第47話 戻らないもの
「北へ向かった冒険者と南へ向かった部隊の消息は、いまだ掴めていない」
ギルド長の言葉に、アインの表情が変わった。
「まだですか?」
「ああ。魔王軍が現れてからは、そちらへの対応を優先せざるを得なかったからな。捜索に回せる人員も足りていない」
北へ向かった冒険者たちと、南側の状況を確認するために派遣された部隊。
どちらも魔物の動きに異変が見られ始めた頃に送り出されているが、今も戻ってきていない。
ジンは少し考えてから口を開いた。
「北へ行った冒険者って、グレドが言ってた調査隊と関係ある可能性は?」
「分からん」
ギルド長は首を振る。
「少なくとも、こちらから境界を調査するような依頼は出していない。それに、彼らが向かったのは境界よりも手前だ。目的も、増加していた魔物の調査だった」
「でも、その後で奥へ進んだ可能性はある」
アインが続けると、レオンが静かに頷いた。
「ないとは言えない。魔物を追っているうちに予定していた範囲を越えた可能性もあるし、何らかの事情で北へ進まざるを得なくなった可能性もある。ただ、それだけで彼らをグレドの言う調査隊と決めつけることはできない」
「ですよね」
ジンも頷いた。
今あるのは、まだいくつもの断片だけだった。
魔力が薄くなっている土地があり、そこから魔物たちが移動している。
魔族と人間が互いに立ち入らないと決めていた境界を、人間の調査隊が越えたとグレドは言った。
北へ向かった冒険者たちは戻らず、南へ向かった部隊からも連絡が途絶えている。
そして、その状況を追うように魔王軍が現れた。
どこまでが同じ原因から起きているのか。
それとも、偶然同じ時期に重なっただけなのか。
今の段階では、まだ判断する材料が足りない。
「南へ向かった部隊は?」
フィナが尋ねる。
それまで黙って話を聞いていたルーセルが、机の上に広げられた地図へ手を伸ばした。
「最後に連絡があったのは、この辺りだ」
指先がベルクの南西へ置かれる。
その位置を見た瞬間、フィナが僅かに身を乗り出した。
「……この辺りって」
アインも地図を覗き込み、すぐに気づいた。
「俺たちがあの魔族と会った場所に近いな」
レオンが顔を上げる。
「魔族と会った?」
「聞いてませんか?」
「私は聞いていない」
アインがギルド長を見ると、ルーセルが少し申し訳なさそうに眉を寄せた。
「軍へ共有したのは、今回の魔王軍との戦闘に直接関係する情報が中心だった。南西での出来事については、まだ詳細を回していない」
「詳しく聞かせてくれ」
レオンに促され、三人は数日前の出来事を順番に説明した。
南西の森へ向かったこと。
そこで魔物の動きに違和感を覚えたこと。
周囲の魔力が薄く、フィナ自身の魔力も普段より戻りにくくなっていたこと。
そして。
灰色の肌を持つ女魔族と出会ったこと。
「戦闘にはならなかったのか?」
「なりかけましたけどね」
アインが苦笑する。
「向こうも俺たちと戦うのが目的じゃなかったみたいです」
「何をしていた?」
「そこまでは分かりません。ただ」
フィナが答える。
「あの人も、森を調べていたように見えました」
「それと」
ジンが続けた。
「変なことを言ってました」
「変なこと?」
「土地が死に始めてるって」
その言葉に、レオンの表情が変わる。
「……土地が死に始めている?」
「はい」
フィナが頷く。
「それから、『奪われている』とも言っていました」
「何を奪われているのかは聞いたか?」
「そこまでは」
レオンはしばらく黙ったまま、地図を見つめた。
「奪われている、か」
「魔力じゃない?」
ジンが言うと、全員の視線が集まった。
「いや、分からないけど」
思った以上に注目され、少し困ったように言い足しながら、ジンも地図へ視線を戻す。
「あの場所で実際に減ってたのって魔力なんだろ? だったら、一番そのままの意味で考えるならそうなのかなって」
「可能性はあると思います」
フィナも頷いた。
「あの時は私も、単純に魔力の薄い土地なのかもしれないと思っていました。でも今回の戦闘でも、同じように魔力の回復が遅くなっていた人が大勢いました」
「場所は離れているんだよな?」
