010:指値を押したら祈って待とう
010:指値を押したら祈って待とう
「ククク、これもまた市場の洗礼よ! さあ、初めての約定もおめでたく済んだことだ。今度はその株を売ってみようじゃないか……」
「え?」
俺は思わずマヌケな声を上げた。
25万もかけてやっと手に入れた覇王トヨダの100株だぞ? なんで秒で手放さなきゃならねえんだよ。
俺の困惑を察したのか、ビフロンスはクククと肩を揺らして笑った。
「まぁ、気持ちはわかる。そのトヨダの株はお前の初めての株、思い入れも強かろう……。だが! 株の世界には『株に恋をするな!』という格言があるのだ。市場の世界は常に非情。それに、見てみろ?」
「あ?」
ビフロンスに言われてスマホを見ると、トヨダ自動車の株価が『2,540円』まで跳ね上がっていた。
「そうだ、鈴木良平! 今トヨダを売れば、1株につき30円、100株で3,000円の『キャピタルゲイン(値上がり益)』がお前の物になる! パチンコ屋の景品交換所に走る必要すらなく、お前の口座の数字がガチで増えるのだ! さぁ! 今こそ! 覇王トヨダを売りに出し、鈴木良平の爆益物語の最初の礎にするのだぁぁ!」
「お、おう! 3,000円と言えばサイゼで豪遊できるじゃねぇか!! こんな簡単に! 来てる! 来てるぞ!! 人生の追い風が風速3,000メートルだ!!」
「本来なら、私自らチャートの見方とかを伝授してやりたいところだが、時間が無い! 悔しいが、今回は成行とは違うもう一つの売り方『指値注文』を試すのだ! よし! 鈴木良平よ!『2,540円の指値』で売るのだぁぁ!」
「まかせろ! えーと、注文ボタンから『現物売り』を押して売るんだな? って、おい、なんか画面にボタンがいっぱいあるんだけど!?」
「鈴木良平よ! 本当に惜しい! 本来なら俺自らが、それこそ『フロンちゃん』の格好で手取り足取り株の売買の神髄をお前に叩き込んでやりたかったのだが、今は本当に時間が無いのだ! これも全部、お前が招待IDを3ヶ月もほったらかしにしていたせいだがな!!」
「っ、それは悪かったよ! ……お? 『指値』って項目を押したら、金額を入れるエリアが出てきたぞ?」
「ククク。そうだ、そこに『2540』と打ち込んで、口座区分は【特定口座】を指定して、取引暗証番号を入力してOKを押すのだ。注意しろよ! 口座区分は絶対に【特定口座(源泉あり)】を選べ! 【一般口座】や、【NISA口座】は選ぶなよ! 後々、税金の計算で面倒なことになるからな!!」
「よし……押したぞ!」
俺は息を呑んで画面を見つめた。
――だが。
【――注文を受け付けました(未約定)】
「あれ? 買った時みたいに音が鳴らないぞ? 約定しないんだけど??」
「ククク。押したな! 押してしまったな!! ようこそ、鈴木良平! 狂気の世界へ。ここから先は魔王の俺ですら見通せない、暗黒の領域だ」
ビフロンスが骨の指を液晶に這わせ、画面を切り替えた。
「まず、このチャートを見ろ」
「あ〜、なんかテレビとかで見たことあるな。白と赤のロウソクが並んでる奴……これがなんなんだよ?」
「まずは、鈴木良平。気を確かに持って……ここを見るのだ」
ビフロンスが指さしたロウソクの最先端、現在値の数字を見た瞬間、俺の頭から血の気が引いた。
「は? トヨダの株価が……『2,490円』になってるじゃねーか!! え? 今売ったら、2,000円の損になるのか!?」
「落ち着け、これが指値の恐ろしいところだ。お前はマーケットに『2,540円になったら株を売っても良い』という注文を出した。それが価格を指定して売買する『指値注文』だ」
ビフロンスはスマホの画面をスワイプし、無数の数字が上下にチカチカと動く、さらに無機質な画面を表示させた。
「そして、この『板』というページを見てみろ。この上(売り注文)と下(買い注文)の数字の間で鬩ぎ合っているここが、今のトヨダの株価だ。ここだ! ここが世界中の投資家たちが全力で殴り合っている最前線だ! この黒い空間の向こう側で、トヨダの株をリアルタイムで食い合っている、地獄より熱くて冷たい戦場なのだ! そして、鈴木良平、お前が何の気なしに指定した2,540円の売り注文は、遥か上のここにある」
「おい! なんか株価の数字がどんどん下に落ちていって、俺の注文した場所から離れていってるぞ!? このままだとヤバいんじゃね? どうにかならないのか!?」
「鈴木良平よ。こうなったら、お前に打てる手は二つしかない。このまま、奇跡的に株価が上がるのを祈って待つか、今すぐ注文を取り消して『成行』でぶん投げて2,000円の損を確定(損切り)させるかだ」
「そんな! そもそもお前が変な光線で、俺に無理やりトヨダの株なんて買わせたのがいけないんだろ!?」
背筋がゾッとした。
こんな簡単に2,000円の損をかぶるなんて!
