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『魔力ゼロの武術家 ~異世界を修練空間(トレーニングモード)で攻略する~』  作者: いなる


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第32話 足りないまま

 翌朝。


 公園へやってきたアインは、いつもの場所へ腰の袋を置くと、中から道具を取り出し始めた。


 ワイヤー。


 縄。


 小瓶。


 短刀。


 普段から持ち歩いているものが、地面へ次々と並べられていく。


 その少し離れたところで、ジンは何となく一つのベンチを眺めていた。


 昨夜、自分が座っていた場所だ。


 朝の光の中で見れば、いつもと何も変わらない。ただのベンチだった。


「ジンさん?」


「ん?」


 声を掛けられて振り向くと、フィナが杖を抱えてこちらを見ていた。


「どうしたんですか?」


「いや、別に」


 ジンはもう一度だけベンチへ目を向け、それからアインの方へ歩いていった。


 地面に並べられた道具を見て、少し首を傾げる。


「今日はやる気だな」


「うるせえ」


「まだ何も言ってない」


「顔で分かる」


「最近それ便利に使ってない?」


「お前相手なら大体当たる」


 少し離れたところでは、フィナも自分の訓練を始めた。


 足裏から魔力の流れを起こし、足首、膝、腰、背中、肩、腕を通って掌まで繋げていく。


 以前のように途中で引っ掛からない。


 全身を一つの螺旋として通り抜ける。


「……っ」


 掌に淡い光が宿る。


 発動。


「お」


 ジンが振り返った。


「今の速かった」


「本当ですか?」


「うん。腰でも止まってなかった」


 フィナの顔が一気に明るくなる。


「やった……!」


「肩はちょっと力んでたけど」


「そこは言わなくてもいいじゃないですか!」


 アインが呆れたように息を吐いた。


「ちゃんと褒めて終われないのか、お前は」


「大事だろ」


「大事だけどよ」


「アインさんからも言ってください!」


「いや、俺を巻き込むな」


    ◇


「それで」


 ジンは改めて、地面へ並べられた道具を見る。


「今日は何する?」


「昨日の続き」


 アインは近くの木へ歩き、幹へ掌を当てた。


「昨日は偶然だった」


「うん」


「まず、あれをもう一回やる」


 木の反対側には一本のワイヤーが巻きつけられ、その先には目印として小さな布が結ばれている。


「そこだけ光らせる」


「できそう?」


「分からん」


 アインは目を閉じた。


「だからやる」


 ジンが少し笑う。


「それ俺の台詞じゃない?」


「影響されたんじゃないですか?」


「フィナ」


「はい?」


「余計なこと言うな」


    ◇


 アインは呼吸を整えた。


 掌。


 木。


 昨日、偶然できた感覚を思い出す。


 ワイヤーとは違う。


 金属線なら、触れた瞬間から形が分かる。


 長さ。


 細さ。


 伸びている方向。


 流す先がほとんど一つしかない。


 だが、木は違う。


 太く、広く、その内部は枝分かれしている。


「……」


 アインが魔力を流す。


 掌から木へ。


 次の瞬間、幹全体が僅かに反応した。


「広がってます」


 見ていたフィナが言う。


「やっぱりか」


 アインはすぐに魔力を止めた。


「昨日はこんな感じじゃなかった」


「どう違った?」


「もっと……」


 アインは言葉を探す。


「細かった」


「魔力が?」


「ああ。木全体じゃなくて、俺からワイヤーまで一本の道があったみたいな」


 ジンはアインの掌から木、その向こうにあるワイヤーへ視線を移した。


「じゃあ道を作れば?」


「簡単に言うな」


「ワイヤーの時と同じだよ」


 ジンはアインの掌から幹の内部、その先へ巻きつけられたワイヤーまでを指でなぞる。


「木全部を自分の一部だと思わなくていい。ここだけ」


「……」


「腕の延長を、木の中へ一本だけ通す」


 アインが眉を寄せる。


「木の中に腕を通せって?」


「感覚の話」


「気持ち悪いな」


「俺も言ってて思った」


「なら別の言い方考えろよ」


    ◇


 二回目。


 失敗。


 三回目も、魔力は途中で広がった。


 四回目。


「……っ」


 アインは木全体へ散ろうとした魔力を一度止め、戻す。


 もう一度。


 細く。


 掌から木の中へ、一本だけ。


 広げない。


 枝へ逃がさない。


 ワイヤーまで続く経路だけを意識する。


「……」


 フィナの目が僅かに開いた。


「今……」


「どう?」


 ジンが尋ねる。


「昨日に近いです」


 魔力は木全体へ散っていなかった。


 細い流れが一本だけ、幹の内部を通っている。


 そのままワイヤーへ。


 さらに先。


 布切れまで届いた。


 パチッ。


 小さな光が灯る。


「……!」


