026:初めての株モン?バトル⑤
026:初めての株モン?バトル⑤
満身創痍とはこのことなんだろう。
俺は『死神の鎌』を杖代わりに床へ突き立て、なんとか、倒れ伏すカッパ蟹せんの元へ足を引きずりながら歩いていく。
目の前には、仰向けになって口からプツプツと焦げた黒煙混じりの泡を吹き、多脚をピクピクと痙攣させるカッパ蟹せんの巨体。
いつの間にか俺の肩に乗っていたルミナスが、ピョコンピョコンと嬉しそうに跳ねた。
「やりましたねマスター! 今日は蟹鍋ですね!! 久しぶりの高級食材ですよ!」
「食えるかバカ野郎……」
俺は浮かれポンチにはしゃぐルミナスへ軽くチョップを叩き込むと、カッパ蟹せんの目の前で膝をついた。
「カッパ蟹せん……」
俺の世界の記憶から消えてしまった【カッパ蟹せん】の株モン。
株モンのベータ版テスターだった俺しか覚えていない、忘れられたお菓子。
子供の頃、落ち込んだ時も、腹が減った時も、いつも俺を笑顔にしてくれたかけがえのない存在。
大鎌を握りしめる手に、ぎゅっと力が入る。
「鈴木良平……」
いつの間にか隣にやってきていたアリエルが、気遣うようにそっと語りかけてきた。
わかってる。
今は気絶して口から泡を吹いているだけだが、もし目を覚まして5回目の強化スキルを発動されたら、残弾がほぼゼロのゼロや、満身創痍の俺たちには止める術がない。
引導を渡さなきゃいけないんだ。
だが……俺はコイツと戦っている間、ずっとある『違和感』を覚えていた。
まるでコイツは、俺たちを攻撃したかったんじゃなくて――
そのことをアリエルに伝えようと、息を呑んで言葉を発しようとした、まさにその瞬間だった。
ズズズ……ッ、と空間が軋むような不快な重低音が玉座の間に響き渡る。
次の瞬間、床に倒れ伏していたカッパ蟹せんの胸殻の亀裂から、ドス黒い不吉な光が漏れ出した。
「ギ……ッ!? ギガガガガッ……!!?」
カッパ蟹せんが、今まで聞いたこともないような悲痛な絶叫を上げた。
その巨体が内側から弾け飛ぶかのように、ボワッッ!! と禍々しい【赤黒い炎】が噴き上がる!
「なっ……カッパ蟹せん!?」
駆け寄ろうとする俺を、猛烈な熱波とバグの放電が容赦なく弾き飛ばす。
炎は一瞬にして渦を巻き、カッパ蟹せんの巨体を丸ごと包み込みながら、天井を突き破らんばかりの巨大な赤黒い炎の柱となって天へと立ち昇った。
メキメキ、バキバキと、超高熱に焼かれた甲殻が悲鳴を上げて割れていく。
爛れる肉、焼き焦げる装甲。
激痛に全身の多脚を激しく痙攣させ、のたうち回りそうになりながらも――カッパ蟹せんは、俺たちの方へ火の粉を飛ばすまいと、必死に爪を大理石へ突き立てて耐えていた。
苦痛に濁る青い複眼が、炎のカーテンの向こうから、すがるように、そして謝るように俺を捉える。
そして――天を貫いた赤黒い火柱の頂点。
炎が空間のテクスチャをドロドロに溶かし、天蓋にぽっかりと開いた暗黒の裂け目から。
ギョロリ、と。
血走った巨大な『単眼』と油のような影を纏った不気味な『巨腕』がズルリと姿を現した。
――背筋が氷漬けになるような、今まで感じたこともない禍々しい悪寒が走った。
「な……なんなの……!? 目と手……っ!?」
アリエルの悲鳴混じりの声が響く。
巨大な単眼は、眼球をギョロリ、ギョロリと気味の悪い速度で蠢かせ、玉座の間の光景を舐め回すように見渡し、そして、部屋の奥で輝くオリハルコンコアを視界に捉えた。
その瞬間。
瞳孔が狂気的な歓喜にパッと見開かれ、まぶたの輪郭がいやらしく吊り上がって、まるでニヤリと下品に口角を上げたかのように目を歪めた。
『――ミィツケタ……♪――』
頭蓋の中に直接、油を流し込まれるような、ねっとりと湿った声が響き渡る。
現れた黒い巨腕が、俺たちなど道端の石コロと同等にしか扱わず、貪欲な意思のままオリハルコンコアへと向かって、ぬっと手を伸ばし始めた。
「しまっ――コアが狙われてる!!」
「させませんっ……!!」
危険を察知した俺とアリエルは、示し合わせたように同時に地面を蹴った。
満身創痍の体に鞭を打ち、コアと巨腕の間に割り込もうと必死で飛び出した――まさに、その直後だった。
頭上から、俺たちの動きを嘲笑うかのように巨大な単眼が冷たく見下ろしてくる。
『――ヒザマヅケ――』
ズシンッッ!!