俺が嫌がっているのに、目の前のクソ魔王が俺に変な光線を当てて無理やり買わせたのが悪いんだ!
JAROが助走つけて殴りに来るレベルの横暴!
ふざけるな金返せ!!
俺が怒りと共に目の前の骸骨を睨んでいると、ビフロンスはコクリとうなづいて、神妙な雰囲気で言ってきた。
なんだ?
伽藍洞の瞳の奥、今までとは違う真剣な雰囲気を感じる。
俺は無意識に唾を飲んでいた。
「そうだ。だからこそ、お前に選択肢を与える」
ビフロンスがニヤリと骨の顔を歪め、邪悪な魔力を指先に込めた。
「お前が望むなら、魔王の力をもって時間を『30分だけ戻して』やろう。お前がこの玉座の間に入った直前くらいだな。口座連携も、トヨダ株の購入もすべて無かったことになる。どうする?」
時間を戻す。
そうすれば、俺の25万は無傷で戻ってくる。無職の俺にはそれが一番正しい選択肢のはずだ。なのに――。
「……断る!」
口が、勝手に動いていた。
隣で腕を組んでいたアリエルが、信じられないものを見るように目を見開くのが、俺の視界の端で見えた。
いつも冷ややかだった青い瞳が、ほんの少しだけ揺れている。
自分でもびっくりだ!
後悔が無いわけじゃない、2,000円のマイナスは今の俺の数日分の食費だ。
今でも、脳みその中と、心臓が別のシグナルを発している。
クソ! パチンコの二千円はもっと簡単にサンドにぶち込めるのに!
「ククク、良いのか? もうトヨダの株価は結構下がってしまったぞ?」
なぜだかは分からない。
だけど、無理やり買わされたとはいえ、さっき初めてトヨダの株主になって覚えた、あの「世界のトップ企業の株主になった」という感動を、無かったことにして逃げるのだけは、どうしても嫌だ。
あの感動はきっと、俺の人生でたった一度のかけがえのない感情なのだ!
時間を戻し(ズルし)て、時の彼方に消し去ってよいものなんかじゃ絶対無い!!
「……だ、大丈夫だ! 俺の部屋には、この前買い溜めした『ウメェ棒』がまだ山ほどある! 今回の損失なんて、3日くらいマヨネーズとウメェ棒だけで生き延びてしのいでやるぜ!!」
俺の言葉を聞いた瞬間。
「ククク! アハハハハ! ハーハハハハ!!」
玉座の間が震えるほどの声で、ビフロンスが大笑いした。骨の顎をこれでもかとカタカタ鳴らし、俺の肩を強く叩く。
「よく言った! それでこそ、俺が見込んだ男だ鈴木良平! 今、お前の中にあるその『ジリジリとした恐怖と覚悟』こそが、俺が一番お前に伝えたかったことなのだ! そうだ、株は怖い! 理不尽だ! 画面の向こうには顔の見えない悪魔(プロの投資家)どもがウヨウヨいる! だからこそ、ボタンを押すその瞬間は、テメェの魂に覚悟を以て押すが良い!」
ビフロンスは満足げにローブを翻し、再び俺のスマホを指し示した。
「さて……鈴木良平よ。株がめちゃくちゃ怖いっていうのはわかったと思うが、市場の神は、覚悟を決めた底辺をただ見捨てるほど退屈でもないのだ。ほら、チャートを見てみろ」
「え……?」
言われて画面を見ると、そこには信じられない光景があった。
急角度で下落していたチャートが、底を打った瞬間にV字を描いて猛烈に跳ね上がっていく。
まるで大群を率いた覇王が、一気に敵陣を蹂躙するように、買い注文の数字が売り注文を食い尽くしていく。
トヨダの株価が、2,520円、2,535円――そして。
ピコリンッ!!
