第48話 守ったもの
話し合いが終わった頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
レオンが地図を畳み始め、その隣ではルーセルも机の上に広げていた資料を集めている。
長い時間話し合ったものの、結局のところ、今日だけで何か答えらしいものに辿り着いたわけではない。
分かったのは。
分からないことが、想像していた以上に多いということだけだった。
「何か進展があれば、ギルドを通して連絡する」
レオンは資料をまとめながら三人へ言った。
「君たちも、何か思い出したことがあれば報告してほしい。ただし、明日までは勝手に調査へ出るな」
「分かってます」
ジンが答える。
レオンはその顔をじっと見た。
「本当に?」
「……分かってます」
「今、間があったぞ」
アインが笑う。
「うるさいな」
「明後日になった瞬間、森へ行きそうだから言われてんだよ」
「明後日ならいいんだろ?」
「そういうところだぞ」
フィナが困ったように笑いながら、ジンの袖を軽く引いた。
「帰りましょう。今日はちゃんと休みますよ」
「はい」
「返事だけはいいんだよな」
三人が席を立ち、そのまま部屋を出ようとしたところで、背後からルーセルの声が飛んできた。
「そうだ。忘れるところだった」
三人が振り返る。
「今回の件について、正式な報告がまとまれば報酬についても話をする」
「報酬?」
ジンが首を傾げた。
「依頼じゃなかったのに?」
「街の防衛に貢献した冒険者を、何もなしで帰せると思うか?」
「思ってた」
「お前な……」
アインが呆れた声を出す。
ルーセルも苦笑しながら続けた。
「特にお前たちは、魔王軍の進軍を止める直接的な要因になった。通常の依頼とは別に、街から褒賞が出る可能性が高い」
「おお」
今度はアインがすぐに反応した。
「いくらです?」
「まだ決まっていない」
「そこをなんとか」
「決まっていないものは出せん」
「アイン、さっきまで結構真面目だったのに」
「金は大事だろ」
「否定はしないけど」
「装備の整備にも金がかかるんだぞ。お前の剣だって、いつまでもそのまま使えると思うなよ」
「そうなの?」
「そうだよ!」
ジンが腰の剣へ目を落とすと、フィナがくすりと笑った。
「そういうところは、アインさんに任せた方がよさそうですね」
「だろ?」
「お金の管理も?」
「それはフィナがやれ」
「なんでですか」
「俺が持つと使う」
「自覚あるんですね」
そんな話をしながら、三人は部屋を後にした。
◇
廊下を抜けてギルドの広間へ戻った瞬間、ジンは足を止めた。
「……まだいる」
「何が?」
アインも前を見る。
昼間ほどではないものの、広間にはまだかなりの冒険者が残っていた。依頼帰りに酒を飲んでいる者もいるが、そのうち何人かは明らかに三人を待っていたらしく、姿を見つけた途端に一斉に顔を上げる。
「おっ、出てきたぞ!」
「羅針盤!」
「話終わったのか!」
ジンが反射的に一歩後ろへ下がった。
「戻る?」
「どこにだよ」
「さっきの部屋」
「余計怒られるぞ」
逃げ道を探している間にも、冒険者たちは次々と近づいてくる。
「なあ、本当にグレドと一対一で勝ったのか?」
「勝ったっていうか……」
「その話、もう何回目だよ」
アインが横から口を挟んだ。
「本人が勝ったって言いたがらねえんだ。退かせたってことで納得してくれ」
「十分すげえだろ!」
「俺なら一生言いふらすぞ!」
「俺も」
ジンが答える。
「言いふらしたくない」
「そっちかよ!」
周囲から笑い声が上がった。
「それで、どうやったんだ?」
「蹴った」
「それは聞いた!」
「盾を粉々にしたんだろ?」
「してない」
「じゃあ盾ごと吹っ飛ばした?」
「それは……まあ」
「やっぱり吹っ飛ばしてんじゃねえか!」
「でも盾は壊れてない」
「なんでそこだけそんなにこだわるんだよ!」
「事実だから」
ジンが真面目な顔で答えれば答えるほど、周囲の笑い声は大きくなっていく。
その少し離れたところでは、今度は別の冒険者がフィナへ声をかけていた。
「あんたが魔物を操ったっていう治癒術師か?」
「違います!」
広間にフィナの声が響く。
ジンが振り返った。
「もう噂になってる」
「ジンさんのせいですよ!」
「俺、誰にも言ってないけど」
「さっき街で言ったじゃないですか!」
「冗談だったのに」
「現実になってるじゃないですか!」
話しかけた冒険者が困惑した顔で二人を見比べる。
「じゃあ、魔物を操ってないのか?」
「操ってません!」
「でも、巨大なタスクボアを魔王軍に突っ込ませたんだろ?」
「それは……」
フィナの声が少し小さくなる。
「回復させてから」
「回復させて!?」
「やっぱり魔獣使いじゃねえか!」
「違います!」
横ではアインが腹を抱えて笑っている。
「笑ってないで助けてください!」
「無理だろ。もう完成してる、その噂」
「何が完成してるんですか!」
「明日には『百頭の魔物を従える聖女』くらいになってんじゃねえか?」
「嫌です!」
「ちょっと格好いい」
「ジンさん!」
騒ぎは、しばらく収まりそうになかった。
