った訓練用の大盾。
真正面から短剣で打ったところで、どうにもならない。
しばらく眺めたあと、アインが口を開く。
「ぶっ壊す」
少し離れた場所で魔法使いを見ていたジンの顔が、ぴくりと動いた。
「おっ?」
「こっち見んな!」
「いや、今ちょっと気になること言ったから」
「自分の相手見てろ!」
「分かってる」
そう答えながらも、ジンは一度だけアインの方を振り返った。
本当に壊す気なのか。
少しだけ気になる。
だが、その正面では杖を持った魔法使いがすでに立っていた。
「余裕だな」
「そうでもないよ」
「じゃあ、こっち見ろ」
「見てる」
「今、完全に横向いてただろ!」
「視野には入ってた」
「腹立つな、お前!」
魔法使いが杖を構える。
それを見た瞬間。
ジンの視線が変わった。
杖だけではない。
肩。
肘。
胸。
腰。
足の置き方。
呼吸。
身体全体を一つの視野へ入れる。
まだ魔法は発動していない。
魔力が目に見える形になったわけでもない。
それでもジンは少しだけ首を傾げた。
「炎使いか」
魔法使いの動きが止まった。
「……は?」
「炎でしょ?」
「まだ何もしてねえぞ」
「うん」
「何で分かる?」
ジンは当然のように答えた。
「だって、そういう身体の使い方してるから」
一瞬。
訓練場が静かになった。
周囲で見ていた冒険者の一人が呟く。
「……身体の使い方で属性って分かるのか?」
すぐ隣から声が返った。
「いや、分かんねえだろ」
「だよな?」
「普通はな」
魔法使いの眉が引きつる。
「適当言ってんじゃねえぞ」
「いや」
ジンは相手の構えを見たまま、少し楽しそうに言った。
「分かるんだよな。むしろ結構分かりやすい」
「……こいつ」
杖を握る手に力が入る。
ギルド職員が中央へ出て、両パーティの間を確認した。
「それでは、準備はよろしいですね?」
三人ずつ。
互いに距離を取る。
羅針盤側はジンが木剣、アインが短い木剣、フィナがいつもの杖。
向こうは魔法使い、盾と剣を持つ前衛、そして木剣を構えた剣士。
最初から一対一で終わる保証などない。
誰かが横へ動けば、すぐに六人が入り乱れる。
それでも。
開始前から、自然と視線は分かれていた。
ジンと魔法使い。
アインと盾持ち。
フィナと剣士。
「始め!」
合図と同時に。
三組が、一斉に動いた。




