006:人の頭上に立つのは止めよう
006:人の頭上に立つのは止めよう
「鈴木! お前のセキュリティキーが使われて、社外秘のデータが外部に送信されてるんだよ!」
薄暗い応接室。
バチィン!! と耳鳴りがするほどの音を立てて、上司が机にアクセスログの紙束をぶち開けた。
飛び散る書類。
怒号の圧迫感に、胸が押し潰されそうになる。
「違います! 俺じゃないです!」
「しらばっくれるな! パソコン起動用のUSBキーはお前専用の物だろ! ログイン履歴もIPも全部お前なんだよ!」
胸元に手をやると、首から下げた金属製のセキュリティキーが、冷たく指先に触れた。
嘘だろ……?
これが使われた?
誰に?
どうやって!?
頭の中が真っ白に染まる。
呼吸すら忘れる勢いで、俺は俺自身の潔白を証明するために、昨日の記憶を懸命にひっかきまわす。
「そんなの……何かの間違いです! 俺にはアリバイがあります! データが抜かれた昨日の19時半、俺は駅前のレストランにいました! 同じ部署の麗子と待ち合わせをしてたんです! 麗子に聞いてみてください!」
喉を締め付けられるような恐怖の中で必死に叫ぶ俺を、上司は蛇のような冷酷な目で見下ろす。
「ハッ、言われるまでもなく麗子君にも確認済みだよ。『確かに20時頃から食事をしたが、19時半の時点ではまだ会っていない』と言っていたぞ。……お前、うちのライバル企業にでもデータを売って、高値で自分を引き抜いてもらう気だったのか!?」
「な……っ!?」
頭の中が真っ白になる。
麗子が……なんて言ったって……?
19時半の時点では、まだ会っていない……?
思考がパニックを起こし、狂ったように昨夜の記憶を逆回転させ始める。
昨日の夜。
確かに俺は19時15分には店に着いていた。
19時30分に某庶民派レストランで麗子との待ち合わせをしていたからだ。
19時半になっても彼女は現れなかった。
麗子の遅刻癖はいつもの事だ。
俺はドリンクバーのコーヒーを何杯もお代わりし、スマホの漫画アプリで暇を潰しながら彼女を待っていた。
そして20時ちょうど、「ごめん良平! 急な仕事が入っちゃって!」と言いながら息を切らせて店に駆け込んできた麗子。
その後、20時40分までダラダラと麗子と飯を食い、その後ホテルに行ったんだっけ?
その事は俺の無実の証明にならないよな!?
畜生!!
そもそもおかしいだろ!
俺は今朝、出社してタイムカードを押した直後に、鞄を置く暇すらなくこの応接室に引っ張られてきたんだぞ!?
なぜ上司は、俺が出社して追及を受けるより前に、昨夜の段階で麗子にアリバイ確認を済ませているんだ……!?
段取りが良すぎるだろ!!
ライバル企業? 引き抜き?
何の話だ!? 誰が、どうやって俺のセキュリティキーを使ったんだ!?
疑念と恐怖が不協和音を奏でて脳味噌を掻き乱し、冷や汗が背中をダラダラと伝い落ちる。
心臓が肋骨を突き破らんばかりに暴れ狂い、呼吸のやり方すら分からなくなりそうだった。
「じゃ、じゃあ監視カメラを見てくださいよ! オフィスの防犯カメラを確認すれば、誰が俺の席でパソコンを操作していたか一目瞭然じゃないですか!!」
縋るような俺の叫びに、上司は嘲笑うように鼻を鳴らした。
「ハッ! 白々しい演技をするな! 昨日の19時半からの一時間は、セキュリティシステムのメンテナンスで監視カメラが停止していたんだよ! 社内の幹部しか知らないその一時間を利用してデータを抜いたんだろ! 『カメラに写っていないから証拠はない』とでも高を括っていたのか!?」
「……っ!!?」
幹部しか……知らない……?
なんだよそれ!そんなの俺が知るわけねぇじゃねえか!!
犯人は幹部の誰かじゃないのか?
畜生!畜生!誰かが俺をはめようとしている!!
