第28話 細く
翌朝。
「嫌だ」
「まだ何も言ってない」
「昨日と同じだ」
人通りの少ない公園で、ジンの前に立ったアインが露骨に嫌そうな顔をした。
「昨日散々やっただろ」
「昨日は見ただけ」
「六回魔法使わされた」
「今日は違う」
「何が」
「試す」
「もっと嫌なんだが」
少し離れたところでは、フィナが杖を抱えながら苦笑している。
「アインさん」
「なんだ」
「諦めた方がいいと思います」
「お前、完全に向こう側に行ったな」
「私も通った道なので……」
「だからって他人を道連れにするな」
ジンはその場へ腰を下ろした。
「まあ、とりあえず話だけ聞いて」
「聞いたらやらされるだろ」
「たぶん」
「帰る」
「待ってください!」
踵を返したアインの服を、フィナが慌てて掴む。
「離せ!」
「一人にしないでください!」
「お前もう訓練終わっただろ!」
「見学します!」
「最悪だ!」
◇
なんとかアインをその場へ座らせると、ジンも向かいへ腰を下ろした。
「まず確認したい」
「もう嫌な予感しかしない」
「魔力を使う時って、どんな感覚?」
「どんなって……流す」
「どこから?」
「身体の中から」
「もっと具体的に」
「……面倒くせえな」
アインは自分の腹の辺りを指した。
「この辺にあるものを、使いたいところまで持っていく」
そこから肩、腕、最後に指先へと順番に手を動かす。
「なるほど」
「ただ俺の場合は」
アインが人差し指を立てる。
「なるべく細くする」
「細く?」
「一気に流すと無駄になるからな」
指先に小さな炎が灯った。
「必要な分だけ流す」
「水道みたいな感じ?」
「水道?」
「ああ、分からないか」
ジンは少し考える。
「大きな川から細い水路を作って、必要なところだけ水を通す感じ」
「まあ」
アインが指先の炎を消した。
「近いな」
「その細さって変えられる?」
「変えられる」
「どれくらい?」
「知らん」
「じゃあ試そう」
「そうなると思ったよ」
◇
しばらくして、三人の前には小さな石がいくつも並べられていた。
一つ。
二つ。
三つ。
五つ。
十個。
アインが怪訝そうにそれを見る。
「何するんだ?」
「的」
「的?」
「昨日の光」
ジンは一番手前に置いた石を指差した。
「これだけ照らせる?」
「……何がしたいんだ」
「いいから」
アインは大きくため息を吐いた。
人差し指を立てる。
そこへ僅かな魔力を集めると、指先に光が宿った。
パチン。
一瞬だけ光が弾ける。
石だけではなく、その周囲の地面まで明るくなった。
「広い」
「は?」
「石だけ」
「無茶言うな」
「できない?」
「……」
その言い方が気に障ったらしい。
アインの眉が僅かに動いた。
「やってやるよ」
「簡単に乗りますね……」
フィナが小さく呟く。
「聞こえてるぞ」
アインはもう一度石へ向き直った。
今度はすぐに発動しない。
指先へ集めた魔力を、ゆっくりと絞っていく。
光そのものも、先ほどより明らかに弱い。
やがて。
パチン。
短い光が弾けた。
まだ石だけではない。
だが、照らされた範囲は先ほどより狭くなっている。
「お」
「……まだ広いぞ」
「でも狭くなった」
ジンは石へ近づき、照らされた範囲を確認する。
「もう一回」
「またかよ」
「今度は半分」
「簡単に言うな」
「できそう?」
アインは答えなかった。
石を見る。
次に自分の指先を見る。
しばらく考えてから、小さく息を吐いた。
「……やってみる」
◇
十回。
二十回。
三十回。
同じ小さな破裂音が、公園の一角で何度も繰り返された。
「……」
アインの額には、薄く汗が浮かんでいる。
魔力そのものを大量に消費しているわけではない。
むしろ逆だった。
一回ごとの消費は極端に小さい。
それでも、回数を重ねるほどアインの顔には疲労が見え始めていた。
「疲れるな」
アインが息を吐く。
「魔力切れ?」
「違う」
首を振る。
