015:ドルの値段を気にしよう。
015:ドルの値段を気にしよう。
ビフロンスが作った木製のドアを開けたら、見慣れた、だが先ほど大爆死したあの玉座の間が目の前に広がっていた。
俺がきょろきょろと辺りを見回していると、背後のドアからアリエルがぴょこんっと飛び出てきて、それと同時に木の扉は陽炎のようにユラユラと消えた。
……もはや、何も驚かん。
荒唐無稽もここまで連続して叩き込まれると、人間というのは意外と簡単に順応できてしまう生き物らしい。
俺は、先ほどまで一時避難していたビフロンスのプライベートルームについて思いを馳せる。
『魔王の開発室』。
そう呼ばれた場所は、どことなく大学時代の恩師である星野教授の研究室に似た、コードや資料がゴチャゴチャと積み上がった雑多な部屋だった。
そこに連れていかれたと思ったら、ビフロンスはおもむろにあの禍々しい邪悪なローブを脱ぎ捨てた。
そして、骨骨ロックなスカスカボディに、あろうことか『ピンクのハート柄のエプロン』を装備し、部屋の片隅にある小さな台所へと向かったのだ。
さらに、天界のエリート職員であるはずのアリエルまでがトコトコとそっちに歩み寄り、「ちょっとビフロンス、塩加減が甘いです」などと手伝いながら、2人で何やら難しい顔をして深刻なバグの話をしている。
金髪美幼女と、ハートのエプロンを付けた骸骨標本が、並んで仲良くお昼ご飯の調理をしている。
30年の人生の中で、これ以上のカオスを俺は見たことがなかった。
その料理を待つ間、俺はビフロンスから「これをやってろ」と指示された、学習プログラムという名の頭の悪いド変態乙女ゲーム『〜秘密の投資レッスン・私の資産が狙われて〜』をやらされていたわけだが。
……主人公の名前が『アリエル』なのを見た瞬間、俺は思わず、台所で健気にお玉を持っている金髪美幼女に、なんとも言えないジト目を向けざるを得なかった。
その視線を敏感に察知したアリエルは、「なんですか? 鈴木良平? 心配しなくても美味しいご飯を作ってあげますから、貴方は黙って株の勉強でもしていなさい!」と、どこか偉そうにお玉をブンブンと振って答えてきた。
まぁ、良いだろうと諦めてゲームを進めてみた。
次男のギャクサシネが、お嬢様を守るために強引な損切りを執行し、激怒したお嬢様に「もう私の前に現れないで!」と追放されるシーン。
だがその後、あの時損切りしてくれていなかったら、今頃は自分の全財産の半分が跡形もなく蒸発していたというホラーな事実に、アリエルが後から気が付くのだ。
探して、お嬢様を陰から守るためにボロボロの泥まみれになり、街のチンピラにボコボコにされているギャクサシネの元へ、アリエルが涙ながらに駆け寄って抱きしめるトゥルーエンドを迎えた瞬間――。
「……くっ」
何故だか、俺の頬に一筋の熱い涙が流れていた。
悔しい。めちゃくちゃ悔しいが、やればやるほどIQが下がりそうなゲームのくせに、シナリオがそこそこ面白かった。
ふと、画面の隅の時計を見てみたら、驚くことに現実時間ではまだ『15分』しか経っていない。
ゲーム内で数時間を過ごしたはずなのに。これも、あのクソ骨魔王の精神加速の力だというのか。
……まぁ、その後に俺の画面を覗き込んだアリエルが、顔を真っ赤にして髪を逆立てながら弾丸のように飛びかかってきたので、お昼休みの後半は社会的死の攻防戦で大変なことになったのだが。
だが、ビフロンスが作った『魔王のまかないスープと特製パスタ』は、普通にめちゃくちゃ美味かった。
……いや、考えてみたら、今、俺ってVRゲームのヘッドギアを被っている最中なんだよな? 視覚や聴覚はともかく、なんで味覚や満腹感まで完璧に再現されてるんだ?
その辺を問いただそうとビフロンスのほうを見たら、こいつは骨のくせに、妙に優雅な手つきでスプーンを扱い、スープを優雅に飲んでやがった。
顎の骨の隙間からダバダバと溢れるわけでもなく、胃袋も食道も無いはずの伽藍洞のボディに、一体どこへスープが消えているのか。
それを真剣に見つめているうちに、「ゲームのくせに料理に味がするなんて、理由を論理的に教えられても、どうせ量子力学だの魔力だの言われて脱力する未来しか見えないな」と察したので、俺は考えるのを止めた。
「ごちそうさまでした」
「うむ。あっ、洗い物は流しにつけておくだけで良いぞ。あとで俺がやっておくからな」
なんだろう、この、地元の知り合いの家で普通に飯をごちそうになったかのような、圧倒的な実家感。
あれ?
