侍女が思うこと
一度冷めた女性の心は二度と燃え上がらない──そんな話を聞いたことがある。今のクロエはまさにその通りの状態だった。むしろこれまでどうしてあんな男に恋をしていたのだろうと、不思議に思うほどに。
どんなに見た目がよくても、どれだけ紳士的に振る舞っていても、陰で他の女性に婚約者の愚痴をこぼすなんて卑怯な姿を見てしまったら、百年の恋だって一瞬で冷める。しかも婚約者を下げてその女性を褒めるような会話を聞いてしまったら猶更だ。そんなに嫌なら婚約を解消してくれたって構わないのに、どうせそうする気も無いのだろう。
レオナルドへの情が薄れるにつれ、クロエの彼に対する態度は日増しに冷たくなっていく。
そうなると彼は流石に焦ったのか、次第にクロエの機嫌を伺うようになった。これまでの澄ました態度はどこへ行ったのか、今では媚びた目を向けてきては甲斐甲斐しくクロエに尽くそうとする。
冒頭でのお茶会のように、クロエにお茶のカップを手渡すなんて今までしたことがなかったのに、最近ではそれを当たり前のようにするようになった。しかし、そんなことをされても喜ぶどころか一服盛られたのではないかと警戒してしまう。好感度は上がるどころか下がる一方だ。
尽くしてもクロエの反応がよくないと分かったレオナルドは、次はこれ見よがしに贈り物を寄越してくるようになった。真紅の薔薇の花束、小さな宝石をあしらった万年筆、甘い香りの香水、そして豪華な箱に並べられたチョコレートや砂糖菓子。それらの贈り物全てに、甘ったるい愛の言葉を詰め込んだメッセージカードが添えられていた。
クロエは贈り物を一つずつ確認し、淡々とした態度で専属侍女へと処理を命じる。
薔薇の花束はクロエの目の届かないような場所に活けること。
万年筆と香水は何処かに閉まっておくこと。
お菓子に何も仕込まれていないことを確認したうえで、食べても構わないこと。
命令を受けた侍女は驚いた顔で「よろしいのですか……?」と聞いてきたが、クロエは無表情のまま「ええ、構わないわ」とだけ答える。まるで婚約者からの贈り物を不要物のように扱うクロエに、専属侍女は大層困惑した。
しかしながら主人の命令ならばその通りに従うだけ。クロエが婚約者からの贈り物を目の前から遠ざけたいと願うならばそれを叶えることが最優先だ。命令を受けた専属侍女はすぐに表情を引き締め、「畏まりました」と恭しく一礼し、それらの贈り物を乗せたワゴンを押しながら部屋を出る。
屋敷の奥にある使用人専用の休憩所に近づくと、中から控えめな笑い声とカップの音が聞こえてきた。
専属侍女ははそっとその部屋の扉を開ける。
「お疲れさま。ちょっと、いいかしら?」
部屋にいた侍女たちが顔を上げる。専属侍女はワゴンの上の箱を取り、それを休憩所のテーブルの上に置いた。
「お嬢様からお菓子をいただきました。皆でどうぞ、とのことです」
「まあ……お嬢様から?」
その場にいた者たちが目を丸くして声を上げる。ざわめきが広がる中、専属侍女は箱にかかっているリボンをほどき、蓋をそっと開けた。すると、濃厚なカカオと洋酒がふわりと香る。中には整然と並んだ、宝石のようなチョコレートと砂糖菓子が二段に分かれて収められていた。
休憩所の空気が甘く上品なお菓子の香りで満たされる中、テーブルの周りには自然と人が集まっていた。専属侍女が丁寧に並べた詰め合わせには、貴族の名家が好んで注文する菓子店の名が小さなカードに記されており、それに目ざとく気づいた年配の侍女が小声で呟く。
「……これって、お嬢様の婚約者リンデン令息からの贈り物よね? 今朝、リンデン家の使者から届けられた贈り物の目録に、この菓子店の名前が載っていたわ」
この年配の侍女は今朝方リンデン家からの贈り物を受け取り、目録もきちんと確認したのでそれを覚えているようだった。彼女の一言に他の侍女たちの手が止まり、視線が専属侍女に集まった。
「ええ……これはお嬢様の婚約者からの贈り物よ。だけど、お嬢様はそれを皆に、と」
「え? お嬢様は……召し上がらなかったの?」
しばし沈黙が落ちる。部屋の片隅で誰かが紅茶を注ぐ音だけが響いていた。
「それから、この薔薇も。お嬢様の目の届かない場所に活けるように、と……」
「まあ、見事な薔薇の花束。これも婚約者様からの贈り物?」
