第50話 共犯
軍用区画へ向かう途中、アインは何度目か分からないため息を吐いた。
「先に言っとくけどな。見るだけだからな」
「分かってる」
「絶対分かってねえだろ」
「見るだけですよ」
「フィナもだからな」
「分かってますよ」
二人とも返事だけは素直だった。
市場を抜けて街の東側へ進んでいくと、人通りは少しずつ減っていき、やがて石造りの建物や倉庫がまとまって並ぶ一角が見えてきた。
昨日の戦闘で使われた武器や物資の一部もここへ運び込まれているらしく、兵士たちが木箱を積み替えたり、荷車を押したりしながら忙しそうに動き回っている。
「ここにいるの?」
「昨日はこっちに運ばれてました」
フィナが答える。
「生きたまま?」
「はい。暴れないように縛られてましたけど」
「そりゃそうだろ」
アインは周囲を見ながら言った。
「タスクボアなんて街中で放したら大騒ぎになるぞ」
「放すなんて言ってないよ」
「今その発想が出てくる時点で怪しいんだよ」
三人は兵士たちの邪魔にならないよう区画の外側を歩いていき、しばらくするとフィナが足を止めた。
「あ」
視線の先には、木製の柵で囲まれた一角がある。
その中に。
大きな影が横たわっていた。
「いた」
昨日の戦場でグレドへ突進した、変異個体のタスクボアだった。
胴体と脚には太い縄が何重にも巻かれ、その先は地面へ深く打ち込まれた杭へ繋がれている。昨日あれだけ暴れ回っていた姿と比べれば随分大人しく見えるが、近づいてみれば鼻から荒い息を吐き、ときどき身体を動かしては縄や杭を軋ませていた。
「元気そうだな」
「元気ですね」
「元気だから縛られてんだろ」
アインが言う。
三人はそのまま柵の外に並び、しばらくタスクボアを眺めた。
「……」
「……」
「……」
誰も何も言わない。
先に口を開いたのはジンだった。
「これ、どうなるの?」
「食料だろ」
アインが即答する。
「やっぱり?」
「そのために捕まえたんだからな」
「そうだったね」
「お前が忘れるなよ」
そもそも最初から、その予定だった。
森で生け捕りにしたのも、街へ持ち帰って食料にするためだった。途中でグレドへ突っ込ませるという予定外の使い方をしただけで、戦いが終わってしまえば元の目的へ戻る。
本来なら。
それだけの話だった。
「……食べるんですか?」
フィナが小さく呟く。
「お前まで言うなよ」
「だって」
フィナは柵の中へ目を向けた。
「昨日、頑張ってましたよ」
「俺たちが突っ込ませたんだけどな」
「それでもです」
「グレド相手に生き残ったし」
ジンも続ける。
「グレドが殺さなかったからな」
「でも生き残った」
「そうだけどよ……」
アインが頭を掻く。
その時。
タスクボアがこちらへ顔を向けた。
三人が黙る。
「ブフッ」
鼻を鳴らす。
「……」
「……」
「……」
「やめろ」
アインが言った。
「何が?」
「今ので余計食いづらくなっただろ」
「アインもそう思ってるじゃん」
「思ってねえ」
「じゃあ食べる?」
「……」
「ほら」
「うるせえ」
フィナが小さく笑う。
「どうします?」
「どうするって言われてもな」
アインはもう一度タスクボアを見た。
「もう軍の食料として数えられてるはずだぞ。俺たちが捕まえたとはいえ、今さら返してくれって言っても面倒なことになる」
「じゃあ」
ジンが言う。
「逃げたことにする?」
アインがゆっくりジンを見る。
「どうやって」
「自然に」
「縄で縛られてるぞ」
「じゃあ自然に縄が切れる」
「それは自然じゃねえ」
「でも、杭が抜けることはあるかも」
「ねえよ。あんな太い杭」
フィナも杭を見る。
「タスクボアなら抜けるかもしれませんよ?」
「フィナ」
「はい?」
「そっちに乗るな」
「可能性の話です」
「目がもう逃がす側なんだよ」
フィナがそっと目を逸らした。
アインは二人を見比べ、それから柵の中のタスクボアを見る。
しばらく考えたあと、大きく息を吐いた。
「……昼間は無理だ」
「じゃあ夜?」
「なんで即決なんだよ」
「アインが昼間はって言ったから」
「言ったけど!」
アインは額に手を当てた。
「とにかく、一回帰るぞ」
「夜に?」
「声でけえよ!」
◇
その日の夜。
「なんでこうなったんだ……」
軍用区画の外側で、アインが小さく呟いた。