こいつ、一応この世界の理を捩じ伏せる『魔王』なんだよな……?
台所の、流しに水を張ったプラスチックの桶に食べ終えた皿を入れながら、俺はなんとも言えない微妙な気持ちでテーブルに戻った。
すると、アリエルがビフロンスの棚を勝手にひっくり返してガサゴソと漁りながら、「コーヒーと紅茶、どっちが良いですか?」とか、当たり前のようにビフロンスと俺に尋ねてくる。
呆れながら見ていると、彼女は「ビフロンスはコーヒーに砂糖2つとミルクたっぷりでしたよね」と、慣れた手つきで骸骨の前にカップを置いた。
魔王のくせに、ミルクたっぷりって……
ついさっき、冷気を吐き出しながら巨大な死神の鎌で俺を脅してきた『暗黒の支配者』とのギャップの差が激しすぎて、頭がクラクラする。
それぞれ形が違うマグカップのコーヒーが机の上に並んで、アリエルが俺の目の前の席にちょこんと座ったところで、その場の空気が変わった。
「さて、鈴木良平よ。話を始めよう。世界を救う作戦会議の始まりだ!」
ビフロンスの目に赤い炎が燃え上がる。
コイツの感情表現は、目に炎を燃やさないと出来ないのか?
「ちょっと待て! 俺はやるとは言ってないぞ!! さっきも見ただろう? 俺はズブの素人なの! 資金も200万しかない! 貧乏人に世界の命運背負わせるんじゃねぇよ!」
「はぁ、確かに。老後の資金をかけさせるのは酷ですね。どうですか? こちらも困っているんです、ビフロンス? 100万くらい鈴木に融資してあげたらどうですか?」
ナイス!! ナイス!!
アリエル!
いや! アリエル様!!
「……簡単に施すのは俺の流儀に反するんだがな……まぁ。今回は仕方ないか。ただし融資は30万だ! 苦労せず手に入れた金は、身に錆を付ける。少し少ないが、今回はこれで頑張るように!」
ビ、ビフロンスしゃま!
素敵!
ありがとう! これで、しばらくは食いつなげそうだ!
「よし、アリエル! 私の口座から鈴木良平の口座に30万ドル振り込んでくれ」
目の前が暗くなって、思わずテーブルに頭を打ち付けた!
「どうした? 鈴木良平??」
「いや、なんでもない。です」
ド、ド、ド、ド、ドル!? 30万ドル!? 今ドルはいくらだっけ? 150円だっけ?
もっと高かったか?
落ち着け、仮に150円だとすると、4,500万円……!?
魔王様! 万歳!
魔王様! 万歳!!
「なんか、鈴木良平の顔が気持ち悪い事になってるんですが……あれ?」
「どうしたアリエル?」
「おかしいですね? 口座にログイン出来ませんね?」
アリエルが何度もスマホをいじりながら首をかしげる。
「そんな事は無いだろう? 貸してみろ……あっ、本当だ?」
なんか嫌な予感がする。
「あっ……、原因が分かりましたよ。どうやら、ビフロンスの口座凍結されてるみたいですね。多分、眼鏡君の仕業なんじゃないですか?」
「あー、そうみたいだな。俺の魔界の口座もこっちの口座までご丁寧に凍結されているみたいだ」
おい! 眼鏡!!
おい! 眼鏡!!
「すまん、鈴木良平! でも、大丈夫だ! アリエルが何とかしてくれる!」
「え? 無理ですよ、私こっちの世界のお金なんてもってませんよ? こっちの給料は全部自動的に支援団体に振り込まれるようになってるんですよ」
「はぁ、ジェフに頼んだらどうだ? お前が頼んだら、ジェフは絶対100万くらいポンっと出すと思うぞ」
「嫌です! 私がこの姿の時の苦労をビフロンスは知らないんです! この前なんて、私の知らない間に小学校に転入手続きしてたんですよ? 授業参観に出てみたいって!」
その後、骨と幼女の喧々諤々が続いたが、出た結論は魔王の完全敗北だった。
おい! 魔王!
