003:幼女天使と話をしよう
003:幼女天使と話をしよう
「私はこの世界の住人ではありません。楽園と呼ばれる別の次元からやってきました。私の仕事はとある魔界と楽園の橋渡し……。そして、その私が担当している魔界を統べる王こそがビフロンスなのです」
良いですか? とばかりに視線を投げてくる幼女。
この時点でツッコミどころは天文学的な数に達していたが、俺は敢えて沈黙を守った。
『鈴木家の家訓・その1:人の話は最後まで聞け』
……それが、この絶望的なボロアパートでかろうじて保たれている俺の人間としての矜持だったのだ。
もう死んでしまった俺のじいさん、ありがとう、貴方のおかげで耐えられています。
「魔王ビフロンス。彼は極めて優秀な王でした。彼の統治のおかげで魔界は安泰、我が楽園とも比較的良好な関係を築いていました。……さて、そんな彼にはですね、常人には到底理解し難い趣味が一つありまして。それが――【株】なのです、彼は夜な夜な地球とつなげたネット環境で株を行い、売り買いで絶叫をあげていました。」
家訓に、ピキリと小さなひびが入った。
ツッコミたい。
魔王が、血生臭い戦争じゃなくて、モニターの前でチャートと睨み合ってる姿なんて想像したくない。
「彼は株を愛しすぎた。あまりの熱意に、魔王としての激務の合間を縫って一つのゲームソフトを作り上げたほどです。貴方もご存知でしょう? 【株モン 赤(薬天レッド)/緑(三異グリーン)/青(SB1ブルー)】」
今度は家訓に、縦方向の巨大な亀裂が発生した。
知ってるどころの話じゃない。
社会現象を巻き起こした歴史的ビッグタイトルだ。
俺はプレイしたことは無いが、アニメ化やあらゆるグッズ販売、ゲームセンターの景品に至るまで株モンのキャラクターで溢れているのを知っている。
そういえば、トレーディングカードの初期版のエラーカードで車が買えるとかニュースに出てたな。
まさか、謎に包まれたプロデューサーの正体が、異世界の魔王だったというのか!?
「当時は、本当にめんどくさかったです。ネットの評判だけじゃわからん!とか言いながら、毎週私に雑誌を買わせるためだけに異世界渡りさせていたのです。」
魔王が地球のゲームの評判、気にしてるんじゃねーよ!!
「さて、ようやく私の登場です。ある日、私は上司から呼び出されて問い詰められました。『君が担当しているビフロンス魔界の数値が異常なんだけど、これどういうこと?』とね。まさに寝耳に水でしたよ。3年前に確認した時は、ビフロンスは元気に株で絶叫をあげていたはずだったんですが……。このままでは私の給料、つまり『査定』に響きます。私は慌てて魔界へ確認に向かいました」
鈴木家の家訓よ、お前は立派だった。
だが、すまない。今回は相手が悪すぎたんだ。
俺はついに我慢の限界を突破し、座椅子でふんぞり返る幼女に指を突きつけた。
「ちょっと待てよ! ビフロンスって魔王なんだろ? なんで地球の株なんかで絶叫を上げてるんだよ! あと、お前! 3年間も放置って、それはただの職務怠慢だろ!!」
「なんですか、せっかく人が話している時に。いいですか? 魔王を常識で測ってはいけません」
アリエルは心外だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「特に『ソロモン宇宙群』を統べる王たちは、総じて変人の集まりなのです。
子供のために宇宙を断ち切る者、気に入った少女を魔改造する者、魔界を鳥で埋め尽くす者……枚挙にいとまがありません。それに比べれば、私の担当するビフロンスなんてまだ可愛い方ですよ。」
「そ、そうなのか……?」
魔王界の基準がブラックすぎて、俺のまともな倫理観がガリガリと削られていくのを感じた。
「話を続けますよ。久しぶりに訪れたビフロンスの魔界は、それはもう惨憺たるものでした。世界の歪みがいたるところに発生し、あらゆる指数が異常値を叩き出し、これ幸いと異次元宇宙の神々が侵攻してくる始末。私は慌てて楽園に応援を頼み、なんとか異変を食い止めることまではできたのですが……」
アリエルは座椅子の背もたれに深く寄りかかり、やれやれと首を振った。
「肝心の魔王ビフロンスが消息を絶っているのです。楽園の支援があっても、現状維持で手一杯。まさに『管理者不在の暴走マーケット』状態ですよ」
