第51話 森の奥の光
翌朝。
ジンは宿の食堂で朝食を食べながら、向かいに座るアインをじっと見ていた。
「何だよ」
「いや」
「言いたいことあるなら言え」
「昨日のタスクボア、大丈夫だったかなって」
「その話は終わった」
アインはパンをちぎりながら即答した。
「でも――」
「終わった」
「森まで――」
「終わった!」
隣ではフィナが笑いを堪えている。
「フィナも気になるよね?」
「気にはなりますけど」
「ほら」
「でも、確認しに行くのはやめましょう」
「なんで?」
「昨日、私たちは軍の食料を逃がしたんですよ」
「そうだった」
「今さら気づいたのかよ!」
アインが声を抑えながら身を乗り出した。
「いいか。今日から俺たちは何も知らない。軍用区画にタスクボアがいたことも知らないし、逃げたことも知らない」
「でも昨日見たよ」
「そういう意味じゃねえ!」
「ジンさん」
フィナが苦笑しながら口を挟む。
「多分、アインさんは忘れたことにしようと言ってるんだと思います」
「そう言ってんだよ!」
「なるほど」
「なんでフィナを挟むと通じるんだ……」
アインが疲れたように息を吐いた。
昨日は結局、軍用区画から逃げたあと、そのまま何食わぬ顔で宿へ戻った。兵士が追ってくることもなければ、ギルドから呼び出されることもなく、少なくとも今のところ三人が疑われている様子はない。
ならば。
余計なことはしない。
それがアインの出した結論だった。
「それより」
アインが改めてジンを見る。
「今日はもう休息日じゃねえからな」
「うん」
「嬉しそうだな」
「動いていいんだろ?」
「昨日も十分動いただろ」
「買い物とタスクボア逃がしただけじゃん」
「後半がおかしいんだよ」
フィナが笑いながら飲み物へ口をつける。
「でも、今日はどうするんですか?」
「ギルドに行く」
アインが答えた。
「昨日の話なら、何か情報が集まってるかもしれない」
北へ向かった冒険者。
南へ向かった部隊。
魔力が薄くなっている土地。
そして、境界を越えたという正体不明の調査隊。
休めと言われた一日は終わった。
ここからは、次にどこへ向かうのかを決める必要がある。
「じゃあ食べたら行こう」
ジンがそう言いながら腰を浮かせかける。
「まだ朝飯残ってるからな」
「分かってる」
「食いながら立つな」
ジンは大人しく座り直し、残っていたパンを口へ運んだ。
◇
ギルドへ入ると、昨日とは違う意味で騒がしかった。
「だから本当にでけえんだって!」
「柵をぶっ壊したんだぞ!」
「杭まで抜けてたって話だ!」
入口近くの卓を囲んだ冒険者たちが、朝から何やら盛り上がっている。
ジンが足を止めた。
「……」
すぐにアインが背中を押す。
「行くぞ」
「今、タスクボアって」
「聞こえなかった」
「でも」
「聞こえなかった」
隣を見ると、フィナまで妙に真っ直ぐ前だけを見ている。
「フィナ」
「何も聞こえてません」
「まだ何も言ってないけど」
「行きますよ」
三人は不自然なほど前だけを見ながら、そのまま受付へ向かった。
受付の女性がこちらに気づく。
「あ、羅針盤の皆さん」
「おはようございます」
「おはようございます。昨日はちゃんと休めましたか?」
「……」
「……」
「……」
三人が揃って黙った。
「……?」
「休みました」
アインが代表して答える。
「まあ、それならよかったです」
「はい」
これ以上聞かれる前に、アインは即座に話題を変えた。
「ギルド長います?」
「いらっしゃいますよ。皆さんが来たら呼ぶように言われています」
三人は顔を見合わせる。
「何か分かったのかな」
「多分な」
受付の女性は一度奥へ入り、少しすると戻ってきた。