昼間とは違い、辺りを行き交う人間はかなり少ない。それでも完全に無人ではなく、入口や倉庫の周辺には見張りの兵士が立ち、時折通路を巡回している。
「アインが夜ならって」
「俺のせいにすんな」
「静かにしてください」
フィナに注意され、二人とも声を落とした。
三人は建物の陰を使いながら、昼間確認した柵へ向かって少しずつ近づいていく。
別に軍の機密を盗もうとしているわけではない。
捕まえた魔物を一匹逃がすだけ。
そう考えれば大したことではないようにも思える。
だが。
見つかった時に、どう説明すればいいのか。
そこだけは誰にも答えがなかった。
「誰か来る」
アインが小声で言うと同時に、二人を壁際へ引き寄せた。
通路の向こうから兵士が一人歩いてくる。
三人は建物の影へ身体を寄せ、息を潜めた。
兵士は特にこちらへ気づく様子もなく、すぐ横を通り過ぎてそのまま角を曲がっていく。
「……行くぞ」
アインを先頭に、三人は再び移動を始めた。
ほどなくして昼間と同じ柵が見えてくる。
タスクボアも。
まだ同じ場所にいた。
「寝てる?」
「多分」
近づいてみると、巨体がゆっくり上下している。
三人は周囲を確認してから柵を越えた。
「起こすなよ」
「縄切ったら起きるだろ」
「その時はその時だ」
アインが短刀を抜き、まずは脚を拘束している縄へ刃を当てる。
「本当にやるんですね」
フィナが小声で言った。
「ここまで来て言うなよ」
「いや、確認です」
「戻るなら今だぞ」
三人が顔を見合わせる。
ジンは一度タスクボアを見てから答えた。
「……逃がそう」
「ですね」
二人の視線が、そのままアインへ向く。
「俺が悪いみたいに見るな」
アインは短刀を引いた。
一本目の縄が切れる。
タスクボアの耳が僅かに動いた。
「起きた?」
「まだ」
二本目。
三本目。
胴体や脚を縛っていた縄が次々に外れていく。
最後に残ったのは、杭へ繋がれている太い縄だった。
アインが刃を当てる。
「これ切ったら、すぐ離れろよ」
「分かった」
「はい」
短刀が引かれ。
最後の縄が切れた。
一瞬。
何も起こらなかった。
三人は揃ってタスクボアを見る。
「……寝てない?」
ジンが呟いた瞬間。
タスクボアの目が開いた。
「起きてる」
「離れろ!」
アインが言うより早く、巨体が一気に跳ね起きた。
「ブオオオオオッ!」
「うわっ!」
三人が一斉に飛び退く。
タスクボアは自由になった身体を確かめるように一度周囲を見回し、そのまま地面を蹴った。
「そっち柵!」
ジンが叫ぶ。
だが。
止まらない。
全力で走り出した巨体が、真正面から木製の柵へ突っ込んだ。
バキィッ!
派手な音とともに柵が砕ける。
「おい!」
「何の音だ!」
遠くから兵士たちの声が上がった。
「逃げるぞ!」
アインが即座に走り出す。
「タスクボアは!?」
「もう逃げてる!」
振り返れば、タスクボアは壊れた柵を越え、そのまま軍用区画の外へ向かって猛然と走っていた。
「ブオオオオオッ!」
「誰か止めろ!」
「タスクボアが逃げたぞ!」
あちこちから怒鳴り声が飛び交い、兵士たちが一斉に動き始める。
三人も反対方向へ走り出し、建物の間を抜けていく。
「これ大丈夫!?」
「大丈夫じゃねえよ!」
「追いかけられてませんか!?」
「振り返るな!」
昼間確認しておいた裏手へ回り、建物の隙間を抜けて軍用区画の外へ飛び出す。
そのまましばらく通りを走り、十分に距離を取ったところで、ようやくアインが足を止めた。
「……ここまで来れば」
三人は息を整える。
遠くではまだ、兵士たちの怒鳴り声や騒ぎが続いていた。
「タスクボア、どうなったかな」
ジンが尋ねる。
「知らん」
「森まで行けますかね」
「行くだろ。あの勢いなら」
「元気そうだったね」
「そうですね」
アインはそんな二人を見て。
ゆっくり眉間を押さえた。
「お前ら」
「何?」
「はい?」
「二度とやらねえからな」
ジンとフィナが顔を見合わせる。
「何を?」
「魔物の脱走を手伝うことだよ!」
夜の通りへアインの声が響いた。
三人はしばらく笑いながら、そのまま何事もなかったように宿へ向かって歩いていく。
その後。
軍用区画から逃げ出した一頭の変異個体が、どこへ行ったのか。
三人が確かめることはなかった。




