第16話 水壁攻略
※入ってはイケナイ一文が入っていたので修正しました!
申し訳ありません!
アインがキールの前へ立つ。
「三分だったな」
「ああ」
「きっちり三分で戻ってこいよ」
短剣を構えたアインの前で、キールが眉をひそめた。
「何をこそこそ話してやがる」
「別に」
アインは腰元から煙玉を取り出す。
「お前の相手が俺に変わっただけだ」
地面へ叩きつけた。
乾いた破裂音とともに、白煙が一気に広がる。
「またその手か!」
キールが水弾を放った。
水塊が白煙を貫き、その先にあった木の幹へ激突する。
だが、その時にはもうアインはそこにいない。
「こっちだ!」
声と同時に短剣が飛ぶ。
キールが反射的に水壁を展開し、迫った刃を弾いた。
その隙に、アインの手から細い縄が地面を走る。
「ちっ!」
キールは寸前で気づき、泥を蹴って縄を飛び越えた。
だが、着地した先へ小瓶が落ちる。
瓶が割れ、透明な液体が泥の上へ広がった。
「……また油か」
「ご名答」
アインの指先に小さな火が灯る。
それを落とした瞬間、油を伝って炎が走った。
「うおっ!」
キールが舌打ちしながら後ろへ飛び退く。
「小細工ばかりしやがって」
「正面から勝てる相手じゃないからな」
アインは薄く笑った。
「勝つ必要もないし」
口ではそう言ったが、余裕があるわけではない。
煙玉は残り二つ。
油瓶もあと一本。
仕掛けに使える縄も、ほとんど残っていなかった。
三分。
普段なら短い。
だが、攻撃を凌ぎ続ける三分はやけに長い。
アインは再び短剣を構えた。
(頼むぞ、ジン)
◇
ジンは戦場から離れ、木々の奥へ入っていた。
キールから直接狙われないだけの距離を取ると足を止め、呼吸を整える。
身体から余計な力を抜く。
意識を、何度も訪れた白い空間へ向けた。
数秒。
雨音が遠ざかる。
木々の色が消え。
視界が白へ染まった。
静寂の中に文字が浮かぶ。
【トレーニングモード】
・対象再現 解放済み
・状態初期化 解放済み
・疲労回復 解放済み
・記録閲覧 解放済み
・解析補助 未解放
・時間操作 解放済み
ジンは迷わず時間操作を選択する。
【外部時間同期率 1:10】
【現在設定可能上限 10倍】
「三分なら……」
【外部経過時間 3分】
【修練可能時間 30分】
「三十分」
長くはない。
だが、試すには十分だ。
「対象再現。キール」
白い床へ波紋が広がり、その中心に人影が形を取る。
青いローブ。
濃紺の髪。
そしてキールの正面へ、大量の水が集まり始めた。
水壁。
ジンはすぐに距離を詰めた。
拳。
水が大きく形を変え、衝撃を横へ逃がす。
掌底。
同じ。
肘。
蹴り。
速度を変える。
角度を変える。
当てる位置も変える。
何度繰り返しても、水壁は壊れない。
硬いわけではなかった。
むしろ逆だ。
柔らかいからこそ、力を受けた場所そのものが動く。
押せば押した分だけ形を変え、衝撃を周囲へ逃がしてしまう。
「……違う」
ジンは水壁から離れた。
拳を見る。
掌を見る。
これでは面が広すぎる。
壁を壊そうとして、水そのものを押している。
なら。
もっと狭く。
もっと深く。
一点へ力を集める。
五本の指を揃える。
貫手。
一度突き込んだ。
バシャッ。
指先は水へ入った。
だが、その先で流れに押し返される。
「まだ弱い」
形だけ細くしても足りない。
必要なのは、もっと強い貫通力。
ジンは構えを解き、自分の身体へ目を落とした。
より強力な力を産む方法それは。
足元から身体全体を通り、最後まで途切れない一本の捻れ。
地面へ力を伝え。
返ってきた力を全身に、螺旋の軌道で巡らせる。
「……やってみるか」
左足を踏み込む。
足裏が床を押した。
硬い白い床から、力が返る。
左の足裏。
足首。
膝。
股関節。
腰。
背中。
右肩。
右肘。
右手首。
右の指先。
地面から返ってきた反力が、身体の捻れへ次々と乗りながら対角線を描くように上へ通っていく。
最後に、そのすべてが揃えた右手の五指へ集まった。
「――っ」
貫手。
バシャッ!
