第30話 繋がる先
数日後。
三人は再びベルクの外へ出ていた。
今回受けたのは、街道沿いに設置された簡易警報具の点検依頼だった。
ベルクから北へ伸びる街道には、魔物の接近を知らせるための仕掛けが一定間隔で設置されている。高度な魔導具というわけではなく、木製の支柱に縄と小さな鐘、それに最低限の魔力を利用した感知具を組み合わせた簡素なものだ。
「こういうのも冒険者の仕事なんだな」
ジンは一つ目の警報具の前へしゃがみ込み、支柱へ括りつけられた縄を眺める。
「討伐ばっかりしてるわけじゃない」
隣ではアインが留め具を一つずつ確認していた。
「壊れてたら直す。周りに魔物の痕跡があったら報告。それだけだ」
「平和ですね」
後ろからフィナが嬉しそうに言った。
「そういうこと言うな」
アインが即座に返す。
「なんでですか?」
「お前らがそういうこと言うと何か起きる」
「俺も?」
「特にお前」
ジンは苦笑した。
「信用ないなあ」
「実績があるからな」
◇
三つ目の警報具までは、何の問題もなかった。
だが四つ目へ到着すると、アインがすぐに異常へ気づいた。
「切れてるな」
支柱同士を繋いでいた縄が、途中で垂れ下がっている。
「劣化?」
ジンが尋ねると、アインは切れた部分を拾い上げて断面を確認した。
「いや。噛み切られてる」
繊維の間には細かな歯形が残り、その周囲の地面にも小さな足跡がいくつか続いていた。
フィナも横から覗き込む。
「小型の魔物でしょうか」
「多分な」
アインは荷物から新しい縄を取り出すと、壊れた部分を手際よく張り直していく。
支柱へ回し、留め具へ通し、滑車との位置を合わせる。二度ほど結び目を作ってから強く引くと、縄は弛むことなく固定された。
「慣れてるな」
「訓練所で散々やらされたからな」
「こういうのも?」
「仕掛けを作るなら、まず壊れない結び方を覚えろって」
アインは結び目を軽く引いて確かめる。
「結び方だけでも結構あるぞ」
「面白そう」
「やめとけ」
「なんで」
「お前に教えたら絶対変な使い方する」
「失礼だな」
「褒めてる」
「絶対嘘だ」
後ろでフィナが小さく笑った。
◇
六つ目の警報具へ向かう途中だった。
「……待て」
先を歩いていたアインが突然足を止める。
ジンもすぐに止まり、周囲を広く視野へ入れた。
「何かいる?」
「いや」
アインはしゃがみ込み、街道脇の地面を見る。
そこにはいくつもの足跡が残されていた。
四つ目で見つけたものより大きく、数も明らかに多い。
「また灰牙狼?」
「似てるな」
アインは一つの跡を指でなぞり、その先へ視線を送る。
「でも数が多い」
「どれくらい?」
「少なくとも十以上」
フィナの表情が僅かに曇った。
「この街道まで来てるんですか?」
「ああ」
アインは立ち上がり、森の奥を見る。
「妙だな」
「前も言ってたよな」
ジンも数日前のことを思い出した。
「灰牙狼は、普通もっと奥にいるって」
「普通はな」
森の浅い区域で五匹。
今度は街道のすぐ近くに、十匹以上と思われる足跡。
偶然にしては少し続いている。
「……餌場が変わったか」
「それとも縄張り争い?」
「あり得る」
しばらく周囲を確認したものの、それ以上の手掛かりは見つからなかった。
「ギルドには報告しよう」
「だな」
三人は足跡の位置だけ覚え、先へ進んだ。
◇
七つ目の警報具は、遠目からでも異常だと分かった。
「これ……」
フィナが小さく息を呑む。
支柱そのものが倒れている。
縄は千切れ、小さな鐘も外れて地面へ転がっていた。
そして、その近くには赤い跡が残っている。
