第22話 回復魔法
ビエトロが連行されてから二日。
冒険者ギルドでは新しい職員が受付に立ち、依頼掲示板の前にはいつものように冒険者たちが集まっている。冒険者のあいだでも、あの事件について話している者はもう少なくなっていた。
それでも、ジンたち三人にとっては簡単に忘れられるような出来事ではない。
初めての依頼。
冒険者狩りとの戦い。
そして、ギルド職員だったビエトロの裏切り。
この世界へ来てからまだそれほど経っていないというのに、ずいぶん濃い時間を過ごした気がする。
「今日は平和な依頼がいいですね……」
依頼掲示板を眺めながら、フィナが小さく呟いた。
「同感」
ジンも苦笑する。
「毎回命懸けは勘弁してほしい」
「それ、お前が言うか?」
隣にいたアインが呆れたように肩をすくめた。
「お前がいると面倒事が寄ってくる」
「俺のせいじゃない」
「そう思ってるのは本人だけだ」
そのやり取りを聞いて、フィナが思わず吹き出した。
事件が終わってからというもの、三人の距離は自然と縮まっていた。
アインは相変わらず皮肉を言うが、以前より明らかに口数が増えている。フィナも緊張がほぐれたのか、二人の前で笑うことが多くなっていた。
「あ、これなんてどうですか?」
フィナが一枚の依頼書を指差す。
『街道巡回および薬草採取』
危険度は低い。
街の東側に広がる草原を巡回しながら薬草を集め、魔物や街道の異常がないか確認する依頼だった。
「これにしよう」
ジンが頷く。
「少し身体も休めたいし」
「珍しく意見が合ったな」
アインも異論はないようだった。
◇
街を出て一時間ほど。
三人は東へ延びる街道沿いの草原を歩いていた。
風が一面の草を揺らし、その隙間に咲く小さな花が太陽の光を受けている。遠くでは旅人を乗せた荷馬車が、ベルクへ向かってゆっくりと街道を進んでいた。
「この前までとは別世界ですね」
フィナが辺りを見回しながら言う。
「こういう依頼の方が普通なんだよ」
アインは草むらへ視線を向けたまま答えた。
「むしろ今までがおかしかった」
「それはそうだな」
ジンも頷く。
薬草採取は、思っていた以上に地味な作業だった。
フィナが採取できる草の種類や見分け方を教え、ジンとアインが周囲を警戒しながら必要な分だけ摘み取っていく。見つけては採り、袋へ入れる。その繰り返しだ。
しばらくして、ジンは隣で薬草を選別しているフィナへ目を向けた。
「フィナ」
「はい?」
「ずいぶん詳しいな」
「薬草ですか?」
「ああ」
フィナは手にしていた葉を袋へ入れると、少し照れたように笑った。
「回復魔法だけじゃ足りないこともありますから」
「足りない?」
「魔力がなくなったら、当然回復魔法も使えません。それに、ちょっとした傷や体調不良なら薬草だけで十分なこともありますし」
フィナは別の草を摘み、根元を確認してから続ける。
「だから子供の頃から少しずつ覚えました」
「なるほど」
ジンは素直に感心した。
フィナは、ただ回復魔法を使えるだけではない。
人を治療するための知識そのものを身につけている。
だからこそ、北の森でも負傷した仲間を前に迷わず動けたのだろう。
◇
「ひゃっ……!」
突然、街道の方から短い悲鳴が聞こえた。
三人が同時に顔を上げる。
少し離れた場所を走っていた荷馬車が大きく揺れ、御者台に座っていた老人が地面へ転げ落ちた。
「大丈夫ですか!」
真っ先に駆け出したのはフィナだった。
ジンとアインもすぐに続く。
老人は街道脇へ座り込み、腰を押さえながら苦しそうに顔をしかめていた。
「お、おお……こりゃいかん……」
「動かないでください。どこが痛みますか?」
「腰じゃ……馬が急に驚いてしまってのう」
荷馬車の前方では、小さな角を生やしたウサギが草むらへ飛び込んでいくところだった。
アインは一度そちらへ目を向けたが、すぐに腰へ伸ばしかけた手を止める。
「もう逃げたな」
「追わなくていい」
ジンも老人の様子を確認する。
