007:遅刻したなら謝ろう
007-05:遅刻したなら謝ろう
VRシステムのスイッチを入れる。
視界がぐにゃりと反転し、圧倒的な光が俺を包み込んだ。
「……うおっ!?」
目を開けると、そこは六畳一間のボロアパートではなかった。
「神の間」とでも呼ぶべき途方もなく広大で荘厳な空間。
どこまでも続く大理石の回廊が伸びている。
頭上には巨大なシャンデリア。そこに備え付けられた無数のロウソクの火が、緻密なガラス細工に反射してまばゆいばかりにキラキラと輝き、壁の豪奢な壁画や調度品を神々しく照らし上げている。
「なんだこれ……すげぇ……」
俺は半ば無意識に、導かれるように光の回廊を進んでいった。
やがて、突き当たりに巨大で重厚な扉が現れた。
俺はゴクリと生唾を飲み込み、その冷たい金属の取っ手に手をかけ、体重をかけて押し開く。
ギギギギギギギギギッ――!!
まるで何千年も開けられることのなかったような、重く軋んだ音が響き渡り、扉が開いた。
「……え?」
開いた先の部屋は、今までの眩しいほどに豪奢な回廊とはまったく違っていた。
まるで昼と夜の境界線を跨いだかのように、そこは深い暗闇に包まれている。
ただ、無数の古びたロウソクから立ち上るオレンジ色の炎だけが、その不気味な空間をぼんやりと浮かび上がらせていた。
息をのむほどに滑らかな、漆黒の大理石の床。
そのはるか奥へと伸びる絨毯の両脇には、大人が十人は手をつなぎ合わせないと抱えきれないほど巨大な漆黒の円柱が、規則正しく列をなして立っている。
見上げれば、柱の頂すら暗闇に呑まれ、天井がどこにあるのかすら判らない。
神殿か、あるいは巨大な城の最奥か。
まるでRPGのラスボスの間にでも迷い込んだかのような、圧迫感すら覚える広大さと、禍々しいまでの豪奢さがそこには広がっていた。
息を呑みながら部屋の最奥まで進むと、闇の中に一層きらびやかな『玉座』が現れた。
そこに「それ」は座っていた。
豪華に金で縁取られた漆黒のローブに身を包んだ、巨大な骸骨。
右手に身の丈ほどもある禍々しい死神の鎌を持ち、左手で玉座の肘掛けに頬杖を突きながら……空っぽの眼窩で、じっと俺を睨みつけている。
ピクリともしないその姿に、(……なんだ、これもこの部屋の装飾の一部か?)と俺が思った、次の瞬間。
プシュウゥゥゥゥゥッ!!
突如、骸骨の顎の骨がカチリと外れるように開き、口の奥からドライアイスの煙のような真っ白な冷気が、猛烈な勢いでバーッと噴き出した!
凍てつく白煙が滝のように溢れ出し、またたく間に玉座の足元を這い回っていく。
「うおっ!?」
俺が思わず後ずさった、その時。
足元を埋め尽くす白い煙の向こう側、骸骨の奥底から不釣り合いなほど『若い男性のクリアな声』が響き渡った。
「――むかし、とある精霊が神の機嫌を損なって、壺に封じられた事があった……」
巨大な死神から放たれた突拍子もない昔話に、俺はビクッと身を強張らせる。
骸骨は、頬杖をついたまま静かに語り続けた。
「最初の百年。精霊は『封印を解いた者の願いを一つ叶えてやろう』と考えた……」
「次の百年。精霊は『2つの願いを叶えてやろう』と……」
「また次の百年。精霊は『3つの願いを叶えてやろう』と……そう考えた……」
俺は何を言ってよいのか分からずに、ただただ立ち尽くし、巨大な骸骨を見上げている。
「だが……ついぞ、封印を解く者は現れなかった。……そして、精霊は考えたのだ……」
ゴォォォォンッ!!
骸骨の伽藍洞の目の窪みに、突如として怒りの青白い炎が噴き出した。
「次の百年……封印を解いた者を、殺してやろうとなァ!!」
骸骨が玉座から勢いよく立ち上がり、右手の死神の鎌を大きく振り上げた!
