第54話 消えた魔力
遺跡から伸びた光は、すぐには消えなかった。
石造りの建物から地面へ続いた細い線は、草の隙間や土に埋もれた石の表面を伝いながらいくつもの方向へ分かれ、そのまま木々の向こうまで伸びている。
先ほどまでなら、森の中に建っている小さな遺跡にしか見えなかった。
だが今は、その見え方が違っていた。
目の前にある建物だけではなく、地中に隠れていたもっと大きな何かの一部が、光によって一時的に浮かび上がっているようにも見える。
「……これ、どこまで続いてるんだ?」
アインが木々の奥へ目を凝らす。
「分からない」
ジンも同じ方向へ視線を向けた。
追えば確かめられるかもしれない。
光がどこへ続いているのか。
別の遺跡へ繋がっているのか。
それとも、まったく別の何かなのか。
気にはなる。
だが今は、意識を失っていた冒険者を連れているうえ、目の前の遺跡で何が起きたのかさえ分かっていない。
四人は消え。
一人は魔力をほとんど失って倒れていた。
そんな状態で、さらに森の奥へ向かうべきではなかった。
「消えます」
フィナの声に、二人も地面へ目を戻した。
森の奥へ続いていた光が、遠い方から少しずつ弱くなっている。
木々の間を走っていた線が消え。
地面の光も薄れ。
最後には遺跡の外壁に残っていたものまで静かに消えていった。
数十秒もすると、そこに残ったのは元の薄暗い森だけだった。
ジンは光が消えた地面をしばらく見つめていたが、何か新しいものが浮かび上がることもない。
「何か分かったか?」
アインが尋ねる。
「いや」
「珍しいな。ずっと見てたから、また何か言い出すと思った」
「情報が少なすぎる」
「そういう時もあるんだな」
「俺を何だと思ってる?」
「気になったら、何でも調べ始める奴」
「だいたい合ってる」
アインが小さく笑った。
その横で、フィナだけはまだ遺跡を見ていた。
「私、もう一度だけ中を確認してもいいですか?」
「大丈夫?」
ジンが尋ねる。
「中へは入りません。入口から確認するだけです」
三人は再び遺跡へ近づいた。
石の扉は開いたままで、その向こうには先ほどと変わらない狭い石造りの部屋が見えている。床も壁もすでに光を失い、奥の装置も完全に沈黙していた。
フィナは入口の手前で足を止めると、しばらく何も言わずに内部へ意識を向けた。
「どう?」
ジンが尋ねる。
「……薄いです」
「魔力?」
「はい」
フィナは眉を寄せたまま、入口の外と中を何度か見比べる。
「さっきより、さらに薄くなっています」
「遺跡の中の魔力が減った?」
「そうだと思います。ただ……少し変なんです」
「何が?」
フィナはすぐには答えず、確認するようにもう一度中へ意識を向けてから口を開いた。
「魔法を使った後とは違います」
ジンが首を傾げる。
「どう違うの?」
「魔法を使えば、術者の中にある魔力が減ります。周囲の魔力を使う場合もありますけど、使われたあとには少しずつ周りから補われていきますよね」
「前に言ってた、戻りが遅くなってるってやつ?」
「はい。今は土地そのものの魔力が薄くなっているので、以前より回復も遅くなっています」
フィナはそう説明しながら、遺跡の内側へ視線を戻した。
「でも、ここはそれとも少し違います。周囲から魔力が戻ってきている感じがしません」
「入ってきてない?」
「正確には分かりません。ただ、外より中の方が明らかに薄いんです」
アインも入口と外を見比べた。
「こんな小さい建物なのに?」
「だから変なんです。普通なら、壁一枚を隔てたくらいでここまではっきり差が出るとは思えません」
ジンも遺跡を見る。
「中にある何かが使った?」
「可能性はあります」
「さっき光った時に?」
「多分」
「じゃあ、あの光を出すために魔力を使ったとか」
「それなら、遺跡の中が薄くなったこと自体は説明できます」
そこでフィナの声が少し止まった。
「でも?」
ジンが続きを促す。
「それだけなら、あの人の魔力までほとんどなくなっている理由が分かりません」
三人の視線が、少し離れた木のそばで休んでいる男へ向いた。
◇
「俺の魔力が?」
事情を聞いた男は、自分の胸元へ目を落とした。
「ほとんど残っていません」
フィナが答える。
「身体強化を使いすぎた可能性も考えました。でも、最後に戦ったのはいつですか?」
「ここへ来る前だ」
「どれくらい使いました?」
「普通だ。魔物が二体出てきたから、少し強化した程度で……」
「それなら、ここまで減るとは思えません」
男の表情が強張った。
「じゃあ……」
フィナは答えなかった。
まだ理由が分かったわけではない。
そこでジンが、先ほどから頭に引っかかっていたことを口にした。
「遺跡に入ったあとに減った?」
「……」
男がジンを見る。
「倒れる直前、何か感じなかった?」
「何かって?」
