第24話 螺旋
「まず、右腕を前に出してみて」
「こ、こうですか?」
「うん。力は抜いて」
フィナがゆっくりと右腕を差し出した。
「痛かったらすぐ言って」
「……何するんですか?」
フィナが少し警戒した顔になる。
「身体の繋がりを確認するだけ」
「その説明で余計に不安になったんですけど」
「大丈夫。無理には動かさないから」
ジンはフィナの右手、その指先へ軽く触れた。
握り込むのではない。
方向を示すように、指を添えるだけ。
「少し捻るよ」
「はい」
ジンが、フィナの右手を内側へほんの僅かに回した。
フィナから見れば、反時計回り。
最初は指先だけだった。
だが、その捻れはそこで止まらない。
掌が内側へ返り、それに引かれるように手首が回る。
「……あれ?」
前腕も同じ方向へ巻き込まれ、肘の向きが少しずつ変わっていく。
上腕。
肩。
右肩が前へ入り、胸がそれにつられて閉じ始めた。
「え?」
フィナの上半身が僅かに傾く。
それでもジンは、捻りを止めない。
右腕から始まった流れが肩を越え、胸郭へ入る。
背中が引かれ、上半身が前へ倒れていく。
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
「痛い?」
「痛くはないですけど……!」
さらに内側へ捻られる。
前へ倒れたまま、今度は胸と背中が回り始めた。
フィナの顔が少しずつ右肩の向こうへ流れ、正面を向いていたはずの上半身が、いつの間にか斜め後ろへ向こうとしている。
「わっ……!」
腰まで捻れが届いた。
骨盤が回り、右の股関節が沈む。
腿。
膝。
脛。
足首。
最後に足裏まで。
指先から始まった小さな捻れが、一本の流れとなって全身を巻き込み、フィナの身体は大きく崩れていた。
上半身は前へ倒れている。
それなのに胸と肩はさらに回り込み、身体だけ見れば、半ば後ろを振り返るような形になっている。
右腕を内側へ捻っただけ。
それだけのはずなのに。
指先から足裏まで、身体全体が反時計回りの螺旋へ巻き込まれていた。
「す、すごい体勢になってます!」
「うん」
「うん、じゃないですよ!」
「でも痛くないだろ?」
「痛くはないですけど、身体中が引っ張られてます!」
「そこ」
「え?」
「その感覚、覚えて」
「今ですか!?」
「今」
「無茶言わないでください!」
少し離れた場所で見ていたアインが吹き出した。
「頑張れ」
「応援だけですか!?」
「俺には何をやってるのか分からん」
「じゃあ助けてください!」
「もっと無理だ」
フィナが涙目になる。
その間にも、ジンは張りが途切れないように、触れる場所と角度を僅かずつ変えていった。
指先の捻れが弱まれば手首へ。
前腕の張りが抜けそうになれば肘へ。
肩が先に動こうとすれば、胸郭と腰の位置を少し整える。
力で無理に捻るのではない。
どこか一か所だけを動かすのでもない。
身体の中に生まれた一本の流れを、途中で切らないように繋いでいく。
やがてジンは手を止めた。
「はい。そこで止まって」
「……動けません」
「動かなくていい」
「今、どこが張ってる?」
フィナは恐る恐る目を閉じ、自分の身体へ意識を向けた。
指先。
手首。
腕。
肩。
背中。
腰。
脚。
足裏。
しばらくして、ゆっくり口を開く。
「……全部です」
「全部?」
「はい」
目を閉じたまま、フィナが続けた。
「指先から足の裏まで、全部繋がってる感じがします」
「そう」
ジンが静かに頷く。
「今の身体、一本の螺旋みたいになってる」
「螺旋……」
「指だけが捻れてるんじゃない。腕だけでも、腰だけでもない」
ジンはフィナの身体全体を見る。
「指先から足元まで、全部が一つの捻れとして繋がってる」
フィナはその言葉を確かめるように、もう一度自分の身体へ意識を向けた。
確かに。
今まで回復魔法を使っていた時とは違う。
いつもなら腰、肩、腕と、それぞれ別々の場所へ力が入っていた。
だが今は、どこか一つだけを動かそうとすると、身体全体がついてくる。
「これが……繋がるってことですか?」
「そうだと思う」
ジンは自分の腕を軽く捻ってみせた。
「今までのフィナは、途中で何回も流れが切れてた」
「はい」
「でも今は、最初から最後まで一つだ」
◇
「じゃあ今度は、自分で戻してみよう」
「戻す?」
「うん。今の張りを切らないまま、逆へ戻す」
フィナが不安そうに自分の身体を見る。
「足から戻していけばいいんですか?」
「足だけを先に動かそうとしなくていい」
「え?」
「全部が繋がったまま、逆向きにほどけていく感じ」
「……難しそうですね」
「最初はね」
フィナは一度深く息を吸った。
目を閉じる。
足裏に残っている張りを感じる。
そこから少しずつ。
足首。
脛。
膝。
腿。
股関節。
腰。
背中。
肩。
腕。
手首。
指先。
一か所ずつ動かすのではなく、一つの螺旋が逆向きにほどけていくように身体を戻していく。
フィナの腰が回る。
背中が戻る。
肩が開く。
最後に腕が伸びていく。
その時。
「……お」
まだフィナの腕へ触れていたジンの身体が、不意に引き込まれた。
強く押されたわけではない。
フィナ自身も、力を込めたつもりはない。