脳髄を直接叩き割られるような、絶対的な拒絶と死の重圧。
空中で跳躍した俺とアリエルは、目に見えない巨大な鉄のハンマーで叩き落とされたかのように、容赦なく大理石の床へと叩きつけられた!
一瞬にして玉座の間に圧倒的な重力の檻が叩きつけられる。
呼吸すら許されず、全身の細胞が恐怖で硬直する。
俺も、アリエルも、ルミナスすらも指一本動かせないまま、その場に強制的に膝をつかされた。
(くそっ……動けねぇ……!! 体が……恐怖で竦んで……っ!!)
絶望が場を支配しかけた、その時だった。
「グルルル……ッ! ワオォォォォン!!」
俺の背中に括り付けられたエーツーが、神のごとき威圧を跳ね返すように低く猛々しく吠えた!
【エーツー:サブスキル Lv.2:『退路なき覚悟』が発動しました】
【効果:敵から受ける精神系デバフを高確率で完全無効化します】
キリィィィィン!!!
目に見えない重圧の鎖が、一瞬にして爆砕された! 全身を包んでいた金縛りが解け、身体に自由が戻る!
「はぁッ、はぁッ……! サンキューな、エーツー!!」
俺は地面を蹴って立ち上がると、死神の鎌を強く握り直した。
その視線の先――次元の裂け目から這い出てきた『手』は、おぞましい変貌を遂げていた。
男のものとも女のものとも判別がつかない、細長く歪な腕。
凍った井戸の底で長期間水に浸かっていた死体のように、爛れた青白い皮膚が不気味にぬめっている。
その先端から伸びる5本の指が、関節の向きを無視してグニャリとあべこべに折れ曲がった。
まるで巨大な百足か蜘蛛の脚だ。黒ずんだ爪を大理石の床にガチガチと立て、歪な5本指を粘着質に動かしながら、床を蠢き進む。
カサカサ、カサカサ、と。
硬い爪が床を擦る嫌な音と、爛れた肉が擦れる生々しい湿り気。
腕全体を不快にしならせ、巨大な『白い手』は蟲足のように指を躍動させながら、ぬらぬらとオリハルコンコアへ迫っていた。
(うわ……なんだありゃ、気持ち悪っ……!)
生理的な嫌悪感を打ち払うように、俺は大鎌を両手で強く構え直して飛び出した。
「アリエル、下がってろ!」
俺が全力で振り下ろした『死神の鎌』のルーンを帯びた刃が、ざくり! と生々しい手応えと共に、ぬめりけのある白い皮膚を叩き斬った!
「ギイィィッ!?」
脳を揺さぶる耳鳴りのような嫌な悲鳴と共に、白い手がビクンと大きく跳ね上がった。
次の瞬間、切られた傷口から、まるでウジ虫の大群が湧き立つように、どろどろとした肉芽が泡立ちながら蠢き、強引に断面を押し広げて塞いでいく。
激痛と惨めな怒りで、不気味な手全体が震え、プルプルと不規則に痙攣した。
あまりの苛立ちに、折り曲げた5本の指先がヒステリックに床を掻きむしる!
ガリガリガリッ! ガリガリッッ!!
黒ずんだ爪が大理石を削り飛ばす、耳を塞ぎたくなるような嫌な音。
苛立ちを抑えきれない様子で激しく床を打ちつけると、今度は開いた手の平を、忌々しそうにベタリとこちらへ向けてきた。
まるで「絶対にタダでは済まさない」と咆哮するかのように、生温かい不快な風が手の平から吹き荒れる――。
(キモ!!! でも、いける! 俺の鎌ならあの化け物を切れる!!)