「身体から力が抜けたって言ってたよね。その時、何かが身体の外へ出ていくような感じとか」
男はすぐには答えず、目を閉じた。
しばらく記憶を辿るように黙り込んだあと、自分の腕を擦りながらゆっくり口を開く。
「……寒かった」
「寒かった?」
「ああ」
「遺跡の中が?」
「違う」
男は首を振った。
「身体の中が急に冷たくなった。気温が下がったとか、そういう感じじゃない。中から何か抜けていくみたいに寒くなって、そのあと一気に力が入らなくなった」
フィナの表情が変わる。
「他の四人もですか?」
「多分な。そんな余裕はなかったけど、一人が先に倒れて、そいつを助けようとした奴もすぐ膝をついた。俺も剣を持ってるのがきつくなって……」
「その時、床は?」
「ああ。光ってた」
「奥の装置も?」
「光ってたと思う」
ジンは黙ったまま、遺跡へ視線を向けた。
床が光った。
装置も動いた。
五人はほぼ同時に力を失い、そのうち一人の身体からは魔力がほとんどなくなっている。
そして残り四人は、今も姿がない。
繋がっているようには見える。
だが。
まだ決めるには早い。
「……戻ろう」
アインが言った。
ジンが顔を上げる。
「街に?」
「ああ」
「でも、残り四人が」
「だからだ」
アインの声はいつもより強かった。
「俺たちだけで調べる範囲を超えてる。何が起きるか分からない場所で四人消えて、一人は魔力をほとんど失って倒れてたんだぞ」
ジンは遺跡を見る。
「もう少しだけ調べれば――」
「駄目だ」
「まだ何も分かってない」
「だから駄目なんだよ」
アインはすぐに言い返した。
「何も分からない場所に、分からないまま残る理由にはならねえ」
「……」
「それに」
アインは木にもたれている男へ目を向けた。
「生きてる一人を街へ連れて帰る方が先だ。こいつまで死なせたら、何しに来たのか分からなくなる」
そこまで言われると、ジンにも返す言葉はなかった。
「……そうだね」
「珍しく素直だな」
「でも、場所は覚えた」
「お前、絶対また来る気だろ」
「正式に調査隊が組まれたらね」
「一人で来るなよ」
「分かってる」
「その間は?」
ジンは少し考えた。
「……努力する」
「信用できねえ」
フィナが横で小さく笑った。
◇
帰る準備を始めることになった。
男はまだ一人で長距離を歩ける状態ではないため、近くの枝と外套を使って簡単な担架を作る。
アインが使えそうな木を切り出し、ジンが長さを揃えている間も、フィナは男の状態を確認しながら時折遺跡へ視線を向けていた。
「そんなに気になりますか?」
フィナに聞かれ、ジンは枝を結びながら頷いた。
「うん」
「ですよね」
「フィナも?」
「気にはなります」
フィナはそこで少しだけ声を落とした。
「でも、私は少し怖いです」
「遺跡が?」
「はい」
フィナは木々の間に佇む小さな建物へ目を向ける。
「魔力が薄くなっているだけなら、まだ自然に起きている異変なのかもしれないと思っていました。でも、もしあの人の魔力が遺跡の中で失われたのなら……」
そこで言葉が止まった。
続きは言わなくても分かる。
自然に減ったのではないなら。
何かが減らした可能性がある。
だが、それが遺跡なのか。
奥の装置なのか。
それとも別の何かなのか。
今はまだ分からない。
「ジンさん」
「ん?」
「一つだけ約束してください」
「何?」
「一人でここへ調べに来ないでください」
「アインにも言われた」
「では二人分です」
「二人分?」
「破ったら二人に怒られます」
「それは嫌だな」
「なら守ってください」
「分かった」
ジンが答えると、フィナはしばらくその顔を見ていた。
「……多分は?」
「言ってないよ」
「今、言いそうな顔をしていました」
「顔で分かるの?」
「最近は少し」
「怖いな」
「ジンさんほどではありません」
「俺、そんなに怖い?」
「そういう意味ではないです」
フィナが小さく笑った。
その時。
「……待ってくれ」
男が何かを思い出したように腰へ手を伸ばした。
三人が作業を止める。
「どうした?」
「魔石を持ってた」
「魔石?」
ジンが聞き返すと、男は腰に下げていた小さな革袋を外した。
「ああ。遠征用の予備だ。出発前にギルドで補充したばかりで、三つ入れてた」
袋の口を開き、手のひらへ中身を落とす。
三つの小さな結晶が転がった。
薄く濁った色をしており、見た目だけなら特別なものには見えない。
「これが魔石?」
「ああ」
ジンが覗き込む。
「何に使うの?」
「魔力を入れておけるんだよ。魔導具の予備にも使えるし、扱える奴なら自分の魔力を補うのにも使える」
「そんな便利なものあるんだ」
「ずっと取っておけるわけじゃないけどな。放っておけば、中の魔力は少しずつ抜けていく」
「抜けた魔力はどうなるの?」
男は少し考える。
「その辺に戻るんじゃないか? 俺は詳しくない」
「そうです」
フィナが補足した。
