第25話 可能性
翌日。
三人は再び冒険者ギルドを訪れていた。
朝の依頼掲示板には、今日も多くの依頼書が並んでいる。
魔物の討伐。
護衛。
採取。
捜索。
依頼の種類はさまざまで、危険度も報酬も大きく違う。
中でも討伐依頼は危険なものが多い。その分、成功すればまとまった報酬を受け取れるため、掲示板の前では何人もの冒険者が依頼書を見比べていた。
三人も掲示板へ向かおうとしたが、その前に受付の職員から声をかけられる。
「今日はこっちだ」
差し出されたのは、一枚の依頼書だった。
フィナが受け取り、内容へ目を通す。
「街道巡回……昨日と似たような依頼ですね」
「ああ。昨日のもギルド依頼だったからな」
「昨日のも?」
ジンが聞き返した。
昨日の依頼は、自分たちで掲示板から選んだはずだ。
職員はその疑問に気づいたのか、依頼掲示板の方を指した。
「ギルド依頼だからって、全部受付から直接渡すわけじゃない。普通の依頼と一緒に掲示板へ張り出すこともある」
「見分けられるんですか?」
「ああ。ここだ」
職員が手元の依頼書の上部を指で叩く。
『ギルド発行』
「この表記があるのは、ギルドそのものが必要だと判断して出してる依頼だ」
「じゃあ昨日の『街道巡回および薬草採取』も?」
「そういうことだ」
職員が頷いた。
「街道の巡回と薬草の補充。あれは定期的にギルドが出してる仕事だ」
「なるほど」
ジンは改めて掲示板を見る。
今まで同じように並んでいるだけだと思っていた依頼書も、発行元まで意識すると少し見え方が違ってくる。
「掲示板にある依頼の多くは、街の住民や商人なんかから持ち込まれた一般依頼だ」
職員が続ける。
「討伐、護衛、採取、捜索。内容はかなり幅があるし、危険度も報酬も依頼によって違う」
「ギルド依頼は?」
フィナが尋ねる。
「比較的安全なものが多い。街道巡回、警報具の点検、薬草の定期採取、魔物の生息確認なんかだな」
「誰か一人に頼まれた仕事じゃないんですね」
「ああ。何か起きてから動くんじゃなくて、起きる前にやっておく仕事だ」
職員は依頼書を軽く振った。
「だから報酬は安めだ。その代わり危険度も低い」
横で聞いていたアインが口を挟む。
「新人に回されることも多い」
「そういうことだ」
職員が頷いた。
「登録したばかりの冒険者に、いきなり危険な依頼ばかりやらせるわけにもいかないからな。こういう仕事で報告の仕方や街の周辺、それに危険があった時の撤退判断なんかを覚えてもらう」
「受付から直接渡される時もあるんですか?」
「急ぎだったり、人手が足りなかったりする時はな。そうじゃなきゃ掲示板に出して、誰かが受けるのを待つ」
発行元と、受け方は別ということらしい。
昨日は掲示板から選んだ。
今日は受付から直接渡された。
どちらも同じギルド依頼だった。
「最近は東側も落ち着いてるからな」
職員が笑う。
「今日は街道を一通り見てきてくれればいい」
「こういう依頼なら気が楽ですね」
フィナが少し嬉しそうに言う。
「本当に」
ジンも頷いた。
「最初の依頼みたいなのは、しばらく勘弁してほしい」
「お前が言うと、また何か起こりそうだな」
アインがぼそりと返した。
「やめてくれ」
「でも実際、最初から普通じゃなかっただろ」
「それはそうだけど」
フィナが二人のやり取りを聞いて小さく笑う。
「今日は何も起きないといいですね」
「その言い方も少し不安になるな」
「えっ、私までですか?」
三人はそんな会話を交わしながら依頼を受け、そのまま東門から街の外へ出た。
◇
草原を歩きながら、フィナは何度も自分の右手を見ていた。
昨日。
あの公園で初めて感じた感覚。
指先から足裏まで。
身体全体が一本の螺旋として繋がった、あの感覚。
まだ自分一人では完全に再現できない。
それでも歩きながら、何度も身体の中で確かめていた。
「まだ気になる?」
隣を歩いていたジンが尋ねる。
「はい」
フィナは少し照れたように笑った。
「昨日の感覚、忘れたくなくて」
「忘れてもいいよ」
「え?」
「一回身体で覚えたものは、完全には消えないから」
「そういうものなんですか?」
「俺はそうだった」
ジンは少し考えるように続ける。
「むしろ、ずっと思い出そうとしてると余計に力が入ることもある」
「力が……」
「思い出すより、もう一回やった方が早い」
フィナはその言葉を聞いて、少し安心したように笑った。
「じゃあ、考えすぎないようにします」
「それくらいでいい」
少し前を歩いていたアインが振り返る。
「その会話だけ聞くと、昨日何してたのかますます分からんな」
「見てただろ」
「見てたから分からないんだよ」
フィナが思わず笑った。
◇
しばらく街道を進んだところで、一人の女性が道脇へ座り込んでいるのが見えた。
周囲には荷物が散らばっている。
「大丈夫ですか?」
フィナがすぐに駆け寄った。
「足を……」
女性は苦しそうに顔をしかめながら、右足首を押さえていた。
「荷物を持ち上げようとした時に、変に捻ってしまって……」
「見せてもらえますか?」
