第38話 逃げてくるもの
ベルクへ戻った三人は、そのまま冒険者ギルドへ向かった。
入口まで来たところで、フィナが扉を前にして足を止める。
「……なんて言います?」
「全部」
アインは迷わず答えた。
「本当に?」
「ああ」
「魔族と話したことも?」
「それも」
「遺跡のことも?」
「それもだ」
フィナはまだ少し不安そうだった。
「怒られませんか?」
「怒られるだろうな」
「やっぱり……」
「でも」
アインはそう言いながら扉へ手を掛ける。
「隠すよりマシだ」
「それに」
ジンも横から続けた。
「遺跡が原因だって決まったわけじゃない。俺たちがそうかもしれないって考えてるだけだし」
「そうだ」
アインが頷く。
「見たことと、考えたことを分けて話す。それでいい」
「なんか今日のアイン」
「何だ」
「すごいちゃんとしてる」
「いつもちゃんとしてるわ」
◇
報告場所は、今回も会議室になった。
「……魔族と接触した?」
机の向こうで、支部長代理が低い声を出す。
「はい」
ジンが答えた。
「会話もしたのか?」
「はい」
「戦闘は?」
「してない」
今度はアインが答える。
「少なくとも、その場では向こうにも戦う気はなかった」
「……」
支部長代理は両手を組むと、少しだけ考えるように三人を見た。
「最初から説明しろ」
◇
三人は、南西へ出てからの出来事を順番に報告していった。
南側では普通だった周辺の魔力が、森へ入り、ある程度進んだところから薄くなっていたこと。
植物の色が僅かに薄くなっていたこと。
魔物の足跡が街側へ向かっていたこと。
そして、その先で一人の魔族と接触したこと。
「長い耳。灰色がかった肌。女。腰に細身の剣、背中に短弓」
支部長代理が確認する。
「他に特徴は?」
「見た目で分かるのはそのくらいだ」
アインが答えたあと、少しだけ考える。
「ただ、森の移動にはかなり慣れてた」
「どの程度だ」
「俺が気づくまで、かなり近くまで来られてた」
その言葉に、支部長代理の目が僅かに細くなった。
「お前が?」
「ああ」
「……」
「何だよ」
「いや。続けろ」
アインは少しだけ怪訝そうな顔をしたが、それ以上は気にせず話を続けた。
◇
「土地が死に始めている……か」
支部長代理は、魔族の女が口にした言葉をゆっくり繰り返した。
「間違いなくそう言ったんだな?」
「はい」
フィナが頷く。
「それから、私が魔力が薄くなっていることを聞いたら、『気づいたか』って」
「……」
支部長代理はしばらく黙り、やがて低く言った。
「つまり、奴らは魔力低下について把握している」
「多分」
ジンが答える。
「原因も知ってるかもしれない」
「それは推測だ」
男がすぐに返す。
「うん。だから、そう言った」
「……」
あっさり認めたジンを一度見てから、支部長代理は続きを促した。
「あと」
ジンが言う。
「俺が『遺跡』って言った時、あの人が反応した」
「どう反応した?」
「ほんの一瞬、表情が変わった」
「それだけか?」
「それだけ」
「なら証拠にはならん」
「うん」
ジンもそこは否定しなかった。
「でも、気にはなるだろ?」
「……」
支部長代理は答えなかった。
◇
「これで俺たちの報告は――」
「待て」
アインが話を終えようとしたところで、支部長代理が止める。
「その魔族は、自分たちを魔王軍だと言ったのか?」
「言ってない」
「所属は?」
「答えなかった」
「人数は?」
「接触したのは一人だけだ」
「周囲に他の気配は?」
「俺には分からなかった」
「目的は?」
「警告だと言ってた」
ジンが答えた。
「何のために人間へ警告する」
「それも聞いた」
「何と?」
ジンは森で交わした言葉を思い出す。
「このまま進めば、ベルクだけでは終わらないって」
一度言葉を切る。
「人間も、魔族も、魔物も関係ない。土地が死ねば全部同じだって」
部屋が静かになった。
支部長代理はしばらく何も言わず、ただ机の上の報告書を見つめていた。
