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物語の幕は上がらない  作者: わらびもち


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8/50

冷めていく気持ち

 翌日、クロエはカレンデュラ家の庭園を歩いていた。庭師が丹精込めて育てた鮮やかな花々が色とりどりに咲き誇っている。隣にはいつものように笑みを浮かべた婚約者、レオナルド。その笑顔は彼女の胸をときめかせていた──はずだった。


(ああ、なんて胡散臭いのかしら……)


 彼の笑顔は作り笑いそのもの。昨日、あのレストランで愛しのシェリーに向けていた笑顔とは明らかに違う。

 どうして今まで気づかなかったのだろう。この胡散臭さを感じる笑みは、貴族が社交で見せる顔そのものなのに。


 こんな貼り付けた笑みに魅了されていた過去の自分がひどく滑稽に思える。

 それと同時に人の本質を見抜く力のない未熟な自分を恥じた。


「クロエ、今日のドレスもとても似合っているね。まるで薔薇の妖精のようだ」


 甘やかな声。いつも通りの褒め言葉。けれど、それが本心ではないと知っている。

 彼の言葉は社交辞令と同等かそれ以下の価値しかない、薄っぺらいもの。

 こんな紙より薄い言葉に今までの自分は喜んでいたのかと思うと馬鹿馬鹿しくなってくる。


「クロエ?」


 返事がないことを不思議に思ったレオナルドがクロエの名を呼ぶ。

 いつもの彼女であれば花が綻ぶような笑顔と、鈴が鳴るような可憐な声で答えていただろう。

 だが、今の彼女は冬の風のような冷たい表情と低い声で突き放すように言った。


「……そうですか」


 いつもと違う彼女の様子に困惑するレオナルドを見てもクロエの心は何も感じない。

 驚くほど彼への気持ちはすっかり冷めていた。こんなにもあっけなく終わるなど信じられないほどに。


 昨日、彼がシェリーに向かって放った本心を聞いてからクロエの心はすっかり離れてしまった。

 今まで愛しいと信じていた声が、優しさだと思っていたその言葉が、ただの嘘だったと知ってしまった。

 笑顔も、言葉も、視線さえも。

 すべてが紛い物だと知った今、無邪気に喜べるわけがない。


 和やかとは程遠い散歩の後、二人は東屋に設えられた席で静かにお茶をいただいた。

 純白のテーブルクロスの上には白磁のティーセットに柑橘の香り漂う紅茶。そしてティースタンドには甘味や軽食が美しく盛り付けられている。


 いつもなら、甘味を好まない彼の為にクロエが甲斐甲斐しくスコーンやサンドイッチをそっと取り、レオナルドの皿に置いてやる。そして彼が「君に取ってもらうと、より美味しく感じるよ」と茶化すのが半ば習慣のようになっていた。


 けれど、今日の彼女は手を伸ばすそぶりさえ見せなかった。

 涼しい顔で無言のまま、紅茶をひと口、静かに啜る。


 レオナルドはそんな彼女をちらと見てから、ティースタンドに視線を移した。


「……クロエ?」

「はい。なにか?」


 素っ気ない態度のクロエにレオナルドは戸惑ったように首をかしげ、冗談めかして言った。


「いつも君が選んでくれるスコーン、今日は来ないのかと思ってね」


 クロエはそのとき初めて彼に視線を向けた。だが、その瞳の奥は驚くほど冷たく、レオナルドの背筋にひやりと寒気が走る。


「……そうですね」


 一見曖昧に聞こえるが、明らかに拒絶を含んだクロエの言葉にレオナルドの顔から表情が抜ける。

 クロエはそれを見てふと悟った。これが仮面の下にある、彼のありのままの姿なのだと。


 沈黙が二人の間に落ちた。静かな庭園にカップが皿に触れる音が小さく連なる。


「クロエ……今日はいったいどうしたんだい?」

「どうした、とは?」

「いや、その……なんだかいつもと態度が違うから……。あ、いや、私の気のせいかもしれないけどね」


 気のせいで済ますのは無理があるだろう、とクロエは内心で呆れた。

 いつもと違う素っ気ない態度に彼が困惑しているのは分かる。だが、それを気のせいで済まそうというのはいただけない。


(これが彼の愛しい”シェリー”だったなら、彼は必死でご機嫌をとるでしょうね。でも、わたくしにはその素振りすら見せない。つまり彼にとってわたくしはご機嫌をとる価値もない女ということ……)


 あくまで想像だが、シェリーが彼に素っ気ない態度をとったなら、彼は何か怒らせてしまっただろうかと彼女のご機嫌をとろうとするのかもしれない。愛しい人に嫌われたくないから。

 だが、クロエにはそれをしようともしない。それどころか「気のせい」と流そうとする彼の態度に心底呆れてしまった。嘘でも婚約者のご機嫌をとることもしないのかと。


 彼にとって――否、彼の家にとってクロエとの婚約は貴族の名を守り抜くための命綱だ。

 カレンデュラ家と縁戚関係になることでリンデン家は社交界で再び返り咲くことが出来たのだから。

 それに恩義は感じないのか。いや、もしかすると恩着せがましいとでも思っているのかもしれない。

 そうであれば彼の、このクロエを尊重しない態度にも頷ける。


 こういった態度からも彼への好感度がどんどん下がっていき、今や地の底まで到達しそうだ。

 もはや話す気もなくなったクロエは彼との逢瀬の時間が終わるまで静かにお茶を飲んでいた。

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