013:落ちるナイフを警戒しよう
013:落ちるナイフを警戒しよう
目の端にギザギザビームが迫ってくる!
とっさに目を瞑った次の瞬間、体に電流が走った。
俺の意志とは関係なく指が勝手に動き、最速のキーボード操作で株数300、成行ボタンでの決済を強制執行する。
ボタンを押した瞬間、俺と手の中のスマホが弾かれるように猛反発した。
俺は後方に思い切り吹き飛ばされてゴロクロと床を転がり、最奥の玉座に背中からぶつかってようやく勢いが止まる。
その衝撃で、ビフロンスが傍らに立てかけていた死神の鎌の柄がバタンと倒れてきて、俺の額を直撃した。
「いてぇぇ!!! なんで!? VRゲームのはずなのに、めちゃくちゃ痛ぇんだけど!?」
「危なかったな! 鈴木良平!」
俺が額を押さえてのたうち回っているというのに、ビフロンスは骨のくせにドヤ顔で人差し指を立てている。
「何が『危なかった』だ! もう少しマシな助け方をしろや!」
憤慨して怒鳴る俺。
すると、いつの間にかディスプレイを操作していたアリエルが冷ややかな視線を向けてきた。
「はぁ……鈴木良平。あなたはまず、ビフロンスにお礼を言った方が良いみたいですよ」
アリエルが空中に指先で映し出した、立体ディスプレイ。
その中に、さっきまで俺をハメていた三菱電器のリアルタイムチャートが現れた。
「ひっ……!!」
それを見た瞬間、俺の喉から無意識に引きつった音が漏れた。
チャートの先端は完全に直角に折れ曲がり、俺が売らされた場所のさらに遥か下、底無しの奈落へと現在進行形で急降下を続けていたのだ。
ジリジリと下に伸びる不気味な白いロウソク線は、まるで世界中の哀れな個人投資家たちが流している、白い血の涙のようだった。
ハッと我に返り、思考が繋がる。
俺は這いつくばったまま、床に落ちていたスマホに飛びつくように手を伸ばし、慌てて取引履歴のページを確認した。
【 6502 三菱電器 現物売 -12,000円 】
ゾッとするような悪寒が背筋を駆け抜け、バッと一瞬で冷や汗が吹き出してきた。
俺が三菱電機の株を買ってから、5分も経っていなかったはずだ。
それなのに、たったの5分で、俺の財布から1万2千円が容赦なく毟り取られた。
極悪設定のパチンコ台ですら、こんな短時間でエゲツナイことには絶対にならないぞ……!!
スマホから視線を上げ、アリエルのディスプレイに目を戻す。
画面の中の線は、まだ容赦なく下がり続けている。
もし、あのまま現実逃避して固まったままだったら。
もし、ビフロンスが強制的に俺の指を動かして助けてくれなかったら――。
気がつけば、スマホを握る俺の手は、武者震いなんて高尚なものじゃない、完全な恐怖でブルブルと小刻みに震えていた。
「ククク、鈴木良平。危なかったな」
「危なかったなじゃねえ……っ。……いや、すまない。ありがとう」
「え? 何? 聞こえなかったぞ? もう一度言ってみて?」
わざとらしく骨の手を耳に当てて煽ってくる骨魔王。
こいつ本当に性格悪いな。
「……まぁ、今回は少しだけ運が悪かったな。株の女神がお前に対して、歓迎の『甘噛み』をしてきたと思っておけ」
「ふざけるな!! 何が甘噛みだ! 手首から先を骨ごと噛み千切る勢いだったんだぞ!?」
ビフロンスはチチチ、と骨の指を横に振った。
「鈴木良平。心して聞け。今回の『落ちるナイフ』、いわゆるナイアガラ現象は投資の世界じゃそんなに珍しい事じゃないのだ」
「はぁ?」
「大口の売り崩しなんて、そこら中で毎日起きてる。あいつらはお前みたいな個人投資家が恐怖に耐えきれず株を手放した、まさにその瞬間に株を安値で買い戻したりするからな。魔王の俺が言うのも何だが、市場にいる大口の連中は、そこらの悪魔よりよっぽどえげつないぞ。地球人怖い。まじ、怖い」
ビフロンスの伽藍洞の瞳の奥に、一粒の悲しみの光が宿る。
魔王が株の損失で泣くんじゃねえよ。
「あー……分かった。分かりました。はい、無理です! 素人の俺には絶対に無理です! お疲れさまでしたぁ!」
圧倒的な格の違いを理解した。
こんな至る所に奈落の底に続くナイアガラトラップが仕掛けられている株の世界なんて、30代のパチンカス無職が踏み入れて良い場所じゃねえ。
恐る恐るもう一度スマホを覗き込んでみたが、さっきまで脳汁で見えていた「未来の上昇線」なんてものは綺麗さっぱり消え失せていた。
むしろ、どの銘柄のチャートも、次の瞬間には直角に折れ曲がって奈落へと向かうような、獰猛な毒蛇が俺に噛みつこうと鎌首を持ち上げて様子を伺っているような、不気味な動きにしか感じられない。
