第4話 魔法の街
青年たちは、しばらく仁を見つめたまま動かなかった。
剣を持った二人の男が地面に転がり、そのすぐ近くに、見慣れない格好をした青年が一人立っている。しかも、その青年からは魔力を使った気配がまるで感じられない。
どう反応すればいいのか分からない。
そんな空気が流れていた。
やがて、先頭に立っていた青年が我に返ったように息を吐き、深く頭を下げる。
「……助かった。ありがとう。本当に危ないところだった」
「気にしないで」
仁は軽く首を振った。
むしろ、助かったのはこちらかもしれない。
「それより、聞きたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「俺、ここがどこなのかも分からない」
「……え?」
青年の表情が止まった。
後ろにいる仲間たちも顔を見合わせる。
「冗談……じゃないんだよな?」
「俺も冗談だったらよかったんだけど」
仁が苦笑すると、青年はしばらくその顔を見ていたが、やがて警戒を少し解いたようだった。
「俺はローディ。駆け出しの冒険者だ」
胸へ手を当てて名乗る。
その後ろにいた仲間たちも、それぞれ簡単に自己紹介をしてくれた。
前衛で剣を使う者。
盾を構えて仲間を守る者。
魔法を扱う者。
傷を癒やす役目の者。
皆まだ若く、見たところ仁とそれほど歳は離れていない。
「冒険者……」
聞いたことはある。
もちろん、日本で。
ゲームや小説の中でなら。
だが、それを職業として名乗る人間を実際に目の前にする日が来るとは思っていなかった。
「君は?」
「吉崎仁」
そう答えてから、少し考える。
「……ジンでいい」
こちらの人間に姓と名の区別まで説明しても仕方がない。
「ジンか」
ローディは素直に頷いた。
「その格好も見たことがないし……旅人なのか?」
「いや……」
ジンは言葉に詰まった。
旅人ではない。
では何なのかと聞かれると、自分でも答えられない。
少し前まで日本の自宅にいたはずなのに、床へ落ちたと思ったら見知らぬ遺跡へ辿り着き、そこで理解不能な施設を見つけ、そのまま外へ出れば知らない森だった。
順番に説明したところで、自分自身が一番信じられそうにない話だ。
「ちょっと、事情があって」
「そうか」
ローディはそれ以上追及しなかった。
「言いたくないなら無理に聞かないよ。ただ、この辺りの森は一人で歩くには危ない。俺たちは街へ戻るところだから、一緒に来ないか?」
「いいの?」
「助けてもらった礼くらいはさせてくれ」
「……助かる」
今のジンに、断る理由はなかった。
そこでジンは、地面へ転がっている二人の男へ視線を向ける。
「こいつらはどうする?」
「連れて帰るよ」
ローディはそう言うと、仲間たちと手分けして二人の武器を取り上げ、持っていた縄で手を縛った。
「街まで運んで、衛兵に引き渡す。ここで放っておいたら、また誰か襲うかもしれないからな」
「なるほど」
二人は荷馬車の後ろへ乗せられた。
意識はあるようだったが、先ほどまでの威勢はなく、抵抗する様子もない。
準備を終えると、一行はベルクへ向けて森を出発した。
◇
荷馬車は、森の中をゆっくりと進んでいった。
ジンもその近くを歩きながら、周囲へ視線を向けている。
木の形。
葉の色。
鳥の鳴き声。
空気の匂い。
一見すると日本の森と大きく変わらないのに、よく見れば知らないものがいくつも混じっている。
「やっぱり、異世界なのか……」
「異世界?」
隣を歩いていたローディが首を傾げた。
「あ、いや。独り言」
ジンは軽く誤魔化し、そのまま気になっていたことを聞いた。
「さっき言ってた魔法って、そんなに普通に使えるものなの?」
その質問に、今度はローディたちの方が驚いた。
「……え?」
「魔法を知らないのか?」
「全然」
少し後ろを歩いていた魔法使いの少女が、不思議そうにジンを見る。
「子供でも簡単な魔法なら使えるよ。火を点けたり、水を少し出したりするくらいなら」
「生活魔法って呼んでる」
ローディが補足した。
「……そんなに普通なんだ」
ジンは思わず空を見上げた。
どうやら、自分が思っている以上に根本から常識が違うらしい。
「でも」
魔法使いの少女が言う。
「さっきジンが使ったのは、何の魔法だったの?」