戦場ではあれほど張り詰めた顔をしていた冒険者たちも、今は酒を片手に笑っている。包帯を巻いた者もいれば、魔力を使い果たした影響がまだ残っているのか、顔色の悪い魔法使いもいた。
それでも。
生きて帰ってきたからこそ、こうして笑っていられる。
ジンはその光景を眺めながら、少しだけ表情を緩めた。
こういう騒がしさなら。
悪くない。
「ところでよ」
一人の冒険者が、今度はアインを見る。
「お前は何したんだ?」
「おい」
アインの笑顔が消えた。
「いや、ジンはグレドを吹っ飛ばしただろ? フィナは魔物を操った」
「操ってません!」
「お前は?」
「色々やったよ!」
「例えば?」
「……ワイヤー張ったりとか」
「ワイヤー」
「あと時間稼いだ」
「時間稼ぎ」
「タスクボア放したの俺だからな!」
「じゃあ魔獣使いはお前じゃねえか」
「なんでそうなる!」
今度はジンとフィナが笑った。
「笑うな!」
「正しい噂ならいいんだろ?」
「さっきのお前の理屈持ってくんな!」
三人のやり取りにまた笑いが起こり、気づけばその周りには小さな人だかりができていた。
これまでも、ギルドで顔を知られていなかったわけではない。依頼をこなし、冒険者として活動していれば、自然と顔見知りは増えていく。
だが。
今までとは明らかに違う。
「羅針盤、今度一緒に依頼やろうぜ!」
「北に行くなら声かけろよ!」
「酒くらい奢らせろ!」
名前ではなく。
パーティ名で呼ばれる。
たったそれだけのことなのに、ジンには妙に不思議な感覚があった。
羅針盤。
三人で決めた名前が、今は自分たち以外の人間の口から当たり前のように聞こえてくる。
どうやら本当に。
自分たちの名前になったらしい。
◇
どうにかギルドを抜け出した頃には、夜もかなり深くなっていた。
「疲れた……」
外へ出るなり、ジンが大きく息を吐く。
「今日それ何回目だ?」
「グレドと戦ってる方が楽だった」
「それは絶対おかしい」
アインが呆れたように言う。
「私は楽しかったですよ」
フィナは笑っていた。
「魔獣使いなのに?」
「それは忘れてください」
「百頭の魔物を従える聖女」
「忘れてください!」
三人はそんな話をしながら、夜の通りを並んで歩いていく。
街にはまだ人の姿があった。
仕事を終えて酒場へ向かう者。
店先を片付けている商人。
家路を急ぐ者。
少し前まで北門の外で魔王軍と戦っていたとは思えないほど、ベルクの夜はいつも通りだった。
戦いがあったことを知らない者すらいるのかもしれない。
あるいは知っていたとしても。
明日になれば、また仕事がある。
人々はいつものように食べ、飲み、誰かと話し、家へ帰って眠る。
守ったのは。
たぶん、こういうものなのだろう。
ジンは行き交う人々を眺めながら歩いていたが、やがてふと足元へ視線を落とした。
「羅針盤か」
「急にどうした?」
アインが尋ねる。
「いや」
ジンは少し考える。
「今の俺たちに、ちょうどいい名前だったなと思って」
「今さらかよ」
「決めた時は、ここまで深く考えてなかったから」
「お前が言うなよ」
フィナが小さく笑った。
「でも、どうして今そう思ったんですか?」
「だって」
ジンは前を見る。
北へ向かった冒険者たちは戻っていない。
南へ向かった部隊も戻らない。
魔力が薄くなっている理由も、魔物たちが移動している原因も分からない。
グレドが言っていた調査隊が何者なのか。
その人間たちが境界の向こうで何をしたのか。
それも。
まだ何一つ分かっていない。
「誰も、どっちに進めばいいのか分かってないだろ」
アインとフィナがジンを見る。
「だったら」
ジンは夜の通りの先へ目を向けた。
「俺たちが調べればいい」
アインが少しだけ目を丸くした。
「……お前、さっき休めって言われたばっかりだぞ」
「明日は休むよ」
「明日は?」
「明後日から」
「ほらな!」
アインが声を上げる。
「俺が言った通りじゃねえか!」
「でもアインも気になってるだろ?」
「そりゃ気になるけどな」
「じゃあ行こう」
「勝手に決めんな」
「行かないの?」
「……」
アインは黙った。
数秒考えたあと。
大きく息を吐く。
「……行くよ」
「即答じゃん」
「即答じゃねえ! 今ちょっと考えただろ!」
「数秒でしたね」
「フィナまでそっちに回るな!」
フィナが笑う。
「私は最初から行くつもりですよ」
「ほら」
「ほらじゃねえ」
「三人で決まりだね」
「だから勝手にまとめるなって」
文句を言いながらも、アインは足を止めなかった。
三人はそのまま肩を並べて夜の街を歩いていく。
まだ、どこへ向かうべきなのかは分からない。
北なのか。
南なのか。
それとも。
まだ見えていない別の場所なのか。
そもそも何が起きているのかさえ、今は誰にも分かっていない。
それでも。
分からないなら、調べればいい。
迷ったのなら、進むべき方向を探せばいい。
ジンは少しだけ笑った。
「羅針盤」
「今度は何だよ」
「いや」
今度は首を振る。
「悪くない名前だなって」
「だから今さらだろ」
三人の声が、夜の街のざわめきへ混ざっていく。
進むべき方向は。
まだ見えていない。
だからこそ。
その方向を探しに行く。
――羅針盤。
三人は並んだまま、夜のベルクを歩いていった。