「集中するのが疲れる」
「頭?」
「多分な」
ジンはその答えに頷いた。
身体でも似たことはある。
大きな力を出すよりも、小さな力を正確に扱い続ける方が神経を使うことがある。
精度を上げようとすればするほど、僅かなズレまで拾わなければならない。
「休もう」
「珍しいな」
「何が?」
「まだやれって言うかと思った」
「疲れてる状態で精度の練習しても、変な癖がつくから」
「そういうところだけ妙にまともだな」
「普段もまともだよ」
「それはないです」
フィナが即答した。
「フィナ?」
「すみません」
謝ってはいるが、まったく反省している顔ではなかった。
◇
休憩に入ると、アインは木陰の草の上へ寝転がった。
「で」
「ん?」
「これに何の意味がある」
「まだ分からない」
アインが起き上がりかける。
「帰るぞ」
「待て待て」
ジンは笑いながら、近くに落ちていた枝を拾った。
「でも、一個分かった」
「何が?」
「アインは、もっと細くできる」
「だから?」
ジンは地面へ二本の線を引く。
一本は太く。
もう一本は細く。
「大きな魔法を使いたかったら、普通は魔力をたくさん流すんだろ?」
「まあな」
「だったら、みんなこっちを目指す」
太い線を指す。
「でもアインは、逆でいいんじゃない?」
「逆?」
ジンは隣の細い線を指した。
「もっと細くする」
「……」
「大きくしない。強くしない。たくさん出さない」
枝先で、さらに細い線をその横へ引く。
「必要なところへ、必要な分だけ。もっと正確に」
アインがゆっくり上半身を起こした。
「それで強くなるのか?」
「分からない」
「またそれか」
「でも」
ジンはアインを見る。
「少なくとも、他の魔法使いと同じことをする必要はないと思う」
アインは何も言わない。
「魔力が少ないなら、魔力が多い奴の真似をしてもしょうがない」
「……」
「フィナだってそうだった」
突然名前を出され、フィナが自分を指差した。
「私ですか?」
「普通の魔法使いみたいに最短で流そうとしたら、フィナの良さは消える」
足元から掌まで。
遠回りするように魔力を通す。
普通なら無駄と思われる経路を、身体の螺旋として繋ぐことで一つの形へ変えた。
「だから、遠回りをちゃんと完成させた」
ジンは再び地面へ引いた細い線を見る。
「アインも、普通の魔法使いより大きな魔法を撃とうとするんじゃなくて」
その細い線を指先でなぞる。
「普通の魔法使いにはできないくらい――細くすればいい」
◇
「例えば?」
アインが尋ねた。
「うーん」
ジンは少し考える。
「昨日の閃光」
「おう」
「灰牙狼の目に使っただろ」
「使ったな」
「顔全体を光らせる必要あった?」
「……」
「目だけでいいよな」
「まあ」
「両目?」
「片目でも怯む」
「じゃあ片目だけ」
アインが眉を寄せた。
「そんな細かく狙えるかよ」
「今はね」
「今は?」
「できるようになったら?」
アインが黙った。
ジンは続ける。
「光を大きくする必要がない。むしろ小さくした方が消費も減る」
必要なのは、相手を傷つけるほどの光ではない。
ほんの一瞬。
片目の視界を奪い、動きを止められれば十分だ。
「同じ魔力量で使える回数も増える」
そこでフィナも意味を理解したらしい。
「アインさんの場合、威力を上げるんじゃなくて……」
「うん」
「必要な効果だけ残して、小さくしていく」
ジンが頷く。
「たぶん、そっち」
アインは自分の指先を見る。
「……地味だな」
「アインらしい」
「褒めてねえだろ」
「褒めてる」
「絶対嘘だ」
◇
十分に休憩を取ったあと、アインは再び並べた石の前へ立った。
距離は三歩ほど。
人差し指を前へ向ける。
「石全部じゃない」
後ろからジンが言う。
「分かってる」
「石の中心だけ」
「黙ってろ」
「はい」
アインがゆっくり息を吐く。
身体の中心から指先へ魔力を流す。
少しだけ。
