第39話 魔物の群れ
火と風、光の魔法が北門の上から一斉に放たれ、森の中から飛来した黒い光と正面からぶつかった。
直後。
轟音とともに空中で魔力が弾け、その衝撃が爆風となって周囲へ広がる。
「伏せろ!」
アインの声に三人が反射的に身を低くすると、焼けるような熱風が頭上を通り過ぎ、後ろにいた冒険者たちの外套まで大きく揺らした。
「うわ……」
風が収まるのを待ってから、ジンがゆっくり顔を上げる。
「これが戦争?」
「まだ戦争って規模じゃねえ!」
アインが怒鳴る。
「これで?」
「本気で軍同士がぶつかったら、こんなもんじゃない!」
「聞かなきゃよかった」
「聞いたのお前だ!」
「来ます!」
フィナの声に二人が振り向く。
森の中から五匹のグレイウルフが飛び出し、そのまま北門へ向かって全力で走ってきていた。
人間側を狙っている。
最初はそう見えた。
だが。
「違う」
ジンが立ち上がる。
「こっち見てない」
先頭を走るグレイウルフは、目の前にいる兵士たちではなく、何度も自分が出てきた森の方を振り返っていた。
後続も同じだ。
牙を剥いて襲いかかろうとしているのではない。
ただ何かから逃げるように、前だけへ走っている。
「止めろ!」
兵士が叫ぶ。
「門へ入れるな!」
弓兵が放った矢が、先頭を走っていたグレイウルフの脚へ突き刺さった。
「ギャン!」
一匹が地面を転がる。
それでも後続は立ち止まらず、倒れた仲間を飛び越えて走り続けた。
「……やっぱり逃げてる」
「分かってる!」
アインが腰の短刀へ手を伸ばす。
「でも、このまま門の中へ入れるわけにもいかねえ!」
「だよな」
直後、一匹のグレイウルフがジンへ向かって飛び込んできた。
ジンは真正面から待たない。
牙が届く直前に身体を横へ滑らせ、すれ違う。
そのまま。
着地しようとした前脚の外側へ、足先を短く当てた。
「――っ」
強く蹴り飛ばしたわけではない。
ただ、体重を受け止めるはずだった脚へ横から僅かな力を加える。
着地点がずれた。
前へ進む勢いを支えられなくなったグレイウルフの身体が横へ傾き、そのまま地面を転がる。
「ギャンッ!」
数回転。
そのまま北門から外れた草地へ滑っていった。
「今のは?」
近くの兵士が声を上げる。
「転ばせただけ」
「だけって……」
その横から、今度は別のグレイウルフが飛び込んでくる。
ジンは牙を外し、下顎へ掌を添えた。
押さない。
上へ。
ほんの僅かに跳ね上げる。
顎が上がれば視線が上がり、首が伸び、前脚へ乗っていた体重が浮く。
その瞬間、ジンは肩を入れた。
ドッ。
グレイウルフの身体が横へ弾かれ、そのまま別の方向へ転がっていく。
「殺さないのか?」
「今は逃げてるだけだから」
「それでその処理できるのかよ……」
◇
その後も、魔物たちは次々と森から飛び出してきた。
グレイウルフ。
角ウサギ。
タスクボア。
クラウンディア。
本来なら同じ場所へこれほど多く集まるはずのない魔物たちが、種類も縄張りも関係なく、一つの方向へ走り続けている。
「本当にバラバラだな」
ジンは迫る魔物たちを視野へ入れながら言った。
「ああ」
アインも頷く。
「群れじゃない。逃げてる方向が同じだけだ」
その時、通常サイズのタスクボアが一頭、兵士たちの隊列へ向かって突っ込んできた。
「下がれ!」
槍兵が武器を構える。
だがジンがその前へ滑り込んだ。
「また行くのか!」
「殺さなくていい」
「だからって――」
タスクボアが頭を低くし、二本の牙を前へ突き出す。
ジンはその真正面から一歩だけ外れた。
牙が身体の横を通り過ぎる。
その瞬間、右手を牙の根元へ添える。
硬い。
太い。
だが、押し返す必要はない。
牙そのものを支点にして、すでに下がっている頭をさらに僅かに内側へ送る。
「ブオッ!?」
首が傾く。
肩がついてくる。
頭の向きが変わったことで、前脚の一方へ体重が集中した。
そこへジンが足を差し入れる。
引っ掛ける。
それだけ。
自分の勢いを支えきれなくなったタスクボアが、前脚から崩れた。
巨体が横へ転がる。
ドンッ!