自分の一撃が有効打になると確信した俺は、すぐさま上空へ視線を走らせた。
「ゼロ! あの気味の悪い手は俺の鎌で食い止める! お前は上の『目』を狙ってくれ!!」
「キュゥゥゥンッ!!」
「頼むぞ、ゼロ……ッ!」
頼もしい過給機音を響かせ、ゼロが理解したように機首を上空の巨大な単眼へと向けた。
だが――上空の『目』は、鬱陶しそうな虫ケラでも見るように薄く瞳孔を細めると、周囲の空間に無数の『黒い槍』を生成し、一斉に掃射した!
シュバババババババッッ!!!
空を埋め尽くす、圧倒的な物量の弾幕。
かつて史実の太平洋で幾度となく直面させられた、絶望的な補給と物量の差。
ゼロは翼を極限まで傾け、神業のような急旋回で黒い槍の群れを紙一重ですり抜けていく。だが、旋回と引き換えに撃ち出す機関砲の透過UIが、非情な警告音を鳴らし始めた。
【残弾数:03……02……01……】
「……っ!? 弾が……もう弾薬がねぇのか!? 戻れ! 戻れゼロぉぉぉッ!!」
コアに迫る白い手を大鎌で必死に撃ち払いながら、俺は喉がちぎれんばかりに叫んだ。
だが――ゼロは、俺の制止の声を聞こえないふりをした。
機首を返さない。
エンジン音を落とさない。 それどころか、いつも日本刀のごとく冷たく研ぎ澄まされていたその瞳を一瞬だけ和らげ――どこか優しく、そして寂しげな色を宿して、地上でボロボロになりながら戦う俺たちを見つめた。
(ゼロ……お前……なんでそんな目で……)
直後、ゼロのエンジン音が、まるで全ての迷いを捨て去ったかのように、不気味なほど静かで、透き通った高音へと変わった。
それは、二度と帰らぬ空へと旅立つ者だけが奏でる、美しくも残酷な『葬送曲』だった。
その静寂を切り裂くように、俺の視界の透過UIに、感情のないシステムボイスが淡々と響き渡った。
【メインスキル:非理法権天起動】
【効果:特攻時、『回避率』と『威力』に天元突破の超大補正】
言葉の重みが、胸を鋭く突き刺さる。
非理法権天――『非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず』。
神風特攻隊の旗印としても知られるその名は、二度と引き返せない『絶対の特攻』を意味していた。
(嘘だろ……特攻!? ゼロ、お前……最初から自分を投げ打つ気で――ッ!!)
その光景を見た瞬間、俺の脳裏に、かつてじいさんから聞いた言葉が閃光のように駆け巡った。
『お前のひい爺ちゃんはな、凄腕のゼロ戦乗りだったんだ。だが功を焦って編隊を崩し、大切な仲間を死なせてしまったんだ。その時の怪我で二度と空を飛べなくなり……特攻することすら叶わず、残された。だから生前、ひい爺ちゃんは自分からゼロ戦の話は一切しなかった。ひい爺ちゃんの知り合いは、みんなひい爺ちゃんを褒めたたえてたが、ひい爺ちゃん自身、結局最後まで自分を許せなかったんだろうな』
残された者の悔恨。
二度と飛べなくなった翼。
目の前のゼロの覚悟と、ひい爺ちゃんの記憶が激しく重なり合う。
「ゼロぉぉぉぉぉッッ!!!」
喉が裂けるほどの叫びは、吹き荒れる爆炎と轟音にかき消され、上空のゼロには届かない。 隻眼を研ぎ澄ませた緑の小鳥は、俺の声など聞こえていないかのように、自らを一筋の弾丸に変えてアウターの急所へと一直線に急降下していく。
(死なせてたまるか……! 届いてくれ……ッ! 俺の命を削ってでも、この思いをあいつに――!!)
なりふり構わない、魂の底からの絶叫。
その瞬間――ポケットの中でスマホが爆発せんばかりの熱を帯び、バチィィッ!! と文字化けしていた亀ちゃんのスキル枠が弾け飛んだ。
それと完全に連動するように。
ビビビッ――バリバリバリッッ!!
「キュッ……!?」
アリエルの腕の中にいた亀ちゃんの身体へ、凄まじい電子ノイズと翠色の放電が奔流となって駆け巡る。
俺から逆流した魂の熱量に当てられたのか、亀ちゃんは一瞬だけ目を丸くして驚愕していた。
だが、次の瞬間だ。
ふっ、と。
亀ちゃんの口元が、ふてぶてしく歪んだ。 普段の間の抜けたマスコットの顔じゃない。
「面白いじゃねえか」とでも言いたげな、獰猛で不敵な笑み。
『ギィィッ!』
無防備な俺の首元へ、白い手が必殺の爪を突き出して肉薄する。
だが、そんな死線など知るか!
