009:覇王トヨダを買ってみよう
009:覇王トヨタを買ってみよう
審査完了の通知が消え、スマホにはピカピカの証券口座のマイページが映し出された。
……ついに、俺も「投資家」の端くれになったわけだ。
「よし、ゴールまでもう少しだ。次は証券口座と君の銀行口座を繋げて、軍資金を移すとしようじゃねえか」
ビフロンスが覗き込んでくるが、俺は首を振った。
「いや、無理だ。自分の銀行の口座番号なんて覚えてねえよ」
「ったく、しょうがない奴だな。ほら、魔王パワーでお前のメインバンクと証券口座を強制リンク(口座連携)させてやったぞ」
「ちょ!! お前! 勝手に人の口座覗いて繋ぐんじゃねーよ!! プライバシーって言葉知らねえのか!?」
俺が怒鳴り声を上げた、その時。
いつの間にか横にいたアリエルが、じーっと俺のスマホを覗き込んでボソリと呟いた。
「……鈴木良平。200万しか振り込まれていませんよ?」
心臓が跳ね上がった。
「ちょっ! アリエル! 見るな! 画面を見るな!!」
「……もしかして、それがあなたの全財産ですか? 正気ですか? 三十路を過ぎた成人男性が、パチンコと生活費を引いて残ったのがこれだけ?」
「止めろ!! 汚物を見るような目で見るな! こちとら不当解雇でクビになったばかりなんだよ!」
必死にスマホを隠そうとするが、アリエルの冷徹な声音は止まらない。
「良いですか、鈴木良平。現代日本には『老後二千万問題』というものがあってですね……。さらに、もし物価が上がれば、相対的に現金の価値は落ちるんですよ? つまり、今のあなたの200万は、将来の100万程度の価値にしかならない可能性があるのです。……控えめに言って、詰んでますね」
「聞きたくない、 聞きたくない! 専門用語で俺を殺すな! 現実を突きつけるんじゃねぇ!!」
耳を塞いで玉座の間でのたうち回る俺を見て、ビフロンスがハハハと骨の顎を鳴らして笑い、アリエルの頭を軽く叩いた。
「こらアリエル、鈴木良平が苦しんでいるだろ。 良いじゃないか、鈴木はまだ若い! これからこの『株モンワールド』で増やしていけばいいんだ。」
「……はぁ。励ましているのか、さらに深みにハメようとしているのか分かりませんね、株狂いのニート魔王」
「うるせえ! さあ、鈴木良平、軍資金の移動(入金)は完了した。 だが、証券会社のホームページをいちいちブラウザで開くのは、魔王の俺から言わせれば二流のやることだ!」
ビフロンスが骨の指を突き立て、俺のスマホを指し示す。
「いいか、今の時代は専用アプリだ! さあ、ストアからその証券会社のアプリをダウンロードして口座と繋げるんだ。そうすればパソコンが無くても、パチンコ屋の行列に並んでいる間でも、トイレに籠もっている間でも、いつでもどこでも相場という名の戦場にエントリーできるぞ!」
「なるほど……。それなら俺にもできそうだ」
俺は言われるがままにアプリをインストールし、先ほどメモしたIDとパスワードを入力してログインした。
画面には、無機質な資産残高と、地味な色のボタンが並んでいる。
「よし、繋がったぞ。……でも、なんか思ってたより普通だな。もっとこう、ギラギラした感じかと思ってたんだけど」
「ククク……。そう焦るな鈴木良平。その地味な操作画面こそ、世界を捩じ伏せる王の座であるのだぞ。ククク……。さぁ、物は試しだ、初めての株取引と洒落込もう」
「最初の獲物に相応しい銘柄は……トヨダ自動車だ!!」
「おいおいおい! あんな、日本を代表する超一流企業の株なんて買えるのかよ?」
俺は思わず、持っていたスマホを落としそうになった。
トヨダ自動車。車に全く興味がない俺だって知っている、世界のトヨダだ。
時価総額だのなんだので常に日本の頂点に君臨し続ける、文字通りの『覇王』。
不当解雇されてパチンコ屋の開店待ちに命をかけているようなゴミ人間が、気軽に手を出していい領域じゃない。
しかし、ビフロンスは不敵に笑い、俺のスマホ画面を骨の指でトントンと叩いた。
「鈴木よ、よく見てみろ。トヨダの今の株価はいくらだ? 本質を見ろ! 2,500円だぞ! たったの2,500円! さあ、買うのだ!」