「フィナ、どう?」
「見てみます」
フィナは老人の前へ膝をつき、腰の辺りへ両手をかざした。
「少しじっとしていてください。回復します」
掌から淡い光が溢れる。
老人の身体を包んでいく柔らかな光を見ながら、ジンはその場にしゃがみ込んだ。
傷ではなく。
フィナを見る。
足。
膝。
腰。
肩。
肘。
手首。
回復魔法を使う時、フィナの身体はほんの僅かずつ捻れていた。
一見すれば、魔力を強く送り出すために全身を使っているようにも見える。
だが、ジンの目には少し違って映った。
足元から生まれた動きが腰へ届く前に一度止まり、肩でまた別の力が生まれている。肘から先でもう一度流れが変わり、そのたびに身体のどこかへ余計な力が入っていた。
(……流れが途中で止まっている)
魔法そのものは問題なく発動している。
老人の表情も少しずつ和らいでいた。
それでも。
フィナ自身の身体の中では、何度も流れが途切れている。
一本につながっていない。
もしこれが身体を動かすための力なら、相当な無駄が出ている。
では。
魔力の場合はどうなのか。
「……」
ジンは黙ったまま、その動きを最後まで見続けた。
やがて掌の光が消え、フィナが小さく息を吐く。
「これで大丈夫だと思います」
老人は恐る恐る立ち上がり、腰へ手を添えたまま何度か身体を動かした。
「おお……」
ゆっくり腰を伸ばす。
「痛みが引いとる」
「無理はしないでくださいね。今日はできるだけ休んだ方がいいです」
「いやはや、助かったわい。ありがとう、お嬢さん」
「いえ。お大事にしてください」
老人は何度も礼を言い、再び荷馬車へ乗り込んだ。
三人がその姿を見送る。
フィナも笑顔で手を振っていたが、荷馬車が遠ざかる頃には、僅かに肩で息をしていた。
「疲れた?」
ジンが尋ねる。
「少しだけです」
フィナは笑って答えた。
だが、額には薄く汗が滲んでいる。
先ほどの治療だけで、そこまで大きな怪我だったようには見えない。
ジンは少し考えてから口を開いた。
「フィナ」
「はい?」
「一つ聞いてもいい?」
「もちろんです」
「その回復魔法なんだけど」
フィナが首を傾げる。
「身体の動きまで意識したことってある?」
「身体の……動きですか?」
「ああ。魔法そのものじゃなくて、魔法を使ってる時の身体の使い方」
「……」
フィナは自分の両手を見た。
「考えたこと、ないです」
「やっぱり」
「何か変でした?」
「変っていうより」
ジンは先ほどの動きを思い返しながら、自分の手を軽く動かした。
「魔法を使う時、身体の中で何回か力がぶつかってるように見えた」
「力が?」
「うん。足、腰、肩、腕って、それぞれが別々に頑張ってる感じ」
フィナはますます不思議そうな顔になる。
「でも、それと魔法に何か関係があるんでしょうか?」
「分からない」
「分からないんですか?」
「だから気になってる」
「……なるほど」
フィナが小さく笑った。
その横で、アインが腕を組む。
「また始まったな」
「何が?」
「研究」
ジンは少しだけ気まずそうに頭を掻いた。
「気になったら確かめたくなるんだよ」
「知ってる」
アインは呆れたように笑った。
「それで?」
「帰ったら少し試してみたい」
ジンはフィナを見る。
「付き合ってくれる?」
「私でいいなら」
フィナは少し戸惑いながらも頷いた。
「お願いします」
「ありがとう」
ジンはもう一度、先ほどフィナが回復魔法を使った時の動きを頭の中で思い返す。
魔法そのものは分からない。
だが。
身体の使い方なら、確かめられる。
そしてもし。
身体の中で途切れているものを、一つにつなげることができたなら。
魔法にも何か変化が起きるかもしれない。
「……面白くなってきた」
「その顔やめろ」
すぐ横からアインの声が飛んできた。
「絶対長くなるやつだ」
「まだ何もしてないだろ」
「だから嫌なんだよ」
フィナの笑い声が、風に揺れる草原へ小さく響いた。