アインがしゃがみ込み、指先で僅かに触れた。
「新しいな」
「まだ乾いてない?」
「ああ」
「人?」
「分からん」
その時。
ジンが顔を上げた。
「来る」
「どっち!」
「右!」
ほとんど同時に茂みが弾けた。
灰色の影が飛び出す。
一匹。
二匹。
三匹。
さらに後ろから続く。
「多いな!」
「八!」
アインが素早く数える。
だが、それで終わらない。
森の奥から低い唸り声が重なった。
「いや――十!」
「さっきの足跡の群れか!」
「多分な!」
灰牙狼たちは、そのまま正面から突っ込んではこなかった。
左右へ散る。
木々の陰へ回る。
三人を中心に、少しずつ弧を描くように広がっていく。
「群れで狩る気だ!」
アインが短刀を抜く。
「フィナ!」
「はい!」
「中央!」
ジンも周囲から視線を外さず声を飛ばした。
「無理に前へ出なくていい!」
「分かりました!」
フィナが二人の間へ位置を取り、杖を構える。
その前で、アインは腰の袋へ手を伸ばした。
取り出したのは細いワイヤーだった。
ジンがそれに気づく。
「使う?」
「せっかく練習したんだ」
アインは口元を上げる。
「実験台になってもらう」
◇
一匹が先に飛び込んだ。
ジンは正面から受けず、牙の軌道から身体を外す。灰牙狼が横を抜けようとしたところで首元へ手を添え、その勢いを下へ逃がすと、前脚が崩れてそのまま地面へ転がった。
だが、その背後ではすでに二匹目が動いている。
狙いはアイン。
「来い」
アインはその場から動かなかった。
灰牙狼が地面を蹴り、距離を詰める。
前脚が、地面へ這わせてあった細いワイヤーへ触れた。
その瞬間、アインの指が僅かに動く。
身体から掌へ。
そこからワイヤーへ魔力を流す。
だが、全体には広げない。
灰牙狼の脚が触れた場所。
そこだけ。
一瞬だけ。
魔力を集める。
ピンッ!
「ギャンッ!」
弛んでいたワイヤーが一瞬だけ強く張り、灰牙狼の前脚を取った。勢いを殺しきれないまま身体が前へ崩れる。
「おっ」
ジンが思わず声を漏らした。
「成功!」
「実況すんな!」
言い返しながら、アインはもう動いていた。
倒れた灰牙狼の懐へ入り、短刀を急所へ突き込む。
一撃。
刃を抜くと同時に、次の気配へ振り向いた。
別の灰牙狼が横から迫っている。
アインは近くの木へ回してあった別のワイヤーを引く。
「そこ!」
指先から魔力を通す。
今度も全体ではない。
灰牙狼の首が通過する高さ。
その一点だけを、必要な瞬間に硬くする。
走り込んだ灰牙狼の身体が大きく跳ねた。
「――!」
完全に止めるほどの力はない。
それでも体勢は崩れた。
それだけで十分だった。
アインが一歩入り、短刀を急所へ突き込む。
◇
「右から三!」
フィナの声が飛ぶ。
「見えてる!」
ジンは迫る三匹をまとめて視野へ収めた。
一匹目が牙を突き上げるように飛び込んでくる。
ジンは身体を半歩だけ外へずらし、その勢いを横へ流した。すれ違いざまに首元へ剣を走らせる。
刃が頸を深く断ち、灰牙狼は数歩も進まないうちに地面へ崩れた。
間を置かず、二匹目が続く。
ジンは向きを変えながら牙を外し、そのまま身体を内側へ入れる。肘を顎の下へ打ち込み、頭を跳ね上げると、崩れた首元へ剣を返した。
短く一閃。
二匹目も、その場へ倒れる。
その向こうから、三匹目が飛びかかってきた。
だが。
パチッ。
小さな光が弾けた。
灰牙狼の右目。
そこだけ。
「ギャン!」
突然視界を焼かれ、灰牙狼の頭が反射的に横へ逸れた。
飛びかかる軌道もずれ、そのままジンの横を通り過ぎていく。