◇
「……分かった」
やがて、男が口を開く。
「報告は受理する。明日、王国軍へ追加報告を送る」
「追加?」
「魔族との接触が確認された。それだけでも十分に追加報告が必要だ」
「待って」
ジンが口を挟む。
「何だ」
「会話の内容は?」
「当然送る」
「向こうから戦おうとしなかったことも?」
「送る」
「警告してきたことも?」
「送る」
「ならいい」
支部長代理が僅かに眉を寄せた。
「何が言いたい」
「いや」
ジンは少し考えてから答える。
「『森に魔族がいた』だけで伝わったら、全然違う話になるから」
「……」
「俺たちが見た限り、少なくともあの人は、いきなり戦おうとはしなかった」
「だから?」
「だから」
ジンは言葉を選んだ。
「最初から戦う前提で向かうのは、危なくない?」
◇
部屋に沈黙が落ちた。
「ジン」
アインが小さく呼ぶ。
「分かってる」
それでもジンは続けた。
「魔王軍と人間が何度も戦ってきたことは聞いた。街が襲われたことも、人間が殺されたことも、遺跡を狙われたことも」
「なら――」
「だから警戒するのは分かる」
ジンは支部長代理を真っ直ぐ見る。
「でも、今回森にいる連中が、過去と同じ目的で動いてるかはまだ分からない」
「……」
支部長代理もしばらくジンを見返していた。
「お前は、魔族を知らない」
「うん」
「だからそんなことが言える」
「そうかもしれない」
「過去に何があったかも知らない」
「知らない」
「奴らが何人殺したかも知らない」
「知らない」
「なら」
男の声が少しだけ強くなる。
「口を出すな」
フィナの身体が僅かに強張った。
だが、ジンは怒るでもなく、ただ一度頷いた。
「分かった」
「……」
「でも、俺が見たことは全部報告したから」
ジンは静かに続ける。
「判断する人には、それを全部伝えて」
支部長代理は目を閉じた。
「……伝える」
「ありがとう」
◇
会議室を出て扉が閉まった途端、アインが大きく息を吐いた。
「お前なあ……」
「何?」
「もう少し言い方あるだろ」
「普通に聞いただけ」
「普通に聞いて相手を怒らせる才能あるよな」
「怒ってた?」
「怒ってましたよ」
フィナまで即答した。
「そっか」
「気づいてなかったんですか?」
「途中からは」
「途中から……」
フィナが困ったような顔をする。
「でも」
ジンは閉じた扉を振り返った。
「あの人も全部は否定しなかった」
「何を?」
「魔族が森の異常を知ってる可能性」
「……」
アインも扉を見る。
「ああ」
「それに、遺跡って言葉が出ると微妙に反応する」
「それは俺も思った」
フィナが二人を見比べる。
「支部長代理さんも、何か知ってるんでしょうか」
「さあな」
アインは歩き始めながら答えた。
「ただ、何も知らない奴ではなさそうだ」
◇
その夜。
三人は宿の食堂で夕食を取っていた。
「疲れた……」
席についた途端、フィナが机へ突っ伏す。
「今日は魔法、そんなに使ってないだろ」
「精神的にです」
「また?」
「魔族と話したんですよ!?」
「そうだった」
「ジンさん普通すぎません?」
フィナが顔だけ上げる。
「怖くなかったんですか?」
「怖かったよ」
「本当ですか?」
「アインが警戒してたから」
「俺基準かよ」
「だって、アインが本気で危ないと思ったら、もっと早く逃げるだろ?」
「……」
アインが一瞬黙った。
「まあ、それはそうだ」
「だから、少なくとも話せる余裕はあると思った」
「……」
フィナがジンとアインを交互に見る。
「二人とも、なんか変なところで信頼してますよね」
「してない」
「してるだろ」
「お前が言うな」
◇
しばらくは普通に食事を続けた。
パン。
スープ。
肉。
北の森とも魔族とも関係ない、いつもの夕食だった。
「なあ」
肉を切っていたジンが、ふと口を開く。
「何だ」
「魔族って、全員魔法使える?」
その言葉に、フィナが少し首を傾げた。