土が舞った。
「……今、牙触っただけだよな?」
兵士が呆然とする。
「牙だけじゃないよ」
「何が違うんだよ!」
「首と脚も崩した」
「見えねえよ!」
◇
少し離れたところでは、アインも別の魔物たちを相手にしていた。
二匹のグレイウルフが左右から迫る。
「アイン!」
フィナが声を上げる。
「見えてる!」
アインは短刀を抜かなかった。
代わりに右手の人差し指を一匹へ向ける。
パチッ。
小さな閃光。
広く照らす必要はない。
狙ったのは。
右目だけ。
「ギャッ!?」
グレイウルフが反射的に顔を逸らし、着地点を狂わせる。
そこへアインが身体を入れ、肩で押し流す。
もう一匹が横から飛びかかる。
その瞬間。
アインの左手が腰へ走った。
取り出したのは短刀ではない。
細長い革。
しなりながら空気を切る。
バシンッ!
革の先端がグレイウルフの鼻先を叩いた。
「ギャン!」
突然の痛みに頭を振り、突進の軌道が外れる。
「……それ新しいな」
少し離れたところからジンが言った。
「今聞くか!?」
アインが革を引き戻す。
「鞭?」
「短いやつな!」
「いつ買った?」
「この前!」
「なんで?」
「ワイヤー張ってる暇がない時用だ!」
「なるほど」
「納得してる場合じゃねえ!」
別のグレイウルフが迫る。
アインが手首を返す。
革鞭が弧を描き、前脚へ巻きついた。
柔らかい革なら、そのままでは簡単に振りほどかれる。
だが。
絡んだ部分へだけ。
僅かな魔力を流す。
一瞬。
革が硬く張った。
「ギャッ!?」
前脚を取られ、グレイウルフが前のめりに倒れる。
接触が外れた瞬間には、革鞭はまた柔らかく戻っていた。
「お」
ジンが目を細める。
「そこだけ硬くした?」
「そうだよ!」
「ワイヤーと同じ?」
「応用!」
「便利だな」
「だから戦え!」
「戦ってるよ」
◇
フィナの方へ一匹のグレイウルフが回り込む。
「フィナ!」
「はい!」
フィナは杖を両手で握り、そのまま横から大きく振り抜いた。
ゴッ。
鈍い音。
杖がグレイウルフの横顔へ直撃し、身体が地面を滑る。
「また杖で殴ってる」
ジンが言った。
「今はいいでしょう!」
「いや、強いなって」
「褒めてます!?」
「多分!」
◇
さらに一頭。
今度はクラウンディアが暴走するように走ってくる。
大きく枝分かれした角。
兵士が避けきれず、正面に残った。
「危ない!」
ジンが間へ入る。
クラウンディアの角が目前まで迫る。
だが。
角の先端は触らない。
引っ掛かれば危険だ。
狙うのは根元。
頭部に近い、まだ動きの少ない部分。
ジンは身体を横へ流しながら片手を添え、そのまま首の向きを僅かに外へ導く。
大きな角が人間の横を通り抜けた。
首が動けば、身体も追う。
クラウンディアは兵士を避けるように進路を変え、そのまま草地へ走っていく。
「今度は角かよ……」
「使えるところ使っただけ」
「お前そればっかだな!」
◇
戦場は、少しずつ奇妙な形へ変わり始めていた。
北門前には兵士と冒険者が防衛線を作り、その間を森から逃げてきた魔物たちが突破しようとしている。
そして、そのさらに奥。