スマホから、パチンコ台の確定音に似た、小気味いい電子音が鳴り響いた。
【――注文、約定しました】
「え? ……あ、上がった……? 2,540円に届いた……?」
呆然とする俺のスマホ画面の資産残高には、元々の200万円から、綺麗に『プラス3,000円』された金額が映し出されていた。
「え? ビ、ビフロンス……お前、さっきの魔王パワーで株価を操作してくれたのか?」
「ククク。残念ながら、俺に人間界の株価を操作する力は無い! 世界中の人間の注文を洗脳して操るなんて魔王でも無理だ。これは純粋に、トヨダ自動車の『チャートを読む力』だな!」
ビフロンスは高らかに腕を掲げ、俺を見下ろした。
「だが、おめでとう鈴木良平! お前の判断(覚悟)で、お前は3,000円のキャピタルゲインを得ることができたぞ! これで、お前も本当の投資家だ!!」
◇教えて!株モン博士!! ~指値とかってぶっちゃけ予約注文の事よ~
博士:「株を買った瞬間、株価が下がる投資家の諸君、元気かな?」
助手:「貴方もですよね?」
博士:「今日の話題は【指値注文】、そして【板】だ!」
助手:「鈴木良平が2,540円の『指値注文』を出して、一時は2,490円まで大暴落してパニックになっていましたね」
博士:「ククク、指値とは『この金額になったら売買してくれ!』と市場に予約しておく注文方法だ。自分の理想の価格まで放置出来るのが最大のメリットだが、今回の鈴木のように市場がその価格に届かなければ、いつまで経っても取引が成立(約定)しないというリスクもあるのだ!」
助手:「『板』の最前線から、鈴木さんの注文がどんどん取り残されていく描写はホラーでしたね」
博士:「うむ、株価が下がっている時は『このまま成行で売って損切り(ロスカット)するか』『奇跡の反転を信じて待つか』の2択を迫られる! 鈴木はウメェ棒を盾にして耐え抜いたが、実際の市場でこれをやるとガチで破産することもあるから気を引き締めるのだぞ!」
助手:「今回はトヨダの圧倒的なパワー(買いの強さ)でV字回復して、3,000円のキャピタルゲイン(値上がり益)をゲットできましたけどね。本当に魔王の力を使ってないんですか?」
博士:「あれは、ボリンジャーバンドっていう指標を見ていたんだ、魔王の力とは関係ないぞ。チャートにはチャートを分析する指標が装備されていて、それを使えばある程度チャートが読める気がするようになる! 過信は禁物だがな!」
助手:「気がするだけなんですね。そうですよね。毎回、来た!ビッグウェーブだ!とか言って、自爆してますもんね。良かったですね、鈴木良平の前ではカッコつけられて。」
博士:「やめてくれ! その攻撃は俺に効く。…コホン。『指値』にはなぁ……価格が下がった時に自動で損切りする【逆指値】や、株価の上昇に合わせて損切りラインを自動で引き上げてくれる【トレイリングストップ】といった、魔改造された特殊注文(亜種)が存在するのだよ!」
助手:「えっ、そんなチート機能があるなら最初から鈴木良平に教えてあげればよかったじゃないですか」
博士:「それを今教えたらページ数が足りん! っていうか、初心者は【成行】【指値】【逆指値】この三つを使いこなせるまで、他の注文はやめておいた方が良い! 勘違いから大損をかぶる事もあるからな!! あっ……涙が出てきた。」
助手:「そういえば、設定ミスの勘違いで株が勝手に売られてて三日くらい地面に埋まってた時がありましたもんね……皆さんも、新しい注文方法を試すときは少額で慣れてから注文した方が良いですよ。それでは、次のマーケットでお会いしましょう。」
博士:「本当に続けちゃうんですね?」