「どうぞ。お待ちです」
◇
三人が通されたのは、昨日も話し合いに使ったギルド奥の部屋だった。
机の上には何枚もの紙と地図が広げられており、その前ではルーセルが資料へ目を通している。
「来たか」
「何か分かりました?」
席へ着くより先にアインが尋ねる。
「ああ。まだ断定はできんが、一つ手掛かりが見つかった」
三人は自然と机の周りへ集まった。
ルーセルは資料の中から一枚の紙を取り上げる。
「まず、南へ向かった部隊についてだ。最後の連絡地点から南西にある村へ確認を取った」
「見た人がいた?」
「いや。部隊そのものを見た者はいない」
ジンが首を傾げる。
「じゃあ手掛かりって?」
「別のものだ」
ルーセルは机の上に地図を広げ直し、ベルクの南西にある一点へ指を置いた。
「この辺りには小さな村がいくつかある。昨日、それぞれに使いを出して、最近何か異変がなかったか聞き取りをさせた」
「魔物ですか?」
フィナが尋ねる。
「それもだ。だが、一つの村から妙な報告があった」
ルーセルの指が少し西へ動く。
「数日前、村の近くを大勢の人間が通ったらしい」
「軍?」
「違う。少なくとも村人にはそう見えなかった」
「冒険者?」
「それも分からん」
ルーセルは手元の紙へ一度目を落とした。
「十数人ほど。全員ある程度の装備はしていたそうだが、魔物討伐へ向かう冒険者にしては荷物が多かったらしい」
「荷物?」
「ああ。木箱や測量器具らしきものを積んだ荷車を、数台連れていたそうだ」
その言葉に、アインの表情が変わった。
「調査隊……?」
「可能性はある」
ルーセルが頷く。
「ただし、グレドの言っていた調査隊と同じものかは分からん」
「どっちへ向かったんですか?」
「北西だ」
フィナが地図へ視線を落とす。
「北西……」
「そのまま進めば森へ入る」
ジンも身を乗り出して地図を覗き込んだ。
「俺たちが魔族と会った辺り?」
「近い」
その答えに、三人の表情から笑みが消えた。
南西の森。
周囲の魔力が薄くなっていた場所。
灰色の肌を持つ女魔族と出会い。
そこで。
土地が死に始めている。
奪われている。
そう聞いた。
その近くへ、正体の分からない十数人の集団が大量の荷物と測量器具を持って向かっていた。
「南へ行った部隊は、その人たちを追った可能性は?」
ジンが尋ねる。
「分からん。そもそも部隊が、その集団の存在を認識していたかどうかも確認できていない」
「でも」
アインは地図を見たまま言う。
「調べる価値はあるな」
「ああ」
ルーセルは別の紙を手に取った。
「そして、もう一つ」
今度は地図の反対側へ指を移す。
「こちらは北だ」
三人の視線も、その指を追う。
「消息を絶った冒険者たちについて、最後に彼らを見た者が見つかった」
「どこで?」
「北の森へ入る手前だ」
「それなら予定通りじゃない?」
ジンが言う。
「そこまではな」
ルーセルは続ける。
「問題は、その時に彼らが話していた内容だ」
三人が黙って続きを待った。
「森の奥で、妙な光を見たと言っていたらしい」
「光?」
「ああ。夜になると、森のさらに奥で何かが光っている。そう話していたそうだ」
「魔法ですか?」
フィナが尋ねる。
「分からん。ただ、彼らはそれを確認しに行くつもりだったらしい」
「予定してた調査範囲より奥へ?」
「そういうことになる」
アインが腕を組んだ。
「それで戻ってない」
「ああ」
部屋が静かになった。
北。
南西。
二つの方向に、新しい手掛かりが出てきた。
南西では、調査隊らしき正体不明の集団。
北では、消息を絶った冒険者たちが追っていた謎の光。
どちらも気になる。