森との境界には、黒い装備をまとった魔族たちがいた。
「……」
ジンは目の前の魔物をいなしながら、その動きも視野の中へ置いていた。
おかしい。
魔族たちは、人間側へ一斉に突撃しているわけではない。
むしろ。
「アイン」
「何だ!」
「あいつら」
「分かってる!」
アインも気づいていた。
一人の魔族兵が、森から飛び出そうとしたグレイウルフへ横から蹴りを入れ、街とは別の方向へ進路を変える。
別の魔族は黒い鎖のような魔術を生み出し、タスクボアの前脚へ絡ませて転倒させていた。
どちらも、倒した後にとどめを刺していない。
「街へ追い立ててるんじゃない……」
フィナが呟く。
「むしろ止めてる?」
「そう見える」
アインが答える。
その直後。
「撃て!」
人間側から火球が飛んだ。
「防げ!」
魔族側から黒い光が走り、火球とぶつかる。
また爆発が起きた。
人間が撃つ。
魔族が返す。
魔族が返せば、人間はさらに撃つ。
どちらが先だったのか。
もう、それすら意味を持たなくなり始めている。
「……最悪だな」
アインが小さく呟いた。
「何が?」
「どっちもだ」
一度、周囲を見回す。
「相手が先に攻撃したって思ってる」
◇
ズン。
突然、足元が揺れた。
「……?」
ジンが動きを止める。
もう一度。
ズン。
ズン。
「何だ?」
近くの兵士が辺りを見回した。
「地震か?」
「違う」
アインが森を見る。
その直後、奥にいた鳥の群れが一斉に飛び立った。
一本の木が大きく揺れ、その向こうでも別の木が傾く。
そして。
バキィッ!
太い幹が、何かに押し倒されるようにへし折れた。
「おい……何か来るぞ」
木々が次々となぎ倒されていく。
逃げていたグレイウルフたちが進路を空けるように散り、タスクボアまで慌てて横へ飛び退いた。
さらに。
森の中にいた魔族兵たちまで、その進路から離れていく。
「……大きい」
フィナの顔が僅かに青ざめた。
「魔力?」
「違います。もっと……単純に、大きい何かが」
次の瞬間。
森が弾けた。
「ブオオオオオオオッ!」
折れた枝葉を撒き散らしながら、一頭のタスクボアが飛び出してくる。
「……は?」
誰かが声を漏らした。
同じタスクボアだ。
だが。
大きさが違いすぎる。
灰褐色の胴体は異様なまでに肥大し、太い四肢は木の幹のように地面を踏みつけている。前方へ突き出した二本の牙も通常個体とは比較にならず、全長は三メートルを軽く超えていた。
「タスクボア……だよな?」
「あんなデカい奴見たことねえぞ!」
「変異個体か!?」
巨大なタスクボアは一切速度を落とさず、一直線に北門へ向かってくる。
「散れ!」
兵士たちが進路から逃れる。
だが門の向こうでは、まだ避難している住民たちが行き交っていた。
「まずい」
アインが言った。
「あれを通したら門前が崩れる」
ジンは迫る変異個体を見た。
「……」
「ジン」
「うん」
「変なこと考えるなよ」
「止める」
「それが変なことなんだよ!」
◇
変異個体が走るたび、地面が震えた。
「ジンさん!」
フィナが叫ぶ。
「正面からは無理です!」
「止めない」
ジンは変異個体から目を離さず答えた。
「曲げる」