「待て待て待て! 諦めるな! こんなもの誰もが通る道なんだって! 俺も最初は辛かったんだぞ! 下等な人間に市場でコケにされ、異世界から爪に火を灯すようにして貯めた地球の活動資金を搾り取られ、挙句の果てには魔界の部下たちからも指を差されて笑われる始末……。一時期は本気で腹が立って、地球を滅ぼしてやろうかと思っていたんだぞ!?」
こ、こいつ、なんかとんでもない国家規模のテロ予告をサラッと言いやがった。
「だが、違うのだ! 違ったのだ! 株の世界は、ただ搾取されるだけの地獄ではない!」
「何が違うんだよ! 現に俺の1万2千円は一瞬でドブに消えたんだぞ!? 完全にカモじゃねえか!」
「鈴木良平よ。お前はまだ株の世界の氷山の一角にしか触れていない。株が持つ無限の可能性に気が付いていないだけなのだ!」
「そんなこと言ったって、俺には200万しかないんだぞ? 株なんて、どうせ金持ちが裏で楽して儲けているだけのシステムだろ」
俺が世間一般の、そしてパチンカスなりの偏見を口にすると、ビフロンスは静かに首を振った。
「確かにそういう一面もある。それも株の持つ可能性の一つに過ぎない。だが、そんなものでは無いのだ。株とは喜びも悲しみも、過去も未来も、善も悪も、秩序も混沌も、人間のありとあらゆる営みが詰まっている世界の縮図。……だから、私は『株モン』を作り上げた。皆に、株はただ怖いだけではないと知ってもらうために。ただ儲けるための無機質な道具ではないと、もっと身近で、もっと優しく、この世界の一部であるという事を知ってもらう為に……」
ビフロンスの言葉に、どこか創作者としての願いに似た真摯な「何か」を感じ、俺は圧倒されて黙って彼の言葉を聞いていた。
さっきまでウメェ棒300本と言いながら、俺とラリタッタステップを踊っていたはずのおちゃらけ骸骨の、驚くほど静かな熱量。
だけど、そんなビフロンスの空気が、次の瞬間、ピキリと鋭く変質した。
「だが……」
漆黒のローブが、怒りで小さく震え始める。
「どこかの愚か者が、私の作ったこの『株モン』の世界を無茶苦茶にしてくれたようだ。そいつは、俺の秘宝オリハルコンコアに不正な干渉を施し、ゲームを通じて現実世界へ『世界浸食』を始めやがった……。許すまじ! 俺が愛する株を、俺の技術を使って、私利私欲のために食い物にしやがったのだ! 万死に値するッ!!」
激しい怒りに身を震わせる魔王のプレッシャーにあてられて、俺の脳裏に、なぜかあの日アパートの部屋から消え失せた『カッパ蟹せん』のパッケージが唐突に浮かび上がってきた。あの駄菓子の消滅も、その世界浸食のバグのせいだったのか……?
「鈴木良平! お前には悪いが、もう拒否権は無い! 是が非でも犯人を引きずり出して、魂魄の一片に至るまで細切れにし、市場の底で絶望に染め上げてやるのだ!」
ビフロンスの瞳の奥、伽藍洞の闇が一層濃くなった気がした。
まるで暗黒の炎が燃え上がり、その色を深めたかのような、本物の魔王の眼光。
「でも、俺には無理だって! さっきの三菱電器で分かっただろう!? 俺はずぶの素人で、このままだと1日で素寒貧になって、俺の老後もお先真っ暗だ!」
「忘れたか? この状況はピンチであり、最大のチャンスであるという事を。ゲームの世界と現実世界がリンクしてしまった今、ゲームの中で強くなる事――すなわち、現実の資産も跳ね上がるという事だ!」
「あ……」
言われてみれば、そうだった。
あまりの脳汁と大暴落のパニックで完全に忘れていたが、俺はもともと、この株モンの新作ゲームの『テストプレイヤー』としてここに呼ばれたんだった。株のデイトレードで一喜一憂するためじゃない。
「……具体的に、俺は何をすれば良いんだ?」
「それはな――」
ビフロンスが具体的な指示を話し始めようとした、まさにその時。
玉座の間全体の空間に、ゴーーーン……と、どこか気の抜けた、だが重低音の鐘の音が響き渡った。
「おっと、11時30分になったようだな」
ビフロンスがガクッと肩の骨を落とし、一瞬でいつものおちゃらけモードに戻る。
「現実世界の株式市場と同じで、このゲームの『リアル市場連動モード』 がプレイできるのは【09:00〜11:30】と【12:30〜15:30】の市場が動いている時間だけなのだ。前場が終わって昼休みに入った以上、これ以上はここで動けん。……しょうがない、積もる話は俺の開発ルームで話すとしようか。簡単だが、飯を作ってやるぞ」
「は? 飯?」
「うむ、魔王特製のまかない飯だ!」
そう言うと、ビフロンスは空中を骨の指で引っ掻くようにして、謎の木製の扉を生み出し、俺たちを中へと誘うのだった。