「使ってないよ」
「え?」
「身体を動かしただけ」
四人の反応が止まった。
ローディが一度笑いかけたものの、ジンの顔を見て、そのまま口を閉じる。
「……本当に?」
「本当に」
「いや、でも……」
回復を担当している少女が、戸惑ったようにジンを見る。
「魔力を感じなかったのは本当。私も、それが気になってた」
「俺もだ」
ローディが腕を組む。
「魔法を使わなかったなら、それはそれで変なんだよな……」
「そうなの?」
「普通は、魔力くらい感じるからな」
「使ってなくても?」
「多少は」
その言葉に、ジンは自分の手を見る。
見たところ何も変わっていない。
当然ながら、自分ではその「魔力」とやらを感じることもできなかった。
「そんなに珍しい?」
「俺は初めて見る」
ローディが答え、他の三人も頷いた。
「街に着いたら、ギルドで調べてもらった方がいいかもな。何か分かるかもしれない」
「ギルド?」
「ああ、冒険者ギルド。依頼を受けたり、冒険者として登録したりする場所だ。こういう時も、相談すれば何か教えてくれると思う」
「なるほど」
ジンは小さく頷いた。
まず必要なのは情報だった。
自分がどこにいるのか。
魔法とは何なのか。
魔力とは何なのか。
そして、自分には何が起きているのか。
分からないことがあるなら。
一つずつ調べればいい。
◇
それから数時間後。
長く続いていた森が途切れ、視界が一気に開けた。
「おお……」
思わず声が漏れる。
遠くに、高い石造りの壁が見えた。
広い範囲を囲む巨大な防壁。その中央には大きな門が開かれ、人や荷馬車が絶えず出入りしている。
「着いた」
ローディが笑った。
「ここがベルクだ」
荷馬車とともに門へ近づくと、警備をしていた兵士が簡単な確認を行った。ローディたちが冒険者だと分かると、特に揉めることもなく通される。
ジンもその後に続き。
門を抜けたところで、思わず足を止めた。
「……」
街が、生きていた。
石畳の道を人々が行き交い、露店からは焼いた肉や香辛料の匂いが漂っている。商人の呼び声が重なり、その横を子供たちが笑いながら走り抜けていった。
そこまでは、知らない国へ来たと思えば理解できる。
だが。
通りの端で、男が掌へ小さな火を灯した。
別の場所では、女性が指先から流した水で果物を洗っている。
少し先では、荷車を押している青年が手を向けると、ふわりと風が起こり、重そうだった荷物が僅かに軽くなったように前へ進んだ。
「……本当にあるんだな」
ジンは呟いた。
「何が?」
「魔法」
ローディが吹き出した。
「だから言っただろ。普通だって」
「いや……」
ジンはもう一度、街の中を見渡した。
「俺には全然普通じゃない」
魔法が特別なものとして存在しているのではない。
火を起こす。
水を出す。
荷物を運ぶ。
生活そのものに溶け込んでいる。
こちらの人間にとっては、これが日常なのだ。
ローディが通りの先を指差した。
「あそこが冒険者ギルド」
街の中心へ近づくにつれて建物は大きくなっており、その中でも一際目立つ建物が見える。入口には人の出入りも多かった。
「今日はもう遅いし、登録するなら明日の方がいい。宿なら知ってるところを紹介するよ」
「ありがとう。何から何まで」
「気にするなって。こっちは命を助けてもらってるんだから」
ジンは頷き、再び歩き始めた。
この世界へ来てから。
初めて少しだけ、足場ができたような気がした。
街がある。
人がいる。
言葉も通じる。
少なくとも今夜、森で野宿する必要はなさそうだった。
だが。
何も分かっていないことに変わりはない。
宿へ向かいながらも、ジンの視線は街のあちこちで使われている魔法を追っていた。
掌の火。
流れる水。
風。
そのたびに、新しい疑問が浮かんでくる。
どうやって出している。
何を使っている。
魔力とは何だ。
自分にはなぜ、それがない。
「……まずは、魔法からだな」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
知らないものは。
まず見る。
試せるなら試す。
分からなければ調べる。
そうして一つずつ理解していけばいい。
それが、ジンのやり方だった。




