005:もう一つの魔法
005:もう一つの魔法
(ブレインワールド)
荒涼とした荒野。漆黒の空から見下ろす巨大な影――『怠惰の悪魔』と、満身創痍の俺は対峙していた。
『ククク、なかなかやるではないか! 以前のお前ならココで折れていたぞ』
悪魔が大地を揺らすような哄笑を上げる。俺は額の汗を拭い、不敵に笑い返した。
「ふっ、以前までの俺と思うなよ! 俺の肩には友への弔いと、男の尊厳がかかってるんだ!」
『ククク、なるほど。もはや、読みかけの漫画では相手にならんか。良かろう、少しだけ本気を出してやろう。出でよ! 四天王最凶フートン! 鈴木をそのホカホカの体内で骨抜きにするのだ!!』
「ぐぁぁぁぁ!! ペラペラの煎餅布団が極上の美女に見える!!」
視界の端で、万年床の煎餅布団が、まるで俺を優しく包み込む聖母のように両手を広げていた。
恐るべき幻術だ。
俺の強靭な精神力がゴリゴリと削られていく。
『ははは! 所詮、脆弱な人間! 我が軍門に下れ! 掃除なんて明日の鈴木が頑張れば良いのだ!』
悪魔の決定的な一撃が、俺の胸を貫いた。
……なんて強大な敵なんだ。
とてもじゃないが、今日の俺では太刀打ちできない。
そ、そうだよな。
今無理して中途半端にやるより、気力が回復した『明日の俺』に任せた方が効率がいい。
未来の俺に投資しよう。そうしよう。
「寝るべ、寝るべ」
脳内の壮絶な激闘から、六畳一間のボロアパートに帰還した俺は、万年床に向かって軽やかなステップを踏んだ。
ルパンダイブをかまそうと床を蹴り上げた――その時だった。
ゴミ山の麓で、スマホの画面がチカッと光った。
「ん……? なんだ、こんな時間に」
ダイブの体勢のまま空中でピタッと一時停止し(たような気がして)、俺は胡散臭いスパムか何かだろうとスマホに手を伸ばす。
だが、画面に表示されていたのは、見慣れない――いや、ずっと昔に見覚えのある、星と月を模した古びたアプリアイコンだった。
『Luminous』
その文字を見た瞬間、俺の脳内を支配していた「四天王最凶フートン」の甘い誘惑は、スッと潮を引くように消え去った。
代わりに胸の奥に蘇ってきたのは、いつもチョークの粉にまみれていた、あの不器用で偉大な恩師の記憶だった。
◇ 回想
「鈴木くん。君が今日、見知らぬ誰かに渡した『優しさ』は、最終的にどこへ行くと思うかね?」
西日の射し込む研究室。
俺が下心丸出しで近付いた同級生・美月の父親であり、いくつも博士号を持つ変人・星野零教授は、ふとそんなことを尋ねてきた。
「え? そりゃ、その人が『あざっす』って言って終わりじゃないスか? 3日もすりゃ忘れられますって。優しさなんて、その場限りの消費アイテムですよ」
俺が適当に答えると、教授はコーヒーの入ったマグカップを置いて小さく笑った。
「そう。仏教では『縁起(全ては繋がっている)』と説くが、現実の社会システムにおいて善意は熱のように拡散し、すぐに消滅してしまう。……鈴木君、私はね、みんなが持つ優しさの温もりがほんの少しでも世界を温めてくれることを望んでいるのだよ」
「はぁ、まぁ、みんなが優しさMAXで世界を回せば、世界中で飢える子供もヌクヌク布団で眠れると思いますけど。でも、人間って他人のご飯より自分のお財布に興味津々なんですよ。教授の理想は、みんなの財布をパンパンにすれば叶うと思いますよ」
俺の身も蓋もない言葉に、教授は目を丸くした後――。
「……ッ! ハハハッ! なるほどなるほど、それが君の答えなのか。うむ。確かに真理だ! お金は大事だ! お金は人類が生み出した魔法の一つだからね」
「でしょ?」
「ただし、鈴木君。人類の未来は真っ暗だぞ! 果たして、資本の力だけで乗り越えられるかな?」
「そうっすねー、もし半年後に隕石が落ちてくるなら、金持ちだけは助かるかもっすねー」
「ふむ。まぁ隕石はしょうがないが……何かの厄災の時、果たして人類はお金と言う魔法だけで生き残れるだろうか? 私はね、人類が持つ『もう一つの魔法』を形にしたくて頑張ってるんだよ」
そう言って、教授は机の上に散らばった、常人には全く理解できない計算式の束を指差しながら笑っていた。
――そんな教授は、俺の大学の卒業式の時、忽然と姿を消した。
絶対落第と思われていた俺が何とか卒業できたのは、間違いなく星野教授のおかげだった。
お礼を兼ねて、バイト代で飲みにでも誘おうと研究室を訪れた時。
そこには俺と同じように星野教授に感謝を伝えに来た生徒達と、娘の美月が狐に摘まれたような顔で困惑していた。
研究室はもぬけの殻で、机の上には親しかった生徒へ向けた手紙と、美月には手紙とUSBメモリが残されていた。
俺宛ての手紙には、あのミミズが這ったような汚い字で、こう書かれていた。
『正直、君を卒業させるのが、他のどんな証明問題よりも難しかった。少しでも恩義に思ってくれるなら、娘の美月が困っていたら助けになってやってくれ。卒業おめでとう』
その後、大学を卒業した美月は、当時社員たった5人の下請けIT企業『ルミナステック』に友人と入社。
そこで星野教授の理論を基に、地味な業務管理ツールを「自分の生活を楽しく整えるご褒美アプリ」に作り変える提案をずっとしてたらしい。
美月の熱意に会社は今までの受託を捨てて、全リソースを『ルミナス』にぶっ込む賭けに出たのだ。
その賭けは当たって、わずか数年で上場。