フィナは女性の前へ膝をつき、腫れ具合を確かめる。
大きな傷はない。
骨が折れている様子もなさそうだった。
「これなら回復魔法で治せると思います」
「お願いします」
「はい」
フィナは両手を足首へかざした。
ゆっくりと息を吸う。
昨日の感覚を、無理に思い出そうとはしない。
まず身体の力を抜く。
足裏。
そこから始まる。
足首。
膝。
股関節。
腰。
背中。
肩。
肘。
手首。
掌。
それぞれを別々に動かすのではなく、一本の流れとして繋げる。
昨日、ジンに身体を捻られた時のように。
指先から足元まで、一つの螺旋として。
「……」
フィナの掌に淡い光が宿った。
その瞬間。
「……あ」
自分でも分かった。
違う。
魔力が途中で止まらない。
押し上げる必要もない。
足元から入ってきた魔力が、身体の中を滑るように通り抜け、そのまま掌まで届く。
静かに。
滑らかに。
女性の足首を包んだ光が、いつもより僅かに強く輝いた。
「……あれ?」
驚いたのは、治療を受けている女性よりフィナの方だった。
身体が軽い。
いつもなら回復魔法を使った直後に感じる、身体の奥へ残るような重さがほとんどない。
やがて光が消える。
「どうですか?」
女性は恐る恐る足を地面へつけた。
「……痛くない」
ゆっくり立ち上がり、何度か足首を動かす。
「本当に治ってます!」
顔を輝かせ、何度も頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「い、いえ……」
フィナはそう答えながらも、自分の掌から目を離せなかった。
◇
女性が荷物をまとめて去っていったあとも、フィナはしばらくその場に立っていた。
アインが腕を組みながら声をかける。
「昨日より明らかに楽そうだな」
「分かります?」
フィナが顔を上げる。
「俺は回復魔法のことなんて分からん」
アインは肩をすくめた。
「でも昨日まで、お前は使うたびにちょっと疲れた顔してただろ」
「……してました?」
「してた」
ジンも頷いた。
「今日は全然違う」
フィナは少し照れくさそうに笑った。
「……本当に楽なんです」
「どれくらい?」
「今までなら、あれくらい治すだけでも身体の奥が少し重くなる感じがあったんです」
フィナは胸の辺りへ手を当てた。
「でも今は、ほとんど何も残ってなくて」
「使った魔力は?」
「多分、いつもと同じくらいです」
「出力は?」
「それも……」
フィナは少し考える。
「感覚だけですけど、いつもより強かった気がします」
ジンはすぐに紙と筆記具を取り出した。
「やっぱり」
「また書くのか」
「忘れるから」
「お前は忘れないだろ」
「細かいところは忘れる」
アインが呆れたように息を吐く。
ジンは構わず書き込んでいく。
『身体操作修正後』
『魔力消費――大きな変化なし(本人申告)』
『身体負荷――大幅減少』
『出力向上の可能性』
『再現性あり』
『継続観察』
そこまで書いてから、ジンは一度手を止めた。
「まだ仮説だけど」
フィナがこちらを見る。
「昨日よりは、かなり確信に近づいた」
「何がですか?」
「フィナの魔法」
ジンは紙を閉じる。
「遠回りじゃなかったんだと思う」
「……」
「長い経路そのものに意味があった」
フィナは自分の掌を見る。
「昨日までは、そこを無理に人と同じ形へ直そうとしてた」
「はい」
「だから身体の流れも、魔力の流れも途中で何度も切れてた」
ジンはフィナの足元から掌まで視線を動かした。
「でも今は、それが繋がった」
「……螺旋で」
「うん」
フィナは小さく頷く。
その表情には、昨日までとは少し違うものがあった。
まだ自信と呼ぶには小さい。
それでも、自分の魔法を否定する気持ちは確実に薄れていた。
◇
巡回を終え、ベルクへ戻る頃には空が赤く染まり始めていた。
三人は街道を歩きながら、ゆっくりと街へ向かっている。
「そういえば」
アインがふと思い出したように口を開いた。
「一つ聞いていいか」
「何?」
「今言ってた理屈」
ジンを見る。
「全部、お前の想像だよな」
「うん」
「……即答かよ」
ジンは笑った。
「まだ証明できてない」
「じゃあ、外れてるかもしれない」
「もちろん」
「それでも続けるのか?」
「続けるよ」
ジンは前を見たまま答える。
「外れてたら、また試せばいい」
アインが黙る。
「違ったら、また考える」
「それでも違ったら?」
「また試す」
「……」
「その繰り返しだから」
アインはしばらくジンを見たあと、呆れたように苦笑した。
「本当に研究馬鹿だな」
「否定はしない」
三人の笑い声が、夕暮れの草原へ小さく溶けていく。
フィナは歩きながら、自分の掌をそっと開いた。
今まで、ずっと自信がなかった。
人と違う。
効率が悪い。
普通にできない。
そう言われ続けてきた回復魔法。
でも。
その違いは、欠点ではないのかもしれない。
まだ誰も知らない。
自分だけの可能性なのかもしれない。
フィナは掌を閉じ、小さく拳を握った。
「もっと練習します」
前を向く。
その声には、もう迷いはほとんど残っていなかった。




