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012:株の怖さを体験しよう

012:株の怖さを体験しよう


◆11話鈴木がマリアナ海溝に落ちる少し前


 向こうのほうで、ビフロンスとアリエルが何やら難しい顔をして話し込んでいる。


 放置された俺は、完全に手持ち無沙汰になっていた。

 手元のスマホ画面には、さっきトヨダ自動車の取引で3,000円の利益を出したアプリの画面が、静かに光っている。


 ……これ、もう一回やったら、また増えるんじゃね?


 そんな軽い気持ちで、俺は検索欄に『仁天堂』と入力してみた。言わずと知れた、世界に誇るゲーム会社だ。


 1. 画面の検索欄に『仁天堂』と入力する

 2. 『現物買い』のボタンを押す

 3. 株数(100株)を入力する

 4. 注文方法を『成行』にする

 5. 取引暗証番号を入力する

 6. 『注文確定』を押す


 トントン拍子に画面をタップしていくと、数秒後には【――注文、約定しました】というポップアップが表示され、あっさりと購入が完了した。


 本当に、拍子抜けするほど簡単だ。

 パチンコ屋の行列に並んで台を選ぶより、よっぽど手軽じゃないか。


 その後、仁天堂の詳細ページを開いて、じっとチャートを眺めてみる。

 画面の中では、赤と白のロウソク線がまるで生き物のようにピコピコとリアルタイムで動いていた。


 見ていると、赤いロウソクが上に向かってピコンと跳ねた。


「今だッ!」


 俺は慌てて『現物売り』のページに飛び、購入した時とそっくりな画面を、今度は売却のために叩き込んでいく。


 1. 株数を入力する

 2. 注文方法を『成行』にする

 3. 取引暗証番号を入力する

 4. 『注文確定』を押す


 しばらくすると、またピコンと小気味いいポップアップが流れて、俺の仁天堂の株が売れた。

 すぐに売買履歴のページへ確認しに行くと、画面には鮮やかな数字で『+980円』の文字。

 スマホアプリの最上部に表示されている総資産の数字は、【 2,003,980円 】に書き換わっていた。


 ビフロンスと出会ってから、わずか1時間。

 この、たったの1時間で、俺の資産は確かに3,980円増えていた。


「は、はは……マジかよ……」


 ドクドクと高揚感で動悸が速くなるのが分かった。

 コンビニで時給1,500円であくせく働いても、2時間必死に動き回ってようやく3,000円だ。


 なのに、今俺は、涼しい部屋でスマホを少しチコチコといじっただけで、その倍近い収入を瞬時に得ることができたのだ。


 チラリとビフロンスとアリエルを見る。

 2人はまだ、何やら深刻そうな顔で難しい話を続けている。俺のことなんて眼中にないようだ。

 俺はごくりと乾いた唾を飲み込み、今度は検索欄に『ボンダ』と入力して検索をかけた。



 ピコリン。

【ソニーG(6758) 200株 約定しました】


 ピコリン。

【ソフト・バンクG(9984) 100株 約定しました】


 ピコリン。

【大和製鉄(5401) 1,500株 約定しました】


 脳内から、パチンコでラッシュに入った時以上の、見たこともない色の汁がドバドバと溢れ出てくる。


 株とは、何と簡単なものなのだろう。

 本質は、安く買って、高く売る。

 たったこれだけ。


 幼稚園児でもわかる、至極単純な算数の世界じゃないか。

 チャートを見る。


 上がりそうなチャートの形を直感で探す。

 株を買う。

 上がったら、すぐ株を売る。


 あぁ、簡単だ。

 簡単すぎる。

 画面をタップするたびに小銭がチャリンチャリンと口座に吸い込まれていく。

 気づけば、今日の含み益は15,000円を超えていた。


 何で、俺はもっと早く株を始めていなかったのだろう?

 あまりの全能感に、魂が歓喜の産声を上げている。


 まるで、前世で生き別れた魂の片割れと、30年目にしてようやく巡り会えたかのような最高の気分だ。


 売買を繰り返すたび、自分の魂のステージが階段を駆け上がっていくような錯覚に囚われる。

 さっきまで地味で無機質だと思っていたアプリの画面が、今では黄金の光を放つ聖杯のように輝いて見える。


 そう言えば、あの骸骨魔王が言っていたな。この地味な操作画面こそ、世界を捩じ伏せる王の座である、と。


 あぁ……そうか。そういうことか。


 俺は、王になる存在だったんだ。

 今まで、社会の底辺で無職だパチンカスだと蔑まれ、燻っていた30年間は、すべて今この瞬間のためにあったのだ。

 そう、醜い芋虫が、泥を這う時間を終えて、華麗な蝶へと羽化するように!


