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『魔力ゼロの武術家 ~異世界を修練空間(トレーニングモード)で攻略する~』  作者: いなる


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第34話 薄くなる森

 三人は、そのまま森の奥へ進み続けた。


 十分。


 二十分。


 歩けば歩くほど、周囲の音は少しずつ減っていった。


 最初は気のせいにも思えた。


 だが、進むほど違和感ははっきりしてくる。


 少し前までは鳥の声が聞こえていた。虫もいたし、小型の魔物が通った痕跡も地面や木々に残っていた。


 今は、それらがほとんどない。


 聞こえてくるのは、風が葉を揺らす音だけだった。


「……気味悪いな」


 アインが小さく呟く。


「うん」


 ジンも周囲へ視線を巡らせた。


 何かがいるから不気味なのではない。


 何もいないこと自体がおかしかった。


「フィナ」


「はい」


「さっき言ってた魔力」


 フィナは杖を握ったまま、少し表情を曇らせた。


「……もっと薄くなってます」


「分かるの?」


「なんとなくですけど」


 自分の胸元へ手を当て、感覚を確かめるように続ける。


「いつもと違います」


「どう違う?」


「うーん……」


 しばらく言葉を探してから、フィナは首を傾げた。


「息を吸ってるのに、空気が少ししか入ってこない……みたいな感じです」


「苦しい?」


「そこまでじゃないです」


「魔法は使える?」


「使えます」


 そこはすぐに答えた。


 ただ、そのあとで少し考え込む。


「でも……」


「でも?」


「使った後の戻りが、遅い気がします」


「戻り?」


 ジンが聞き返すと、フィナは少し不思議そうにこちらを見た。


「魔力って、使ったら戻るの?」


「戻りますよ?」


「知らなかった」


「あ……そうでしたね」


 魔力を持たないジンには、それが当たり前の感覚なのかどうかすら分からない。


 フィナはどう説明するか少し考えてから、自分の胸元へ手を置いた。


「魔法を使うと、自分の中にある魔力が減ります。でも、時間が経つと少しずつ戻ってくるんです」


「どこから?」


「周りからです」


「……周り?」


「はい。空気とか、大地とか、水とか……そういう自然の中にある魔力を、身体が少しずつ取り込むんです」


「意識して?」


「普通はしません」


「呼吸みたいなもの?」


「……近いと思います」


 ジンは少し考え、改めて森を見回した。


「じゃあ、ここは周りの魔力が少ないから、使った分が戻ってくるのも遅い?」


「多分そうです」


 フィナが頷く。


「こんなにはっきり分かるのは、私も初めてですけど」


「なるほど」


 ジンの手が腰へ伸びた。


 ノート。


「今書くなよ」


「まだ何もしてない」


「顔で分かる」


「便利だな、それ」


「戦闘中よりはいいですけど……」


 フィナが苦笑した。


    ◇


「試していい?」


「何をですか?」


「回復魔法」


 フィナの表情が少しだけ曇る。


「使えるとは思いますけど」


「無理しなくていいよ」


「小さいものなら……私も確認してみたいです」


「じゃあ」


 ジンが自分の腕を差し出した。


「俺に」


「怪我してませんよね?」


「してない」


「回復するところがありません」


「そうか」


「自分で傷作るなよ」


 すぐ横からアインが釘を刺す。


「やらないよ」


「一応言っとく」


 フィナは周囲を見回し、少し先にある倒木の根元へ目を止めた。


「あ」


 そこには小さな草が生えていた。


 葉は萎れ、完全に枯れてはいないものの、明らかに弱っている。


「これなら」


 フィナがしゃがみ込む。


「植物にも回復魔法って使えるの?」


「簡単なものなら。傷を治すのとは少し違いますけど」


 フィナは草へ掌を近づけ、そのまま目を閉じた。


 いつもなら意識することすらない足元の魔力を探る。


 大地から。


 身体へ。


「……」


 フィナの眉が僅かに寄った。


「どうした?」


「やっぱり……少ないです」


 足元へ視線を落とす。


 それでも、自分の中に残っている魔力は使える。


 フィナは一度呼吸を整え、身体の流れを繋いだ。


 足裏から足首へ。


 膝。


 股関節。


 腰。


 背中。


 肩。


 肘。


 手首。


 そして掌まで。


 一つの螺旋として身体を繋ぎ、その流れへ魔力を沿わせる。


 淡い光が掌に宿り、弱った草を包んだ。


「……お」


 萎れていた葉が、ほんの少しだけ持ち上がる。


「できた」


「はい」


 フィナが小さく息を吐いた。


「魔法自体には問題ありません」


「消費は?」


「いつもと同じくらいだと思います」


「戻りは?」


「それは……」


 フィナはしばらく黙り、自分の身体へ意識を向ける。


「……遅いです」


「やっぱり?」


「はい。普段なら、もう少し早く周りから入ってくる感じがあるんです」


「ここでは?」