個人の行動をコインにするという発想が受けて、一時は株価も天井知らず、美月の容姿も手伝って『ルミナス』は文字通り時代のアプリとなったのだ。
もし、俺が美月と一緒にルミナステックに入社して絶頂時に株を売っておけば、今頃こんな惨めな生活では無かったかもしれない。
だが、現実は甘くなかった。
政府がこのコインに経済的価値を認めず、投資家にも見限られて、おまけに悪辣な投資家の手練手管なテクニックにより、あの燦然と輝くルミナスの栄光は過去の闇の中。
今では市場の底を這うクソ株と化している。
恩師の頼みは守りたい。
守りたいが、会社をクビになってパチンコに溺れてる今の俺に、美月を助けられる力なんて1ミリもない。
◇ 現実
「……はぁ」
俺はゴミ山の麓からスマホを拾い上げ、一つのアイコンをタップした。
生活支援型SNSアプリ『ルミナス』。
恩師である星野教授が残したデータを元に、美月がパッケージングしたアプリだ。
『起動中……ネットワークを同期しています』
画面の中央に表示されたのは、初期設定のまま放置していた『AIナビキャラ』の小さなプニプニスライム。
――のはずなのだが。
『……ミ……ズ……マスター……お水、を……』
「え、怖っ! めちゃくちゃ干からびてんじゃん!」
数年間放置されたAIアバターは、まるで砂漠で遭難したミイラのようにカサカサに干からび、画面の底を這いつくばっていた。
「まったく!感情を持たないAIでも、1年以上も放置されたら孤独死で死にますよ!」
今まさに、感情むき出しでプリプリ怒っているスライムみたいな不定形のアバター。
こいつが、生活支援型SNSアプリ『ルミナス』のマスコットキャラクターだ。
「うっせーな!こちとら、クビになる、彼女にフラれる、パチンコで全財産持ってかれる、変な幼女に絡まれるで大変だったんだよ!」
自分でも情けなくなる近況報告を叫んだら、ルミナスは一瞬の沈黙のあと、妙に優しく絡みはじめた。
「あ………、マスター、ドンマイ!人生山があったら谷があるんですよ!マスターを振った女なんて、どうせ性根腐ってるサゲマンだったんですって!コレから悪材料出尽くしでマスターの人生はストップ高ですよ!」
感情の無いAIのくせに、そのセリフが俺の心に癒しを与えてくれる。
もうAIで良くね?
はやく、AIが覚醒して俺と美少女以外の人類を滅ぼしてくれねーかな?
「はい、ストップ高のマスター落ち着きました?久しぶりに私を呼び出したって事はアレですよね?」
不定形アバターのくせに、何か悪い顔をしているのがわかる。
「あぁ、掃除をするからコイン生成頼む!」
「ハイ!承りました!頑張ってください!応援してます!」
そう言ってルミナスはどこから取り出したのかスライムのくせに眼鏡をかけて、メガネクイッをおこなった。
このルミナスと言うアプリ、あの星野教授が作り上げたシステムをベースに組み上げられた生活支援アプリである。
このようにAIが俺の努力をコインという形に生成し、このコインを他のルミナスプレイヤーにいいねの代わりにプレゼントする事が出来る。
いつつぶれてもおかしくないこの『ルミナス』だが、なんとかやっていけるくらいのマニアックなファンがいるらしい。
今でも、昔ながらのルミナス掲示板にはそこそこの人がいて、ボチボチの盛り上がりをみせているらしい。
「ふれーふれー!まーすーたー!!」
「そこです!えぐりこむように!もっと腰を入れて!」
感情の無いはずのAIが、掃除を進める俺の後ろでピーチクパーチク叫んでいる。
なんか、さっきも似たような金髪美幼女がいた気がするが、まぁ、賑やかしには良いだろう。
そんな雰囲気の中、ようやく部屋が片付いて久しぶりに出てきた畳に仰向けに寝転がった瞬間。
ペケペケーペケケー。
気が抜けるようなファンファーレが鳴り響き、スマホ画面の中のスライムがぴょんぴょん踊りながら喜んでいた。
「やりましたねマスター!!ルミナスコイン生成完了です!!」
ピコリンっと音がして、コインの枚数が1枚増えた。
久しぶりの起動で、昔はそこそこ集めていたコインは寿命で蒸発し、今は残1枚の数字がピコピコ点滅している。
こんなに苦労してたった1枚……。
しかも、自己満足にしかならない。
教授、悪いけど、あなたがやりたかった事が分からない。
恩師ではあるが、俺の頭の冷静な部分が、このルミナスの行く末をガチで心配し始めた時、スマホ画面のスライムがまたけたたましく体を震えさせた。
「マスター!マスター!過去、マスターが作り出したルミナスコインが2つもバーンしてましたよ!!おめでとうございます!レベルが+0.002上がりました!!世界が少し優しくなりましたね!」
スマホの中ではしゃぐアバターを尻目に、俺は上昇した+0.002%の文字に目をやる。
このコインのもう一つの特性。このコインは人の手を渡れば渡るほどコインレベルが上がる仕様になっていて、見事レベルが10に到達したらバーン(昇天)して、それまでのコインの所有者に経験値が付加される。
ペコペコと点滅する+0.002と言う数字に目をやって、あの、恩師の笑顔を思い浮かべながら呟いた。
「教授〜、世界平和までまだまだ遠そうっすよ!」
そのまま、俺の意識は畳に溶けていった。
この胸にあふれる達成感は、煎餅布団ちゃんでは味わえない格別の感情だった。