「魔石は魔力を一時的に留めておくことはできますけど、完全に閉じ込め続けることはできません。時間が経てば、少しずつ周囲へ放出されます」
「なるほど」
ジンは三つの魔石を見る。
「魔力の水筒みたいなものか」
「水筒ほど長くは保ちませんけど」
「じゃあ穴の空いた水筒」
「それ、水筒として駄目だろ」
アインが横から口を挟む。
「でも近いでしょ」
「言いたいことは分かるけどな」
そんな二人のやり取りを聞きながら、男は手のひらへ目を落としていた。
そして。
その表情が変わった。
「……おかしい」
声が低くなる。
「何が?」
「空だ」
男は一つを摘まみ上げ、確かめるように指先で転がした。
「三つとも?」
アインが尋ねる。
「ああ」
「使ったんじゃないのか?」
「使ってない。出発前に補充したばかりだって言っただろ」
フィナが男から一つ受け取り、指先で確かめる。
そのまま残りの二つも確認すると、次第に表情が曇っていった。
「……本当に残っていません」
「時間が経って抜けたとか?」
ジンが尋ねる。
「それはありません」
フィナはすぐに首を振った。
「自然に抜けるのはもっとゆっくりです。出発前に補充したものなら、こんな短期間で三つとも空になることはありません」
「じゃあ、遺跡の中で使われた?」
「分かりません。ただ……」
フィナは三つの魔石を手のひらに乗せたまま、周囲へ意識を向ける。
「もし自然に抜けただけなら、その魔力は周囲へ戻っているはずなんです」
ジンも反射的に周りを見る。
当然、魔力そのものは見えない。
「でも、ここにはない?」
「少なくとも、そうは感じません」
フィナは遺跡へ目を向けた。
「この辺りの魔力は、薄いままです」
三人の視線が。
もう一度。
手のひらにある三つの魔石へ集まった。
男の中から。
魔力がほとんどなくなっている。
補充したばかりだった三つの魔石も。
すべて空になっている。
そのうえ。
同じ場所にいた四人の冒険者は、姿そのものが消えていた。
「……なくなったもの、多いな」
ジンが呟いた。
アインの表情も険しくなる。
「ああ」
「偶然かな」
「そう思うか?」
「思わない」
ジンは即答した。
ただ。
だからといって。
遺跡が魔力を奪った。
そう決めることもできない。
今あるのは、結果だけだ。
男の魔力が失われている。
魔石の魔力も失われている。
四人が消えている。
そして。
その全てが。
この遺跡に入ったあとで起きた。
そこまでは分かる。
だが。
何が。
どうして。
何のために。
そうなったのか。
まだ何一つ分かっていない。
「……帰ろう」
今度はジンから言った。
アインが少し意外そうに見る。
「いいのか?」
「うん」
ジンは遺跡へ目を向けた。
「分からないものを、分かったことにはできないから」
一度。
今分かっていることを持ち帰る。
それから。
調べる。
「ギルドに戻ったら、全部報告しよう」
「ああ」
「魔石のこともですね」
フィナも頷いた。
男も手のひらに残った空の魔石を見ながら、ゆっくり息を吐いた。
◇
担架が完成すると、ジンとアインが前後を持ち、フィナが周囲を警戒しながら帰路についた。
森の中へ入るにつれ、遺跡の姿は少しずつ木々に隠れ、やがて完全に見えなくなる。
それでもジンの頭からは、さっきまで見ていたものが離れなかった。
建物の外へ伸びていた光。
黒い板に浮かんだ、点と線。
身体の中が冷たくなったという男。
ほとんど失われていた魔力。
そして、補充したばかりなのに空になっていた三つの魔石。
今はまだ、一つの答えへ繋げるには足りない。
だから。
まずは持ち帰る。
記録を調べる。
似た遺跡がないか。
同じように魔力を失った者がいないか。
そして、必要なら。
また戻ってくる。
「ジン」
「ん?」
「前見ろ」
「見てるよ」
「嘘つけ。完全に考え込んでただろ」
「大丈夫」
そう答えた直後。
足先が木の根に引っかかった。
「うわっ」
担架が傾く。
「おい!」
「ごめん!」
「大丈夫ですか!?」
フィナが慌てて駆け寄る。
担架の上で眠りかけていた男まで目を開けた。
「……何だ?」
「何でもない」
「こいつが転びかけた」
「言わなくていいだろ」
「人運んでる時くらい前見ろ!」
「はい」
フィナが笑いを堪えている。
ジンは少しだけ気まずそうに、今度こそ前を見る。
歩く。
足元を見る。
担架を揺らさない。
今はそれだけに集中する。
そう決めたはずなのに。
頭の片隅には。
やはり。
森の中に残してきたあの小さな遺跡があった。
四人はどこへ消えたのか。
男と魔石から失われた魔力は、どこへ行ったのか。
そして。
あの光は。
何と何を繋いでいたのか。
答えはまだない。
ただ、今回見つけたものが。
これまで各地で起きていた異変と無関係ではない。
そんな予感だけが。
ジンの中に残り続けていた。