「ええ、そうよ。目の届かない場所となると、ここくらいしか思いつかなくて……」
屋敷で主人の目につかない場所となると、使用人の休憩所か厨房、ランドリールームくらいしか思いつかない。
だが、後者二つの場所に花なんて活けられては邪魔になるだけだ。
専属侍女は戸棚に閉まってある花瓶を取り出し、そこに水を入れて薔薇を活けた。
「こんなにも見事な薔薇を、しかも婚約者様からの贈り物なのにお部屋に飾らないなんて……どうなさったのかしら?」
「ええ、本当に……。ただ……お嬢様は薔薇はそこまでお好きではなかった気がするわ……」
他の侍女が驚いて顔を向けた。
「まあ、そうなの? 意外。薔薇がお似合いの方なのに」
「そう見えるけど、違うのよ。お嬢様はガーベラの方がお好きなのよ」
「ああ、そういえば亡くなった奥様もガーベラの花がお好きだったわね……」
休憩所にしんみりとした空気が流れる。その沈黙を破るように一人の侍女がぽつりと声を漏らした。
「婚約者様って、お嬢様のお好きなお花も知らないのかしら……?」
「ちょっと、失礼よ!」
慌てて他の侍女が彼女を窘めたが、声を漏らした侍女は気に留める様子もなくさらに言葉を続けた。
「だって、薔薇って誰もが”贈り物”として最も相応しいと考える花じゃない? 典型的で、格式もあって美しいけど、お嬢様のお好みを考えていないというか……」
「……確かにそうよね。考えてみれば、このお菓子もお嬢様のお好みとは言えないわ。お嬢様は果物の入ったチョコレートはお好きでないし、砂糖菓子も好んで召し上がらないのよ」
クロエが好むのは何も入っていない、素材そのものの味を楽しむチョコレート。
砂糖菓子はもともとあまり好まない。お茶会に出されたときに少し口にする程度だ。
レオナルドの贈り物にはクロエの『好き』がひとつもない。専属侍女はそこに違和感を覚えた。
(そういえば、お嬢様は何も入っていないことを確認してから食べるようにおっしゃったわ。あれって、婚約者が贈り物に何かを盛っているのではないかと疑っておられるということよね……)
考え込む専属侍女の傍らで他の侍女たちがざわめき始める。
「そういえば……以前は、贈り物なんてこんなに頻繁に届かなかったわよね。あっても年に数回程度。お嬢様のお誕生日とか、なにかの記念日とか、そういう特別な時くらいだったのに」
「確かに。いったいどうしたのかしら? 急に溺愛が始まったとか……?」
「だったら相手の好みの品を贈るでしょう。それに……なんていうか、中途半端じゃない?」
ひとりの侍女の言葉に専属侍女は「中途半端?」と口にする。
それは彼女もなんとなくそう感じていたことだ。上手く言語化出来ないが、レオナルドからの贈り物にはどことなく中途半端さを感じてならない。
「そう。相手の好みでないものを贈るのもそうだけど……婚約者に贈る品って、普通は宝飾品やドレスのように高価な品じゃない? こういったらなんだけど、花や菓子って……ドレスや宝飾品に比べたら安物よね。リンデン令息からそういった品が贈られてきたことって、一度もない気がするのよ……。公爵家の子息からの贈り物にしてはなんだか随分と質素じゃない? そういうところが中途半端な気がしてならないのよ」
その言葉に、専属侍女はまるで何かに気づかされたように、ハッとした表情を浮かべた。
(そうよ、確かにリンデン令息は一度たりともお嬢様にそういった高価な品を贈ってきたことはなかった。贈り物はどれも安物ではないけれど、ドレスや宝飾品に比べると値段は遥かに下がる。公爵家の令息が贈る品にしては、質素なものばかりよね……)
婚約してかなり経つというのに、衣装や装飾品ひとつ贈られていないのは常識的に見ても少し不自然だ。
別に必ず贈らなくてはならないということはないが、貴族の中の暗黙の了解ではある。
リンデン家は少々ごたごたがあったものの、婚約者にドレスの一枚も買えないほどお金がないとは思えないのだが……。
誰もが下賜されたお菓子を前に「ありがたい」と思う気持ちの陰で、どこか心に引っかかる違和感を覚えていた。
専属侍女もまた、贈り物の処理を命じられた時のクロエの冷めた顔を思い出す。
「……止めましょう。お嬢様の婚約に、私達が口を挟む権利はないわ」
ひとりがポツリと言うと、誰もが頷いた。
口にした菓子の味は、どこかほんのりと切なかった。