「え……? に、2,500円……?」
言われて画面を凝視すると、確かに『現在値:2,500』と表示されている。
2,500円。パチンコなら4円パチンコで625発分。ちょっと調子が良い日に当たりを引ける軍資金じゃねぇーか。
「マジかよ……世界のトヨダが2,500円で買えるのか!? 意外と安いじゃねえか……。お、おう! 俺はこれから成り上がってビッグになる男だ! トヨダなんてビビらねーぜ!」
一気に気が大きくなった俺を見て、ビフロンスはカタカタと満足げに顎を鳴らす。
「ククク、そうだ! その意気だ! あっ、買う時は注文方法の欄にある『成行』のボタンをプッシュしろよ! 指値とかいう面倒な注文方法は後で教えてやる、とにかく時間が無い! 今回は成行で買うのだ!!」
「お、おう! これが俺の伝説の第一歩、投資家・鈴木良平のデビュー戦だ!!」
鼻息を荒くした俺は、数量の欄に『1』と入力し、『成行・買い注文』のボタンをタップした。
――だが。
画面には赤文字で『エラー:単元未満の注文は受け付けられません』との表示。
「あれ? なんか、買えないんだけど? バグか?」
首を傾げる俺の横から、これまで黙っていたアリエルが、深いため息と共についに口を開いた。
「……はぁ。やっぱりこうなりましたか。鈴木良平、よく聞きなさい。日本の株式投資は【基本的】に『単元株』、つまり『100株』が最低購入ラインなのです」
「は? 100株……?」
「ええ。あなたが画面で見ている『2,500円』というのは、あくまで『1株あたり』の価格。実際に注文を通すためには、その100倍の数量が必要になります」
脳内で、パチンコ玉がバラバラと弾け飛ぶような衝撃が走った。
2,500円の、100倍。
「……ってことは、トヨダを買うのに25万必要じゃないか!? にじゅうご万!?」
俺の全財産は、さっき振り込まれた200万だ。
「25万だぞ!? 一回レバー叩くのに25万円かかるパチンコ台がどこにあるんだよ! 俺の全財産、一瞬で8分の1が消し飛ぶわ! 無理無理無理! 破産する!!」
パニックになってスマホを放り出そうとする俺の前に、ビフロンスがぬっと骨の顔を突き出してきた。
「馬鹿者! パチンコと一緒にするな! 一発ごとに金が『無』に蒸発するパチンコと違い、覇王トヨダがそう簡単に死ぬか! トヨダが死ぬときは、日本が死ぬ時だ! さぁ! 早く! トヨダを約定するのだ!」
「うるせぇ! パチンコは確率の隙間を突いて、確変の当たりを引けば一撃4,000発戻ってくるんだよ! 俺は知ってるんだぞ、株をやって一瞬で自己破産する奴がゴロゴロいるってことをな!」
俺が必死にパチンコ屋で培ったオカルト理論で対抗すると、ビフロンスは骨の顎をカチャカチャと激しく鳴らして怒鳴り散らした。
「馬鹿野郎! パチンコと神聖な株取引を一緒にするな! パチンコは期待値的・確率的に絶対に客が負けるようにできているのだ。 その本質を理解しないお前のような奴が、『トータルで勝ってるからセーフ』などと現実逃避の妄言を吐いて、ジワジワと資産を溶かすのだ! 良いから! この魔王を信じろ! ほら! 買えって!」
「なっ……! トータル収支の計算にケチをつけるんじゃねえ! 悪魔の王様なんか信じられるか! 25万だぞ! 25万あったらスマートパチンコ何回ブン回せると思ってんだ!」
「あー、まどろっこしい! 鈴木良平! 問答無用だ! 食らえッ!!」
「あ?」
ビフロンスが骨の指先を突き出すと、そこからバチバチと火花を散らす『変なジグザグの形をした光線』が放たれた。
それが、俺の胸に直撃する。
「うぉぉぉぉぉぉッ!? 身体が勝手にぃぃぃぃぃ!!」
痺れるような感覚と共に、俺の右腕が自分の意志を完全に無視して暴走モードに突入した。指先が超高速でスマホの画面を叩き、数量欄に『100』と打ち込む。
そしてそのまま、画面の一番下で怪しく光る『成行・買い注文』のボタンへと、無慈悲に親指が振り下ろされた。
パシィィィィィンッ!!!