水壁が大きく弾ける。
右の指先が、水の向こう側まで抜けた。
「……これだ」
ジンはすぐにもう一度構えた。
踏む。
捻る。
通す。
貫手。
成功。
もう一度。
成功。
角度を変える。
成功。
距離を少し変える。
一度失敗。
もう一度。
成功。
何度か繰り返したところで、ジンは動きを止めた。
突破する方法そのものは分かった。
だが。
「……」
現実の戦場を思い出す。
泥。
今の動きには、踏み込みが必要だ。
足裏で地面を押し、その反力を受け取らなければならない。
「環境再現」
白い床が消えた。
足元へ、現実と同じぬかるんだ地面が広がる。
雨。
木々。
散らばった武器。
倒れた人間たち。
先ほどまでの戦場が、そのまま白い空間の中へ再現される。
ジンはもう一度構えた。
左足を踏み込む。
ズッ。
足が泥へ沈む。
「……」
そのまま貫手を放った。
水壁へ届く。
だが。
バシャッ。
先ほどとは違う。
指先が途中で止められた。
「やっぱり」
地面へ伝えるはずだった力が、泥へ逃げている。
反力が返ってこない。
これでは螺旋を最後まで通せない。
ジンは再び泥を踏んだ。
今度は角度を変える。
失敗。
足を置く位置を変える。
失敗。
踏み込みを強くすればするほど、靴底は深く沈んだ。
流身なら動ける。
だが、流身では今必要なだけの貫通力が作れない。
逆に螺旋なら水壁を抜ける。
しかし、そのためには地面が必要だった。
「……」
ジンは足元を見る。
必要なのは大きな場所ではない。
ずっと硬い地面である必要もない。
一撃。
踏み込む、その瞬間だけ。
力を返してくれる場所があればいい。
ジンはゆっくり顔を上げ、再現された戦場へ視線を走らせた。
木。
泥。
散らばった武器。
倒れた人間。
その中の一か所で、視線が止まる。
「……」
数秒。
ジンの口元が僅かに緩んだ。
「これなら」
その後も条件を変えながら何度か試す。
一度。
二度。
三度。
同じ形で水壁を抜く。
一度成功しただけでは足りない。
条件が変われば失敗するなら、まだ使えない。
何度も。
何度も。
同じ結果を再現する。
やがて最後の一撃が、水壁の向こう側まで抜けた。
ジンは右手を開き、指先を確認する。
「……いける」
三十分が終わる。
「戻る」
◇
雨音が戻った。
怒鳴り声。
水弾が木を叩く音。
現実へ意識が戻った時、アインは泥の上へ片膝をついていた。
「……遅ぇ」
肩で大きく息をしながら、それでも苦笑する。
「悪い」
「ほんとに三分使い切りやがった」
キールも無傷ではない。
服の一部は焦げ、呼吸も少し荒くなっている。
だが、まだ戦える。
対して周囲では、ガストもレオンも泥の上でまともに身動きが取れず、キールの仲間たちも大雨と泥、水弾に巻き込まれたことで戦いはほとんど止まっていた。
ジンは周囲へ視線を走らせる。
そして、少し離れた泥の中へ向かった。
「おい、どこ行く」
アインが眉を寄せる。
ジンは答えない。
泥へ半ば沈んでいた大盾の取っ手を掴んだ。
ガストが先ほど落とした盾だった。
「……俺の盾?」
ガストが座り込んだまま顔を上げる。
「ちょっと借りる」
「え? あ、ああ」
ジンは大盾を持ち上げた。
重い。
普段使う剣とは比べものにならない。
だが、振り回すわけではない。
「で?」
アインが立ち上がる。
「分かったのか?」
「ああ」
「なら任せた」
「ありがとう」
アインは短剣を下ろし、横へ退いた。
キールが荒い息を整えながらジンを見る。
そして、その手にあるものへ目を向けた。
「……なんだ、それ」
大盾。
さっきまでガストが使っていたものだ。
キールが一瞬きょとんとしたあと、笑った。
「今度は盾か?」
ジンは何も答えず、盾を片手で支えながら歩き出す。
「剣はどうした」
先ほど弾き飛ばされた剣は、まだ離れた木の根元に刺さっている。
「いらない」
「はっ」
キールの口元が歪んだ。
「盾で殴るつもりか?」
「違う」
「じゃあ何に使う」
ジンは答えなかった。
キールの眉が寄る。
「……気に入らねぇな」
右手を上げた。
空中の雨粒が急速に集まり、一つの水塊へ変わる。
「なら、その盾ごと吹き飛ばしてやる!」
水弾が放たれた。
ジンは盾を正面へ構えない。
僅かに斜めへ傾ける。
水塊が大盾へ激突した。
バァン!
衝撃が腕へ伝わる。
だが、真正面からは受けない。
盾の表面へ当たった水弾が角度に沿って横へ流れ、木々の間へ弾け飛んだ。
その間にも、ジンの足は止まらない。
強く蹴らない。
泥の上を滑るように進む。
――流身。
「なっ……!」
キールがもう一発放つ。
ジンは盾を傾ける。
水弾が表面を滑り、横へ逸れる。
一歩。
もう一発。
流す。
さらに一歩。
距離が縮まる。
「くそっ!」
キールが次々と水弾を放つ。
ジンはそれを大盾で受け止めるのではなく、角度を変えながら横へ逃がしていく。
踏ん張らない。
だから泥に足を取られない。
盾で身を守りながら、流身で距離だけを詰めていく。
「なんで……!」
キールの表情から、余裕が消えていく。
「なんでその盾で進める!」
ジンは答えない。
あと数歩。
キールが腕を振り上げた。
「だったら――!」
大量の雨が一気に集まる。
水壁。
分厚い水の壁が、二人の間へ立ちはだかった。
「これならどうだ!」
キールが叫ぶ。
「その盾ごと近づけねぇ!」
ジンは水壁の手前で止まった。
大盾を持ったまま、静かにその流れを見る。
「やっぱり」
「あ?」
「ここまで来れば十分だ」
「何を――」
ジンの手が開いた。
大盾が落ちる。
バシャッ!