 アインが目を開いた。


「できた」


「今度は偶然じゃないな」


 ジンが笑う。


「もう一回」


「言われなくてもやる」


「おお」


「なんだよ」


「成長したな」


「殴るぞ」


    ◇


 その後も何度か繰り返した。


 うまくいく時もあれば、木の途中で魔力が散ることもある。


 別の枝へ逃げる。


 ワイヤーまで届かない。


 それでも回数を重ねるほど、成功する割合は少しずつ増えていった。


「……分かってきた」


 アインが呟く。


「何が?」


「物によって違う」


「違う?」


「ああ」


 アインはワイヤーを握った。


「こいつは簡単だ。細いし、行き先が一つしかない」


 次に、再び木へ掌を置く。


「こっちは面倒だ。魔力を流せる場所が多すぎる。だから散る」


「私にも分かります」


 フィナも木へ掌を当てた。


「植物も生きていますから。人間ほど強くはないですけど、大地から魔力を取り込んで、身体の中を流しています」


「……へえ」


 ジンは興味深そうに幹を見る。


「じゃあ」


 アインが言った。


「俺の魔力を、ただ木へ流してるだけじゃないってことか?」


「どういう意味?」


「元々ある流れの中に」


 アインが幹を軽く叩く。


「俺の魔力を通してるってことだろ?」


 フィナは少し考えた。


「……たぶん、そうだと思います」


「だから勝手に別のところへ流れる?」


「それもあるかもしれません」


「……」


 ジンが黙った。


 木にも、元から魔力の流れがある。


 そこへアインの魔力を通す。


 つまり、自分だけの経路ではない。


 相手側にも、すでに流れが存在している。


「ジン」


「ん?」


「その顔やめろ」


「何もしてないけど」


「考えてる」


「そりゃ考えるよ」


「口に出すなよ」


「まだ何も言ってないだろ」


「だから先に止めた」


 アインが睨む。


「今日は木までだ」


「……」


「人とか言い出すなよ」


 ジンの表情が止まった。


「お前」


 アインの目が細くなる。


「考えてたな?」


「ちょっとだけ」


「やっぱり!」


「でもやらないよ」


「当たり前だ!」


 そのやり取りを聞いていたフィナが首を傾げる。


「人に魔力を流すこと自体は、珍しくないですよ?」


 二人が同時に振り返った。


「そうなの?」


「はい。回復魔法もそうですし、魔力を他の人へ渡すこともあります」


「待って」


 アインが片手を上げた。


「フィナ」


「はい?」


「今、それ以上こいつに情報与えるな」


「え?」


「絶対ろくなこと考えない」


「失礼だな」


「昨日ノートに『人』って書こうとしただろ」


「なんで知ってる?」


「顔で分かる」


「便利すぎるだろ、それ」


    ◇


 休憩に入ると、三人は木陰へ腰を下ろした。


 アインはしばらく自分の掌を見ていたが、やがて口を開く。


「なあ」


「ん?」


「ジン」


「何?」


「お前さ」


 一拍置く。


「俺の魔力を増やそうとは思わないんだな」


 ジンが少し首を傾げた。


「なんで増やすの?」


「いや」


 アインは苦笑する。


「普通そう考えるだろ。魔力が少ない。なら増やす方法を探す。大きな魔法を撃てるようにする。身体強化を強くする。そういうもんじゃねえの?」


 ジンは少し考えた。


「できるなら、それも一つだと思う」


「でも?」


「今の方が面白い」


「……は?」


「だって」


 ジンはアインを見る。


「魔力が少ないから、漏らさないようにした」


 それだけでは終わらなかった。


「漏らさないようにしたから、細く扱えるようになった。細く扱えるから、今度は普通の魔法使いがやらないことまででき始めてる」


 ワイヤー。


 木。


 その先。


 数日前までは、アイン自身も考えたことのなかった使い方だ。


「それを捨てて、普通の魔法使いに近づく必要ある?」


「……」


「アインはアインのまま強くなった方がいいだろ」


 アインは何も言わなかった。


 隣ではフィナが静かに笑っている。


「それ」


「フィナ?」


「私の時と同じですね」


「そう?」


「はい」


 フィナは自分の掌を見る。


「普通にしようとするんじゃなくて、違うところをそのまま伸ばす」


「……」


 アインが小さく息を吐いた。


「お前ら、なんかそういうの好きだな」


「嫌?」


「いや」


 アインは僅かに笑う。


「悪くない」


    ◇


 その日の午後。


 三人は並んで冒険者ギルドへ向かっていた。


 大通りにはいつものように人が行き交い、商人の呼び声や荷車の車輪が石畳を転がる音が重なっている。装備を身につけた冒険者たちの姿も珍しくない。


「そういや」


 歩きながら、アインが口を開いた。


「昨日の灰牙狼の報告」


「うん」


「追加で調査するらしい」


「ギルドが?」


「ああ。目撃場所をまとめるとか言ってた」


「へえ」