殺される!! 俺が悲鳴を上げて目を瞑ろうとした瞬間――。
「お前!! マジ! いい加減にしろよ!!」
「……はい?」
「お前が全然ログインしてこないから、こっちは段取りが狂いまくりだっつーの!!」
死神の鎌を振り上げたポーズのまま、巨大な骸骨は地団駄を踏むように悔しそうに叫んだ。
え? なにこれ。
「えーと……? 今の話だと、願いを3つ叶えてくれるんだよな?」
俺が恐る恐る尋ねると、骸骨の眼窩の炎が青から『真っ赤』に色を変えて燃え上がった。
ゴォォォォォォォッ!!!
次の瞬間、玉座を中心に爆発的な熱風が吹き荒れた。
骸骨を包んでいた豪奢な漆黒のローブが、嵐の中の帆のようにバサバサと荒れ狂うようにはためき、その全身からどす黒いオーラが間欠泉のように噴き出す!
右手に握られた身の丈ほどもある大鎌の刃が、血に飢えたようにギラリと禍々しい赤光を放った。
空気が重い。息ができない。
間違いなく、神話級の化け物が「有無を言わさぬ戦闘モード」に入った合図だった。
「お前、馬鹿か!? 3つの願いのターンは3分前に終了したわ! 今はぶち殺しのターンな! あーゆーれーでぃー? あぁ!?」
「いやいやいや! 理不尽すぎだろ!!」
ごうっ、と大気が鳴動した。
ビフロンスが身の丈を超える死神の大鎌を両手で引き絞り、頭上高くへと振りかぶる!
刃が描いた軌跡に沿って空間そのものがミシミシと音を立てて引き裂かれ、暗黒の亀裂から幾重もの漆黒の獄炎と、血のようにドス黒い赤光が噴き出した。
神殿の巨大な円柱群がその圧倒的な威圧感に軋み、台風の中心に投げ込まれたかのような猛烈な暴風と高圧が、身動き一つすら許さず俺の全身を押し潰しにかかる。
間違いなく、直撃すれば魂ごと消滅するレベルの一撃。
絶体絶命の圧迫感に、俺の全身の細胞が「死」を感知して狂ったように警報を打ち鳴らした。
(アカン!! 砕かれる!! 存在ごと消される——!!)
俺が死を覚悟し、必死に頭を抱えて固まった——まさにその瞬間。
「ビフロンス!! おやめなさい! まったく、人をからかう癖は治っていないようですね」
俺の後ろから、呆れたような声が響いた。
振り返ると、いつの間にか俺の背後にアリエルがピョコッと立ち、腰に手を当てて胸を張っていた。
彼女は、目の前の巨大で恐ろしい死神を「完全に下に見るような」ドヤ顔で見上げている。
「まったく……楽園からのゲストをお迎えする態度ではありませんよ。さっさと玉座に座り直しなさい、株狂いのニート魔王!」
「――お? なんだ、アリエルじゃん! マジで久しぶりだな!」
シュンッ。
先ほどまで玉座の間を吹き荒れていたどす黒いオーラと、眼窩で燃え盛っていた真っ赤な炎が、まるで電源を切られたヒーターのように一瞬で消滅した。
それどころか、身の丈5メートルはあったであろうその巨体も、シュワシュワシュワ~っと空気が抜けたように小さくなり、普通の人間サイズにまで縮みやがった。
骸骨は、一緒に縮んでしまった禍々しい大鎌を「よっこいしょ」と部屋の隅にポイッと放り投げると、カラカラと骨を鳴らしながら玉座に深く腰掛け直した。
そして、先ほどの魔王の威圧はどこへやら、そこら辺のお兄ちゃんがファミレスでソファーに腰をかけるように、だらしなく背もたれに寄りかかって足を組む。
俺はポカンと口を開けたまま、目の前の光景を処理しきれずに固まっていた。
なんだこれ。
俺の知ってるファンタジーの魔王と全然違うぞ。
アリエルはそんな骸骨の態度にピキッと青筋を立てると、ズカズカと玉座に歩み寄った。