「あ、あわ、あわわわわ……ッ!」
【――注文、約定しました】
スマホに届く無機質なPOPUP通知。
体の自由が戻り、俺はスマホを握りしめたまま、ガタガタと震えながら畳に膝をついた。
「ハァハァ……。本当に、本当にやっちまった……。俺の25万……ウメェ棒二万五千本分が……」
放心状態で画面を見つめる俺の肩を、ビフロンスがガシッと骨の手で叩く。
「ククク、なかなか手強かったが、おめでとう。これでお前も『トヨダ自動車』の株主だ!」
言われて、恐る恐るアプリの『保有銘柄一覧』という地味な画面を開いてみる。
そこには確かに、無機質な文字で、こう浮かび上がっていた。
【 7203 トヨダ自動車 100株 】
「俺が……トヨダの、株主……?」
と、一瞬ボーッとなったが、直後に頭へ血が昇った。
「……って、なるかよクソ骸骨ァァァ!! 勝手に人の腕操ってボタン押させてんじゃねえよ! 人権侵害だぞ! 25万返せ!!」
激昂してビフロンスの胸ぐら(骨)を揺さぶる俺を、骸骨はカラカラと笑いながら軽くあしらう。
「はっはっは! 往生際が悪いぞ鈴木! 画面を見ろ、もう取引は成立したんだ。お前は晴れて世界のトヨダのオーナーの一人だ!」
「……オーナーだかなんだか知らんが、25万だぞ!? 俺の全財産が……」
「落ち着きなさい、鈴木良平」
アリエルが呆れつつも、少しだけ声音を和らげて俺を見下ろす。
「あなたの25万は無くなってなんかいません。ただ、トヨダの株という形に変わっただけなのです。それは企業の所有権であり、利益を受け取る権利。そして世界中を走るあの車を作っている企業の、オーナーの一人になったのと同じことなのですよ」
アリエルは呆れ顔から一転、どこか誇らしげに小さな胸を張ってみせた。
「世界を股にかけるあの大企業のオーナーの一人になった満足感……パチンコでお金を溶かした後に残るあの無意味な虚無感とは、まるで違うでしょう?」
金髪美幼女のどこか神聖すら感じさせる言葉を聞きながら、俺は恐る恐るアプリの保有画面を二度見した。
じわじわと、妙な現実感が胸の奥から湧き上がってきた。
パチンコで金を溶かした夜は、帰り道に買う半額弁当すら苦く、世界から自分一人だけが置き去りにされたような猛烈な虚無感に襲われる。
だが、この25万は消えたんじゃない。
世界のトヨダという超巨大企業の「100株分のパーツ」に姿を変えて、俺の手元に鎮座しているんだ。
この株を持っている限り、俺はトヨダのオーナーの一人であり、そして、この株は俺が好きな時に売り払う事が出来る!!
圧倒的お得感!!
現金と株。
同じ25万の価値なのに、トヨダのオーナーに成れている分、こっちの方がすごくないか?
