第19話 夜の張り込み
ベルクの夜は静かだった。
昼間まで人で溢れていた大通りも、今では行き交う者の姿はまばらだ。通り沿いの酒場から漏れる笑い声だけが、夜風に乗って遠くまで響いている。
宿へ戻ったジンたちは、二階の廊下まで上がってきた。
「今日は本当に疲れました……」
フィナが大きく息を吐く。
新人向けの依頼だったはずなのに激しい戦闘に巻き込まれ、負傷者の治療を続けていたのだ。普段の依頼とは比べものにならないほど魔力を使ったらしく、表情にも疲れが滲んでいる。
「もう休んだ方がいいぞ」
ジンが言う。
「明日も無理はしない方がいい」
「ありがとうございます」
フィナは微笑み、小さく頭を下げた。
「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
フィナは自分の部屋の扉を開け、中へ入っていった。
扉が閉まるのを見届けたところで、アインがジンへ声をかける。
「ジン。話がある」
その声に、ジンが振り向く。
「……何かある?」
「ああ」
短い返事だった。
冗談を言っている顔ではない。
「歩きながら話す」
二人はそのまま階段を下り、宿を出た。
夜風は少し冷たく、石畳には昼間の熱がほとんど残っていない。しばらく無言で歩いたところで、ジンが口を開く。
「何が気になってる」
「ビエトロ」
その名前に、ジンの視線がわずかに動いた。
「ギルドの職員か」
「ああ」
「どうして」
アインは前を見たまま答える。
「キールの荷物に入ってた紙。俺たちの依頼内容、出発時間、人数、特徴。全部書いてあった」
「そうだな」
「でも、一番気になったのはそこじゃない」
ジンは黙って続きを待った。
「ビエトロは、あの紙を見ても驚かなかった」
「……」
「普通なら、敵が自分たちの情報を持ってたら、まず理由を考える。少なくとも一瞬は反応する」
アインの目が少し細くなる。
「でも、あいつは違った」
昼間の光景を思い返しているのだろう。
「『しくじりやがって』って顔に見えた」
ジンも記憶を辿る。
確かに、ビエトロは妙に冷静だった。
内通者がいる可能性を聞いても、驚いた様子はほとんど見せなかった。
「思い込みじゃないか?」
「かもしれない」
アインはあっさり認めた。
「だから確かめる」
「どうやって」
「張る」
「……張る?」
「キール」
アインは短く答える。
「今、牢屋にいる」
ジンは少し考えた。
「もしビエトロが本当に情報を流してたなら」
「今、一番困るのはキールだ」
「ああ」
「捕まったまま喋られたら終わる」
「だから今夜、誰かが来る」
ジンは横目で見る。
「助けに?」
「いや」
一拍置く。
「始末しに」
静かな断言だった。
「来なかったら?」
「俺の勘違い」
「来たら?」
「捕まえる」
あまりにも簡単に言うので、ジンは少し笑った。
「準備は?」
「道具ならある」
アインが外套の内側を軽く叩く。
「あとは現場を見てからだ」
「罠を張るの?」
「来ると分かってるなら、使わない理由はないだろ」
「相変わらずだな」
「褒め言葉として受け取っとく」
二人はそのまま衛兵隊の詰所へ向かった。
◇
事情を説明すると、衛兵隊長は腕を組んだまま難しい顔をした。
「証拠はあるのか?」
「ありません」
アインは即答する。
「勘です」
「勘で張り込むのか?」
「ええ」
隊長はしばらく黙った。
普通なら断られてもおかしくない話だ。
だが、昼間にキールたちを捕らえたのが目の前の二人であることも事実だった。
「もし何もなければ?」
「朝までに帰ります」
アインは淡々と答える。
「騒ぎも起こしません」
隊長は二人を見比べ、やがて小さく息を吐いた。
「分かった。牢屋の外までは入れてやる」
「助かります」
「ただし」
隊長の声が低くなる。
「絶対に先走るな。怪しいというだけで捕まえるなよ」
「約束します」
アインが答える。
隊長は鍵を取り出した。
「中庭の物陰なら好きに使え」
「ありがとう」
◇
牢屋のある中庭へ入ると、アインはまず周囲を一通り見回した。
そして牢屋を覗き見る。
そこには、いびきを立てて寝ているキールがいた。
「キールが牢屋で爆睡してるけど?」
「けどってなんだよ。しかし随分肝が据わってるな…」
声を落として答えながら、外套の内側から細いワイヤーを取り出す。
「だがまあ、寝てるならなんとでも仕掛けられる」
牢屋へ続く通路。
壁際。
石畳の継ぎ目。
人が歩けば自然と通りそうな場所を、一つずつ確かめていく。
キールの視線が届かない壁の陰や、鉄格子からは見えにくい角度だけを使い、ワイヤーを弛ませたまま石畳へ這わせていった。
張った状態ではない。
暗灰色の細いワイヤーは、夜の石畳へ紛れるとほとんど見えなかった。
「張らないの?」
「今張ったら見える」
アインは短く答える。
「必要な時だけ引く」
「なるほど」
さらに中庭の端へ目を向ける。
壁際には、薪か資材として使うのだろう、何本かの太い丸木が積まれていた。
「……あれも使えるな」
「何に?」
「来れば分かる」
「またそれ?」
「説明するより見た方が早い」
アインはキールから見えない位置を選び、丸木の位置を牢屋の付近にずらした。少し押せば転がる程度にしておき、そこから別の細いワイヤーを壁際へ這わせる。
牢の中から見れば、ただ資材が置かれているようにしか見えない。
すべて終えると、アインは何事もなかったように立ち上がった。
「よし」
「もう終わり?」
「罠なんて、見つかったら意味ないからな」
二人は牢屋から少し離れた物陰へ移動した。
◇
夜もさらに更けた。
牢屋の中では、眠りから覚めたキールが壁にもたれたまま座っている。
「ったく……最悪だ」
小さく悪態をつく声が、静かな中庭まで届いていた。
少し離れた物陰では、ジンとアインが身を潜めている。
「本当に来ると思う?」
ジンが声を落として尋ねた。
アインは牢屋から視線を外さない。
「俺なら来る」
「仲間を助けに?」
「違う」
一拍。
「始末しに」
その言葉と、ほとんど同時だった。
石畳の向こうに、一つの影が現れる。
黒い外套。
深く被ったフード。
その人物は何度も周囲を確認しながら、音を立てないように牢屋へ近づいてきた。
ジンが息を潜める。
アインの目が細くなる。
「……来た」




