誰の娘?
元婚約者のレオナルドに似た少女、その背後に控える王子と側近達。
異常なその光景に屋敷の前の空気がさらに重くなる。
そんな状況下でもクロエはなんとか冷静さを取り戻し、彼らを真っ直ぐ見据えて語りかけた。
「突然お越しになったうえに、その物言い。ずいぶん自由なお育ちでいらっしゃるのね? こちらのお嬢様はいったいどこのどなたでしょうか、第一王子殿下?」
一応は顔を見知った相手である第一王子に皮肉交じりの言葉を投げかける。
王子はクロエの気迫に押されて一瞬ひるんだが、すぐに偉そうに振る舞った。
「カレンデュラ女公爵、その言い方はなんだ! 自分の娘に対して随分酷いではないか!?」
「は……? 娘? わたくしの……? なにをおっしゃっているのですか……」
王子が突然、訳の分からないことを口にしたためクロエは思わず呆気にとられた。
アイルと皇女も同様に、二人は怪訝な表情で互いの顔を見合わせている。
「とぼけるな! この”アレクサンドラ”は貴殿と元婚約者であったレオナルド卿との間に生まれた娘なのだろう!?」
「はあ? なんですの、その悍ましい勘違いは。わたくしが元婚約者の子供を……だなんて、気色の悪いことを言わないでくださいまし。第一王子殿下はわたくしを侮辱するおつもりですか?」
じろりと睨みつけた途端、王子や少女たちは小さく悲鳴を漏らし身を引いた。
元来の美しさもあって、怒ったクロエの表情には圧倒されるほどの迫力がある。
「か、勘違いなどではない! 聞いた話によれば貴殿はこの”アレクサンドラ”を父親であるレオナルド卿に預け、一度も会いに来ないばかりか、本来の夫との間に出来たその娘ばかりを可愛がっているそうではないか? それはあまりにも人道に外れた行為だ! アレクサンドラが可哀想だとは思わないのか?」
負けじとばかりに第一王子はそう強調し、急に悲し気に俯きだした少女の肩を抱く。
そのあまりにも気安い態度から察するに、王子は少女に特別な思いを抱いでいるのだろう。
ふと、この情景にクロエは既視感を覚えた。王子に庇われる少女、非難めいた口調で指をさす王子。
それはまるで……遥か昔に思い出した記憶の中にあった『乙女ゲーム』の一幕のようだった。
(その娘? それって……まさか……)
王子が指さした先にいたのはクロエの息子アイル──に庇われている皇女メリーアンだった。
「は……? 娘って、まさかわたくしのこと……?」
皇女もそれに気づいたのか、唖然と呟いた。
そして彼女の呟きを耳にした第一王子は勝ち誇った顔で尊大な態度に出た。
「カレンデュラ公女よ! ここにいるアレクサンドラはそなたの異父妹だ。彼女は本来ならば公爵令嬢として何不自由なく生活できたはずなのに、そなたの母親の無慈悲な行いによって貧しい商人の家で暮らさねばならなかった! 真実が白日の下に晒された今、彼女を正式にカレンデュラ公女として迎え入れよ。これは王子としての命令だ!」
大げさに声を張り上げ、皇女のことを『カレンデュラ公女』だと言い張る王子の姿に、当の皇女はもちろんのこと、クロエやアイルも思わず呆れた表情を浮かべた。声には出さないが、皆心の中で「この馬鹿は何を言っているのだろう……」と思っていることは明白である。
「……第一王子殿下、あなた様が誰に何を聞いたのかは存じませんが、無礼にも程があります。こちらの御方を”カレンデュラ公女”だなどと……正気ですか? こちらの御方をどなたと心得ます。王族ともあろう方が知らないとは言わせませんわよ」
「は? だからそなたの娘であろう? そなたこそ何を言っているんだ。論点をずらすのもいい加減にしろ」
「いい加減になさるのはそちらです。先ほどから訳の分からぬことばかりを……。我がカレンデュラ家だけでなく、こちらにおわします皇女様に対しても看過できぬ無礼です。これ以上の無作法は許しません!」
クロエの威厳のこもった一喝と、看過できぬ言葉により王子のみならず側近たちも一瞬で青ざめた。
彼等は身を強張らせ、消え入りそうな声で「皇女……?」とだけ呟いた。
「ええ、そうです。こちらにおられるのは、帝国の皇女、メリーアン殿下であらせられます。王族であっても、無礼な扱いが許される方ではございません。ましてや、公爵令嬢だなどと……無礼にも程がありましてよ」
「なっ……嘘だろう!? 皇女だなんて……そんな、嘘だ! どう見ても公爵にそっくりではないか!」
「それはそうでしょう。皇女殿下のお父君であらせられる皇太子殿下はわたくしの従兄にあたります。血縁関係にある以上、容姿が似ていても不思議ではございません」
「え……従兄? 公爵と帝国の皇太子が……?」
「はい、そうです。わたくしの亡くなった母は帝国の皇女でした。……ご存じないのですか?」
知らない、と首を振る王子にため息をつかざるを得ない。
王族たるもの、すべてを把握せよとは言わないが、ある程度の有力貴族家の家系を知っておくことは必須だろう。
しかし、この王子はどうやら理解していないようだ。王室の教育は一体どうなっているのかと呆れてしまう。
「第一王子殿下がどうしてそのような勘違いをなさったかは知りませんが、わたくしの子は息子のみ。娘を産んだ覚えもなければ、元婚約者の子を孕むなどという悍ましい真似を誰がするものですか。