「違います! 俺じゃない! 仮に……仮に俺がデータを盗み出すような狂った真似をするとして、自分のUSBキーを使ってわざわざ痕跡を残すようなバカなこと、するわけないじゃないですか!!」
必死の論理的抵抗。だが、上司は嘲笑うように鼻で笑った。
「ハッ! 『自分ならそんなヘマはしない』っていう言い訳まで含めての計画だったんだろ? 詰めが甘いお前らしい、実に杜撰な犯罪だよ。仮にそうだったとしてもだ!お前のキーを使われたって事は、お前がやった事と同じ事なんだよ!」
「なんだよそれ!!」
「鈴木! これは犯罪だぞ! 警察に突き出されて人生終わりにしたいのか!?」
「違う……俺じゃない……っ!!」
「責任をとって会社を辞めろ! 今なら俺が穏便に事を収めてやる!」
「俺じゃない……! 俺じゃないんだぁぁぁぁっ!!」
「鈴木良平!! 起きなさい!!」
「 俺は……やってな――!!」
「鈴木良平!!」
少女特有の可愛らしい声音のくせに、どこか偉そうな言葉が耳元で響いた。
暗闇から浮上する意識。あぁ、そうだ、俺って昨日、久しぶりに部屋を掃除して、畳の上で力尽きて寝てたんだった。
重い瞼をゆっくりと開ける。
あぁ……今何時だ? もっと寝ていたい。
四天王最凶フートンが俺を呼んでいる……。
「鈴木良平! 起きましたか? もう9時を過ぎていますよ! 良いですか、早起きは三文の得と言ってですね、この世界の市場が開く神聖な時間に――」
「……。お前、お子ちゃまのくせにエグい下着履いてんのな……」
俺が寝ぼけ眼でそう呟いた、次の瞬間。
目の前で激痛と共に星が弾けた!!
「ウゴゴッ!? っっっってーな!! 何しやがる!!」
アリエルの奴! ガチの踵落としを俺の顔面にカマしやがった!!
鼻血を押さえて転げ回る俺を見下ろし、金髪の幼女は顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。
「こ、この変態ロリコン! まずは去勢してから話を聞いてあげます!!」
そう叫んだアリエルの右手に、バチバチと青白い紫電がまとわりついた。
空気が焦げたオゾンの匂いが、六畳一間のボロアパートに充満してくる。
帯電のせいで、金髪が重力を無視してふわりと黄金の光輪のように浮き上がる。
青い瞳が、うっすらと蒼く発光してないか?
怖ッ!!
昨日の空間ディスプレイ(ホログラム)と言い、もしかしてこいつ、自称していた『楽園の天使』ってのはガチなのか!?
「ま、まてまてまて! 冷静になれ! 俺は悪くないだろ? 寝ている俺の頭の上で仁王立ちなんかしたら、物理的に普通見えるだろ!?」
「くっ! ……そ、そうですね、鈴木良平。確かに私のミスでした。起こすのに必死で……思わず踏みつけてしまい、申し訳ありません」
俺の正論すぎる抗議に、アリエルは手の紫電をスッと収め、苦虫を噛み潰したような顔で渋々謝ってきた。
物分かりの良い天使で助かったぜ。
俺はホッと胸を撫で下ろす。
「わ、分かれば良いんだ! ……まあアレだ、お前も大人の女に憧れて、ちょっと背伸びしてはっちゃけちゃっただけなんだよな? わかるわかる。俺も昔はそうだった。でもな、まだお前みたいなお子様には、そんなエグいカットの黒レースは10年早いんじゃないか? もっとこう、可愛いイチゴちゃん柄のパンツとかの方が似合って――
」
そこまで一気にまくし立てた後、俺はハッと自分の口を両手で塞いだ。
直後、アリエルの小さな体から、得体の知れない未知のプレッシャーが爆発的に膨れ上がったのだ。
皮膚がひりつく、今まで感じたことが無い未知の力場。
それに呑み込まれるようにして、部屋の家電たちが次々と怯えたように沈黙していく。
蛍光灯がブツンと消灯し、テレビや時計の発光ランプすらも光を失い、遮光カーテンを引いた六畳一間は一瞬にして薄暗い闇の中へと叩き落とされた。
息が詰まるほどの静寂の中、俺は恐る恐る、その異常な気配の震源地へと視線を向けた。
その先――。
暗闇に落ちた静寂の中でアリエルは、ゆっくりと『発光』し始めていた。
帯電した高次元エネルギーに煽られ、彼女の金髪が重力を失ったようにフワリと舞い上がる。
暗闇の中で黄金の光輪のようにたなびく美しい髪。
その右腕には、暗黒を切り裂くようなゴン太い紫電がバチバチと荒々しく渦巻き、激しい明滅が彼女の幼い輪郭を浮き彫りにしていた。
そして、影の落ちた顔の中で、感情が無い人形のような二つの瞳が、瞬きひとつせず、蒼く神々しい光を宿して俺を射抜いている。
漆黒の闇と、狂暴なまでに眩い異次元の光。
スクリーンの一幕のような圧倒的なコントラストの中で、冷酷な天使が静かに唇を開いた。
「――やはり、焼き払いますね」
その言葉に、一切の感情は無い。
ただ蒼く発光するガラス玉のような瞳が、冷たい殺意で俺を捉えていた。
ヤバイ!逃げ……!!
弾けた絶望的な輝きが、世界を真っ白に塗りつぶした。
「ぎゃあああああああああっ!!?」