アインの目が細くなる。
「……できる?」
「やってみる」
「それ一番怖い答えだぞ!」
距離が縮まる。
二十メートル。
十五。
十。
重い。
そして、速い。
さっきまでのタスクボアとは、まるで違う。
正面から受け止めるという選択肢は、最初からない。
ジンは全身から余計な力を抜き、迫る巨体を視野の中へ置いた。
変異個体が頭を僅かに下げる。
牙で相手を掬い上げるための姿勢。
最後の数歩。
ジンが動いた。
強く地面を蹴らない。
身体の各所をばらばらに動かすこともない。
全身が一つの動きとして横へ流れ、巨大な牙が身体のすぐ脇を通り抜けた。
その瞬間、左手を牙の根元へ、右手を頬へ添える。
どちらも強く押さない。
必要なのは、巨体を止める力ではない。
すでに前へ進んでいる頭の向きを。
ほんの僅か。
変えるだけ。
角度にすれば数度。
だが、高速で走る巨体にとっては十分だった。
頭がずれる。
それを追って肩が動く。
胴体が続く。
前脚の着地点が変わり、変異個体自身の突進力が、新しい方向へその身体を運んでいく。
「曲がった!」
兵士が叫んだ。
変異個体は北門を外れ、そのまま横の草地へ突っ込んでいく。
「ブオッ!?」
前脚が滑り、巨体が大きく傾いた。
「アイン!」
「分かってる!」
◇
そこで初めて。
アインがワイヤーを取り出した。
近くの木と打ち込まれていた杭を利用し、三本の金属線を素早く張っていく。
「フィナ!」
「はい!」
「左へ行かせるな!」
「どうやって!?」
「音でも光でも何でもいい!」
「雑!」
フィナが杖を地面へ叩きつけ、そのすぐ横で小さな光を弾けさせた。
「こっちです!」
眩しさに反応し、変異個体が反射的に頭を向ける。
「ブオッ!」
「効いた!」
「フィナすごい!」
「今褒めなくていいです!」
アインが最後のワイヤーを張り終える。
「ジン!」
「うん!」
変異個体が体勢を立て直した。
そして今度は、明確にジンへ頭を向ける。
「怒ってるな」
「当たり前だろ!」
アインが叫ぶ。
「お前、さっき顔の向き変えたんだぞ!」
「顔じゃない」
「細かい!」
再び突進が始まる。
ジンは正面から受けず、もう一度だけ進路を僅かに左へずらした。
ただし。
今度は逃がす場所が決まっている。
「今!」
前脚が一本目のワイヤーへ触れた瞬間、アインがその接点だけへ魔力を集中させた。
瞬間的に強化されたワイヤーが前脚を捉える。
「ブオッ!?」
だが、その勢いはあまりにも大きい。
一本目が弾け飛んだ。
「やっぱ一枚じゃ無理!」
「二枚目!」
続いて胸へ二本目が触れる。
アインはそこにも必要な瞬間だけ魔力を流し込み、張力を一気に上げた。
突進が僅かに鈍る。
そこへ三本目が前脚へ絡んだ。
「フィナ!」
「はい!」
今度は反対側で光が弾ける。
変異個体の頭が反射的に動いた。
頭が動けば肩が動く。
前脚の位置が変わり、すでに崩れかけていた重心がさらに片側へ寄る。
「今!」
ジンがその肩へ触れた。
押し倒す必要はない。
すでに倒れ始めている方向へ、ほんの僅かだけ動きを足す。
あとは。
変異個体自身の突進力が、自分の身体を地面へ運んだ。
ドォン!