 その時、スマホ画面の中のチャートが、微振動を始めた。


 見える。


 今の俺には、ハッキリと見えるぞ!

 これは一度、少しだけ下落のフリをしてから、猛烈に反発して急上昇する未来の波形だ!


 俺はチャートがわずかに下がった瞬間、勝利を確信しながら、当たり前のように買い注文を叩き込んだ。

 俺が購入した瞬間、チャートの線が美しい放物線を描いて上向きに跳ねていく。


「ハハハハハ! 俺を騙そうなんて、俗物が考えそうな浅知恵だ! だが、王たる俺には一切効きはしない!」


 俺?

 いや、違うな。――『余』だ!


 世界を統べる王たる余にふさわしい一人称は、余をおいて他にない!

 ひれ伏せ! 画面の向こうの愚民どもめ!

 余の爆益のために、その全財産と命を捧げるのだぁぁぁぁ!!!


 ふと気が付くと、さっきまで難しい話をしていたはずの骸骨魔王と金髪幼女が、なぜか信じられないものを見るような瞳で俺を見つめていた。


「神の直感トレードが羨ましいでゲス、とか何とか言って、骸骨魔王が余を称賛しておるようだな。ハハハ、気分が良い!!」


 すると、スマホ画面に映し出された、一つの銘柄が余の目に留まった。


【 6502 三菱電器 】


 ほぅ。

 このチカチカとしたチャートの動き、まるで初々しい乙女が、余の威光に恐れおののいて震えているようではないか……。


 ククク、匂うぞ。

 爆益の芳醇な蜜の匂いが、余の鼻腔をくすぐる。


 怖がることはない、ほらぁ、近ぅ寄れ。

 余の資産の一部にしてやろう。


 余が、この三菱電器の株を、一気に『300株』現物購入するためにスマホを操作し始めると、何やら外野にいるホネ太郎が、慌てた様子でガタガタと騒ぎ始めた。


「あ! ……ちょっと待て鈴木良平! その銘柄の板の動きはヤバい! 大口が売りを仕掛けてくる気配が――」


 何?

 この余の、万物を完全に見通す『スペリオル・ゴッドアイ』に逆らおうというのか?


 はぁ、これだから素人魔王は……。まぁ、黙って見ておれ。余の『スペリオル・ゴッドアイ』が、今からキラウエア火山の大噴火のような大上昇を見せてやろう! INエントリーだぁぁ!


 パシィィィン! と本日一番のドヤ顔で、俺は『注文確定』のボタンを強打した。


「ほら見ろ魔王! これが、天才投資家・鈴木良平のゴッド株トレードじゃあああァァッ!!」


 ――その瞬間。


 液晶画面の中で、余が300株を買ったまさにその刹那、チャートの線が垂直に、真下へとへし折れた。


「あれ?」



 冷水を浴びたなんて言うものじゃない。

 突如として現れた氷の腕が、俺の胸の中に割り込んできて、心臓を直接握りつぶしたかのようなおぞましい感覚。

 たった今まで脳髄を焼いていた熱が、一瞬にして消滅し、全身の血が凍りつく。

 瞬きをするたびに、下に、下にと不気味に伸びていく白いロウソク線。


 あれ? 何が起こってる?

 ヤバい、ヤバい、ヤバい!


 俺、さっき何やった……!?

 調子に乗って、三菱電器の株を300株も買ってなかったか……!?


「売らないと! 今すぐ現物売りのページに飛ばないと……!」


 だけど、指が画面の上でピキリと固まって動かない。

 脳の片隅で、ギャンブル依存症特有の、あの「悪魔の囁き」が響き渡る。

 ――大丈夫だ。次の瞬間、急反転して全戻しするに決まってる。

 ――世界の三菱だぞ? 自分を信じるんだ……!!


 ……何を?

 今の俺の、自分の何を信じるんだ?