だが。
同時に二つを追うことはできない。
「どっちから調べる?」
ジンが尋ねる。
「待て」
アインが即座に止めた。
「なんで?」
「お前、もう俺たちが行く前提になってるだろ」
「違うの?」
「違わねえけど、一応ルーセルの話を最後まで聞け」
「違わないんじゃん」
「いいから黙ってろ」
そんな二人を見て、ルーセルが小さく笑った。
「お前たちに頼もうと思っていたのは事実だ」
「ほら」
「ジン」
「はい」
「ただし、両方ではない」
ルーセルは北側へ指を置いた。
「まずはこちらだ」
「北?」
「ああ。南西については、軍から別の調査員を出すことになっている。消息を絶った部隊の捜索も兼ねるそうだ」
「じゃあ、俺たちは北の冒険者を探す?」
「そうしてほしい」
ルーセルの指が、北の森の入口から少し奥へ進む。
「本来、彼らが調査する予定だった範囲はここまでだ。まずはそこへ向かい、痕跡を探せ。もし奥へ進んだ形跡が見つかったとしても、無理に追う必要はない」
「なんで?」
「その先は境界に近づく」
「……」
ジンは黙った。
グレドの言葉を思い出す。
人間と魔族の双方が、立ち入らないと決めていた土地。
そこへ人間の調査隊が入った。
それが今回、グレドたちがベルク近くまで進軍してきた理由の一つでもある。
「勝手に越えたら、またグレドが来るかもしれないってことか」
「グレドで済めばいいがな」
ルーセルの声は真剣だった。
「今回は相手が約束を守る者だったから撤退した。次に来る者も同じとは限らん」
「分かった」
ジンが頷く。
「まず冒険者を探す。それ以上は状況を見てから」
「ああ」
「出発は?」
「準備ができ次第で構わん」
「今日でも?」
「構わんが」
ルーセルはそこで三人を順番に見た。
「昨日はちゃんと休んだんだろうな?」
「……」
「……」
「……」
三人が揃って目を逸らした。
「おい」
「休みましたよ」
アインが答える。
「何をしていた?」
「買い物とか」
「他には?」
「……散歩」
ジンが言った。
「散歩?」
「夜の」
「ジン!」
アインが思わず声を上げる。
ルーセルが怪訝な顔で三人を見る。
「何かあったのか?」
「何もありません!」
今度はフィナまで即答した。
「……」
ルーセルはしばらく三人を見ていた。
アインは目を逸らし。
フィナも目を合わせず。
ジンだけは普通に見返している。
「……まあいい」
明らかによくはなさそうだったが、それ以上追及することはなかった。
「とにかく、準備を整えてから出ろ」
「分かりました」
三人は話を終えて部屋を出た。
扉が閉まったところで、アインがすぐにジンを見る。
「お前」
「何?」
「余計なこと言うな」
「散歩したじゃん」
「嘘じゃねえのが余計たち悪いんだよ」
フィナが小さく笑う。
「でも、次は北なんですね」
「ああ」
アインの表情も少しだけ真面目なものへ戻った。
「消えた冒険者と、森の奥の光」
「それと」
ジンが続ける。
「グレドが言ってた調査隊」
三つが同じものへ繋がっているのか。
それは、まだ分からない。
グレドの言った調査隊と、北で消えた冒険者が同じなのかさえ分かっていない。
それでも。
進む方向は一つ決まった。
「準備しよう」
ジンが言う。
「今度はちゃんと装備持ってこいよ」
「分かってる」
「剣、整備に出したばっかりですよね?」
「あ」
ジンが止まった。
アインも止まる。
「お前……」
「いつ戻ってくるんだっけ?」
アインは額を押さえながら、大きく息を吐いた。
「まず武器屋だ」
三人は再び歩き出す。
次に目指すのは。
北の森。
消息を絶った冒険者たちが、最後に向かった場所だった。