「……」
ジンが振り返る。
少し離れたところで、アインが人差し指を立てていた。
「片目だけ」
ほんの少し得意げだ。
ジンも笑う。
「できてるじゃん」
「後で褒めろ!」
◇
それでも、相手は十匹いる。
一匹を倒しても、すぐ次が来る。
「くそっ!」
アインが後ろへ下がる。
準備していたワイヤーを張り直す時間がない。
正面から一匹。
左からもう一匹。
さらに背後へ回り込む気配。
「アイン!」
フィナが叫ぶ。
「分かってる!」
正面の灰牙狼へ短刀を振る。
牙に弾かれる。
横から迫った一匹を身体を捻って外す。
だが、その間に背後の個体が距離を詰めていた。
ジンが動こうとした、その時だった。
アインの左手が近くの木へ触れる。
「……!」
考えたわけではなかった。
身体の延長。
これまで何度も練習してきたワイヤーと同じ。
掌。
木。
その向こうに巻きつけてあるワイヤー。
それらを一続きのものとして捉える。
魔力を流す。
アインの掌から、木へ。
「……え?」
フィナの目が見開かれた。
ほんの僅かな魔力が木へ入り、その中を通って、さらにワイヤーへ流れていく。
そして。
アインの背後。
灰牙狼の足元。
パチッ。
魔力が弾けた。
「ギャッ!」
灰牙狼の動きが、一瞬だけ止まる。
アインは振り返った。
短刀が走る。
喉元へ刃が入り、灰牙狼がその場へ崩れ落ちた。
「……」
だが、今度はアイン自身が止まった。
「今……」
「アイン!」
ジンの声で我に返る。
「後!」
「分かってる!」
考えている暇はなかった。
まだ群れは残っている。
◇
数分後。
最後まで襲いかかってきた灰牙狼が地面へ倒れ、ようやく森へ静けさが戻った。
「……終わった?」
フィナが杖を構えたまま周囲を見る。
「多分」
ジンも呼吸を整えながら、木々の間へ視線を走らせた。
もう動く気配はない。
その少し離れたところで、アインだけは別の場所を見ていた。
先ほど左手を触れた木だ。
「アイン?」
「……」
ゆっくり近づき、もう一度その幹へ掌を当てる。
「どうした?」
ジンが横から尋ねた。
「さっき」
「うん」
「俺、ワイヤーに直接触ってなかった」
「見てた」
「木に触ってた」
「ああ」
アインの視線が、自分の掌から木の幹へ移る。
さらに、その先へ巻きつけられたワイヤーへ。
「なのに、魔力が届いた」
フィナも二人の横へ来た。
「私も見えました」
「木の中を?」
「ほんの少しですけど」
フィナは先ほど見たものを思い出すように、自分の掌を見た。
「アインさんの魔力が木に入って……そこからワイヤーへ流れてました」
「……」
三人の間に、短い沈黙が落ちる。
最初に口を開いたのはジンだった。
「もう一回できる?」
「お前」
アインがゆっくり顔を上げる。
「今、戦闘終わったばっかだぞ」
「あ」
「今日はここまでって言えよ!」
「ごめん」
「本気で残念そうな顔すんな!」
◇
ベルクへ戻る街道を歩きながらも、アインは何度も自分の左手を見ていた。
「気になる?」
隣を歩くジンが尋ねる。
「そりゃな」
「木って魔力通すの?」
「通りますよ」
答えたのはフィナだった。
「生きているものには魔力がありますから」
「植物にも?」
「はい」
「それ以外にも石とかの鉱物、生き物以外でも微弱ですが魔力があります」
「特別に多く魔力を宿している物もあったりするんですけど」
そこで少し考え、付け加える。
「でも、普通は自分の魔力を木の中へ流して、その先まで操作しようとはしません」
「できない?」
「できない、というより……やる意味がないんだと思います」