なんとなく、今まで無職という状況に対して、息苦しい閉塞感を感じていた俺が、トヨダ自動車の株を通じて社会に通じた気がした。
「……あぁ。なんか、悔しいけど……ちょっとだけ実感が湧いてきたわ。無職の俺が、日本のトップ企業の一端を持ってるって……」
25万を無理やり毟り取られた怒りが、すうっと引いていく。
なんだ、株って意外といいもんじゃないか。俺もこれで、今日から立派な投資家――
「……ん? あれ? おい、ちょっと待て」
俺はスマホの画面を二度見した。
【 平均取得単価:2,510円 】
【 約定金額:251,000円 】
「おい骸骨!! さっきトヨダの株価は2,500円って言ったよな!?」
「ぬ? ああ、言ったぞ」
「じゃあなんで買った金額が25万1,000円になってんだよ! 1,000円も高くなってんじゃねえか!!」
俺の絶叫に、ビフロンスは骨の肩をすくめ、わざとらしくため息をついてみせた。
「あーあ。だから言ったのだ鈴木くん。魔王のいう事を聞いておけばよかったのになぁ。お前がパチンコだの破産だのウダウダとゴネている間に、市場の価格が10円上がってしまったのだよ。あの時、俺の言うことをすぐに聞いて成行ボタンを押しておけば、1,000円安く買えたのになぁ〜。実にもったいねぇ〜」
「っ、このクソ骸骨ァァァァァ!!! 誰のせいでゴネることになったと思ってんだ!! 俺の1,000円返せ!! ウメェ棒100本分だぞ!!」
「ククク、これもまた市場の洗礼よ! さあ、初めての約定もおめでたく済んだことだ。今度はその株を売ってみようじゃないか……」
「え?」
◇教えて!株モン博士!! ~買う時は100株単位、大丈夫すぐ慣れる!~
博士:「やあやあ、投資家の諸君、また会えてうれしいよ」
助手:「本当に続いちゃうんだ。」
博士:「今日の話題は【単元株】と【成行注文】だ!」
助手:「日本では100株単位じゃないと買えないんですね?」
博士:「そうだ、海外の株は1株から買えるが、円とドルの相場の違いや、手数料がかかったりするから少し面倒くさい。もしがっつり海外株をやりたいなら、海外株に強い証券会社で取引するのをすすめるぞ」
助手:「あれ? 日本でも1株から買えるって聞いたんですけど?」
博士:「お! ミニ株(単元未満株取引)のことだな! 手数料が取られたり、買える時間が限定的だったりするがいけるぞ。資金が少ない初心者にはオススメするし、この仕組みを使って面白いことをする投資家もいる。が! 俺はやはり王道の単元株買いが好みだな!」
助手:「なるほど。では次は、鈴木良平が大騒ぎしていた『成行注文』についてですね」
博士:「うむ、成行注文とはズバリ『いくらでもいいから、今すぐこの株をくれ!』というスピード最優先の注文方法だ。買い注文を出せばほぼ100%その瞬間に取引が成立(約定)するぞ」
助手:「でも鈴木良平は、もたもたしている間に1株あたり10円、100株で総額1,000円も高く買わされていましたよ?」
博士:「そこが成行注文の罠なのだ! 株式市場の価格は1秒未満の単位で常に変動している。ボタンを押した『その瞬間の言い値』で買うことになるため、株価が急激に動いている時は、思わぬ高値で掴まされるリスクもあるのだ。急がない時は価格を指定して待つ『指値注文』という予約注文とを使い分けるのが基本だぞ!」
助手:「パチンコの確変中みたいに熱くなって、画面を連打して成行を押しちゃうような人は注意が必要ですね………あれ? それじゃあ、鈴木良平ってヤバいんじゃ?」
博士:「それじゃあ、次のマーケットで会おう!」
助手:「本当に続けちゃうんですね?」