レオンの問いに、フィナは地図を見ながら答える。
「はい。少なくとも、同じ場所だけで起きている異変だと簡単に考えられるほど近くはありません」
「北でも似たことが起きてて、南西でも起きてるってことか」
アインが腕を組む。
「そうなります」
「だったら、その間は?」
ジンが何気なく尋ねた。
フィナは少し考えてから首を振る。
「分かりません。まだ調べていませんから」
「じゃあ、他の場所でも起きてるかもしれない?」
「可能性はあります」
レオンも地図へ視線を落とした。
「確認されている地点が少なすぎるな。今の情報だけで範囲を推測するのは危険だ」
「それに」
ルーセルが低い声で続ける。
「その範囲を確認するために出した者たちが、戻ってきていない」
部屋が静かになった。
ジンも地図を見る。
北。
南西。
離れた二つの場所で、似た異常が起きている。
それだけなら、まだ偶然かもしれない。
だが、どちらでも魔物の動きに異変があり、その先を調べに向かった人間たちは戻ってきていない。
「魔力って、そんな簡単になくなるものなの?」
ジンが尋ねた。
「なくなる、という言い方が正しいかは分かりません」
フィナは少し考えながら答える。
「魔法を使えば、その分だけ周囲や術者の魔力は減ります。でも普通なら、それで終わりではないんです」
「戻るから?」
「はい。魔力は動いていますから」
フィナは机の上の地図へ指を置き、ゆっくりと線を描くように動かした。
「人が使った魔力も、魔物が使った魔力も、形を変えながら周囲へ戻っていきます。だから、一時的に薄くなることはあっても、そのままずっと減り続けるようなことは普通ありません」
「雨みたいなもの?」
ジンが聞く。
「雨?」
「海から水が上がって、雲になって、雨になって、川を通ってまた海に戻るみたいな」
フィナは一瞬考え、それから頷いた。
「かなり近いと思います」
「じゃあ今起きてるのは、川の水が戻ってきてない感じ?」
「……そう考えると分かりやすいですね」
二人のやり取りを聞きながら、アインが眉を寄せた。
「でも、それなら変じゃねえか?」
「何が?」
「戻るはずのものが戻ってねえなら」
アインは地図を見たまま続ける。
「その魔力は、どこに行ったんだよ」
誰も答えなかった。
フィナにも分からない。
レオンにも。
ルーセルにも。
ジンは地図を見つめたまま、アインの言葉を頭の中でもう一度繰り返す。
どこに行ったのか。
使われた魔力そのものが消えているのではなく、本来戻るはずのものが戻ってきていないのだとしたら。
循環しているはずのものが。
どこかで途切れている。
「……変だな」
ジンが呟く。
「ああ」
アインも地図を見つめたまま答えた。
「気味悪いくらいにな」
◇
「もう一つ確認したい」
しばらくして、レオンが口を開いた。
「その女魔族は、魔力が薄くなっている原因について何か知っている様子だったか?」
三人は顔を見合わせた。
「知ってるというより……」
アインが記憶を辿る。
「調べてる感じだったよな」
「はい」
フィナが答える。
「少なくとも、あの場所で何か起きていること自体には気づいていました。私たちよりずっと前から」
「それに、驚いてなかった」
ジンが付け加える。
「俺たちは魔力が薄いって聞いて、そんなことあるんだって感じだったけど、あの人は違った。何が起きてるか分からないっていうより、原因を探してるように見えた」
レオンは腕を組む。
「魔族側は、人間より先にこの現象を認識していた可能性があるか」
「グレドも、魔物の動きが変わってるって言ってましたよね」
フィナの言葉に、アインが頷く。
「ああ。境界を越えた調査隊だけじゃなく、それもここまで来た理由の一つみたいな言い方だった」
「つまり」
ルーセルがゆっくりと言う。
「今回の魔王軍の進軍と、この魔力の異常は無関係ではない可能性がある」
「でも、魔王軍が原因とも限らない」
ジンが言った。
レオンが視線を向ける。
「どうしてそう思う?」
「南西で会った魔族も、グレドも」
ジンは少し考えながら答える。
「困ってる側に見えたから」
単純な印象だった。
だが、ジンにはそう見えていた。
女魔族は「土地が死に始めている」と言った。
