第20話 口封じ
黒い外套の人物は、牢屋の前で足を止めると、もう一度だけ周囲を見回した。
人の気配はない。
そう判断したのだろう。懐から鍵束を取り出し、できるだけ音を立てないように鍵穴へ差し込む。
カチャリ。
小さな金属音が夜の静けさに響いた。
牢の中で壁にもたれていたキールが、ゆっくりと顔を上げる。
「……やっと来たか」
口元が吊り上がった。
「遅かったじゃねぇか」
この牢は、通常のものとは少し違う。
床の四隅と鉄格子には、淡い灰色の金属板が埋め込まれている。
魔法使いを収容するために作られた、魔封じの装置だった。
魔力そのものを消すわけではない。
だが、牢の中で魔力を集めようとすると流れを乱され、術として形にする前に散らされてしまう。
設備そのものが高価なため、衛兵隊の詰所にも数は多くない。
強力な水魔法を使うキールが入れられていたのも、そのうちの一つだった。
捕まってから何度か試したらしいが、結果は同じだった。
ここにいる限り、雨も水弾も使えない。
フードの人物は答えない。
そのまま牢の中へ入り、扉を閉める。
キールは立ち上がると、凝った肩をほぐすように回した。
「ったくよ。もっと早く来い」
軽口を叩きながら牢の外へ出ようとする。
「危うく全部しゃべるところだったぜ」
その時だった。
月明かりが、何かを鋭く反射する。
キールの足が止まった。
「……?」
フードの人物の手には、短剣が握られていた。
刃先は下を向いていない。
まっすぐ。
キールの喉へ向けられている。
「……おい」
さっきまで浮かんでいた笑みが消える。
「何の冗談だ?」
返事はない。
男はさらに一歩、距離を詰めた。
そこでようやく、フードの奥から低い声が落ちる。
「悪く思うな」
「……は?」
「生きていられると困る」
一瞬だけ。
キールの表情が止まった。
次の瞬間には、その意味を理解する。
「てめぇ……!」
声が一気に荒くなる。
「口封じか!」
叫ぶと同時に、キールは反射的に右手を上げた。
魔力を集めようとする。
だが。
床の四隅に埋め込まれた金属板が、僅かに光った。
集まりかけた魔力が乱れ、そのまま霧散する。
「くそっ!」
ここでは魔法は使えない。
キールはすぐに諦め、後ろへ飛んだ。
その瞬間。
物陰に身を潜めていたアインの指が、小さく動く。
牢の床際には、石の色に紛れる暗い灰色の細いワイヤーが這わせてあった。普段は弛ませてあるため、月明かりの乏しい牢内では目を凝らしても気づきにくい。
アインがそれを一気に引いた。
ピンッ。
「しまっ――」
床際に沈んでいたワイヤーが瞬時に張り、キールの足首へ絡みつく。
次の瞬間、仕掛けに繋がれていた重りが落ちた。
「うおっ!?」
キールの身体が勢いよく持ち上がり、そのまま逆さ吊りになる。
「な、なんだこれ!」
突然吊り上げられたキールを見て、フードの男も反射的に後ろへ下がった。
だが、すぐに異変を察したらしい。
牢の中へ視線を走らせる。
キールを吊り上げたワイヤー。
どこかに潜んでいるはずの相手。
男の身体が僅かに強張った。
「……っ」
次の瞬間。
短剣を握ったまま踵を返し、牢の外へ駆け出した。
逃げる。
その判断は早かった。
だが。
牢屋を飛び出し、中庭へ足を踏み出した瞬間。
物陰で、アインの指がもう一度動いた。
ピンッ。
「くっ!」
石畳へ弛ませてあった暗灰色のワイヤーが一気に張り、男の足首へ絡みつく。
踏み出した足を取られ、身体が大きく前へ傾いた。
その動きに合わせるように、牢屋の入り口近くに立てかけてあった丸木が倒れる。
「なっ!?」
太さは丸太ほどではないが、人一人の進路を塞ぐには十分な大きさだった。
男は咄嗟に身体を捻り、横へ逃れる。
ワイヤーに取られた足を無理に引きながら、それでも転倒だけは避けた。
だが。
それこそが狙いだった。
避けた先の石畳には、もう一本。
同じ暗い灰色のワイヤーが弛んだまま這わせてある。
アインがさらに指を引く。
ワイヤーが一気に張った。
「しまっ――!」
今度は逆側の足を取られる。
逃げる方向を失い、重心が完全に前へ崩れた。
男は咄嗟に手をつく。
その拍子に、深く被っていたフードが頭から外れた。
顔が月明かりの下へ露わになる。
「……やっぱり」
物陰で、アインが小さく呟いた。
見覚えのある顔だった。
冒険者ギルドの職員。
昼間、キールから押収した紙束を受け取った男。
ビエトロ。
そのまま彼は四つん這いになった。
「終わりだ」
静かな声が落ちる。
ビエトロの身体が僅かに強張った。
顔を上げる。
その視界の端へ、剣先がゆっくりと入ってきた。
首筋のすぐ横。
ジンが剣を構えたまま立っている。
同時に、物陰からアインが姿を現した。
ビエトロの目が大きく見開かれる。
「お前たち……!」
「張ってた」
アインは肩をすくめた。
「勘だけどな」
「馬鹿な……」
ビエトロが歯を食いしばる。
その後ろの牢屋では、逆さ吊りにされたキールが激しく身体を揺らしていた。
「おい!」
アインがちらりと見上げる。
「早く降ろせ! 頭に血が上る!」
「元気そうで何より」
「ふざけんな!」
キールは逆さのまま叫ぶ。
「殺されかけたんだぞ!」
「助けてもらったんだから感謝しろ」
「誰のせいだと思ってんだ!」
そのやり取りを横で聞きながら、ジンは剣を構えたままビエトロの正面へ回る。
「聞きたいことがある」
ビエトロは視線を逸らした。
「……何のことだ」
「まだ誤魔化すのか」
ジンの声は静かだった。
「キールを助けに来たんじゃない」
ビエトロの表情が僅かに動く。
「殺しに来た」
返事はない。
「それが答えだ」
沈黙が落ちた。
やがてビエトロは、ゆっくりと息を吐く。
「……しくじったな」
その一言で十分だった。
少し遅れて、物音を聞きつけた衛兵たちが駆け込んでくる。
「動くな!」
「全員、そのままだ!」
隊長が先頭で入ってきた。
まず、四つん這いのまま観念したように動かないビエトロを見る。
次に。
逆さ吊りになっているキールを見る。
「……」
隊長の眉がゆっくりと寄った。
「これは、お前たちがやったのか?」
アインが静かに頷く。
「証拠付きです」
「そういう意味で聞いたんじゃないんだが……」
隊長は一度額へ手を当て、それからビエトロを見る。
「もう諦めろ。洗いざらい話せ」
ビエトロは抵抗しなかった。
衛兵に拘束されながら、ただ一度だけジンの方を見る。
その目には、諦めとも後悔ともつかない色が浮かんでいた。