もっとがんばれ!
「まったく! 世界の危機だというのに! まぁ、仕方ない、現金の支給は出来ないが、鈴木良平にはこれを託そう」
そう言って、魔王はローブの懐から大粒の青い結晶を3つテーブルに置いてつぶやいた。
「ホープストーンだ!」
◇教えて!株モン博士!! ~ドルの話その1~
博士:「やあやあ、円安の影響で海外旅行から国内旅行に切り替わった投資家の諸君こんにちは!」
助手:「いいじゃないですか、国内でお金を循環させましょう。国内最高! 温泉最高!」
博士:「さて、鈴木良平が『30万ドル(約4,500万円)』という莫大なドルの響きに一瞬で脳汁爆発させておったな! というわけで、今日のテーマは【投資家がドル1円の動きで絶叫する理由】じゃ!」
助手:「ところで円安って、何を基準に安いって言うんですか? 昨日より安いとか、去年より安いとか?」
博士:「基本的には直近の値段との比較じゃな。ドルに対して円が安くなった、つまりドルを買うのに以前より多くの円が必要になった状態を円安と呼ぶんじゃ」
助手:「鈴木良平は、1ドルを150円で計算していましたね。実際今の値段は160円前後なんですけど、普通の人ってそんなにドルの値段に興味ないんですかね」
博士:「そうじゃな。だが、株を始めるとそうも言ってられなくなる。個人だと1円の違いでも、国や企業やあらゆる機関ではシャレにならないエネルギーとなって世界を震えあがらせるのじゃ」
助手:「そうですよね。金額が大きくなると、昨日まで160億円で買えた物が、明日の朝には161億円になっていたりするんですもんね」
博士:「そう! たった1円為替が動くだけで、1億円が吹き飛ぶか、手元に転がり込んでくるかの大ギャンブルじゃ! 投資家がチャートに張り付いて、1円の動きで顔を赤くしたり青くしたりして絶叫しているのは、そこに目眩がするほどの札束が乗っているからじゃな!」
助手:「でも博士、それは大きなお金を動かしてる組織の話ですよね? 鈴木良平みたいに、日本の企業の株(トヨダ自動車とか)を買うだけの人には関係ないんじゃ……」
博士:「カッカッカ! 大有りじゃ! 日本の超一流企業……トヨダ自動車のような【輸出企業】の株価は、『ドルの機嫌』で全てが決まると言っても過言ではない!」
助手:「日本の会社なのに、ドルの機嫌ですか?」
博士:「そうじゃ。トヨダはアメリカで車を売って『ドル』で代金をもらう。例えば、アメリカで1台『4万ドル』の車を売ったとするじゃろ?
1ドル=150円(円高傾向)のとき:日本円に直すと 600万円 の売り上げ。
1ドル=160円(円安傾向)のとき:日本円に直すと 640万円 の売り上げ!
車自体は何も変わっていない、現地で売れた台数も同じ。なのに、為替が1ドル160円になるだけで、日本円に両替した時の儲けが、勝手にプラス40万円に跳ね上がるのじゃ!!」
助手:「えええっ!? 何もしてないのに、1台あたり40万円もボーナスが入るんですか!?」
博士:「そうじゃ! しかもコレは車1台のボーナス、年間総売り上げ台数で考えると恐ろしい違いになる。実際、トヨダ自動車のような巨人は、【ドル円が1円『円安』に振れるだけで、年間の利益が約500億円近く勝手に増える】と言われておる!」
助手:「1円で、ご、ごひゃくおくえん……!?」
博士:「逆に言えば、どれだけトヨダが血の滲むような努力をして良い車を作っても、為替が1円『円高』に振れただけで、年間業績が約500億円分悪化するということじゃ。だから日本の株をやっている投資家は、自分の買った企業の業績へ何億円もの揺さぶりをかけてくる、ドルの動きの一喜一憂から絶対に逃れられんのじゃよ!」
助手:「なるほど……。日本株の黒幕は、実は『ドル』だったんですね」
博士:「うむ! 実際、ドル円の値段が変わるたびに、輸出企業と内需企業の株式がまるでシーソーゲームのように赤くなったり緑になったり綺麗に切り替わるぞ。投資の達人クラスになると、0.1円ドル円がブレただけで、可愛いあの娘のパンチラよりも興奮できるようになれるぞ」
助手:「ドルって怖いですね。それでは投資家の皆さん、次のマーケットでお会いしましょう!」