そこからさらに絞る。
流しすぎない。
広げない。
必要な量だけを、狙った場所へ。
指先に、小さな光が生まれた。
「……」
パチッ。
先ほどまでとは明らかに違った。
光そのものが小さい。
照らしたのは、石全体ですらない。
その中心。
ほんの指先ほどの範囲だけが、一瞬白く光った。
「……」
三人とも何も言わなかった。
アインは自分の指先を見ている。
「できた?」
フィナが先に口を開いた。
「……多分」
ジンはしゃがみ込み、石を見る。
それから顔を上げた。
「もう一回」
「お前は絶対そう言うと思った」
◇
そこから何度か繰り返した。
成功。
次は少し広がる。
失敗。
もう一度。
今度は狭い。
成功。
また失敗。
まだ安定はしていない。
それでも、最初に比べれば照らされる範囲は明らかに小さくなっていた。
「今日はここまで」
ジンが言う。
「……意外だな」
「何が?」
「もっとやらせると思った」
「さっきも言っただろ」
ジンはアインの額に浮かんだ汗を見る。
「疲れた状態で精度を崩したくない」
「はいはい」
アインは疲れたように指を振った。
「でも」
「まだあるのかよ」
「一個だけ」
「絶対それ一個じゃ終わらねえんだよな……」
「聞きたいだけ」
「何だ」
「さっきの魔法、今までより小さくしただろ?」
「ああ」
「消費は?」
アインの動きが止まった。
「……」
少し目を閉じ、自分の身体へ意識を向ける。
「どう?」
「少ない」
「どれくらい?」
「分からん」
そこでアインは、少し驚いたように自分の指を見た。
「でも……思ったより、かなり少ない」
ジンの口元が僅かに上がる。
「やっぱり」
「何が?」
「小さくした分だけ、ちゃんと消費も減ってる」
「当たり前じゃないですか?」
フィナが首を傾げた。
「普通ならね」
「え?」
ジンはアインを見る。
「でも昨日、フィナが言ってただろ。魔法を使う時、普通は多少漏れるって」
「あ」
「アインは元々、それがほとんどない」
使う魔法そのものを小さくすれば、必要な魔力も減る。
そして、途中で失われる魔力がほとんどないのなら。
小さくした分だけ。
そのまま消費も減る。
「普通の魔法使いが同じことをやっても」
ジンは言う。
「ここまで綺麗には減らないかもしれない」
「漏れる分があるから……」
フィナが呟く。
「うん」
アインは黙っていた。
少ない。
それはずっと、欠点だと思っていた。
少ないから、大きな魔法が使えない。
少ないから、長く戦えない。
少ないから、他の奴と同じことができない。
その事実自体は変わっていない。
だが。
もし。
「……なあ、ジン」
「ん?」
「もっと細くしたら」
アインは自分の指先を見つめた。
「どうなる?」
ジンは少し笑った。
「それを調べるんだろ」
◇
その日の夜。
ジンは宿の机でノートを開いていた。
今日確認したことを、忘れないうちに書き残していく。
『アイン』
『魔力操作――さらに縮小可能』
『出力低下に比例して消費も減少』
その下へ続ける。
『漏れが少ないため、縮小した効果がそのまま消費量へ反映される?』
そこでペンを止めた。
昨日書いた項目が目に入る。
『量』
『出す力』
『流し方』
『扱う精度』
『損失』
ジンは、その中の一つへ丸をつけた。
『扱う精度』
続いて。
『損失』
そこにも丸をつける。
「……別物だな」
小さく呟いた。
魔力が多いこと。
魔力を正確に扱えること。
そして、魔力を無駄なく使えること。
少なくとも、それらは同じ能力ではない。
まだ理論と呼べるほどの根拠はない。
確認できた例も、フィナとアインだけだ。
それでも。
ジンの中で、今まで一つに見えていたものが少しずつ分かれ始めていた。
この世界で当たり前のように使われている――魔力量という尺度。
その一つだけでは測れない何かがある。
そんな小さな亀裂が、初めてはっきりと形になり始めていた。