「正確には、魔法じゃないですよ」
「違うの?」
「はい。魔族が使うのは、魔術って呼ばれてます」
「名前が違うだけ?」
「それだけじゃないです」
フィナは少し考え、どう説明するか言葉を選んだ。
「私たち人間が使う魔法は、魔力を使って火を出したり、風を起こしたり、傷を治したり……起こしたい現象を形にすることが中心なんです」
「うん」
「でも、魔族の魔術は魔力そのものの扱い方がもっと細かいって聞いてます。どこへ流すか、どれくらい使うか、どう組み立てるか……そういう部分を細かく調整して術を作るんです」
「じゃあ、同じ火を出すにしても?」
「見た目は似ていても、そこまでの作り方が違う……みたいな感じだと思います」
「へえ」
ジンが少し考える。
「魔法より細かく制御する?」
「そういう魔術が多いみたいです。もちろん、魔族にもいろんな種族がいるので全部同じではないですけど」
「なるほど」
そこでジンは、今日会った女を思い出した。
「でも、あの人は剣と弓持ってただろ」
「ああ」
アインが頷く。
「魔術主体じゃないのかなって」
「魔術も武器も使う奴は普通にいる」
「強いな」
「だから厄介なんだよ」
フィナも頷き、それから少し思い出したように続けた。
「それと、魔族には人間より自然の魔力を扱うのが上手な種族が多いって聞いたことがあります」
「自然の魔力?」
「自分の中にある魔力だけじゃなくて、周りにある魔力も術へ取り込むのが得意だとか」
「……」
ジンの手が止まった。
「何ですか?」
「いや」
少し考える。
「じゃあ、周りの魔力が薄い場所って、魔族にとってもかなり困る?」
「……」
フィナも考えた。
「そうですね。多分、人間以上に影響を受ける種族もいると思います」
「だから監視してる?」
「何を?」
「魔力が薄くなってる場所」
ジンはフォークを置いた。
「自分たちにも関係あるから、あちこち確認して回ってる」
アインもパンを置く。
「あり得るな」
「じゃあ、人間を助けるためじゃなくて、自分たちのため?」
「両方かもしれません」
フィナが言った。
「あの人、言ってましたから。土地が死んだら、人間も魔族も魔物も全部同じだって」
三人は少しだけ黙った。
敵だから調べているのか。
自分たちのためなのか。
それとも。
そんな区別そのものが意味を持たない事態なのか。
まだ分からない。
◇
翌朝。
短く、鋭い鐘の音でジンは目を覚ました。
「……」
一度ではない。
間を置かず、何度も鳴っている。
普段聞く鐘とは明らかに違った。
身体を起こして窓を開けると、通りでは兵士たちが慌ただしく走り、外へ出てきた住民たちが不安そうにその姿を見送っている。
「何だ?」
ジンはすぐに窓を閉め、服を着た。
◇
一階へ降りると、フィナはすでに起きていた。
「ジンさん!」
「何があった?」
「分かりません。でも……」
外から、また鐘の音が響く。
短く。
何度も。
「アインは?」
「まだ――」
「ここだ」
声と同時に、階段からアインが降りてきた。
すでに装備も整えている。
「早い」
「この鐘で寝てられるか」
「何の鐘?」
「警戒鐘だ」
「何が起きた?」
「分からん。外行くぞ」
◇
通りへ出ると、兵士や冒険者たちが同じ方向へ走っていた。
北だ。
三人もその流れに沿ってギルドへ向かう。
入口にはすでに人だかりができていた。
「何があった!」
アインが知っている職員を見つけ、呼び止める。
「北だ!」
「また?」
「違う!」
職員も息を切らしていた。
「魔物の群れが北の森から出てきた!」
「数は?」
「分からん! グレイウルフ、タスクボア、王冠鹿……小型だけじゃない!」
「街へ向かってる?」
「……ああ!」
三人の表情が変わった。
「スタンピード……?」
フィナの顔から血の気が引く。
「まだそこまでとは決まってない!」
職員は首を振った。
「だが、このまま数が増えれば分からん。討伐隊を出す! 動ける冒険者は北門へ向かえ!」