巨体が横倒しになり、土煙が大きく舞い上がる。
「倒れた!」
「縄!」
アインの声で、呆然としていた兵士や冒険者たちもようやく動き出した。
「前脚!」
「牙に近づくな!」
「首じゃなくて胴から回せ!」
アインが次々と指示を出し、太い縄が前脚、後脚、胴体へ回されていく。
「もっとだ!」
「こいつ起きるぞ!」
「ブオオオオッ!」
変異個体が暴れた。
何本もの縄が一斉に張り、一人の兵士がそのまま引きずられそうになる。
「うわっ!」
「アイン!」
「足りねえ!」
「ワイヤーは?」
「使う!」
アインは縄の上からさらにワイヤーを回し、力が集中する場所だけを補強していく。
必要な瞬間。
必要な場所。
そこへだけ魔力を流す。
何度かワイヤーが軋み、ようやく変異個体の動きが止まった。
「……捕まえた?」
フィナが息を整えながら尋ねる。
「多分」
「多分?」
「起きたらまた考える」
「怖いな」
◇
周囲の兵士たちは、縛り上げられた巨大なタスクボアを呆然と見ていた。
そのうちの一人が、ジンへ顔を向ける。
「お前ら……なんで殺さなかった?」
ジンは荒い鼻息を上げ続けている変異個体を見る。
「逃げてきただけだから」
「いや、それは分かるけど」
兵士が困ったように頭を掻く。
「普通、あんなのが門に突っ込んできたら討伐するだろ」
「そうなの?」
「そうだよ!」
なぜかアインが代わりに叫んだ。
「じゃあ」
ジンはもう一度、巨大なタスクボアを見る。
「これ、食べられる?」
「……」
兵士が止まる。
フィナも止まる。
アインが額を押さえた。
「お前」
「何?」
「さっきまで『逃げてきただけだから殺さない』って言ってなかった?」
「うん」
「で?」
「落ち着いたら食べる」
「理屈どうなってんだ!」
「食べるためなら無駄じゃないだろ?」
「そういう問題か!?」
近くにいた別の兵士が、縛られた変異個体を眺めながら口を挟んだ。
「……タスクボアなら食えるぞ」
「お」
「肉は結構うまい。ただ……ここまでデカい奴が同じ味かは知らん」
「マジ?」
ジンが少し笑った。
「じゃあ、後で確認しよう」
「食べるの決定なんですね……」
フィナが呟いた。
◇
その時。
森側から再び大きな轟音が響いた。
三人が振り返る。
人間と魔族の戦闘は終わっていない。
むしろ、先ほどより激しさを増していた。
「休んでる場合じゃないな」
アインが短刀を握り直す。
「タスクボアは?」
「兵士に見てもらう」
ジンが近くの兵士へ顔を向けた。
「逃がさないでください」
「俺たちが!?」
「食べるから」
「そこ重要か!?」
「重要」
アインが盛大にため息を吐いた。
「行くぞ」
「うん」
フィナも杖を握り直し、三人は再び森側へ向かった。
◇
戦線へ近づくほど、別の異変もはっきり見えるようになった。
人間側の魔法使いが一人、杖へ縋るように膝をついている。
「くそ……魔力が戻らねえ……」
その少し先では、剣士の身体を覆っていた強化魔法の光が明らかに弱くなっていた。
「まだそんなに戦ってないだろ……なんで、もう……」
フィナの表情が変わる。
「ジンさん」
「うん」
「やっぱり、この辺りも魔力の戻りが遅いです」
アインが周囲を見回す。
「単純に戦闘で使いすぎてるだけじゃないのか?」
「それもあります。でも……」
フィナは森の方角へ意識を向ける。
「周りから入ってくる量そのものが少ないです」
人間側の魔法使いたちは、大きな魔法を何度も放っている。
剣士たちは身体強化を維持し、防護魔法も各所で使われ続けている。
一回ごとの消費も大きい。
それなのに、周囲からの補充がほとんどない。
「……まずいな」
アインが言った。
「何が?」
「このままだと、人間側から先に魔力切れを起こす」
◇
もちろん。
魔族側も無傷ではなかった。
肩で息をする者もいる。
魔術を使った直後に動きが鈍る者もいる。
彼らもまた、この土地から十分な魔力を取り戻せてはいない。
だが。
その中に。
明らかに動きの落ちていない者たちがいた。
十人。
黒い装備をまとい、他の魔族兵とは明らかに違う動きをしている。
「……あいつら」
アインが目を細めた。
人間側の上位冒険者が、一人へ剣を振り下ろす。
魔族兵は大きく避けない。
短剣をその軌道へ添える。
そして。
剣と短剣が触れる、その瞬間だけ。
前腕から短剣へ黒い光が走った。
カンッ!
