第49話 確認したいこと
翌朝。
ジンは目を覚ますと、しばらく天井を見つめていた。
身体を起こして窓の外を見る。
よく晴れている。
体調も悪くない。
身体に痛みもなければ、疲労が残っている感覚もほとんどなかった。
「……暇だな」
昨日、レオンから言われた言葉を思い出す。
明日までは何もするな。
つまり今日は、正式に何もしなくていい日だった。
ジンはしばらく考える。
「トレモ――」
言いかけて、やめた。
休めと言われた日にトレーニングモードへ入るのは、何かが違う気がする。
外から見れば横になっているだけかもしれないが、自分の意識は普通に動き続ける。昨日はフィナにまで休めと言われた以上、それを休息と言い張るのはさすがに無理がある。
「……やめとくか」
ベッドから降り、顔を洗って着替えを済ませる。
そのまま部屋を出ると、ちょうど隣の扉が開いた。
「おはようございます」
「おはよう」
出てきたフィナは、いつもの冒険者としての格好ではなかった。
杖も持っておらず、服装も普段よりずっと軽い。
「今日は休む気満々だね」
「当然です」
フィナは笑顔で答える。
「誰かさんが勝手に森へ行かないように見張らないといけませんから」
「信用ないな」
「ありますよ」
「あるの?」
「だから見張るんです」
「それ信用ある?」
「お前に関しては、それで正解だろ」
後ろから声がした。
振り返ると、アインが階段を上がってくるところだった。
片手には紙袋を持っている。
「早いね」
「お前らが遅いんだよ」
「何それ?」
「朝飯」
アインが紙袋を軽く持ち上げると、中から焼きたてのパンらしい香りが漂ってきた。
「下で食うぞ。それと、お前らに話がある」
「何?」
「行けば分かる」
◇
三人は宿の一階にある食堂の隅へ座った。
朝の混雑が少し落ち着いた時間なのか、客は少なく、店内にはゆったりとした空気が流れている。
アインが買ってきたパンを机へ並べる。
「で、話って?」
「これだ」
アインは懐から一枚の紙を取り出した。
ジンが受け取る。
「……何これ」
「読め」
「読めない」
「そうだった」
「忘れるなよ」
こちらの文字も少しずつ覚えてはいるが、まだ文章を問題なく読めるほどではない。
アインは紙を取り返すと、そのまま内容を読み上げた。
「『魔王軍迎撃における功績を称え、冒険者パーティー羅針盤の三名に――』」
途中で止まる。
「どうしたの?」
「いや」
アインの口元が緩んでいた。
「金額見ると、やっぱ嬉しいなと思って」
「いくらですか?」
フィナがすぐに身を乗り出す。
アインが金額を告げると、その目が僅かに大きくなった。
「そんなに?」
「街の防衛に関わったからな。通常の依頼とは別枠らしい」
「三人で?」
「ああ」
「じゃあ三等分?」
ジンが尋ねると、アインが呆れたような顔をした。
「パーティーの金だろ」
「そうなの?」
「お前、今までどういうつもりで依頼受けてたんだよ」
「終わったら分けるものだと思ってた」
「今まではそれでもよかったけどな。そろそろ共同資金を作った方がいい」
アインは指を折りながら説明していく。
「宿代、食費、消耗品、装備の整備。遠出するなら馬車代もいる。全部その都度三人で割るより、パーティーの金として持ってた方が楽だ」
「なるほど」
「それと、お前の剣」
「俺?」
「昨日も言っただろ。整備に出せ」
ジンは反射的に腰へ手をやったが、今日は休息日なので剣は部屋へ置いてきている。
「壊れてないよ」
「壊れてからじゃ遅えんだよ」
「そういうもの?」
「そういうものだ」
「アインさんの短刀もですよ」
フィナが横から口を挟む。
「俺のは自分である程度できる」
「煙玉も補充しないといけませんよね」
「……そうだな」
「私も使った薬や包帯を買い足したいです」
ジンは二人を見比べた。
「冒険者って金かかるな」
「今さら気づいたか」
アインはパンを一つ取り、口へ運ぶ。
「だから今日は買い出しだ」
「休みなのに?」
「これくらいは休みのうちだろ」
「じゃあ武器屋行って、その後――」
「森には行かねえぞ」
「まだ何も言ってない」
「顔に出てた」
「出てないと思う」
「出てました」
フィナにまで言われ、ジンは黙ってパンを齧った。
◇
朝食を終えた三人は宿を出た。
街を歩き始めてすぐ、ジンは昨日とは少し違う視線を感じる。
「……やっぱり見られてる?」
「気のせいじゃねえな」
アインが答える。
昨日ほど露骨に人が集まってくるわけではないが、通りを歩いていると何人かがこちらを見る。中にはすれ違ったあとで振り返る者までいた。