「ほとんど感じません」


 ジンは一度頷いた。


 そして今度こそノートを取り出す。


「おい」


「今はいいだろ」


「まあいいけど」


 ジンは確認できたことを書き込んでいく。


『周辺魔力濃度が低い場所』


『魔法使用――可能』


『消費量――変化なし?』


『回復速度――低下』


 そこまで書いてから、少し考える。


「つまり、自分の中にある分は普通に使える」


「はい」


「でも補充が遅い」


「そうですね」


「だったら、長く戦うほど不利になる?」


 フィナが頷いた。


「魔力をたくさん使う人ほど、そうなると思います」


 すると横からアインが口を挟む。


「なら俺にはあんまり関係なさそうだな」


「いや」


「なんだよ」


「むしろアインも結構困るんじゃない?」


「俺は元々少ないぞ」


「だからだよ」


「……あ」


 先に気づいたのはフィナだった。


「元々少ないから、戻ってくるのが遅いと……」


「使える回数が少ないままになる」


 ジンが続けると、アインは露骨に嫌そうな顔をした。


「最悪じゃねえか」


「でも一回の消費も少ない」


「それはそうだけどよ」


 ジンはノートへさらに一行足した。


『保有量と回復速度は別?』


 また一つ。


 今まで同じものとして見えていたものが分かれた。


 魔力をどれだけ持っているか。


 そして、使った魔力をどれだけ早く取り戻せるか。


 少なくとも、それは同じ能力ではない。


「何笑ってんだ」


「笑ってない」


「ちょっと笑ってましたよ」


「フィナまで」


「こんな場所で新しい発見して喜ぶな」


「喜んでないって」


「顔で分かる」


    ◇


 三人はさらに奥へ進んだ。


 そこから先は、生き物の痕跡よりも死骸の方が目につくようになった。


「……二匹目」


 アインが足を止めた先には、痩せたタスクボアが横たわっていた。


 身体に大きな外傷はなく、噛み跡も見当たらない。


 その少し先では角ウサギが倒れ、さらに進めば小型の鳥まで地面へ落ちている。


「病気じゃないの?」


 ジンが尋ねる。


「分からん」


 アインはタスクボアの身体を調べながら首を振る。


「少なくとも、何かに食われたわけじゃない」


「毒?」


「可能性はある」


 フィナもしゃがみ込み、死骸へ掌を近づけた。


「……魔力が」


「ない?」


「死んでるから、それは普通です」


「あ、そうか」


「でも」


 フィナは死骸ではなく、その周囲へ視線を向ける。


「やっぱりこの辺り、ほとんど感じません」


 ジンも周囲を見る。


 弱った草。


 色の薄い葉。


 痩せた死骸。


「魔物も、魔力がないと生きられない?」


 フィナは少し考えた。


「直接そういうわけではないと思います。人間だって魔力がなくなっただけで、すぐ死ぬわけじゃありません」


「魔力切れ?」


「はい」


「魔法が使えなくなるだけ?」


「それだけじゃないです」


 フィナは首を振った。


「すごく疲れます。身体が重くなったり、頭がぼんやりしたり。酷いと立っていられなくなることもあります」


「じゃあ結構大事じゃん」


「大事ですよ」


「でも死ぬわけじゃない」


「普通なら」


 その言葉に、ジンが反応した。


「普通なら?」


「休めば、周りから魔力を取り込めますから」


「……」


 三人の視線が自然と周囲へ向いた。


 ここには。


 その取り込むための魔力が。


 ほとんどない。


「じゃあ」


 ジンはもう一度、地面に横たわる死骸を見る。


「ここで魔力を使い切ったら?」


 フィナはすぐには答えなかった。


 少しだけ間を置いて。


「……分かりません」


 風が吹き抜ける。


 弱った木から、一枚の葉が落ちた。


    ◇


「これ以上は危ないかもな」


 アインが言った。


「戻る?」


「いや」


 周囲を見回しながら、アインは少し先へ目を向ける。


「あと少しだけ」


「何かある?」


「さっきから気になってる」


 その場へしゃがみ込み、地面を指差した。


「これ」


 ジンとフィナも近づく。


「足跡?」


「ああ」


「魔物じゃない?」


「違う」


 アインが形を示す。


 踵。


 爪先。


 はっきりと靴の跡だった。


「人型だ」


「冒険者?」


「かもしれん」


 だが、アインは足跡を見たまま眉を寄せている。


「どうした?」


「妙なんだよ」


「何が?」


「歩き方」


「歩き方?」


 ジンがすぐに食いついた。


「俺の分野?」


「多分違う」


「残念」


「何で残念そうなんだ」


 アインは複数の足跡を順番に確認していく。


「一人じゃない」


「何人?」


「最低でも三人。それと、こいつら森を歩き慣れてる」


「分かるの?」


「ああ。足の置き方が綺麗だ。枝を踏んだ跡も少ない」


「冒険者なら普通?」


「上手い奴ならな」


 さらに少し先へ進んだところで、アインがまた足を止めた。


「……」


「また何か?」


「こっち」


 木の根元。