人間の剣が横へ流れる。
接触が終わると同時に、黒い光も消えた。
「な――」
体勢を崩した冒険者へ魔族兵が踏み込む。
地面を蹴る。
その一瞬だけ脚へ黒い光が集まり、速度が跳ね上がる。
距離を詰めた時には、もう消えている。
肘が腹へ入った。
「ぐっ!」
冒険者が崩れ落ちる。
別の場所では、一人の魔族兵へ火球が迫っていた。
男が左腕を上げる。
火球が触れる直前だけ前腕が黒く染まり、その軌道を僅かに横へずらす。
火球が身体の脇を通り過ぎた時には。
そこに光は残っていなかった。
「……ずっと使ってない」
ジンが呟いた。
「何を?」
「魔術」
ジンは十人の動きを視野の中へ入れたまま答える。
「出しっぱなしにしてない。必要な瞬間に、必要な場所だけ使ってる」
アインの表情が変わった。
「……俺と」
「うん」
「似てる」
その言葉を聞いたフィナが、戦場から目を離さないまま答える。
「似てます。でも、少し違います」
「違う?」
「はい」
フィナは黒い光を一瞬だけ纏って戦う魔族たちを見る。
「あれは、人間が使う魔法とは違います。魔族が使うのは魔術です」
ジンが横を見る。
「前に言ってたやつ?」
「はい」
フィナが頷く。
「人間の魔法は、火を出す、水を生み出す、風を起こす、身体を強くする……起こしたい現象を形にすることを重視します。そのために、ある程度まとまった魔力を流すんです」
その間にも、一人の魔族兵が攻撃を受ける瞬間だけ腕へ黒い光を纏い、剣を逸らした。
「でも魔術は、魔力そのものをもっと細かく扱います。どこへ流すか、いつ使うか、どれだけ使うか。それを細かく組み立てて、必要な結果を作るんです」
「だから」
アインが魔族兵を見る。
「必要な瞬間しか使わない?」
「そういう使い方ができるんです。人間の魔法より細かな操作が必要になる分、扱うのは難しいって聞いてます。でも、その分だけ無駄も少ない」
「必要な時だけ、必要な場所へ」
「はい」
アインはしばらく黙った。
魔力量が少ないから。
無駄を減らした。
必要な場所へ。
必要なだけ。
自分がずっと磨いてきたやり方。
だが。
目の前の魔族たちは、それを一人の工夫ではなく、一つの戦闘技術として使っている。
「……俺と似てる」
「うん」
ジンが答える。
「でも」
アインは少しだけ苦い顔をした。
「俺より完成してる」
◇
そして。
その十人のさらに後ろに。
一人の男が立っていた。
黒い鎧。
長槍。
身体の半分近くを隠せそうな巨大な盾。
他の魔族より頭一つ以上大きく、ただ立っているだけでも周囲とは明らかに存在感が違う。
それでも、自分から戦場へ入ろうとはしていなかった。
男はただ静かに、戦況全体を見ている。
「あれ」
ジンが言った。
「多分、一番強い」
アインも男へ視線を向ける。
「グレド」
「知ってる?」
「名前だけだ。魔王軍の将だ」
「どんな人?」
「今見れば分かるだろ」
グレドは動かない。
だが、その視線だけは絶えず戦場を動いていた。
人間側の消耗。
魔族側の負傷。
森から逃げ続ける魔物。
直属らしい十人の位置。
そして。
戦線そのものの動き。
「……」
ジンはしばらく、その姿を見ていた。
目の前の敵だけを見ていない。
自分が戦うことだけを考えていない。
人。
魔族。
魔物。
位置。
消耗。
流れ。
戦場そのものを、一つの状況として見ている。
そんな気がした。