◇
「どうする?」
ジンが尋ねる。
「行く」
アインは即答した。
「調査じゃないぞ」
「分かってる」
「魔族もいるかもしれない」
「それも分かってる」
アインは今度はフィナを見る。
「フィナ」
「行きます」
こちらも即答だった。
アインはほんの少しだけフィナの顔を確認する。
「無理するなよ」
「はい」
「魔力が戻りにくいところまで追うな」
「はい」
最後にジンを見る。
「ジン」
「何?」
「勝手に前出るな」
「努力する」
「約束しろ」
「……約束する」
「今の間なんだよ」
◇
北門には、すでに多くの冒険者と兵士が集まっていた。
門の向こうには平原が広がり、その先に例の森が見える。
その森から突然、鳥の群れが一斉に飛び立った。
「……来るぞ!」
誰かが叫ぶ。
僅かに地面が震え始める。
一つや二つではない。
森の中を、大量の何かがこちらへ向かって移動している。
「……」
ジンは目を細めた。
その揺れ方。
音。
木々の動き。
「逃げてる」
「何?」
アインが聞き返す。
「あれ」
ジンは森から目を離さない。
「街を襲いに来てるんじゃない」
その直後。
木々の間から最初のグレイウルフが飛び出した。
一匹。
続いて二匹。
五匹。
十匹。
それだけでは終わらない。
その後ろからタスクボアが飛び出し、クラウンディアが続き、さらに別の種類の魔物まで森から溢れ出してくる。
種類がばらばらだった。
「……」
それを見て、アインもすぐに気づいた。
「確かにおかしいな」
本来なら縄張りを持ち、出会えば争うこともある魔物たちが、互いを気にすることもなく同じ方向へ走っている。
「何かから逃げてる……」
フィナが呟いた。
しかもグレイウルフたちは、目の前にあるベルクだけを見ていなかった。
走りながら何度も後ろを振り返っている。
◇
「攻撃準備!」
北門の上から兵士の声が響いた。
待機していた魔法使いたちが一斉に前へ出て、杖や掌へ魔力を集め始める。
「待って」
ジンが言った。
「何だ?」
「あの魔物たち」
走ってくるグレイウルフを見る。
「俺たちを見てない」
「……」
アインも気づく。
目の前には街がある。
人間も。
兵士もいる。
それなのに、魔物たちの意識は別の方向へ向いていた。
森。
自分たちが逃げ出してきた場所。
「何か」
ジンはその奥を見た。
「あそこにいる」
◇
次の瞬間だった。
森の中で光が走った。
一閃。
群れの先頭近くを走っていた巨大なタスクボアの身体が、突然横へ吹き飛ばされた。
巨体が地面を転がり、その周囲を走っていた魔物たちが一斉に散る。
「攻撃!?」
フィナが声を上げる。
「こっちじゃない!」
アインはすでに短刀を抜いていた。
三人の視線が森へ集まる。
木々の間。
一つの影。
その少し横に、もう一つ。
さらに奥にも。
複数の人型が立っている。
「……魔族」
誰かが呟いた。
その瞬間。
人間側の空気が変わった。
「魔王軍だ!」
「構えろ!」
「待て!」
ジンが叫ぶ。
だが。
遅かった。
人間側から魔法が放たれる。
火。
風。
光。
それらが一斉に森へ飛んでいく。
ほぼ同時に、木々の間にいた魔族たちも動いた。
魔術。
人間の魔法とは異なる形で組み上げられた力が森から放たれ、空中で双方の攻撃がぶつかる。
爆発。
轟音と衝撃が北門の前を揺らし、風圧にジンの髪が大きくなびいた。
「……始まったぞ」
アインが低く呟く。
魔物は逃げ続ける。
人間は森へ魔法を放つ。
魔族は魔術でそれを迎え撃つ。
昨日まで別々だったものが、一つの場所で一気にぶつかり始めた。
その中で。
ジンだけは、まだ森の奥を見ていた。
本当に魔族はベルクを攻めに来たのか。
それとも、逃げる魔物を追っていたのか。
あるいは。
もっと別の何かを止めようとしているのか。
まだ答えは分からない。
ただ一つ。
分かることがある。
もう。
調べるだけでは済まなくなった。