 ジンは前を向いたまま答えた。


「やっぱり増えてるのかな」


「さあな。ただ、最近森の浅いところで見かける魔物が増えてるのは確からしい」


「餌が原因でしょうか」


 フィナが尋ねる。


「今のところは、そういう話だな」


 その時、反対側から歩いてきた別の冒険者たちが三人の横を通り過ぎた。


「――北側もだってよ」


「マジか?」


「ああ。昨日行った連中が言ってた」


 会話の一部だけが耳に入る。


「何の話だろ」


 ジンが振り返った。


「魔物じゃないか?」


 アインは特に気にした様子もなく歩いていく。


 ジンも少しだけその背中を見送ったが、それ以上追いかけて聞くほどのことでもない。


 数秒後には、再び前へ向き直っていた。


    ◇


 冒険者ギルドへ到着すると、三人はそのまま依頼掲示板の前へ向かった。


「今日はどうします?」


 フィナが並んだ依頼書を見上げる。


「軽いやつ」


 アインが即答した。


「昨日戦っただろ。朝も訓練したしな」


「ジンさんは?」


「俺も今日は賛成」


 アインが振り向いた。


「どうした?」


「俺だって休むよ」


「熱でもあるのか?」


「失礼だな」


「珍しいこと言うからだ」


 三人で掲示板を眺め始める。


 その時だった。


 少し離れた場所にいた数人の若い冒険者が、こちらへ目を向けた。


「……あれ」


「ん?」


「あいつ、アインじゃね?」


 その名前が聞こえた瞬間、アインの手がほんの僅かに止まった。


 ジンが横を見る。


「知ってるの?」


 だが、答えたのはアインではなかった。


「昔、訓練所にいた奴だろ」


「ああ」


 若い冒険者の一人が、何かを思い出したように笑う。


「聞いたことある」


 声は大きくない。


 それでも、近くにいる三人には十分届いた。


「何やっても駄目だった奴だろ?」


 フィナの表情が変わった。


 ジンもアインを見る。


 アインは依頼掲示板へ顔を向けたまま、何も言わない。


「たしか魔法も全然――」


「行こう」


 アインが言った。


「アインさん?」


「今日は依頼いいや」


「どうした?」


「ちょっと用事思い出した」


 そこでようやく振り返る。


 表情はいつもと変わらない。


 何でもないような顔。


「また明日な」


 それだけ言って、アインはギルドの出口へ向かった。


「……」


 フィナがその背中を見送る。


 ジンも何も言わなかった。


 ただ、胸の奥に少しだけ引っ掛かるものが残った。


 以前、アインが笑いながら言っていた言葉。


『昔から落ちこぼれだったんでね』


 あれは、自分たちが思っていたよりも。


 ずっと長く。


 彼の中に残っている言葉なのかもしれなかった。


    ◇


 その夜。


 ジンは一人で公園へ来ていた。


 アインはいない。


 フィナも今日は宿で休んでいる。


 ベンチへ腰を下ろし、ノートを開く。


 まずは今日確認したことを書いていく。


『外部経路』


『木への再現成功』


『対象そのものが持つ魔力の流れが影響?』


 その下へ。


『アイン』


 と書いたところで、ペンが止まった。


 魔力が少ない。


 落ちこぼれ。


 アイン自身が、ずっとそう思ってきた。


 だが。


 今日見たものを思い返す。


 細い魔力。


 極端に少ない損失。


 ワイヤー。


 木。


 普通の魔法使いが必要としなかった使い方。


 ジンはペンを動かした。


『欠点ではない』


「……」


 書いた文字をしばらく見てから、線を引いて消す。


「違うな」


 魔力が少ないこと自体が、有利なわけではない。


 使えない魔法はある。


 身体強化でも不利になる。


 長く戦うことも難しい。


 それを無理に、実は長所だったと言い換える必要はない。


 ジンは改めて書いた。


『欠点であることと』


『武器にならないことは別』


 そこでペンを止める。


「……これだな」


 弱点は、弱点のままでいい。


 アインは魔力が少なかった。


 だから、その少ない魔力を無駄にしない方法を覚えた。


 細く扱うことを覚えた。


 罠を覚えた。


 ワイヤーを覚えた。


 道具を使うことを覚えた。


 一つでは足りないから、いくつものものを繋げて戦うことを覚えた。


 そうやって。


 誰かと同じものではなく。


 自分にできるものを作ってきた。


「足りないなら」


 ジンが小さく呟く。


「足りないまま、勝てる方法を探せばいい」


 ノートを閉じる。


 アインが明日来るかは分からない。


 来なかったなら、その次の日。


 それでも来なかったなら、またその次。


 ジンは、そこまで心配していなかった。


 今日の朝。


 アイン自身が言っていた。


『……やってみたい』


 あの時の目は。


 もう、昔の自分だけを見てはいなかった。

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