「あれじゃない?」
フィナが小声で言う。
「どれ?」
すれ違った二人組から、ちょうど声が聞こえた。
「羅針盤の……」
「やっぱりそうだ」
ジンが呟く。
「昨日の今日だからな」
「そのうち落ち着くよね?」
「どうだろうな」
アインが笑う。
「次に何もやらかさなきゃ」
「やらかしたみたいに言うなよ」
「魔王軍の将を蹴り飛ばした翌日に普通に買い物してる奴が言ってもな」
「休めって言われたから」
「律儀なのか無茶なのか分かんねえんだよ、お前は」
そんな会話をしながら、市場へ向かう。
食料品。
薬。
道具。
通りの両側には様々な店が並び、朝の賑わいがまだ残っている。
ジンにとっても、ここまでゆっくり街を歩くのは久しぶりだった。
戦う必要はない。
何かを追う必要もない。
ただ。
買い物をする。
「平和だな」
「昨日、戦争しかけてた街で言うことか?」
「だからこそ」
アインは少し考えてから頷いた。
「まあ、それはそうか」
市場へ入ると、店主たちの声があちこちから飛んでくる。
「野菜安いよ!」
「干し肉入ってるぞ!」
「北からの香辛料だ!」
フィナが食料品を見て回り、アインが消耗品の値段を確認する。
その後ろをジンがついて歩いていたが、やがて一軒の露店の前で足を止めた。
「……」
「どうした?」
アインが振り返る。
ジンが見ていたのは肉屋だった。
大きな塊肉が吊るされ、その下には部位ごとに切り分けられた肉が並んでいる。
「食いたいのか?」
「いや」
ジンは並んだ肉を見たまま答える。
そして。
ふと思い出した。
巨大な身体。
鋭い牙。
荒い鼻息。
縄を切られた瞬間に跳ね起き、グレドへ向かって猛烈な勢いで突進していった姿。
「……そういえば」
フィナも同じことを思い出したらしい。
三人が黙る。
「……」
「……」
「……」
最初に目を逸らしたのはアインだった。
「忘れてたな」
「忘れてましたね」
「忘れてた」
三人の頭に浮かんでいるのは、同じ魔物だった。
変異個体のタスクボア。
「どうなったんだ、あいつ」
ジンが尋ねる。
「俺に聞くなよ」
「戦いが終わった時は生きてたよね」
「生きてたな」
「怪我もしてませんでした」
「お前が治したからな」
「その言い方やめてください」
三人は、そのまま肉屋の前で立ち尽くした。
そもそもタスクボアを捕獲した理由は、食料にするためだった。
途中で思いがけずグレドへ突っ込ませることになっただけで、最初の目的そのものが変わったわけではない。
はずなのだが。
「……食う?」
アインが尋ねる。
フィナは答えない。
ジンも黙ったままだ。
「なんで誰も答えねえんだよ」
「アインは?」
「俺に返すな」
「最初は食べる気だったんですよ」
フィナが言った。
「今も食べ物としては美味しいと思います」
「フィナ、結構ひどいこと言ってるよ」
「ジンさんが聞いたんでしょう!」
「でも、あいつ昨日頑張ったよな」
「突っ込ませただけだけどな」
「グレド相手に」
「突っ込ませただけですけど」
「しかも生き残った」
「グレドが殺さなかったからな」
そこで。
また三人とも黙った。
肉屋の主人が、さすがに気になったのか不思議そうな顔でこちらを見る。
「兄ちゃんたち、買うのか?」
「いや」
アインが即答した。
「ちょっと猪について考えてただけです」
「……そうか」
店主はそれ以上聞かなかった。
「とりあえず」
フィナが口を開く。
「確認しに行きませんか?」
「どこに?」
「昨日、戦いがあった場所です」
アインが眉を寄せた。
「おい。休めって言われただろ」
「タスクボアの確認です。調査ではありません」
「……」
「調査じゃないならいい?」
ジンまで聞く。
「お前ら、急に息合うな」
アインは二人を見比べた。
「それに、街の外まで行く必要はありませんよ」
「なんで?」
「昨日、帰還する時に兵士の方たちが運んでいましたから」
「え?」
ジンとアインが同時にフィナを見る。
「知ってたの?」
「はい」
「じゃあ何で今まで黙ってたんだよ!」
「聞かれませんでしたから」
「どこにいる?」
「多分、街の軍用区画だと思います」
その答えを聞いた瞬間。
ジンが歩き出した。
「行こう」
「おい」
「気になる」
「休息日はどうした」
「タスクボアを見るだけ」
「絶対それだけで終わらねえ気がするんだよな……」
アインはそう言いながらも、結局その後を追う。
フィナも少し笑いながら二人についていった。
こうして。
羅針盤の休息日は。
始まって数時間で、少しだけ予定から外れ始めた。