◇教えて!株モン博士!! ~ナイアガラとクジラとご飯~
博士:「株の世界のバンジージャンプはゴムが壊れておるぞ! ご機嫌よう! 株モン博士じゃよ」
助手:「投資家の皆さんは、毎日無料でバンジージャンプしているんですね。きっと皆さん勇敢な人なんですね!」
博士:「カッカッカ! それ以上はイケナイ! さて、鈴木良平が見事に市場の洗礼を受けたな、世に言う【落ちるナイフ(ナイアガラ現象)】じゃな! チャートの線が垂直に、滝のように真下に折れ曲がる急落の不意打ちじゃ」
助手:「5分で1万2千円もぎ取られるなんて、ゴム無しバンジーどころか、ただの墜落ですよ。ビフロンスさんが『そこらの悪魔よりえげつない大口が仕掛けてくる』って言ってましたけど、あの急降下の正体って一体何なんですか?」
博士:「フフフ、あれは偶然起きた大暴落ではなく、市場のクジラ……いわゆる機関投資家やヘッジファンドといった【大口のプロ】が仕掛ける、『ストップ狩り』という合法的なハメ技の可能性が高いんじゃ!」
助手:「ストップ狩り……? ハメ技? ゲームですか?」
博士:「仕組みはこうじゃ。個人投資家というのは、損したくないから『ここまで下がったら自動で損切り(逆指値売)する』という設定をして仕事や育児に励んでいたりする。大口はそこに大量の株を売りつけることで連鎖爆発みたいに売りを誘発して株価を下げていくんじゃな」
助手:「自動損切りが、さらに株価を下げる売り注文を呼ぶわけですね……!」
博士:「その通り! それが重なり合って直角に大暴落したのが、あのナイアガラの正体じゃ。そしてえげつないのはここからじゃよ。大口は、底値まで落ちてきて全員がパニック売りした株を、下がり切った超安値で一気に買い戻して大儲けするのじゃ!」
助手:「ひ、非道すぎる……! 法律で取り締まれないんですか!?」
博士:「うむ。このハメ技の怖いところは、悪意のナイアガラ攻撃と単なる利益確定売りの区別がつかないところなんじゃ。大口が株を売ったせいで『偶然』株価が急落して、株が安かったからお得に株を買いました。んなわけあるか!!っと、もしコレを取り締まったら、冤罪が怖くて誰も株が売れなくなってしまうのだ」
助手:「それじゃあ、大口のやりたい放題って事ですよね? 株式市場って、無法悪魔が跋扈する地獄みたいな場所じゃないですか! 怖すぎます!」
博士:「いや! 悪い奴らばかりではないぞ。日本市場には我らの年金を運用してくれる『GPIF』という、国が運営する超大口の正義のクジラもおるんじゃ。GPIFは市場が崩れそうになったら買い支えて市場を守ってくれたりもする。助手よ、忘れるな。株式市場は綺麗事だけじゃない、大小様々な投資家が回遊する『弱肉強食の生態系』なんじゃ。気に入らないと大口を締め出せば、生態系が崩れて市場そのものが崩壊してしまうのだ!」
助手:「うわぁ……まさに喰うか喰われるかの大海原ですね。だからこそ『落ちてくるナイフは掴むな』なんですね」
博士:「そう! だからこそ! 下落中の株を買う時は、ナイフが床に突き刺さって動きが止まるまで待つのが鉄則じゃ。下落の途中で焦って手をだしたり、暴落の恐怖でフリーズして握りしめたままでおったら、そのまま手首を切り落とされるのがデイトレードの世界じゃな!」
助手:「でも博士、そんな大惨事の真っ最中なのに、11時30分になった瞬間、急にお昼休みに入ってシステムがロックされたのは何なんですか?」
博士:「それが第2のテーマ、【日本の株式市場の取引時間】じゃよ! 実は、現実の東京証券取引所(東証)で株の売買ができる時間というのは、平日の以下の時間帯のみとキッチリ決まっておるんじゃ。
【前場】 09:00 〜 11:30
【お昼休み】 11:30 〜 12:30
【後場】 12:30 〜 15:30(※2024年11月から30分延びたぞ!)
11:30からの1時間は、世界中のプロのディーラーもパソコンの前を離れて飯を食う。だからゲームの世界も一時ロックされ、魔王のお昼ごはんタイム(開発ルームへの移動)になったわけじゃな」
助手:「なるほど、クジラたちの捕食タイムも一旦お休みですね」
博士:「うむ。ちなみに、前場でボコボコにやられた時には、昼食の味なんてしなくてなぁ……」
助手:「次の14話は、ちょっとだけ混乱しやすい指値や逆指値の説明の特別回になるそうです。本編とは微妙に繋がってるような? そんなわけで、次に博士と会えるのは15話になりますね。それでは次の次のマーケットでお会いしましょう!」