 見えない悪魔の手が、音もなく俺の口を塞ぐ。

 見えない悪魔の手が、ゆっくりと俺の瞼をこじ開けて、現実という名の地獄を強制的に見せつけてくる。


 ズルズルと、無慈悲に白いロウソクが下に伸びていく。画面を見るだけで、心臓にゆっくりと錆びたナイフを突き立てられていくようだ。


 それでも、恐怖のあまり硬直した俺は、チャートから目を離すことすらできなかった。


「鈴木良平!!」


 耳をつんざくような、鋭い声が鼓膜を叩いた。アリエルだ。

 その声で、泥を捏ね上げたような俺の意識がハッと現実に引き戻される。


 そうだ! 祈ってる場合じゃない、損切り(ロスカット)をしないと!

 全財産が溶ける……ッ!!


 慌てて売却のためのボタン操作を開始するが――この極限の局面になっても、まだ指が震えて言うことを聞かない。


 ぐちゃぐちゃになった脳内で、まだ「ここで売ったら損が確定するぞ」「今に反発して上がるって!」と叫ぶ往生際の悪い何かが、必死に俺の操作を邪魔してくるのだ。


「チッ! 貸し一つだぞ、鈴木良平!!」


 どこか苛立った、だが確かな力強さを含んだ骸骨の声が響く。

 視界の端で、バチバチと火花を散らすあのふざけた『変なジグザグの形をした光線』が、俺の手元に向かって真っ直ぐに飛んでくるのを感じた。




 ◇教えて!株モン博士!! ~損切り予約は命綱~


 博士:「嫌いな言葉はコツコツドカンな投資家の諸君、ご機嫌よう! 株モン博士じゃぞ」


 助手:「博士がそのうち後ろから刺されるんじゃないか心配な助手です」


 博士:「今日のテーマは『損切り』と『逆指値』じゃ!」


 助手:「損切り……。まさに今回の鈴木さんが、脳汁ドバドバ状態から一転して、恐怖で指がピキピキに固まって出来なかったやつですね」


 博士:「うむ。人間、利益が出ている時は『早く確定させて安心したい!』とすぐに売る(チキン利食い)くせに、損が出た時は『いつか戻るはず!』と現実逃避して傷口を広げる生き物なんじゃ。これを心理学で『プロスペクト理論』と言うが、株の世界ではこの本能のままに動くと、今回のように一瞬で地獄へ真っ逆さまになる!」


 助手:「『10万円得した嬉しさ』よりも『10万円損したショック』の方が2倍〜2.5倍も大きい、っていうアレですね」


 博士:「そう! 『損をしたくない』という強烈な本能が、『勝つ時は小さく、負ける時は大きく(ドカンと塩漬け)』という、投資で最もやってはいけない行動を人間に自動で選択させてしまうわけじゃ」


 助手:「じゃあ、損が出たら心を鬼にして画面をタップするしかないんですか? 無職の鈴木さんにそんな強靭なメンタルを求めるのは無理ですよ」


 博士:「カッカッカ! だからこそ、人間の脆いメンタルに頼らない『システムによる強制執行』が必要不可欠なんじゃ! そこで登場するのが【逆指値ぎゃくさしね】という注文方法じゃよ!」


 助手:「逆指値? 普通の指値とは違うんですか?」


 博士:「普通の指値は『安くなったら買う』『高くなったら売る』じゃな? だが逆指値はその真逆! 『指定した金額より【安くなったら】自動で成行で売る』という、いわば【損切りの自動予約スイッチ】なんじゃ!」


 助手:「なるほど! あらかじめ『ここまで株価が下がったら、私の負けです! 損を確定させて逃げます!』というラインを、買うと同時にセットしておくわけですね」


 博士:「その通り! これを設定しておけば、たとえ株価が急落した瞬間に自分の脳がパニックでフリーズしていようが、スマホを閉じてトイレにこもっていようが、証券会社のサーバーが冷酷かつ機械的に損を最小限で食い止めてくれる。投資家にとっての『命綱シートベルト』じゃな」


 助手:「鈴木さんも、三菱電機の株を買った瞬間に、この逆指値の命綱をパチッとセットしておけば、心臓を悪魔に握りつぶされずに済んだのに……」


 博士:「まぁ、今回の鈴木はシートベルトを締め忘れたまま、時速300キロで壁に激突したようなものじゃな」


 助手:「果たして魔王の『強制ロスカットビーム』は間に合うのか……! それでは投資家の皆さん、命綱は忘れずに、次のマーケットでお会いしましょう!」


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