グレドは境界付近で魔物の動きが変わっていることを警戒し、その原因を人間側にも求めていた。
もし魔族自身がこの異変を起こしているのなら。
あの二人の態度には、どこか違和感がある。
「もちろん、全部演技だったら分からないけど」
「少なくともグレドについては、その可能性は低いと思うぜ」
アインが言う。
「あいつ、馬鹿正直だからな」
「敵の将に対して随分な評価だな」
レオンが苦笑する。
「戦ったジンが一番分かるんじゃねえか?」
「強かったよ」
「そういう話じゃねえ」
フィナが小さく笑った。
レオンも僅かに表情を緩める。
だが、それも一瞬だった。
すぐに地図へ目を戻す。
「いずれにせよ、調べる必要がある」
レオンはまず北側へ指を置いた。
「こちらは、消息を絶った冒険者たちの足取り。それと、グレドの言う調査隊が本当に存在したのか」
次に、その指を南西へ移す。
「こちらは派遣した部隊の捜索と、魔力の異常がどの範囲まで広がっているかの確認だ」
「また人を出すんですか?」
フィナが心配そうに尋ねる。
「すぐには出さない」
レオンは首を振った。
「二隊が戻らない理由すら分かっていない状態で、さらに人員を投入するのは危険だ。まずは周辺の村や街道、それに監視所の記録を集める」
「冒険者ギルドでも確認しよう」
ギルド長も続けた。
「北へ向かった者、南から戻った者、森で異変を見た者。どれだけ小さな情報でも構わん。今は断片を集めるしかない」
「俺たちは?」
アインが尋ねる。
レオンは即答した。
「今日は休め」
「今日?」
「明日もだ」
「二日?」
「不満か?」
「いや……」
アインが隣を見る。
ジンが明らかに何か言いたそうな顔をしていた。
「お前、黙ってろ」
「まだ何も言ってないけど」
「どうせ『俺たちも調べよう』とか言うつもりだろ」
「……」
「図星じゃねえか」
「だって気になるだろ」
「気になるのと、休まなくていいのは別だ」
珍しくアインがまともなことを言っている。
フィナもすぐに頷いた。
「私も休んだ方がいいと思います。ジンさん、外では短くても、トレーニングモードの中ではかなり長くいたんですよね?」
「まあ」
「どのくらいです?」
「……結構」
「またそれですか」
フィナが呆れたように息を吐く。
「身体に疲労が残らなくても、ずっと集中していたなら休んでください」
「はい」
素直に返事をしたジンを見て、アインが笑った。
「フィナに言われると聞くんだな」
「アインは言い方が悪い」
「内容同じだろ!」
張り詰めていた部屋の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
それでも。
机の上に広げられた地図から、問題が消えたわけではない。
北へ向かった冒険者。
南へ向かった部隊。
境界を越えたという正体不明の調査隊。
土地から失われつつある魔力。
そして、それを人間より早く調べていたらしい魔族たち。
戦いは終わったはずなのに。
分からないことは。
戦う前より増えていた。
ジンは地図を眺めながら、ふと思う。
今までなら、敵がいれば戦えばよかった。
魔物なら、どう動くかを見て、どう崩すかを考えればいい。グレドのような強敵であっても、観察して、試して、失敗して、また試せば少しずつ答えへ近づくことができた。
だが。
今、目の前にある問題には。
まだ戦う相手すら見えていない。
「難しい顔してんな」
アインに言われ、ジンは顔を上げた。
「そう?」
「ああ」
「戦う方が簡単だなと思って」
「お前らしいな」
「でも」
ジンはもう一度地図を見る。
「分からないなら、調べればいいんだろ」
その言葉に、レオンが僅かに目を細めた。
「そのためにも、まず休め」
「はい」
「本当に分かっているか?」
「明後日から調べる」
「そういう意味ではない」
アインが吹き出し、フィナも笑った。
ルーセルは額に手を当て、レオンはしばらくジンを見つめたあと、諦めたように息を吐く。
「……とにかく、明日までは何もするな」
「分かりました」
今度こそジンが頷いた。
その返事をどこまで信用していいものか。
レオンには最後まで判断できなかった。