「何サボってるんですか? あなたがこんな箱庭に引きこもっている間、あなたの魔界、すごい事になっていますよ! あなたの優秀な副官である眼鏡君と女装ちゃん、毎日血みどろになりながら侵攻してきた邪神と殴り合ってますよ!」
「あー、見ない見ない。俺いま長期有給消化中だから。魔界のグループチャットとか全部通知オフにしてるから」
「ほら、さっさと帰りましょう! 今ならまだ間に合います。私も一緒に彼らに頭を下げて謝ってあげますから!」
「嫌だね! あいつら、普段から俺に頼り過ぎなんだよ。良い機会だ、この際苦労すれば良いんだ。俺のありがたさを骨の髄までかみしめればいい!」
お前自身が骸骨のくせに、どの口で言ってんだ。
っていうか、魔界の副官の「女装ちゃん」って誰だよ。
情報量が多くて脳の処理が追いつかない。
「何馬鹿なこと言っているんですか! 魔界の治安が悪化してこのままだと、担当である私のボーナス査定に響くんですぅ! もう十分遊んだでしょう? ほら、帰りますよ!」
そう叫ぶと、アリエルは玉座から垂れ下がったビフロンスの漆黒のローブの端を両手でガシッと掴んだ。
そして、「うんとこしょ、どっこいしょ」とばかりに、童話の『大きな蕪』よろしく全体重をかけてグイグイと引っ張り始めた。
「こ、こら! 引っ張るな馬鹿! 高級なローブが伸びるだろう!? 特注のシルク100%だぞ!」
「何がシルクですか!所詮、ゲームデータでしょ!魔界に帰ったら本物買ってあげますから!早く帰って仕事してください!」
「やめろって! だから引っ張るな! ……っていうか、違うんだよ! 今、俺は帰りたくても帰れないんだよ!」
ズルズルと玉座から引きずり降ろされそうになりながら、ビフロンスが情けない声を上げた。
その言葉に、アリエルがピタッと手を止める。
ピンと張っていたローブが緩み、ビフロンスが「あぶねー」と骨の胸を撫で下ろした。
「……帰れない? それは、どういう意味ですか?」
アリエルの声から、先ほどまでの怒りがスッと消え、代わりに冷たい緊張感が混じった。
巨大な骸骨はため息をつくように頭の骨をボリボリと掻くと、空っぽの眼窩を俺たちに向けた。
「文字通りの意味だよ。俺が作ったこの『株モンワールド』のシステムが、何故だか地球の経済市場と深く繋がりすぎた。その結果、巨大なエラー……『アウター(未来喰い)』って厄介なバグが発生しちまったんだ」
ビフロンスは立ち上がり、巨大な骨の指で空間をパチンと鳴らす。
「俺は今、この世界のサーバーそのもの(オリハルコンコア)と一体化して、崩壊をギリギリで食い止めている状態なんだよ。俺がここから離れたら、このゲーム世界はおろか、地球の経済も完全に消滅する」
壮大すぎる魔王の独白。
だが――。
アリエルはそんなビフロンスを、怪しげに眉をひそめながらジト目で睨みつけた。
「……嘘ですね。いや、本当と嘘と隠し事を絶妙に混ぜてる感じですね」
「ギクッ……」
ビフロンスは、アリエルの怪訝な『美幼女視線ビーム』を真正面から食らうと、なんとも気まずそうにスッと目線を逸らした。
そして、明後日の方を向いて、ごまかしの口笛を吹き出した。
「ヒュー、ヒュ、スー……スースー……」
骸骨だから唇がねえじゃねえか。息が漏れてるだけで全く吹けてねえぞ。
それにしても、このおちゃらけ骸骨がアリエルの言っていた魔王とやららしい。
アリエルのくるくるパンチを片手で押さえつけて笑っている骸骨はその不気味なビジュアルと相まって全てがチグハグな存在だ。
そもそも、こいつのせいで地球のピンチになってるっぽいのに、それを自分を犠牲にして食い止めているのか?