「それって、お前がもっと真面目に管理してれば……」
「優秀な私は、ビフロンスを探すために彼の居城をくまなく探しました! そして見つけたのです。彼の消息……というより、『やらかし』の証拠を!」
アリエルが身を乗り出し、声を潜める。
「どうやら当初、せっかく作った『株モン』が魔界でまったく流行らず、ふてくされていたようですね。悔しいので地球のゲームプラットフォームに流してみたところ、これが大ヒット中の大ヒット。気を良くしたビフロンスは、門外不出のSSS級の秘宝『オリハルコンコア』をサーバーにして、完全オープンワールドの『株モン2』を仕事の合間に開発していたようです」
アリエルが、小さな指先をパチンと鳴らした。
「うおっ!?」
次の瞬間、埃の舞う六畳一間のど真ん中に、パチパチと青白い火花が散った。
虚空から染み出した光の粒子が、まるで生き物のように編み込まれ、淡いブルーの透過スクリーンを形成していく。
「な、なんだこれ……ホログラム!? 隠しプロジェクターか? いや、そんなもん置く場所ねーぞ! おい、やめろ、このアパートのブレーカーは脆弱なんだ! 落ちたら冷蔵庫のうめぇ棒用のマヨネーズが腐るだろ!」
俺は腰を抜かし、ゴミの山に尻もちをつきながら絶叫した。
築40年のボロアパートに、突如として現れたオーバーテクノロジー。
SF映画のような光景と、足元の「昨日脱ぎ捨てた靴下」のコントラストが、俺の脳の処理能力をオーバーシュートさせていく。
アリエルは俺のパニックを鼻で笑い、空中に浮かぶログを無造作にスワイプした。
「静かにしなさい。これは楽園の技術による可視化です。そんな事より……ほら、これを見てください。魔王が残した開発の足跡ですよ」
そのスクリーンには、おどろおどろしい文字で、しかし内容はあまりにマヌケな開発記録が羅列されていた。
『株モンがヒットしている、やったぜ!』
『今度の株モンはオープンワールドにしよう! 日本をそのままのサイズで再現だ!!』
『お便りをもらったぞ! どうやら地球では、このクレヨンでかかれた黒い塊が俺様らしい。ふん、悪い気はしないな!!』
『よし! デバッグは大方終わった! 俺様天才すぎる!』
『……あれ? これってヤバくね? このままじゃ、地球が……』
「おい!! 今、最後の方に聞き捨てならんセリフがあったぞ!!」
「私の調査によるとですね、どうやらビフロンスは開発中の『株モン2』の世界で起きた何らかのトラブルを対処するため、自らゲーム内にダイブし……そのまま出られなくなったようなのです」
「おい! 魔王だろ!? 木登りした仔猫じゃあるまいし!!」
あまりのバカバカしさに俺は勢いよく立ち上がろうとして、足元の空き缶の山を盛大に蹴っ飛ばした。
カラカラと虚しい金属音が、狭い六畳間に響き渡る。
「私は『オリハルコンコア』にアクセスしようと試みました。ですが、あれは現在、完璧に閉じられている。……外部からの干渉を一切受け付けない『完全なクローズド・マーケット』と化しているのです。……貴方が持つ、ベータ版の参加IDを除いてはね」
アリエルの瞳に、急に鋭く真剣な熱が宿った。
その視線が、物理的な重さを持って俺の胸元を貫く。
「私が調べたところ、株モンワールドに接続できる人間は、世界でわずか八人。そのうちの七人は既にログインを果たしていて、追跡ができません。唯一、貴方の持つ招待IDだけが、私をあちら側へ導ける『生きたチケット』なのです!!」
「……」
「さあ、鈴木良平! 私を株モンワールドに導きなさい!」
アリエルは座椅子の端に立ち上がり、薄い胸を張って俺を見下ろした。……が、俺の心には一ミリも正義感なんて湧いてこなかった。
「……お前、さっきから聞いてりゃ本当に偉そうだな。っていうか、それ俺にメリットあんのか? 魔王だかシフォンケーキだかに会うのは興味あるが、俺がお前に協力する義理なんて、一株分も持ってないんだよ」
俺の脳内で、邪悪な思考がパチパチと音を立てて火花を散らす。
なるほど、コイツは困っている。俺の持つIDがないと、仕事が詰んで査定に響くわけだ。
……なら、話は簡単だ。この金髪幼女、さっきの名刺といい、間違いなく金の匂いがする。
半年前に仕事を辞め、パチンコで全財産をスッた無職の俺。
明日の食い扶持も怪しい現状で、この「超レアID」はいくらで売れる?
