第9話 魔法を観察する
白い床へ広がった波紋の中心に、再び人影が現れた。
今日、ギルドの実技試験で戦った火属性魔法の試験官だった。
ローブ姿の男は何も言わず、右手を軽く持ち上げている。その掌の上には、小さな炎が静かに揺れていた。
ジンは木剣を構える。
「……始めよう」
その言葉に反応したように、試験官の右手が前へ出た。
掌の炎が膨らみ、球状にまとまる。
次の瞬間、火球が放たれた。
ジンは一身のまま身体を横へ運ぶ。
炎が頬のすぐ脇を通り過ぎた。
「熱いな」
直接触れていないのに、はっきりと熱が伝わってくる。
続けて二発目。
三発目。
ジンは一つずつ軌道から外れながら、少しずつ距離を詰めていった。
速い。
だが、避けられないほどではない。
あと数歩。
もう少しで木剣が届く。
そう判断して踏み込もうとした瞬間、目の前まで迫った火球が弾けた。
「――っ!」
炎と衝撃が一気に広がる。
熱風に押され、ジンの身体が後ろへ流された。
足を滑らせながら体勢を戻す。
「……やっぱり」
昼間と同じだった。
遠くから真っ直ぐ撃つだけではない。
近づかれれば、手前で炸裂させて進路そのものを塞いでくる。
単純に火球を避け続ければ近づける、というわけではないらしい。
◇
「状態初期化」
身体に残っていた熱と衝撃が消える。
もう一度。
火球。
回避。
接近。
爆発。
押し戻される。
状態初期化。
また始める。
今度は右へ。
次は左へ。
少し早めに間合いへ入る。
逆に、ぎりぎりまで待つ。
結果は変わらない。
近づいたところで、爆発に止められる。
十回。
二十回。
さらに続ける。
そのうち、回数を数えること自体に意味がなくなった。
◇
「……違うな」
何度目かの失敗のあと、ジンは木剣を下ろした。
火球ばかり見ている。
だから後手になる。
飛んできたものを見てから避けている限り、相手が何をするのかは常に一手先だ。
ジンは再現された試験官を見る。
炎ではない。
人間を見る。
肩。
肘。
手首。
指。
視線。
呼吸。
そして、火球が生まれる直前。
右手がわずかにこちらへ向く。
視線が定まる。
肩の位置が変わる。
そのあとに炎が膨らむ。
「……予兆はある」
何もないところから、突然こちらへ火球だけが現れるわけではない。
魔法を使っているのは人間だ。
人間が何かをし。
その結果として魔法が出る。
「だったら」
見る順番を変えればいい。
火球を見るのではなく。
火球が出る前を見る。
◇
「状態初期化」
再開。
今度は、飛んでくる炎を意識して追わない。
試験官全体を視野に置く。
肩が動く。
ジンの身体も動く。
一身のまま位置を変えた直後、火球が元いた場所を通り抜ける。
「……」
次。
右手が上がる。
視線。
指先。
半歩ずれる。
また火球が抜けていく。
「見える」
正確には。
火球そのものが見えるようになったわけではない。
撃たれる前が見えている。
それだけで、動き始める時間が少し早くなる。
何度も繰り返すうちに、回避は少しずつ安定していった。
最初の頃よりも小さな動きで外せる。
余分に距離を取らなくていい。
その分だけ、相手へ近づく余裕もできる。
だが。
「……あと一歩」
そこから先へ入ろうとすると、やはり爆発が来る。
直線の火球は読める。
それでも、近距離をまとめて塞ぐ炸裂までは完全に抜けられない。
ジンは爆風に押し戻されながら、目を細めた。
「こっちは別に考えないと駄目か」
◇
次の再開。
ジンはすぐには構えなかった。
足元へ視線を落とす。
白い世界の床には、本来なら砂など存在しない。
だが、昼間の試験場では確かに見た。
爆発の中へ舞い上がった砂。
それが炎を抜けていった。
「……再現できるかな」
そう考えた途端。
足元の一部が、今日の訓練場と同じ状態へ変わった。
「お」
細かな砂。
土。
踏み荒らされた地面。
対象だけではなく。
戦闘時の周囲まで、ある程度は再現できるらしい。
また一つ、後で調べることが増えた。
今は砂だ。
ジンは片手で少量を掴む。
試験官の右手に炎が灯る。
「来い」
火球が放たれた。
ジンは少し待つ。
そして、炎が近づいた瞬間。
砂を投げ込んだ。
細かな粒が火球の中へ入る。
赤く燃え上がることはない。
途中で消えることもない。
そのまま反対側へ抜け、白い床へぱらぱらと落ちた。
「……やっぱり」
もう一度。
今度は量を増やす。
同じ。
次は少し距離を変える。
それでも、砂自体に大きな変化は見られなかった。
熱がないわけではない。
ジン自身は近づけばはっきり熱を感じる。
直撃すれば服も焦げた。
なのに。
砂は、普通の炎へ投げ込んだ時に想像するような変化をほとんど起こさない。
「火……なんだけど」
ジンは少し考えた。
「普通の火とは、何か違う」
何が違うのか。
まだ分からない。
魔力が炎を作っているのか。
魔力そのものが炎のような性質を示しているのか。
それとも全く別なのか。
答えは出せない。
ただ。
確かめる材料は増えた。
「なら、使い道はあるかもな」
炎そのものを理解できなくても。
その性質を利用することはできる。
ジンの中に、また一つ仮説が増えた。
◇
しばらくして。
ジンは木剣を肩へ担いだ。
「火球は、ひとまずここまでかな」
再現された試験官の姿が薄くなり、白い世界へ溶けていく。
代わりに、登録対象の一覧が浮かび上がった。
⸻
【登録対象】
・実技試験官(防護魔法)
・実技試験官(火属性魔法)
・実技試験官(身体強化)
⸻
ジンの視線が、一番下で止まる。
【実技試験官(身体強化)】
「……こいつか」
防護魔法には、状態の変化があった。
火球には、発動前の予兆があった。
だが。
身体強化だけは。
まだ何も分かっていない。
動き自体は見える。
何をされるかも、ある程度は分かる。
それでも追いつけない。
「一番面倒だな」
そう言いながら。
口元は少し笑っていた。
分からない。
だから。
試すことがある。
ジンは迷わず、一番下の項目を選ぶ。
【実技試験官(身体強化)】
白い床へ、再び波紋が広がった。
その中心から、次の人影がゆっくりと形を作り始める。
「さて」
ジンは木剣を握り直した。
「次は、どうするか」




