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『魔力ゼロの武術家 ~異世界を修練空間(トレーニングモード)で攻略する~』  作者: いなる


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第43話 ジン対グレド

 先に動いたのはジンだった。


 走らない。


 剣も構えない。


 ただ普段と変わらない歩幅で、グレドへ向かって歩いていく。


「……」


 グレドの眉が僅かに動いた。


 槍先はすでにジンの腹を向いている。


 一歩進めば、槍も動く。


 ジンが右へ寄れば穂先も右へ。


 左へ戻れば、やはり追う。


 バルドの時と同じだった。


 剣の間合いへ踏み込むより先に、必ず槍が身体の正面へ置かれる。


「どうした」


 グレドが言った。


「近づかねば、何も始まらんぞ」


「分かってる」


 ジンは歩みを止めない。


 あと一歩。


 ここから先へ入れば、槍の間合いに入る。


 その瞬間。


 グレドの右腕が僅かに動き、穂先がジンの腹へ伸びた。


 だが。


 同時にジンの剣が動く。


 斬らない。


 払わない。


 ただ右斜め上から、槍の柄へ静かに重ねた。


 カチッ。


 小さな金属音が鳴る。


「……?」


 グレドの目が僅かに細くなる。


 剣と槍は触れている。


 それだけだ。


 ジンは押さない。


 グレドも槍を引かない。


 数瞬。


 二人はそのまま止まった。


「何をしている?」


 グレドが尋ねる。


「試してる」


「何を」


「これ」


 ジンの剣が、ほんの僅かに動いた。


 強く押すのではない。


 相手に意識されない程度の、ごく弱い圧だけを槍へ乗せる。


 押し込まない。


 弾かない。


 圧を変えずに、その接点だけをゆっくりずらしていく。


 すると。


 槍が動いた。


「――!」


 グレドの右腕が無意識に反応する。


 押された分だけ、身体は槍を元の位置へ戻そうとする。


 身体は、崩れたままでいることを嫌う。


 傾けば戻ろうとし、重心がずれれば、より安定した位置を探す。


 だが、強く押せば気づかれる。


 身体を崩されたと認識した瞬間、相手は槍を引き、接点そのものを切ってしまう。


 だからジンは押さない。


 押されていると意識されないほど弱く、ただ剣を触れさせたまま圧だけを乗せる。


 グレドの身体が自分から元へ戻ろうとする。


 ジンが狙ったのは、その無意識の反応だった。


 ジンはその槍を戻そうとする無意識の力に逆らわない。


 戻ろうとする方向へ僅かに道を作り、その行き先だけをさらに上へずらす。


 その結果。


 グレド自身の力で、槍が持ち上がっていく。


「な……」


 槍先が上がる。


 右肘が上がり、肩もついてくる。


 崩れかけた姿勢を元へ戻そうとするほど、グレドの身体はジンの持つ剣との接点を頼るように動いてしまう。


 安定した場所へ戻ろうとする。


 だが、その安定するはずの位置を、ジンが少しずつずらしている。


 半歩。


 グレドの右足が前へ出た。


 その瞬間、重心が僅かに浮く。


 そして初めて、槍先がジンの腹から外れた。


「今の……」


 人間側から声が漏れる。


「槍が勝手に上がった?」


「違う」


 グレドが答えた。


 その声には驚きと同時に、隠しきれない喜色が混じっている。


「魔力を感じぬ。これは……ただの技術か!」


 ジンは答えず、そのまま槍の内側へ一歩踏み込んだ。


    ◇


 そこから決着までの流れは早かった。


 槍の間合いを抜けた瞬間、グレドの左腕が動く。


 巨大な盾が壁のようにジンの前へ滑り込み、視界を塞いだ。


 ジンは止まらない。


 地面を強く蹴ることもなく、身体を滑らせるように距離を詰めながら、剣を大きく振り上げる。


「まずはその盾をぶっ壊す!」


    ◇


 空気が変わった。


 グレドの表情から笑みが消える。


 人間側も息を呑んだ。


「盾を?」


「あれを?」


「無理だろ……」


 セイルの大魔法すら受け止めた盾だ。


 巨大な氷塊をまともに受けても、傷一つつかなかった。


 その瞬間。


 グレドの全身を覆っていた魔装が薄くなり、黒い力が左腕へ、そして大盾へと集束していく。


 魔装。


 武器や防具へ魔力を纏わせ、強度と硬度を飛躍的に引き上げる魔族の技術。


 ただでさえ分厚い大盾が、さらに黒く染まる。