うーん。
よくわからんやつだ。
怪訝に骸骨を見つめる俺に気が付いたのかビフロンスは俺の方を見てニヤリと笑う。
骨だけど、多分笑ったんだろう。
「鈴木良平!待ってたぞ!まさか、招待IDを送って3ヶ月開封すらされないとは思わなかったぞ」
「うっせーな! こちとら色々あったんだよ! ……ってか、そもそもなんで俺なんだ?」
俺の問いに、ビフロンスは勿体ぶるようにローブを翻した。
「はぁ、忘れちまったみたいだな。実は俺とお前は初対面じゃ無い。俺たちは過去、深い運命で結ばれていたのだ……」
「な、なんだと……?」
まさか。こんな出鱈目魔王と俺は面識があったというのか?
もしかしたら、俺の前世は伝説の勇者の魂を持つとか、魔界の盟友だったとか、そういう壮大なアレなのか!?
「あぁ。半年くらい前、俺が魔王の仕事の息抜きにオンラインハンティングゲームをしていたら、お前が現れた。2人で『魔皇竜グバラグバ』を倒したのを覚えてないか?」
……ん?
そう言われて俺は記憶をほじくり返す。
そういえば、半年前、会社をクビになりヤケクソで夜通しゲームをしていた時、オンラインで凄腕の野良プレイヤーと共闘したような……。
確か、その時のプレイヤーのキャラは……。
『ムチムチボインのセクシーな踊り子』だったんじゃなかったか?
おい!!!
魔界の王がネカマやってんじゃねーよ!!!
あっ! 思い出した!
グバラグバを倒した時、俺たち2人で朝まで少しチャットして、その時、俺は「会社を不当にクビになった事」とか、「恋人の麗子に金が掛かってしんどい」とか、情けない愚痴をこぼしまくった気がする!
自信たっぷりに向こうの踊り子から、「いつか私が君を金持ちにしてあげるゾ☆(はぁと)」みたいなチャットをもらって、ちょっとだけ癒やされたんだよな!!
「その顔、思い出したようだな! そう! あの時共に死線を掻い潜ったセクシー踊り子ハンター『フロンちゃん』は……この俺だったのだ!!」
玉座の前で、骸骨がドヤ顔でビシッと親指を立て(サムズアップ)てきた。
「……ふざけんな。俺のピュアな感動を返せ」
「アハハハッ! いやー、お前の愚痴が面白くてさ! しかも、ゲーム内の草食モンスターが逃げる時間を稼ぐために、貴重な秘薬をガブガブのんで魔皇竜に何回も吹き飛ばされてたろ? 『ゲーム内のデータである動物にすら命をかける』。お前こそ、俺の作ったこの『株モンワールド』の新たなプレイヤーにふさわしいと思ったんだよ!」
「どういう選考基準だよ! っていうか、お前がネカマの『フロンちゃん』だっていうなら、俺は今すぐお前の玉座をぶち壊してやりたい気分なんだけど!?」
俺は複雑な気持ちで骸骨を見つめた。
半年前の夜、会社をクビになって一人でゲームに没頭していた時、
誰かに愚痴を聞いてもらえたことが、意外と心の支えになっていたんだよな……
まるで長年の友達に愚痴を吐くような…
まさか魔王のネカマだったなんて、思いもよらなかったが…
もはや、こいつには魔王としての威厳も恐怖も感じない!
お前は俺を裏切った!
あの日、『もし、現実で出会ったらおっぱいくらい揉ませてあ・げ・る♪』って約束は嘘だったんだな!
女どころか男で魔王!オマケに骸骨で胸すらねぇじゃねーか!
俺が怒りに任せて詰め寄ろうとすると、ビフロンスは慌てて両手を前に突き出した。
「ま、待て待て! 落ち着け相棒! 約束しただろ、おまえを金持ちにしてあげるって! ……さあ、チュートリアルを始めるぞ! くだらないリアルをハッキングして、おまえの人生を一発逆転させる、最高に狂ったマネーゲームの始まりだ!!」