前頭葉が高速でそろばんを弾き、強欲な笑みがこぼれそうになったその時――。
アリエルが、冷徹な一言を俺の欲望の渦に叩き込んだ。
「なにを悠長なことを。事態は一刻を争うのですよ! 貴方なら分かるはずです。最近、不思議に思いませんか? 不自然に景気が悪化した企業、逆に不可解な業績を上げる企業……そして、この世界から『無かったこと』にされた企業があるのを」
その言葉が鼓膜を叩いた瞬間、俺の全身をゾッとするような悪寒が駆け抜けた。
俺は、座椅子の上のアリエルを無言で睨みつけた。
「……心当たりがあるようですね。そうです。正真正銘、貴方の世界の危機なのです。……きっと、株モンワールドのベータ版テスターである貴方しか覚えていないその企業の『株モン』は、株モンワールドの世界で敗北し、死んだのです」
アリエルが少し気まずそうに、その美しい瞳を伏せて淡々と事実だけを述べるようにつぶやいた。
俺は思わず拳を握りしめる。
言っている意味は荒唐無稽だ。頭のおかしい幼女の戯言に決まっている。
魔王の消滅?
世界の危機?
それまではどこか実感の無い内容だった。
だが、あの赤い蟹パッケージのお菓子の話題は話が別だ!
俺のちんけな人生の要所要所には、いつも「あいつ」がいたからだ。
金がなくて、腹が減って、惨めさに押しつぶされそうだった夜。
友達と笑いながらマヨネーズをぶっかけて、無理やり空腹を黙らせたあの塩気。
受験の夜、家族みんなが俺を応援するために、そっとドアの前に山積みにしていったあの赤いパッケージ。
記憶のさらに奥。
今はもういない婆ちゃんの広い背中で、よだれを垂らしながら頬張ったあの香ばしい匂い――。
あの「カッパ蟹せん」が、この世から消えた?
みんなの記憶からも、歴史からも、俺の思い出以外がすべて消し飛ばされたというのか?
「理由は分かりませんが、何故だか株モン世界と貴方の世界がリンクしてしまった。これは世界の危機なのです!」
アリエルが、小さな手を俺の方へと差し出した。
夕暮れの街灯が窓から差し込み、彼女の瞳を神々しいまでの青色に染め上げている。
その真剣な眼差しは、これが眉唾などではないことを何よりも雄弁に物語っていた。
ふつふつと、腹の底からドス黒い怒りがせり上がってくる。
それはパチンコで負けた時の苛立ちとは違う。
まるで友人を踏みにじられたような不快感だ。
許せない!許せるわけがない!
どこの誰だか知らないが、お前が消したのは、ただの小麦粉と蟹の粉末じゃない!
この世界の何億人があのお菓子を口にした時のささやかな幸せとかけがえのない記憶だ!
「正直……世界の危機とか、ビフロンスとかはどうでもいい。だがな、もし株モンの世界に、俺たちの『カッパ蟹せん』を奪った野郎がいるんなら――」
俺は一歩、アリエルの前に踏み出した。
「そいつを、あいつの墓の前で、全財産吐き出させて土下座させてやる。……それがこの世界で唯一あの味を覚えている俺の、弔い合戦だ!」
「鈴木良平!良い目になりましたね!私の名はアリエル!シェム・ハ・メフォラシュの第46番目の天使です。これからよろしくお願いします!」
「鈴木良平だ、よろしく!」
俺はアリエルの小さな手をとった。
柔らかく温かいその小さな手から、想像もできないほどの力強さを感じる。
「では、早速、株モンの招待IDを渡してください、事態は一刻の猶予もないかもしれません!」
「招待IDね……」
俺はアリエルの背後にそびえたつゴミと生活雑貨の山を見つめながら、ニヒルに笑うしかなかった。