それでも。
足元から始まった捻れが腰を通り、背中を抜け、肩から腕へ途切れず伝わった。
その流れが、接触していたジンの腕まで届く。
体幹が崩れる。
「っと」
足元が僅かに浮き、身体が横へ回った。
そのまま芝生へ転がる。
「えっ!?」
フィナが慌てて駆け寄った。
「す、すみません! 私、何かしました!?」
「いや」
ジンは芝生に横になったまま、自分の腕を見る。
少しして、口元が緩んだ。
「それだ」
「何がですか?」
「今の身体の使い方」
ジンはゆっくり起き上がり、服についた草を払い落とした。
「俺を押した?」
「押してません!」
「だよな」
「でも、ジンさん転びましたよ?」
「力が最後まで届いたから」
フィナが首を傾げる。
ジンは自分の腕を軽く回しながら続けた。
「足元から始まった動きが、腰でも肩でも途切れずに腕まで来た」
「……それで?」
「それが、そのまま俺にも伝わった」
フィナは自分の両手を見る。
「こんなに力を入れてないのに……」
「だから面白い」
ジンの目が少し輝いた。
「今の感覚を使ってみよう」
「何にですか?」
「回復魔法」
フィナが顔を上げる。
「……この身体の使い方で?」
「うん」
フィナはまだ半信半疑だったが、やがて杖を持ち直した。
「分かりました」
ゆっくりと呼吸を整える。
いつものように、大地から魔力を吸い上げるイメージを作る。
足元から魔力が入る。
これまでは、そこで一度押し上げるような感覚があった。
膝。
腰。
肩。
そのたびに魔力をもう一度動かすような感覚。
だが今度は違う。
先ほど感じた螺旋を思い出す。
足裏から脚へ。
腰。
背中。
肩。
腕。
掌。
途中で切らない。
全身を一つの流れとして繋げる。
「……いきます」
フィナの掌に、淡い光が宿った。
その瞬間。
「……!」
フィナが息を呑む。
「どう?」
「……変です」
「悪い方?」
「違います」
フィナは掌を見つめた。
「引っ掛からないんです」
「引っ掛からない?」
「いつもは、魔力を上まで持ってくる途中で何回か詰まる感じがあって……そのたびに押し上げるようにしてたんです」
掌に集まった光を見る。
「でも今は、そのまま来ました」
淡い光は、先ほどまでより僅かに濃い。
揺らぎも少なかった。
ジンはすぐに結論を出さず、フィナの表情と身体の状態を見る。
「使った魔力は?」
「たぶん……いつもと同じくらいです」
「疲れ方は?」
フィナは自分の身体へ意識を向ける。
「……軽いです」
「やっぱり何か変わってるな」
ジンは顎へ手を添えた。
「普通の魔法は、魔力をできるだけ短い経路で運ぶ」
「はい」
「速いし、扱いやすい。そこはたぶん間違ってない」
ジンはフィナの足元から掌まで視線を走らせる。
「でもフィナは、最初から違う経路を使ってた」
「足元から身体全部を通す……」
「うん」
長い。
遠回り。
普通なら無駄だと判断される。
だが。
「その長い経路にも、意味があるのかもしれない」
「意味……」
「魔力が身体を通る間に、何か変化してる可能性がある」
「魔力そのものがですか?」
「まだ分からない」
ジンはすぐに首を振った。
「身体の流れが繋がったから、単純に魔力を動かしやすくなっただけかもしれない。螺旋を通したことで、魔力そのものに何か起きてる可能性もある」
フィナが小さく頷く。
「じゃあ、もっと試さないと分からないですね」
「そういうこと」
その答えに、フィナが少し笑った。
「ジンさんらしいです」
「何が?」
「すぐに決めつけないところ」
「分からないものを、分かったことにはできないから」
そう言いながら、ジンは近くに置いていた紙と筆記具を手に取った。
『仮説』
『通常魔法――短い経路。発動速度、制御性を優先』
『フィナ――足元から掌まで長い経路を使用』
『身体の螺旋を繋げた場合、同程度の魔力量でも発動状態に変化』
『疲労減少』
『光量増加?』
『魔力そのものの変化については未確認』
書き終えると、ジンは紙から顔を上げた。
「フィナ」
「はい?」
「君は、回復魔法が下手だったわけじゃないのかもしれない」
フィナの表情が止まる。
「……え?」
「今まで、人と違う流し方をしてた」
「はい」
「でも、それを人と同じ方法に直そうとしてた」
ジンは先ほど書いた紙を見る。
「だから、うまく噛み合ってなかっただけかもしれない」
「……」
「誰とも違う魔法を、誰とも同じやり方で使おうとしてたんじゃないかな」
フィナの瞳が僅かに揺れた。
子供の頃から何度も言われてきた。
変だ。
効率が悪い。
普通にやりなさい。
だからずっと、自分の流し方は間違っているものだと思っていた。
それを初めて。
違う可能性として見てくれる人がいる。
フィナは自分の掌を見つめた。
少しだけ黙ったあと。
「……もう一回」
「ん?」
顔を上げる。
「もう一回、試してもいいですか?」
今度の声には、先ほどまでの不安がなかった。
「もちろん」
ジンも笑う。
「次は、もっと綺麗に繋げてみよう」
「はい」
フィナは再び足元へ意識を向けた。
足裏から指先まで。
途切れさせず。
一つの螺旋として。
夕暮れの公園に、再び淡い光が灯った。