重い盾が泥へ叩きつけられ、大きく泥水が跳ねた。
「……は?」
キールが目を瞬かせる。
盾は水壁とジンの間。
泥の上へ、ほとんど水平に倒れていた。
「何して――」
その中央へ。
ジンの左足が乗った。
ガン。
足裏へ、硬い感触が返る。
泥ではない。
踏み込んでも逃げない。
その瞬間だけ。
ジンの足元に、地面が戻った。
「――っ」
身体が沈む。
左足で盾を踏み込んだ。
強く。
今まで泥の上では使わなかった力で。
盾が僅かに泥へ沈む。
だが、足そのものが沈むよりはるかに少ない。
踏み込んだ力が大盾へ伝わる。
大盾が泥を押す。
そして。
返ってきた。
地面からの反力。
左の足裏。
足首。
膝。
股関節。
腰。
背中。
右肩。
右肘。
右手首。
右の指先。
返ってきた力が、身体を斜めに貫くように駆け上がる。
ただ真っ直ぐではない。
全身の関節を通るたびに捻れを重ね、一つの螺旋となって右腕へ集まっていく。
足元から始まった力を、一度も途切れさせない。
逃がさない。
最後まで。
右手の五本の指を揃える。
「無駄だ!」
キールが叫んだ。
右手が水壁へ突き込まれる。
バシャ――ッ!
「なっ――」
水が割れた。
拳のように押したのではない。
掌のように広く受けたのでもない。
一点。
螺旋によって集められた力が、揃えた指先から水壁へ突き込まれる。
流れが横へ逃がすより先に。
貫手が、その中へ入る。
水が左右へ弾けた。
指先が。
手首が。
腕が。
水壁の向こう側へ抜ける。
キールの笑みが完全に消えた。
「――っ!」
そのまま伸びた右手の指先が、キールの喉へ触れる。
止まらない。
ほんの僅か。
揃えた指先が、喉の柔らかな部分へめり込んだ。
「ゲェッ――!」
息が詰まり、身体が反射的に強張った。
水壁が一気に乱れる。
だが、深く突き込むことはしない。
必要なのは、呼吸と集中を崩すことだけだった。
ジンはすぐに右手を引く。
その瞬間には、もう次の動きへ移っていた。
盾から左足を外す。
再び泥へ戻る。
踏み込まない。
――流身。
一気に距離を詰めた。
「くっ!」
キールが水を集めようとする。
その前に、拳が鳩尾へ入った。
「オゲっ!」
身体が折れる。
息が抜けた。
後ろへ下がろうとした足が泥を滑る。
重心が崩れる。
ジンはその動きに合わせて肩へ触れ、逃げる方向をずらした。
さらに肘へ手を添え、腕の支えを外す。
キールが無理に身体を起こそうとする。
「なんで……!」
水を集める。
だが、呼吸が整わない。
集中が続かない。
「なんでお前だけ!」
泥の中で必死に踏ん張ろうとする。
足が滑る。
その目の前を、ジンは流れるように移動していた。
最後の距離が消える。
拳がキールの顎を捉えた。
鈍い音。
キールの身体から力が抜ける。
そのまま泥の上へ崩れ落ちた。
同時に。
降り続けていた雨が止んだ。
木々の葉から滴る水音だけが、森へ残る。
「……終わった?」
フィナが小さく呟いた。
ガストは泥の上へ座り込んだまま、大きく息を吐く。
「助かった……」
レオンもようやく剣を下ろした。
アインは肩で息をしながらジンを見る。
「三分って言ったよな」
「ああ」
「本当にギリギリだったぞ」
「ありがとう」
短い一言だった。
アインはしばらくジンを見てから、肩をすくめる。
「次からは、もう少し短くしてくれ」
「努力する」
「そこは約束しろよ」
ジンが少し笑う。
アインも呆れたように笑い返した。
「……ところで」
ガストの声がする。
ジンが振り返る。
「俺の盾……」
「あ」
泥の中。
ジンが踏み台にした大盾が、半分ほど沈んでいた。
「ごめん」
「いや、いいけどよ……」
ガストは自分の盾と、倒れているキールを交互に見る。
「まさか、そんな使い方されるとは思わなかった」
「俺もさっき思いついた」
「さっき!?」
レオンが思わず振り返る。
アインだけが額を押さえた。
「三分も待たされた理由がそれかよ……」
「ちゃんと試してたよ」
「そこは疑ってねぇよ」
フィナが小さく笑った。
少しだけ緊張が緩む。
それからジンは、泥の中へ倒れたキールたちへ視線を向けた。
「……何か持ってるかもしれない」
「ああ」
アインの表情もすぐに戻る。
五人はまだ完全には警戒を解かず、倒れた男たちの持ち物を調べ始めた。