俺は迫る爪を大鎌の一閃で力任せに弾き飛ばしながら、喉が千切れるほど亀ちゃんへ叫んだ!
「頼む亀ちゃん……ッ! 俺の声を届けてくれぇぇぇッ!!」
「ピキィィィィ――ッ!!」
亀ちゃんの背中の甲羅――電話回線の幾何学回路が、世界の理をねじ伏せるような翠玉の輝きを爆散させる!
【警告:未認証アクセスによるワールドデータの強制改変を検知】
【エラー:封印コードLv.1スキルのプロトコルが不法書き換えされています】
【イレギュラーコード・アクセプト――サブスキル『以心伝心』強制発現】
「きゃあッ!? な……なに……!? 亀ちゃんが、世界のシステムデータそのものに直接干渉して書き換えているの……!? 一体どんな権限を……!?」
間近で奔流する規格外のデータエネルギーに、アリエルが歓声をあげる暇もなく目を見開いて叫ぶ。
だが、そんなシステムの警告もアリエルの驚愕も、今の俺にはどうでもよかった!
亀ちゃんが開けてくれた『回路』を通じて、俺の精神と、旋回するゼロの意識が一直線に、ダイレクトに繋がる!
『行くなゼロぉぉぉぉッッ!! お前に特攻なんてさせねぇ!! 誰かを犠牲にするなんてきょうび流行らねえんだよ!! 生きて、みんなで一緒に帰るんだッ!! 戻ってこい! 馬鹿垂れが!!』
亀ちゃんを通じて繋がった回路から、ゼロの『死への冷たい覚悟』が、俺の『生への泥臭い咆哮』によって、粉々に爆砕される衝撃が伝わってきた!
「キュゥゥゥゥン……ッ!?」
ゼロがハッと正気に戻ったように機首を大きく持ち直し、特攻軌道を間一髪で回避した。
「はぁ……はぁ……よかった……止められた……」
――だが。
その一瞬の胸を撫で下ろした隙を、蠢く化け物が見逃すはずもなかった。
5本の指があべこべに折れ曲がり、床を不気味に滑走する『白い手』。
黒ずんだ爪を束ね、一本の凶悪な肉の槍と化した手刀が、音速を超えた突きで俺の胸元を目がけて放たれた!
(しまっ――!?)
あまりの超スピード。
限界を迎えた俺の体では、回避どころか鎌を構えることすら間に合わない。
死の衝撃とコアの侵食を覚悟し、目を瞑りかけた――その瞬間。
ズシャァァァァッッ!!
赤黒い火柱の中で焼き焦げ、煙を噴き上げていたはずの巨体が、床を削りながら強引に割り込んできた。
ドガァァァァァァンッッ!!!!
目の前を、圧倒的な質量の『巨大な甲羅』が覆い尽くす。
鈍い刺突音と、カッパ蟹せんの分厚い胸殻が割れる激しい破砕音。
深く抉り込んだ手刀は、カッパ蟹せんの頑丈な胸殻を貫き、その内臓をブチブチと引きちぎっていた。 激痛に、カッパ蟹せんの巨体が大きく痙攣する。
『ギ、ギイィィィッ!?』
刺さった腕を強引に引き抜き、逃げようと暴れ狂う手刀。
だが――カッパ蟹せんは刺さった腕を逃がすまいと、残された巨大なハサミで、己の胸に突き刺さった白い腕を『ガチィィィィンッ!』と力任せに挟み込んだ!
さらに、そのまま倒れ込むように巨体を傾け、体重のすべてをかけて『白い手』ごと床へ凄まじい勢いでプレスしたのだ!
ズドォォォォォンッッ!!!
『!? ギ、ギィィィッ!?』
胸殻に深く突き刺さり、ハサミで万力のように挟まれ、上から巨大な体で床に押し潰された手刀が、逃げ場を完全に失って下で狂乱する。
残った指の爪がカッパ蟹せんの肉を内側からガリガリと引き裂こうと、どれほど青い体液が溢れ出そうと、カッパ蟹せんはビクとも動かない。
言葉はなくとも、己の身を盾にして敵の手刀を完璧に封殺するその姿が、すべてを語っていた。
――『お前には、指一本触れさせない』と。