 地面の一部だけが僅かに黒くなっている。


「焚き火?」


「跡だな」


 アインは灰へ触れ、指先で軽く擦った。


「古い?」


「そこまでじゃない」


「昨日?」


「二日……長くても三日くらいだと思う」


 フィナが周囲を見回した。


「誰か、ここにいた……?」


「みたいだな」


 アインは灰の周囲まで調べる。


 だが、その途中で手が止まった。


「何?」


「火を消した後だ」


 灰の上には、わざわざ土が被せられている。


「隠してる?」


「そう見える」


「冒険者でもやるんじゃない?」


「火事防止ならな」


 アインは焚き火跡だけでなく、その周囲へ視線を巡らせた。


 足跡。


 折れた枝。


 荷物を置いた跡。


 野営したなら残っているはずの痕跡が、妙に少ない。


「でも、こいつらは他の跡まで消そうとしてる」


 ジンの表情が少し変わる。


「見つかりたくなかった?」


「多分な」


    ◇


 三人は、その周辺を少しだけ調べた。


 布。


 食べ残し。


 使った道具。


 何も残っていない。


 野営した痕跡があるのに、その場所だけ妙に綺麗だった。


「ここで野営した」


 アインが言う。


「でも、痕跡は消した」


「三人以上」


 ジンも続ける。


「森を歩き慣れてる」


「そういう連中だな」


「密猟者とか?」


「可能性はある」


「盗賊?」


「それも」


 フィナが不安そうに周囲を見回す。


「でも……こんな場所で何をしてたんでしょう」


 誰も答えられなかった。


 その時。


 ジンが一本の木へ視線を止める。


「……アイン」


「何だ?」


「これ」


 幹の表面に、小さな傷があった。


「傷?」


「刃物だな」


 アインも近づく。


 自然についた傷ではない。


 何かを刻んだ跡だった。


 二本の線。


 その下に、短い横線。


「印?」


「多分」


 アインが指先で触れる。


「見たことある?」


「ない」


 フィナも首を振った。


「私もありません」


 ジンはすぐにノートを取り出した。


「写しとく」


「それはいい」


「今日は許された」


「必要な時はな」


 ジンは幹へ刻まれた印を、形が崩れないよう丁寧に書き写した。


    ◇


「戻ろう」


 今度はアインも迷わなかった。


「これ以上は?」


「行かない」


「調査だから?」


「それもある」


 アインは来た道ではなく、さらに森の奥へ目を向けた。


「ここから先、人の痕跡が増えてる気がする」


「なのに」


 フィナが続ける。


「生き物は減ってる」


「ああ」


 アインは短刀の柄へ手を置いた。


「嫌な感じがする」


 三人はそこで引き返した。


    ◇


 帰り道。


 しばらく歩き、魔力の薄い場所を抜け始めた頃だった。


「あ」


 フィナが突然声を上げた。


「どうした?」


「戻ってきました」


「何が?」


「魔力です」


 フィナは胸元へ手を当てた。


「さっきより、周りから入ってきます」


「どの辺から?」


「……」


 フィナは振り返り、今来た道を数歩戻った。


 一度止まり、感覚を確かめる。


「まだ大丈夫です」


 さらに数歩、森の奥へ戻る。


 そこで表情が少し変わった。


「……ここから」


「分かるの?」


「はっきりではないですけど」


 今度は街側へ戻ってくる。


「やっぱり、こっちの方が濃いです」


 ジンはその辺りの地面を見た。


「境目がある?」


「緩やかですけど」


 フィナが頷く。


「多分」


「……」


 ジンはノートを開き、簡単な地図を描いて今いる場所へ印を付けた。


『この辺りから魔力濃度低下?』


 書き終えてから、もう一度森の奥を見る。


「変だな」


「何が?」


「いや」


 ジンは小さく首を傾げた。


「なんとなく」


 まだうまく言葉にならない。


 街へ近づくほど、周囲の魔力は戻る。


 森の奥へ行くほど、薄くなる。


 そして魔物たちは、その奥から街の方へ移動している。


 ばらばらだった情報が、少しずつ一つの方向を向き始めている。


 だが。


 まだ足りない。


「ジン?」


「何でもない」


 ジンはノートを閉じた。


「帰ろう」


 何か大事なものが、まだ一つ抜けている。


 そんな気がした。


    ◇


 その頃。


 三人がいた場所から、さらに森の奥。


 先ほど見つけた木の印から、そう遠くない場所。


「……行ったか」


 低い声が漏れた。


 木々の間に、一つの影が立っている。


 遠目には、人のようにも見えた。


 だが。


 その頭部。


 髪の間から、短い角が伸びている。


 影は、三人が去った方角をしばらく見つめていた。


「人間が……ここまで来るようになったか」


 腰には武器がある。


 それでも抜かなかった。


 追うこともしなかった。


 やがて影は身体の向きを変え、そのまま森の奥へ静かに消えていった。

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