それに、そこの娘はわたくしともカレンデュラ家とも無関係の赤の他人。そしてこちらの御方は”カレンデュラ公女”ではなく、帝国の皇女殿下です。これは帝国とカレンデュラ家への、王室からの宣戦布告と受け取ってよろしいのでしょうか?」
どうしてかは分からないが、この王子は皇女をクロエの娘と勘違いし、あまつさえ傍らの少女がクロエとレオナルドの間に出来た娘だと思い込んでいたようだ。何をどうしてそんな思い違いをしたかは知らないが、場所も時期も最悪だ。まだクロエだけに対してならば冗談で済ませられたものを、皇女に対してはそれでは済まない。
流石の王子もようやく自分が取り返しのつかない過ちを犯したと悟ったのだろう。顔面は蒼白になり、全身をがたがたと震わせていた。
「ち、ちが……私はそんなつもりは……。だって、アレクサンドラが自分は母親に捨てられた子だって……」
途切れ途切れで説明しようとする王子だが、そのアレクサンドラと思しき少女が空気を読まずに王子にしがみついて邪魔をし出した。
「王子様? 顔色が悪いです。どうしたんですか?」
「ア……アレクサンドラ! これはいったいどういうことだ!? 君は私を騙したのか!」
「え? え? 何のことです? アタシは王子様を騙してなんかいませんよ?」
なにやら言い争いを始めた王子とアレクサンドラという少女。
背後に控える側近達は今にも泣きそうな顔で少女を見ている。
「とぼけないでくれ! 君はいつもカレンデュラ女公爵が自分を捨てたと嘆いていたではないか! 父親違いの姉ばかり贅沢な暮らしをしてずるいと言っていたろう? あれは嘘だったのか!」
「ええっ!? 嘘じゃありませんよ? だってお父様がそう言っていたもの! アタシは本当は公爵家のお嬢様として暮らすはずを、冷たいお母様に捨てられたんだって! ……王子様だって信じてくれたじゃないですか? そうですよね? ねえ、みんな?」
少女は背後の側近達に同意を求めようとするも、彼等は全員少女から目を背けた。関わりたくないとばかりに。
先程まで少女の騎士を気取っていたというのに、その変わり身の早さに呆れてしまう。
「……はあ、騒がしいこと。めでたき祭りの日に我が屋敷の前で招かれざる者が徒党を組み、皇女殿下に向かって威圧するなど、断じて許されることではありません。いかなる身分であろうと、礼を欠く者は客ではなくただの無作法者。これ以上騒ぐのであれば、こちらも強硬手段に出ます」
クロエの毅然とした声に王子と側近たちは口を噤む。だが、場の空気が凍りつく中でただ一人の少女だけがクロエをキッと見据えた。
「ひどいわ、お母様! 王子様たちはアタシのために言ってくれたのに……そうやって否定ばかりして! どうして……どうしてアタシを捨てたの? どうして、その”悪役令嬢”ばかりを可愛がるのよ! アタシだってお母様の娘なのに……こんなのひどい!」
皇女を指差し、再びハッキリと『悪役令嬢』だと断言する少女に周囲の空気が凍りついた。
クロエに見当違いの嘆きをぶつけるばかりか、皇女への度重なる無礼。王子は慌てて少女の口を塞ぐも時すでに遅し。婚約者と母親を愚弄されたことで怒りを露わにしたアイルが少女を睨みつけて低い声で告げる。
「貴様……一度ならず二度も我が婚約者を愚弄したな。それと、我が母が貴様を産んだ? 母上のような淑女から貴様のような阿婆擦れが産まれるものか! 戯言をぬかすな!!」
傍らの皇女を守るように抱き寄せ、アイルは少女たちに厳しい言葉を向ける。
叱責された少女は瞳からぶわっと涙を溢れさせた。
「ひ……ひどいわ、お兄様! どうしてそんな女を庇うのよ!? その女はアタシに嫌がらせをするような最低な女なのよ!」
「黙れ! それ以上我が婚約者を侮辱する言葉を吐くことは許さぬ。それと赤の他人に兄などと呼ばれる筋合いはない!」
アイルの叱責に「ひどい!」と叫んで泣きつく少女に、王子は一瞬たじろぐ。先ほどまでの親密さは影を潜め、彼は困惑したまま距離を取ろうとしていた。今になって自分のしたことがどれほどのものかを理解しても遅い。クロエは可哀想な者を見るような目を向けた後、騎士に命じた。
「第一王子殿下を除いた者達すべてを捕らえなさい」
一切の迷いも含まぬ声が場に落ちる。次の瞬間、屋敷の影や門の内側から、甲冑の擦れる音が響いた。控えていた騎士たちが一斉に姿を現し、整然と隊列を組んで前へ出る。その動きに無駄はなく、長年この家に仕えてきた者たちの練度がはっきりと表れていた。
「な……っ、待ってくれ、カレンデュラ女公爵! このまま大人しくこの場を去るから、今回だけはどうか見逃してくれ……!」
「いいえ、殿下。それはなりません。ここはわたくしの屋敷。礼を欠いた不届き者をどうするかはわたくしが決めます」
クロエが冷ややかに言い放つと、王子の顔には絶望が浮かんだ。
側近や少女がざわめくが、騎士たちはすでに間合いを詰め逃げ道を塞いでいる。剣は抜かれていない。それでも、その無言の圧だけで十分だった。
「大人しく従いなさい。これ以上、騒ぎ立てることは許しません」
やがて騎士たちは王子を除いた者達を取り囲み、身柄を押さえる。
それを確認し、クロエは騎士に「第一王子殿下を王宮まで送って差し上げて」と命じる。
騎士は深々と頷き、絶望に項垂れる王子を丁寧に、しかし有無を言わさぬ態度で馬車まで連行した。
彼らの姿が消え、静まり返ったその場に、遠くから祝祭の音楽が再び響き渡った。