 輪郭そのものが重くなったように見えるほど、魔力が凝縮されていた。


「ジン」


 アインが気づく。


「お前……」


 グレドは盾を正面へ構えた。


 傾けない。


 流さない。


 真正面から受け止める構え。


「やってみろ!」


 盾の裏。


 左腕。


 腰。


 脚。


 そして地面。


 全てが一直線に繋がる。


 ジンの口元が僅かに上がった。


「受けてみろ!」


    ◇


 最初から。


 盾を壊すつもりなどなかった。


 狙っていたのは。


 これまで巧みに攻撃を流してきたグレドに、あえて正面から受け止めさせること。


 ただそれだけだった。


「……かかった!」


 アインが呟く。


 ジンは助走をつけない。


 滑るように前へ出る。


 そして盾の目前で右膝を持ち上げた。


 だが。


 蹴りではない。


 大きく振りかぶることもない。


 前進の流れの中で、そのまま脚が上がる。


「なにを――?」


 グレドの声が途切れた。


 踵が盾へ触れる。


 トン。


 小さな音。


 その瞬間。


 グレドの巨体が後方へ弾かれた。


    ◇


 ジンの身体は止まっていなかった。


 前へ進む力を切らずに全身へ通し、そのまま踵から盾へ伝える。


 盾は魔装で強化され、グレドの身体と一体化していた。


 だからこそ。


 盾へ入った力はそこで潰れず、逃げず、そのまま本体へ伝わった。


 盾や物を壊す為の蹴りではなかった。この技術は身体、脚を使いニュートンのゆりかごを再現した結果だった。


「――な!?」


 グレドの身体が宙に浮く。


 魔族側から声が上がった。


「グレド様!」


 だが。


 ジンは追撃しない。


 ただ、近くに残った槍の柄を左手で掴む。


 グレドが後方へ飛ばされる中、槍だけがその場へ残された。


 結果。


 グレドの体勢はさらに崩れ、その巨体が地面へ転がる。


 仰向け。


 土煙。


 そして。


 静寂。


    ◇


 誰も声を出さなかった。


 盾は壊れていない。


 だが。


 槍は奪われ、グレドは地面へ倒れている。


 その後を追うようにジンが近づき、首元へ剣を向けた。


「思ったより重いな」


 左手に持っていた槍をその場へ投げ捨てる。


「どうでもいいだろ!」


 アインの声が響いた。


 グレドはしばらく剣先を見ていた。


 やがて。


「……ふ」


 小さく笑う。


 ゆっくりと立ち上がった。


 そして盾を一度見てから、ジンへ視線を戻す。


「まだ戦える」


「だよな」


 ジンも剣を構え直した。


 数秒。


 二人はそのまま向かい合う。


 だが。


 グレドは静かに盾を下ろした。


 そのまま地面へ置く。


「俺の負けだ」


    ◇


 最初は。


 誰も、その言葉の意味を理解できなかった。


「……勝った?」


「あのグレドを?」


 一瞬遅れて。


 人間側から歓声が爆発する。


「うおおおおおおおっ!」


「勝った!」


「やったぞ!」


 フィナは胸へ手を当て、大きく息を吐いた。


 アインも肩から力を抜く。


「意味分かんねえ……」


 ジンも剣を下ろしつつ後退。残心。


 安全圏まで下がり、ようやく全身から警戒を解く。


 だが。


「ジン」


 グレドが呼んだ。


「ん?」


 歓声の中。


 グレドはもう一度、真正面からジンを見る。


「一つ」


 少し間を置く。


「個人的な頼みを聞いてくれないか」


 ジンが首を傾げた。


「頼み?」


「ああ」


 グレドは地面へ置いた槍と盾を見る。


「素手で」


 そして。


 笑った。


「もう一度、俺と立ち会ってもらいたい」


 周囲の歓声が、少しずつ静まる。


「は?」


 アインが声を漏らした。


「お前、まだやる気かよ」


「軍を動かすつもりはない」


 グレドが答える。


「俺個人の頼みだ」


 そして魔族側へ一度目を向ける。


「この立ち会いで俺が勝とうが負けようが、軍は一度退かせる。それは約束する」


「……」


 ジンは少しだけ考えた。


 グレドは待つ。


 やがて。


「いいよ」


 ジンが答えた。


 グレドの口元が上がる。


「そうか!」


「ただし」


 ジンが続ける。


 少しだけ。


 間が空いた。


「条件がある」

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