今度はアインが口を挟んだ。
「魔法を使うなら手から出せばいい。剣を強化するなら剣へ直接流せばいい。わざわざ木を経由する理由がない」
「なるほど」
ジンは頷く。
また同じだ。
普通は必要がない。
だから、やらない。
フィナの魔力経路もそうだった。
最短で流す方が使いやすい。
だから、わざわざ長い経路を使う必要がない。
アインの魔力操作も同じだ。
道具全体へ流した方が簡単なのだから、一部分だけを狙って作用させる必要はない。
そして今回も。
自分から直接届くのなら、別のものを経由する意味などない。
だから誰も試さない。
「……でも」
「何だ?」
アインが振り向く。
「できたんだよな」
「一回だけな」
「一回できたなら、またできるかもしれない」
「そういう理屈で俺が何回練習させられると思ってんだ」
「数えてない」
「数えろ」
◇
ベルクへ戻ると、三人はそのまま冒険者ギルドで依頼の報告を済ませた。
警報具の破損。
街道近くに残されていた多数の足跡。
そして、十匹ほどの灰牙狼の群れ。
話を聞いた受付職員は、少し難しい顔をした。
「最近、多いんだよな」
「何が?」
アインが尋ねる。
「街に近い場所での魔物の目撃報告だ」
「灰牙狼だけ?」
「いや」
職員は手元の報告書を確認する。
「角ウサギ、森猪。それ以外にも小型の魔獣がいくつか」
「全部?」
「全部というほどじゃない。ただ……」
職員は少し首を傾げた。
「少しずつ、こっちへ寄ってきてる感じがする」
「原因は?」
「今のところは餌だろうって話になってる」
アインがジンを見る。
数日前にも、森で同じ話をしていた。
「調査は?」
「上には報告してる。今のところ緊急性はないって判断だ」
「そう」
三人はそれ以上追及しなかった。
依頼完了の手続きを済ませ、報酬を受け取る。
そのままギルドを出ようとしたところで、ジンは一度だけ足を止めた。
壁に掛けられたベルク周辺の地図。
街。
そこから伸びる街道。
外側に広がる森。
その奥にある、魔物たちの生息域。
「……」
何かが引っ掛かる。
ほんの僅かな違和感。
だが、それが何なのかまでは分からない。
ジンはしばらく地図を見てから、二人の後を追ってギルドを出た。
◇
夜。
ベルクの街は昼間の喧騒を失い、公園にもほとんど人の姿はなかった。
ジンはいつものベンチへ腰を下ろし、膝の上でノートを開いている。
まず書いたのは、今日のアインについてだった。
『アイン』
『外部物体への魔力伝達』
『ワイヤー――成功』
『木→ワイヤー――偶発的成功』
その下へ続ける。
『直接接触していない対象にも作用可能?』
そこでペンを止めた。
少し前のページを開く。
昨日書いた一文。
『魔力経路は、身体の中だけとは限らない?』
その下へ、今日確認できたものを並べていく。
『身体』
『道具』
『物体』
「……」
ここまでは、実際に見た。
ワイヤーへ通った。
木を経由した。
なら。
その先には何がある。
ジンは次の行へペン先を近づけた。
ふと。
一つの言葉が頭に浮かぶ。
『人』
「……」
だが、書かなかった。
他人の身体へ魔力を通す。
そんなことが可能なのかどうか、今は考える材料すらない。
一度起きただけの現象から、そこまで話を広げるのは早すぎる。
ジンはペン先を紙から離した。
「まだ分からないな」
小さく呟く。
分からないものを、分かったことにはできない。
だから今は、確認できたところまででいい。
ジンはノートへもう一度視線を落とし、今日見たことを頭の中で順番に辿り始めた。




